今回はストーリーサークルの「描写」について説明します。
その他の要素については以下のリンクからご覧ください。
「ストーリーサークルとは何か?」という概略は1「題材」にて説明しております。
ストーリーサークル目次
1「題材」(概略含む)
2「人物」
3「視点」
4「構成」(題材∩人物)
5「テーマ」(題材∩視点)
6「描写」(人物∩視点)
7「物語」(構成∩テーマ∩描写)
「描写」とは……
描写は「シーン」とも言い換えられます。
たとえば「構成」で「男女が出会う」というシーンがあったとします。
その出会いの場所は駅なのか? コンビニなのか? 公園なのか?
時間帯は朝? 昼? 夜? 季節や天気は?
どんな出会い方だったのか?
「ハンカチを拾ってあげた」のか?
「痴漢を捕まえた」のか?
良い出会いなのか? 最悪な出会いなのか?
プロットで単に「男女が出会う」と書いていても、作品では「シーン」にしなくてはなりません。
ここに作者の腕の差がでます。
「魅力的なシーン」か「クリシェ」かです。(クリシェ=平凡、ベタ、ありがち)
上に挙げた「駅」「公園」「ハンカチ~」などはすべてクリシェです。観客は見飽きています。
「どうすれば魅力的になるか?」はテクニックの領域なので、ここでは「シーンとは何か?」を考えることにします(※魅力的にする方法は最後に紹介してる「文章テクニック」シリーズをご覧ください)。
脚本の「シーン」は、
場所と時間帯を指定する「柱」、
役者の「セリフ」、
動きを表す「ト書き」、
で構成されます。
「柱」の指定は「構成」と大きく関わるため、三幕構成のように脚本では「構成」が重視されます。
とはいえ「セリフ」が疎かにされている訳ではなく、ハリウッドではセリフを書くのが巧い「ダイアログライター」がリライトしたりして、推敲が重ねられます。
また、ハリウッド俳優はメソッド演技を勉強しているので、役者側からも「描写」の質が高められます。
この点、日本では「セリフ」ばかりが重視される傾向があり、キャッチコピーのように響きのいい言葉を書けるライターが重宝されがちです。
構成が巧いライターは多くありませんし、説明的な台詞が多くなりがちです(これは日本の作品が世界で通用しない原因の一つだと思います)。
小説の「シーン」は、
「セリフ」
「地の文」
で構成されています。
あくまで一般的に、です。
小説にルールはないので、本当はどんな手法を用いても構いません。
映画の「セリフ」とちがって、小説の「セリフ」は書き言葉寄りになる傾向があります。
役者が発声するためのものではなく、文章のリズムの中で入ってくるものという側面があるのです。
脚本にせよ、小説にせよ、シーンを「どう描写するか?」というのは、物語の面白さ、魅力に直結するので、とても重要です。
ストーリーサークルでは「題材」と「人物」の共通部分に「構成」が置かれていたように、「人物」と「視点」の共通部分に「描写」を置いています。
「構成」と同じレベルで、「描写」は重要なのです。
一人称視点と三人称視点
しつこいようですが、「人物」と「視点」の共通部分が「描写」です。
「人物」の記事では、主人公の大切さを説明しました。
物語の中心である主人公をどういう「視点」から描くか?
それが「描写」です。
「人物」の記事であげた「人を不幸にしてでも、金を儲けることを信条にしている人物」という例をつかいましょう。
この金持ちの男のストーリーを小説で書くとします。
まず、男を「私」とした一人称視点で描いていく方法があります。
一人称視点では「私」と読者の距離感が近くなります。「他人を蹴落としてでも金を儲ける」という男の悪徳だけではなく、その内面を窺い知ることができます。ダークヒーロー的なポリシーがあるかもしれませんし、本人も気づいていない抑圧した罪悪感があるかもしれません。一人の人間として男を「描写」していくことには一人称が適しているかもしれません。
三人称視点にした場合はどうでしょう?
