映画『ジェーン・ドウの解剖』(三幕構成分析#74)

※この分析は「脚本講習」の参加者によるものです。

※あらすじはリンク先でご覧下さい。
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【ログライン】

検死官トミーと助手を務める息子オースティンが、運び込まれた死体(ジェーン・ドウ)を検死解剖する。
死体は惨殺事件の起こった地下から発見され、死後硬直等もなく美しい。しかし解剖を進めていくにつれてありあえない物や内臓の状態が明らかになる。儀式による生贄ではないかと推測した瞬間から怪異が起こり、保管してあった別の死体達が動き始める。トミーが犠牲を払って息子を助けようとするが、オースティンも幻影により死亡。ジェーン・ドウは綺麗な状態に戻っており、次の場所に運ばていく。

【ビートシート】


Image1「オープニングイメージ」:「風に吹かれる土」
風に吹かれ、表面が削られていく土。
→この後、惨殺事件現場になった家の地下(土の中)からジェーンドウが発見されるので、その部分への結び付け。

CC「主人公のセットアップ」:「検死の手伝い」
3代に渡る検死所・火葬場を営むティルデン家。オースティンは家業(父親)を手伝っている。
→のちに、家業を大事にしているというよりは2年前に母親が亡くなり、元気がない父親を手助けしたいという気持ちで動いているという説明がある。
父親に死因を問答されても、どうしても警察の範囲である犯行理由が気になってしまい、検視官としての仕事に納得ができていない。家を出たい。

「ジャンルのセットアップ」
身元不明の死体を検死する。
→この身元不明というのが、発見された惨殺事件現場の何とも全くの無関係状態。
現場の他の死体はひどい状態なのに、このジェーンドウのみが綺麗。
何かワケありのような不穏さが出ているのに加え、これから解剖されるのがわかっているので怪異×科学が始まる。
ここからに重要な役割を担う、室内の様子をしっかり映している。

Catalyst「カタリスト」:「エマとの映画」
オースティンは恋人のエマと映画の約束をしている。
父親は最後に映画を観たのが亡くなった母親とだという。
→エマとの約束に触発されるように父親が母親を思い出すが、まるでまだ生きているように話す姿にオースティンが反応に困る。それに父親も気付き、ぎこちない雰囲気になる。

Debate「ディベート」:「エマが検死所を見学」
待ちきれずに検死所に迎えに来たエマ。オースティンを驚かす。
死体を見たいと言い、父親の許可を貰い死体を見る。
むごい状態の顔を隠している死体を見て、足の鈴の理由を教えてもらう。
顔を見ようとした瞬間、父親のいたずらで鈴が鳴り驚く。
→エマが検死所に興味を持つ。ここで生死判別の鈴、保管されている3体の死体の存在が明らかになる。

Death「デス」:「緊急の検死」
ジェーンドウが運び込まれ、父親を気にするオースティンが戻る。
エマとは23時からのレイトショーから一緒にいると約束。
→家から出たいのに仕事を優先しなければいけない理由が、父親であると明らかになる。
エマとの約束を犠牲に検死所に戻る。検死をしなければいけない状況になっている。

PP1「プロットポイント1(PP1)」:「検死解開始」
ロックが流れる解剖室で解剖の準備が始まる。
解剖の様子は録画されていて、これから段階的に調査していくと説明する。
ラジオからは数日にわたる晴天だと天気予報が流れる。
→死因を調べるための旅に出る部分

MP「ミッドポイント」:「死体の状態を整理する」
手足が折られ、舌は切断、膣の外傷、ひどい火傷の肺、傷だらけの内臓、消化器官からはチョウセンアサガオと布に包まれていた大臼歯。
外見は傷ひとつないのが明らかにおかしいレベルの拷問の痕。
オースティンはまるで生贄のようだと言う。
→死因は判明していないが、儀式の生贄だったのではないかと仮説が立つ。

Fall start「フォール」:「この部屋では見えないものや触れないものは関係ない」
あくまでも検死=死因の特定であり、動機の調査ではないと話すシーン。
→ここで科学的に説明できるもの以外は無視するというトミーの意志が明確になる。
説明がつかないことが多いジェーンドウに不安を感じ、中断したがるオースティンとの対比。

