『文学とは何か (上)-現代批評理論への招待』
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『文学とは何か (下)-現代批評理論への招待』
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記念版へのはしがき
要約や意見を加えるのはむずかしいが、気になった箇所を引用して理解を深めたいと思う。
理論が、その持ち味を最大限発揮するのは、学問分野における一選択肢として、数多の分野とおとなしく共存するときではなく、他の学問分野に疑問を投げかけるときなのだ。理論は、文学研究のための新しい方法を提供するだけでは飽きたらず、文学の性質とか機能、さらには文学制度そのものについても問題にする。理論は、正典的テクストと格闘するための、従来とは異なる洗練された方法を提供するだけでなく、正典性そのものに探りを入れる。理論の目指すところは、文学作品が何を意味しているか、それがどのくらい価値があるかについて、私たちの理解を助けることだけではない。そこからさらに、そもそも「意味する」とはどういうことかについて問いを発するのである。(p.9)
序章――文学とは何か?
「技巧」には、音韻・イメージ群・リズム・統語法(シンタクス)・韻律・押韻、語りの技法(ナラティヴ・テクニック)などが含まれる。いうなればこれは文学の形式的要素の全在庫リストといったところだ。またこうした要素すべてに共通するものとして挙げられたのが「異化」降下[’estranging effect’あるいは’defamiliarizing effect’と英訳されている]である。文学言語の固有のもの、文学言語を他の言説形式と区別するもの、それは文学言語が日常言語をさまざまな方法で「歪める」ことである。文学的技法によって圧迫されることで、日常言語は、緊密になり、濃密になり、捻じ曲がり、圧縮され、引き伸ばされ、転倒される。文学言語とは「異様(ストレンジ)なものにされた」言語のことであり、この異化によって、今度は、日常生活が突如として見慣れぬものとなる。いっぽう日常言語の型に嵌った表現に取り込まれてしまうと、現実に対する私たちの認識と反応は陳腐なものに、鈍感に、あるいはフォルマリストならこういうだろう、「自動化したautomatized」ものになる、と。文学は、言語を私たちに劇的に意識させることによって、こうした自動化した慣習的反応を新鮮なものに変え、事物をより「認識しやすく」する。世界は、通常より強引かつ自意識的なやり方で言語を扱うことによって、その言語が囲い込む世界は、刷新され生気をとりもどす。(p.30-31)
したがってフォルマリストたちは、文学言語を、規範(ノーム)からの逸脱の集合体として、つまりある種の言語的暴力とみたことになる。文学とは「特殊な」言語であり、これは私たちがふだん使っている「日常(オーディナリ)」言語とは著しい対照をみせる。だが逸脱を突きとめるためには、逸脱がそこから生ずるところの規範を特定できないといけない。「日常言語(オーディナリ・ラングウェジ)」は、オックスフォードの哲学者のある一派から好まれている概念だけれども、オックスフォードの哲学者が用いる日常言語と、グラスゴーの港湾労働者が使う日常言語との間にはほとんど共通性はない。同一社会集団内でもラブレターを書くときに使われる言語と、地区司祭に話しかける時に使われる言語とは、ふつう異なっている。つまり単一の「規範」言語が存在し、これを社会のあらゆる階層の人間が等しく共有しているという考え方は幻想なのだ。現実に使われている言語はいかなるものでも、階級・宗教・ジェンダー・地位などに応じて分割された複雑な言説領域をもち、単一の等質的な言語共同体を構成するように言説を統合することなどできない。ある人にとって規範であるものが、別の人にとって逸脱であることもある。(p.33)
ロシア・フォルマリストたちは、このことに気付かなかったわけではなに。彼らは規範と逸脱が社会的コンテクストや歴史的コンテクストに応じて変化するものであること――何が「詩」であるか、つまり何が逸脱であるかはそれが属する時代によって決められること――を理解していた。ある言語の断片が「異化」されているとしても、そのことが即、どんな場合にも、どんな場所でも、それが異化作用を発揮するという保証にはならない。異化作用は、規範となる言語的背景との対比によってはじめて機能するものであって、規範が変われば、その作用も停止し文学と認められなくなるだろう。(p.34)
