小説「エンシェントスクリプト」

※「100文字小説73」より着想

『キミへのバースデープレゼントだよ』
 呼び出された公園へ行くと、ユーリは四角い板のようなものをぼくにくれた。赤い布張りの表紙に金の刺繍で、なにか記号が書かれていた。
『本だよ』
 ユーリが白い歯をみせて笑った。
 〝本〟というものについては知っていた。
 マインドネットがなかった時代には、わざわざ文字というものを使って思考や感情を共有していた、と歴史ファイルにあった。
 ぼくが気になったのは、こんなものをユーリがどこで手に入れたのかということだった。
 思うと同時に、ぼくの疑問はユーリに共有された。
『学校の西に砂漠があるだろ。あそこは大昔には図書館だったんだ。本なんていくらでも捨ててあるよ。誰も興味ないからね』
 ぼくはユーリの贈り物を見つめて、そっと表紙を捲った。
『これが文字……』
 茶色く染みのできた紙に小さな昆虫が湧いてるみたいだった。クラクラする。
『古代人は、こんなものを介さないと精神共有できなかったんだね』
『エラーが多かったろうね』
 思考と言葉が矛盾する〝嘘〟なんていうものもあったらしい。
『信じられないよ。こんな不便なものを使ってコミュニケーションしてたなんて……』
『今だって変わらないさ。便利になっただけで、他人の心の底はわからない。人間はいつでも孤独なんだ』
 ユーリを見ると青い瞳がぼくを見つめてる。
 するりとユーリの細い指が近づいてきて、僕の耳たぶをつまんだ。
 鼓膜の奥でチッチッと電気が跳ねる音がして、僕はネットワークから切り離された。
『なにするんだ!』
 ぼくは不安になって睨んだけれど、思考はもうユーリに届かなかった。
 ユーリも自分の耳たぶをつまんだ。
 風が吹いて葉の揺れる音が、きこえた。
 ぼくとユーリだけの世界が生まれたみたいだった。
 それからユーリが顔を近づけてきて、唇を、ぼくの唇にくっつけた。
「キスって言うんだよ」
 ユーリの声を聞くのは初めてだった。

(了)

緋片イルカ2019/04/02

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