PP2(AisL)「プロットポイント2」:「脱出を試みる」「エマの死」
電気の復活と同時にエレベーターの起動音に気付くトミー、オースティンとエレベーターに乗り込もうとするがドアが閉まらない。
鈴の音が近づいてくるのを、斧で切り込む。が、先ほどまで死体に見えていたのに倒れていたのはエマだった。
→初めて逃げることを決めたシーン。しかし、怪異のせいでエマを失う。
つまりオースティンは恋人を失い、トミーは息子の恋人を殺したことになる。

DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「2人の後悔」
オースティンはエマが来たのはレイトショーに変更したせいだと思いつめ、トミーは自分の認識が甘いからだと妻の思い出にも触れ後悔をする。
→扉もすべて開かない状態でなぜエマがいたかというと、それはおそらく怪異からなる幻覚だったのだろうと思う。のちに駐車場にエマの車もないことから、ジェーンドウのもとに戻らされていると想像できる部分。
エマを失うことで、2人が深く後悔する。

BBビッグバトル:「生きている」「呪い」
頭を解剖すると、脳は他の臓器とは違い、綺麗な状態だった。
細胞を見ると活発に動き、生きている。死因がわからなかったのは生きていたからだった。
拷問が彼女を魔女にしたのか、魔女だから拷問されたのかは不明だが、自分が受けた苦しみを無差別に振りまく呪物と化していた。
トミーは「君を助けたい。言うとおりにするから息子を助けてくれ」と懇願し、ジェーンドウは自身を修復するためにトミーから奪い続ける。
→死因が存在しないという結果が出る。
ジェーンドウを哀れに思う反面、息子を助けたい気持ちからトミーは自分を捧げる

image2「ファイナルイメージ」:「現場検証」
前日と変わるのは親子がしんでいるというだけ。
斧の跡などからトミーがやったのかと予想されるが、バーグは「ありえない」という。
ジェーンドウを火葬場に送ろうという捜査官を止め、大学に引き渡すよう指示をする。
→バーグはジェーンドウのせいかもしれないと勘づいている。

エピローグ:
「もう二度としないよ。約束する」とジェーンドウを見ながら運転手が話す。
ラジオから聖書の1節→歌が流れ、鈴が鳴る。
→このセリフが誰に対してか想像させることにより、物語をぐっと引き締めている。

【感想】

検死解剖という科学的に死因を調査していくにつれて、非科学的な怪異が起き始めるのが新鮮でした。
最後に謎を残しつつ、綺麗にまとまっていた印象。
全てのカメラワークが伏線になっていて、とくにカーブミラーは大活躍。
ホラーならではの考察要素もちりばめてあって、見ごたえ抜群でした。
分析としては、最初はオースティンが主人公かと思ったんですが最後にジェーンドウだったのかも?と混乱しました。
バトル=怪異に紐づけたかったのですが、数が多すぎたのと「死因を特定する」という道筋と怪異は関連性がないから違うかなぁと……
バッドエンド系の映画はあまり観ていなかったので、参考の為にこれからもホラー等も分析していきたいです。

(雨森れに、2022.10.8)

※イルカの分析表
コメント欄に貼りつけたら歪んだので、本文に入れさせてもらいました。

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『映画『ジェーン・ドウの解剖』(三幕構成分析#74)』へのコメント

  1. 名前:川尻佳司 投稿日:2022/10/16(日) 23:04:11 ID:07060d37c 返信

    ご指摘の通り、解剖と怪異の取り合わせが新鮮でしたね。レビューも前半の詳細な解剖過程に評価があるように思います。これを科学と非科学の対比として抽象化して見るとゴシックホラー(フランケンシュタインなど)からの伝統的な手法に則っていると見ることもできるのではないでしょうか。
    遺体安置所のワンシチュエーションの臨場感と、「家の中のモンスター」としての「閉ざされた空間=家」というのが重ねられてるのも面白いですね。
    カメラワークもサスペンスの撮り方を駆使し、限定された舞台の中でも、会話劇にとどまらず、ご指摘のカーブミラーや鈴を繰り返しつかったり印象的でした。
    プロタゴニストという意味ではオースティンを主人公としていいのではないでしょうか。ジェーン・ドウを巡る映画、つまり彼女がモンスターの映画(分類では「超々自然的モンスター」<「エクソシスト」や「リング」など>でしょうか)なので、彼女がこの映画の主人公、主役という意味にもとれるのだと思います。