「異化」説のもうひとつの問題点は、どんな著述でも、あれこれ工夫をこらすと、異化効果ありと、読めないものはないということだ。(p.37)
「文学」とは、著述が人間にどのような働きかけをするかという問題[喜ばせる、悲しませる、感動させるなど]ではあるけれども、同時に、人間が著述をどう扱うかの問題でもあるかもしれないということだ。(p.38)
もしもあなたが、誰かから文学であると認定されてしまうと、あなたが自分自身のことをどう考えているかなど、いっさいお構いなしに、あなたは文学とみなされてしまうのである。(p.42)
文学であるためには著述が「名文」である必要はなく、ただ良いとすでに判定済みの種類に属してさえいればいいわけだ。その際、それが一般に高く評価されている様式の劣悪例であってもかまわない。(p.46)
いわゆる「文学の正典(リテラシー・キャノン)」とか、万人の認める「国民文学(ナショナル・リテラチャー)」とか「偉大な伝統(グレート・トラディション)」というのは、構築物とみなすべきということだ。つまりそれはある時代に特定の理由から特定の人びとが捏造したものにすぎないということだ。誰かが口に出したりするようになった評判とはいっさい無関係に、それ自体で価値ある文学作品とか文学的伝統といったものは存在しない。「価値」とは、過渡的なものを指す言葉だ。それは、所与の目的に照らして、特定の基準に従い、特定の状況のなかにいる特定の人びとが価値を認めたものを意味しているにすぎない。だから私たちの歴史が激変すれば、シェイクスピアに何の意義も見出せない社会が未来に出現するかもしれない。(p.48)
いかなる客観的な陳述も、価値判断であることから免れることはできない。事実の陳述は、結局のところ、事実ではなく陳述である。事実の陳述もひと皮剥けば、そこには数多くの価値判断が潜んでいる。事実を述べるということは、とりもなおさず、そうすることが価値のあること、そうすることが他の行為よりも価値のあることと認めていることになる。またそこには、私は事実を述べる資格のある人間であり、事実を確認する能力のある人間であり、あなたはというと、私が述べた事実を聞くに値する人間であり、またそもそも事実を述べることが何らかの利益をもたらす、といった前提が潜む。パブでの会話は、情報を交換するだけの場合が多いが、それでもその種の会話のなかで大きな比重を占めるのは、言語学者が「言語交際的phatic」[「交際言語的」とも訳される。一般的には「社交的、社交辞令的、儀礼的な」という意味]と呼ぶ要素、つまり伝達行為の中身ではなく伝達行為そのものを際立たせる要素である。(p.52)
私たちのおこなう事実陳述を支援しこれに根拠をあたえる価値構造、しかもたいていは隠されている価値構造こそ、「イデオロギー」と呼ばれているものの一部である。「イデオロギー」という言葉を私は、私たちが語り信じていることと、社会の権力構造や権力関係と結び付けている装置というくらいの意味で使っている。これはずいぶん大まかなイデオロギーの定義だけれども、ここで押さえておきたいのは、私たちが無意識のうちに抱いている価値判断やカテゴリーのすべてがイデオロギーではないということだ。たとえば社会に向けて進歩しているという考え方は(未来に向けて社会が対抗するとみる社会も少なくないので)まさに私たちのなかに深く根付いている考え方であり、またこの考え方は社会の権力構造と結びつくかもしれないのだが、しかし、いついかなる時代でも、またどのような社会でも、そうなるというわけではない。人びとのなかに深く刻み込まれ、またはっきりと意識されない信念を指してこれをたんに「イデオロギー」と言っているわけではない。そうではなくて、感情や価値付与や認識や信念の諸様式が、社会権力の維持と何らかのかたちで関係をもつ場合に限って、私はこれを「イデオロギー」と呼ぼうと思うのだ。そのようなものとしてのもろもろの信念は、だから決して個人的な好みの問題ではない。そしてこの事実は、文学上の実例によっても確かめることができる。(p.55-56)
ここまで明らかにしたことをまとめておけばこうなるだろう。文学は、昆虫が存在しているように客観的に存在するものではないのは、もちろんのこと、文学を構成している価値判断は歴史的変化を受けるものである。そして、さらに重要なことは、こうした価値判断は社会的イデオロギーと密接に関係しているということだ。イデオロギーはたんなる個人的嗜好のことを指すのではなく、ある特定の社会集団が他の社会集団に対し権力を行使し、権力を維持していくのに役に立つもろもろの前提のことを指す。(p.58)