金持ちの男は「私」ではなく名前で呼ばれます。周りのキャラクターと同等に描かれることによって客観的な立場から、この男を人生をを見つめることになります。そこでは個人の感情というよりも、人間の欲望というものが浮かび上がってくるかもしれません。
別の人物による一人称視点から描く方法もあります。
たとえば、金持ちの男の秘書だとか、伝記を書こうとしている記者だとかを「私」にして、その人物から見た、この金持ちの男を描くことになります。三人称に比べて「私」の洞察が加わり、より作者の意図を導入しやすくなるでしょう。
以上は、視点によるちがいの一例です。「どう描きたいか?」=「視点」によって、描写が変わるということがポイントです。
どの視点にするかは作者が描きたい「テーマ」にも関わってきます。そしてストーリーサークルの中央=「物語」に近づいていくのです。
映画はカメラが「視点」になります(POVは別として)。
基本的には三人称視点になりますがショットによる演出が入ります。
日本の作品ではこういう「視点」を持っていない演出家が多いようですが、ハリウッドの監督はショットにとても意味を持たせています。
簡単な一例を挙げるなら、
金持ちの男を「巨悪な存在」として撮りたければ、下から見上げるように画面いっぱいに映します。威圧感がでるのです。
「小者」として描きたければ逆の撮り方をします。あるいは複数の人物と並べて撮るることで、卑小感がでたりします。
もちろん、物語の進行でキャラクターが変化するにつれて、撮り方も変えていきます。
衣裳や小道具の色、ライティング、音楽など、すべての演出が「人物」を「描写」するために演出されています。
ハリウッド監督(撮影監督)たちは、こういった無意識に与える印象まで考慮してショットをつくりあげています。
とはいえ「物語」がしっかりしていないと、演出の方向性は決まりません。
演出の元にあるのは「人物」です。キャラクターコアについては既に「人物」の記事で説明しました。
そのコアを、どういう「視点」で見せるかが演出=「描写」です(だから「人物」∩「視点」=「描写」となるのです)。
脚本家はカメラやライティングの技術的なことは知らなくても、シーンとしてどうなるかのイメージは持っていないと伝わりません。
ましてや小説やマンガでは演出までを、一人でやらなくてはいけないのですから演出が必須の能力となります。
(参考記事:ショットに関しては「文章順序」の記事でマスターショットについて触れています)
ことばの選び方
ことばの選び方も「描写」に入ります。
脚本でいえば「セリフ」、小説でいえば文章すべてです。
これについても過去の記事でいくつも書いていますので、ここではストーリーサークルとしての「人物」と「視点」が重なり合う部分に着目して説明します。
桃太郎を、人間の視点から描くなら桃太郎は「英雄」ですが、鬼の視点から描けば「侵略者」になります。表現することばが変わります。
ことば選びの積み重ねで、文章ができて、行間から滲み出るものもかわります。行間から滲み出るものをサブテクストとも言います。(参考:三幕構成の本を紹介2『サブテキストで書く脚本術 (映画の行間には何が潜んでいるのか) 』リンダ・シーガー)
稚拙ですが、例文に挑戦してみます。
プロットに「男が猫を蹴る」とあったとします。
A「男は力任せに猫を蹴り上げた。」
B「男は足元の猫を軽く足で払ったが、猫はぎゃあと鳴いて跳び跳ねた。」
男の動作は同じですが、性格がまったく違います。
キャラクターの性格はことばではなく、サブテクストに込めた方が効果的なことが、よくあります。
Aの文章を「無慈悲な男は力いっぱいに猫を蹴り上げた。」のように「無慈悲」という説明ことばをつけなくても、男が「無慈悲」なのは伝わります。
読者によっては「無慈悲」ではなく「冷酷」と感じるかもしれません。「粗暴」と感じるかもしれません。
言葉には意味を限定する力があるので、場合によっては修飾語をつけない方が、想像が広がります。
つまり「使わないこと」も含めて、ことばの選び方になるのです。この辺りもテクニックの領域といえるでしょう。
やはり「描写」には作者の腕が出るのです。
脚本では、ト書きに「男、猫を蹴り上げる。」とだけ書くのが基本です。ト書きに「無慈悲」と書いてもカメラには映りません。役者の演技やショットといった演出で伝えるのです。
男が「無慈悲」であることは、作品全体で伝わるように書きます(だから脚本では構成が大事なのです)。
また、「描写」は人物描写だけに限りません。
悲しいとき、寂しいときに雨が降ってくるようなのは露骨な例ですが、風景描写にもサブテクストを込めることができるのです。
テクニックの例は「文章テクニック(文章添削)」シリーズにたくさんありますので、興味のある方は、こちらをご覧下さい。
次回は最終回、ストーリーサークルの中心「物語」について説明していこうと思います。→ ストーリーサークル7「物語」(文学#40)
緋片イルカ 2020/12/10