    細かいビートについては以下のようにも見れると思いました。

    Catalyst:18%15分「保安官が死体を持ち込む」
    カタリストはディベートのきっかけと考えています。

    Debate:15分~「オースティンとエマの問答」解剖(父)かデート(彼女)か悩みます

    Death:19%16分「エマが笑って了解し別れる」解剖(父)に決まりです

    PP1:20%17分「解剖開始」保安官がEVの扉を閉めて正式に「不気味な世界」に入ります

    Battle:24%19分~「解剖」死因の特定を求めて解剖していく過程です、怪異はその妨害の役割を果たしています、またこの解剖の発見と怪異がこの映画の「お楽しみ」です

    Pinch1:32%31分「苦しめることに目的が」2幕の前半は解剖過程ですが、ここで拷問と判明することで、その代償に形見の猫が死にABストーリー交差です、しかしトミーはなおも解剖を続けMPに向かいます

    MP:48%42分「死因は儀式による生贄と仮定」

    Fall start:50%43分「ラジオ、嵐で逃げられない」危険度アップです

    Pinch2:66%51分「トミー襲われる」2幕後半は逃げられない状況でジェーンとの戦いです、ここでジェーンとの対峙を覚悟し、PP2に向かいます

    PP2(AisL):77%59分「エマの死」怪異によってエマを殺してしまったと認識、「半人前」の死です、ABストーリー交差で3幕に入ります、

    DN:59分~「2人の後悔」オースティンのエマへの罪悪感、トミーの妻の病気に対する無知の罪が告白されます

    BB(TP2):81%64分~「死因がわかれば止める方法もわかるかも」最後の脳の解剖です
    prepare:「煙の中で負傷、解剖室へ」
    start:「脳解剖」ジェーンは生きている、魔女狩りの復讐と判明
    twist:「復讐は止まらない」
    solution:「トミーがジェーンの身代わりに」「トミーを介錯」
    BF:「オースティン転落死」翌朝、保安官たちが死体を発見します

    そして、ご指摘の最後の保安官の「もう二度としないよ。約束する」というセリフがまとめているものについてですが、これは恐らく妻か恋人(このセリフだけだと相手が女性に限らないかもしれませんが)と電話で話してのものでしょう、なんらかの罪悪感を感じるものとなっています。
    そして、それはジェーン・ドウに向けられているようにも見せられて、ラジオの安息の言葉が遮られる。例の歌「Open Up Your Heart」が流れ、次の犠牲者が出ることが暗示されます。
    つまり、オースティンやトミー同様、この「女性への罪悪感」というのがこのホラーを作っている「罪悪感」の一つなんでしょうね。それはこの映画がビジュアルで見たときに、若い女性の裸体を男性たちが切り刻むことがメインですから、なるべくしてなってるように思えます。
    この映画は女性を襲う典型的なスラッシャー映画のビジュアルである、女性を切り刻むというホラーの王道を踏んでるんですね。モンスターの役割は逆ですが。

    また、このホラーを作っている罪悪感として、冒頭からオースティンによって示される、解剖においてはその動機について知らないという「無知の罪」もあると思います。
    その点と復讐が続いていく終わり方やミステリーの流れなど、同族の映画であるリングと共通しているように思います。

  2. 名前:緋片 イルカ 投稿日:2022/12/16(金) 01:15:38 ID:5eb50f400 返信

    「好き」4点 「作品」4点 「脚本」3点

    遅ればせながら見ました。

    ホラー映画はわりと好きで王道どころは見たつもりでいたのですが、この作品は題名も知らなかったです。楽しかったです。解剖シーンなど死体描写が苦手な人もいるかもしれませんが、グロさより、リアリティの演出として見せているので共感が持てました。

    ビートの地点ではお二方と同じ点だと思うので、とくに説明はいらないかと思います。

    プロットの型でいえばブレイク・スナイダーの10のストーリータイプに合わせて言うなら「家の中のモンスター」と「なぜやったか」のミックスプロットです。

    もっとわかりやすくいえば、ホラーとミステリーのミックスプロットです。

    ホラーは少なからずミステリーの要素を持っていることが多いのですが、アクト2前半が「解剖して、死因を探る」というミステリー中心になっていて、フォール以降ではホラー中心になる。