・「異化」の定義の広さ。「瀆神」は目的が明確。
・浅いレベルでの「異化」はおかしみでしかない。
・文学の同時代性の意義。
2023.6.1
第1章 英文学批評の誕生
十八世紀イギリスでは、文学の概念は、今日、よく語られるような、「創造的」(クリエイティヴ)もしくは「想像的」(イマジナティヴ)な著述(ライティング)に限定されなかった。当時にあって文学とは、社会のなかで、価値を認められた著述の総体のことであった、すなわち哲学書・歴史書・随筆・書簡・そして言うまでもなく詩。テクストを文学たらしめる決め手となったのは、それが虚構性をそなえているか否かではなく――そもそも十八世紀の段階では小説という新参の成り上がりものの形式を文学として認定すること自体疑問視されていた――、そうではなく、それが「高尚文学polite letters」としての基準に合致しているかどうかであった。言い換えると、文学かどうかを認定するときの基準は、あからさまにイデオロギー的なものだったのだ。特定の社会階級が共有する価値と「趣味」を具現化する著述には文学としての資格があたえられたのに対し、街頭で売られる三文バラッドとか大衆ロマンスの類いは、文学と認められなかった。演劇ですら、文学の資格認定から外されていたようだ。したがって、この時代には、文学概念の「偏向性」は、しかるべく自明のことであった。(p.59-60)
文学に関するさまざまな定義が、現在のようなかたちをとりはじめたのは、実のところ「ロマン派の時代」以降である。「文学」という言葉のなかに現代的な意味が発生したのは十九世紀に入ってからだと言ってもよい。そうした意味でいうぶんがくとは、だから、歴史的にみれば最近の現象にすぎない。(p.61)
社会的暴力に直面したロマン派の人間たちが「創造的想像力」(クリエイティヴ・イマジネーション)に特権的地位をあたえたのだから、そこには、たんなる逃避主義としてすませるわけにはいかない何かがあった。いや当時の文学は逃避の場どころか、反対に、産業資本主義によってイギリス社会から排除された創造的価値が祝福され肯定されうるような数少ない治外法権区としての様相を呈していた。疎外されない労働のイメージとして「想像的創作活動」(イマジナティブ・クリエーション)がひきあいに出されるまでになる。詩的精神(ポエッティック・マインド)という、直感的・超越的精神領域が開拓され、これが、「事実」に隷属する合理主義的・実証主義的イデオロギーに対する生きた批判として登場したのだ。文学作品そのものも、神秘的な有機的統一体とみなされ、資本主義市場社会の断片化した個人主義とは真っ向から対立するようになる。文学作品とは合理的に計算されてつくられたものではなく、「自然発生的な」ものであり、機械的なものではなく創造的なものであるとされたのだ。「詩」という語は、この時期までに著述を分類する用語であることをやめ、政治的・社会的・哲学的含意を強く帯びた言葉となる。それゆえ「詩」は、詩という言葉を耳にはさむだけでも支配階級の人間が文字どおり銃に手をのばしてもおかしくないほどの危険な単語となったのだ。文学とは、ブルジョワ・イデオロギーとは別の選択肢(オルターナティヴ)となるイデオロギーの総体となり、「想像力」は、ブレイクやシェリーにとっては、政治的変革をもたらす力ともなった。文学の任務とは、芸術が体現するエネルギーや価値の名において社会を変革することとなる。ロマン派の詩人たちのほとんどは、政治活動家であり、文学活動と社会参加との間に、彼らは矛盾をみるというよりも連続性こそ強く意識していたのである。(p.65)
想像力の「超越的」性格が、蒼ざめた合理主義精神への挑戦となるとしたら、それはまた歴史に対する別の選択肢を、それも心地よく完璧な選択肢で、作家に提供することも可能だった。いや、まさに歴史から退く姿勢こそ、ロマン派の文学者が置かれていた現実の状況を反映したものと言ってよいだろう。芸術は、他と同様に、もはや商品にすぎなくなり、ロマン派芸術家はというと、取るに足らぬ商品生産者にすぎなくなっていた。彼らは大仰なレトリックを駆使して、やれ人類の「代弁者」たらんとか、民衆の声とともに語るとか、永遠の真実を語るなどと主張してはいたが、その主張とは裏腹に彼らの社会的地位はますます周辺的なものとなっていった。いかんせん、その社会は預言者に高い給料を払うことなど露ほども考えようとしなかったのだから。こうしてロマン派の掲げた高邁で情熱的な理想主義(アイディアリズム)は、この言葉のもうひとつの哲学的意味で言えば、まさに観念論的(アイディアリスティック)なものとなったのだ。産業資本主義社会を公正な社会へと実際に変革していたかもしれない社会運動のなかにロマン派の文学者たちは自分たちの適切な居場所を見出せぬまま、ますます自己の創造精神のなかに引きこもるようになった。(p.65-66)