    PP2で恋人が死んでから、もう一度、「原因を探る」ため解剖室に戻るというビッグバトルではホラーとミステリーの要素が絡み合っていて、よくできているように見えます。

    理屈としてはよくできているのですが、ジャンルの切替はとても高度で、演出とも大きく関わります。

    全体的にホラー自体の演出は定番をしっかり押さえていて、しっかり怖いので良質だと感じました。

    一方でミステリー部分は飽きさせないように「頑張っている」のが見えてしまうという評価。

    ホラー以上にミステリーは脚本による影響が大きいと思います。

    解剖がちょっと進むごとに何かが起きて中断してという段取りが、演出的にはテンポを作っているようでいて、ストーリーとしてはほとんど何も進めていない欠点があります。

    また、アクト3で謎がとけているようで、観客的には「設定」を知らされただけで、そこまでの展開でもおおよそ予測がついてしまっているので、ストーリーとしての物足りなさを感じます。

    これはミステリー一本で書いていたら、MPぐらいでは解明していて、その上で、もう一ひねり欲しいようなところですが、ミックスプロットが故にごまかされているところだと思います。

    総じて、ホラーとしては良質だと思いますが、脚本としてはミックスを処理し切れているかというと拙さがおおく、このあたりが「作品」4点と「脚本」3点の差です。

    ホラーの要素は「家」「モンスター」「罪」と言われ、構成はシンプルになりがちなジャンルなので、これらのアイデア勝負なところもあります。

    「家」:解剖室。これは良いと思います。川尻さんも指摘されているPP1の演出としてエレベーターのドアが閉まるのは面白いと思いますが。PP1は「ドアを抜ける描写」が多いのですが、ホラーではむしろ閉められるのだな、なるほどと思いました。

    「モンスター」:死体=魔女狩りの被害者。この設定自体は新しいのかな? ただ演出的には悪魔的で、ホラーの演出に「魔女狩りの被害者」らしさが感じられないのは残念。これはホラー映画の演出全般に共通して言えることです。作家や演出家はモンスターらしい超常現象を考えてほしい。あとは、上にも書いた通り、ミステリーのペイオフが「設定明かし」だけになってしまっているので、もう一歩踏み込んだ感情的なドラマがあると、より「罪」も深まって、感動的なホラーに仕上げられたと思います。

    「罪」:これは川尻さんの多面的な見方がとても面白いと思ったので、どれも参考にできると思いました。ただ、ストーリーの構成要素としての罪は、おおよそは「モンスターが生まれた原因」あるいは「呼び起こしてしまった原因」にあたりました。生まれが原因は魔女狩りの被害者、呼び起こしてしまった原因は「解剖」ですが、このあたりのキャラクター的な掘り下げが甘いため、「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」でエレバーター内での父親の語りなどが「どうした?急に?」の印象を与えます。フリが弱いのです。川尻さんの鋭い指摘にある「無知」や「女性への罪」といったところは、作品からはあまり感じられないように思いますが、その視点を作者がもっていたら、もっとシャープな脚本に仕上がっていたと思います。

    ホラー映画は、どうしてもB級感が漂いがちで、脚本よりも演出優位になってしまいます。脚本の甘さが許容されがちなジャンルですが、裏を返せば、こういうジャンル内で、しっかりとした脚本を描ければ名作と言われる可能性は高いように思います。もちろん、一定以上の演出は大前提ですが。

    ※細かい補足ですが、ミステリーエンジンという視点からPP1を見た場合、観客の気持ちを本格的に興味を引くのは「こんな死体、普通じゃありえない」となったところ(内臓を解剖したあたり)です。この作品上では、MPの「人間じゃない」へ繋ぐピンチ1として機能していますが、ミステリーとしてのスタートが遅れているとい言えます。失敗しがちなミステリーのよくあるのが、情報の出し惜しみです。観客を苛つかせるだけで、出された情報がショボかったとき、引っ張った分だけガッカリが増します。変に隠さなくても、しっかりとキャラクターを描いて、グングンとストーリーを進めた方が観客はフックされます。喩えていうなら「ショボい探偵の捜査によるミステリー」より「優秀な探偵がグングン捜査しているのに、わからない(ミステリー)」ぐらいのが圧倒的に面白いのです。