いま私たちが論じている時代に、近代「美学aesthetic」すなわち芸術哲学が台頭したのは決して偶然ではない。「象徴」(シンボル)や「審美的体験」や芸術作品の独特の性格について、現在私たちが抱いている観念は、おおむねこの時代から、具体的に言えば、カント、ヘーゲル、シラー、コールリッジなどの著作から受け継いだものだ。それ以前の時代でももちろん、多様な目的から詩は書かれ、芝居は上演され、絵は描かれてきたし、また創作に携わらぬ人たちは、多様な方法で、読み、鑑賞し、眺めてきた。ところが、この時代に入ると、そうした具体性をもった、しかも歴史の変化に応じていろいろかたちを変えてきた芸術実践が、「美学」という特殊で神秘的な学問分野に吸収統合されはじめ、芸術の内的構造を解明することを目的とした「美学者」なる新種族が誕生したのである。(中略)その際、前提とされたのは、「芸術」という不変の対象が存在すること、あるいは「美的」とか「美学的」と称される独自な経験が生起するということだったが、この前提こそ、先ほどすでに触れたように、芸術が社会生活からおおむね疎外されたために生じたものだった。文学明確な機能を帯びなくなれば――それはまた、作家が、宮廷や教会や庇護者(パトロン)から支援されて生きているという伝統的な作家像と縁を切ったということだが――、今度は、その事実を逆手にとって、そこに文学の優越性を主張することができた。「創造的」著述の核心とは、それが栄誉ある役立たずであること、益体もない社会目的には超然と背をむけて、「それ自身を目的とする」ことにあった。パトロンを失なったことで文学者は詩的なるもののなかに代替物を発見したのである。(p.67-68)
十八世紀から十九世紀への世紀の転換点に誕生した美学理論の中心にあるのは、象徴(シンボル)に関する半ば神秘的な原理である。ロマン派にとって、まさにこの象徴が、あらゆる問題を解決してくれる万能薬となった。象徴において、日常生活では解決不可能に思われた一連の対立――主体と客体(サブジェクトとオブジェクト)との対立、普遍性と個別性との対立、感覚性と思弁性との対立、物質性と精神性との対立、秩序と自然発生との対立――が魔法にでもかけられたかのように、たちどころに解消されたのである。こうした対立がこの時代にとくに痛切に感じられたのは驚くべきことではない。客体=対象物(オブジェクト)は、それらを商品としかみない社会においては、生命のない不活性なものとしか思われず、それらを生産したり使用したりする人間主体(サブジェクト)からは隔離されたのである。個別具体性と普遍性とは、袂を分かったように思われた。(中略)ただ象徴だけが、動と静、動揺を秘めた内容と有機的な形式、精神と世界との両者を融合できた。象徴の物質的存在は、絶対的霊的真理を媒介するものであり、批評分析をこつこつ積み重ねるのではなく、直感的に一気に把握できるものであった。そのような真理を精神に刻み付けるには、象徴が実に好都合であった。つまり真理は分析的に把握できないのだから、真理を問うことは問題にならず、あとは真理を象徴というかたちで見たか見なかったかのいずれでしかなかった。こうして象徴は、反合理主義を立ち上げる礎石の働きをするとともに、知的批判的探求を妨害することにもなった。(p.69-70)
・文学(あるいは芸術)と社会との関わり。分離と独立。
2023.6.2
引用が膨大になるため、ここまでとして、記事として感じたことなどを書くことにする。
2023.6.3
●2023.6.6 読破と感想
難しかったが、部分的にはなるほどと思ったり、これも読んでみたいと思ったところも多かった。専門的な言い方は僕には出来ないが、文学がイデオロギー的なものであるというのは、もともと感じていたことなので違和感なく受け入れられた。引き続き『文学理論講義:新しいスタンダード』を読みたいと思うが、少し疲れもした。中休みで『文学部唯野教授』を読もうと思っている。バフチン、ベンヤミンなどもしっかり読んでいきたい。