「小説の構想」について(文学#61)

過去の記事でも引用したが、大江健三郎先生の『新しい文学のために』に以下の言葉がある。

構想という言葉は、conceptionの訳語として、わが国の文学の世界に入ってきたのだろう。それは妊娠という言葉でもある。おおくの場合、人は望んで妊娠する。女性の肉体というオルガニスムが、そのための構造体として作られているのでもある。ところが妊娠によって、肉体は大きな危機にさらされる。妊娠した女性の肉体が、妊娠された胎児を育て、出産にみちびくのではあるが、当の女性自身、妊娠の全体を、自分の意志のままにコントロールしうるのではない。
 小説の構想の働きにも、おなじ性格がある。書き手が構想する。しかし様ざまなレヴェルにおいて構想されるいちいちが、書き手の全的コントロールのまま育ってゆきえるものではない。構想されたものによって書き手が危機におちいってしまうことも、しばしばある。様ざまなレヴェルにおいて構想という行為を検討することで、書くということのなりたちを深く理解することができるし、それは読むということのなりたちへの再認識に向けてもフィード・バックされる。(p.124)

今回、応募に間に合わなかった作品において、この「構想」という感覚が強く意識された。

前の記事では「フック」のようなものだと書いていた。

エンタメ的な作品では「フック」は、面白さでもあり、興行にもつながる大切な要素だと思う。

ときには物語と離れた「原作が人気」とか「キャストが旬」とか「初めての場所で撮影ができる」といった要素だけでフックになることもある。

そういう作品では、ぶっとんだ新しさなど必要なくて、むしろ「期待+α」の満足をさせてやることのが大切で、創作というよりは「制作」するようなものだ。

ビートやキャラクターについての理解や引き出しがあれば、エンタメ向けの作品は、簡単に制作できる。小説でも、脚本でも、マンガでも。

一方、新しいものを「創作」しようと思ったときには、知識や経験は役に立たないどころか、邪魔になることさえある。

過去に似たような作品があることに無知であれば、アイデアを自分のオリジナリティだと疑いもなく信じられる。これは若さや新人の特権だとも思う。

けれど、古典や名作を知っていれば知っているほど、アイデアが過去作品に似ていることに気付いてしまう。

本当に新しいものを創ろうするときは、書くことは「初めて」の経験になる。

喩えるなら、山登りの経験が何度もあっても、登る山は毎回、違うというかんじ。

もちろん、経験は無駄ではない。同じような状況にはスムーズに対応できる。だけど「初めて」の状況では、経験による思い込みが邪魔になることもある。

この「初めて」は、山に登ってみるまで気付かない。

具体的に言えば、物語の基本セオリーに従うなら絶対にやらないようなことを、やってみるようなこと。

過去に誰かが登っていて、よく知られている山でも、みんなが素通りしていたところに新しいルートがあるかもしれない。そこから登ってみる。

物語の歴史をみると、物語は書き尽くされている感はある。モノミスがわかると、本当にそうだと感じられてくる。

山は登り尽くされている。誰も登ったことのない山など、残されていない。

それでも新しい登り方はある。それが「小説の構想」ではないか。

「構想」は一般的なフックにならないこともある。

逆立ちのまま山を登ることを考えた人がいて、「そんな登り方をすることに意味があるのか?」と思う人も多いかも知れない。

でも、やりたいからやる。書きたいから書く。

それが「創作」であり、文学ではないか。

応募の〆切まで残り3日の時点で、応募することは諦めた。だが、完成を諦めたわけではない。

きちんと〆切を守る人は偉いと思う。社会的な視点で「納期を守る」などと言い換えれば、守れない人はダメな人ということになる。

エンタメ的な「制作」の現場では納期が遅れることで迷惑がかかることもある。

でも「創作」はそんな単純ではないとも思う。こういった言葉は「間に合わなかった言い訳」や「逃げ道」に聞こえてしまう意識は拭えない。

なるべく客観的に判断するために、僕は常に執筆の時間やスピードを計測している。

ここまでの平均を1日10頁として、残り3日、順当にいけば80頁になる。これでは間に合わない。

小説は脚本とちがって、枚数が自由なので、大事なことは書くべき内容が書き切れるかということ。予感では150頁ぐらいになりそうだと感じていた。

二倍のペースで、1日20頁頑張れば110頁。ラストは勢いもつくので、なんとかまとまるかもしれない。

けれど、そうやってまとめて応募することに、どれだけ意味があるか?

応募が初めてであれば、出すことにも意味があろうが、脚本時代から何十本も書いてきた。今さら、一本出す自己満足なんて、数日のもの。

きちんと、いいものを書かなくてはいけない。

もっと早く、一ヶ月前とかから始めればよかったのだという考えも浮かぶ。

時間をたっぷりと確保すれば、書き上げて、ゆっくり直す時間もできる。

それで、確実にいいものになるか?

「構想」がなければ、直しに時間を書けてもダラダラと、ああでもない、こうでもないと、うろうろ直しているだけ。時間をかければ「確実に」いいものになるわけではない。

今回、110頁を目指して頑張ろうと思って、散歩をしているときに「構想」が思いついた。

これは、面白くなると感じられた。しっかりとこの「構想」で書きたいと思った。その「構想」を入れるには3日では足りないと思った。何カ月もいらないが、3日では足りない。

構想が浮かんで、今回の応募はパスしようと決めた。

今まで、こんな風にぎりぎりで書いてきて、間に合っても合わなくても、自分なりに何かを見つけて進んできた。

自分のスタイルとかかっこいい言葉にするつもりはないが、そういう性格なんだから仕方ない。学生の頃からテスト前は一夜漬ばかりしていた。

そういう自分だからこそ見つけられるものがある。

こういう自分にしか見つけられないものがある。

どの作者にもある(それが同時代作家)。

「構想」はフックと似ている部分もあると思うが、ちょっと違う部分もある。

この言葉に関しては、あまり定義はしないでおこうと思う。

書くことに小慣れてしまうと、制作はできても、創作がしづらくなる。

あえて、ふんわりとした余白を残しておくのもいいと思う。

さいごに、ガルシア・マルケスの言葉の引用。

とにかく、捨てることを学ばなくてはいけない。いい作家というのは、何冊本を出したかではなく、原稿を何枚くずかごに捨てたかで決まるんだ。ほかの人は気づいていなくても、本人はくずかごに放り込んだもの、つまり何を捨てて、何を残したかはちゃんとわかっているからね。捨てることが、作家になるための王道だよ。書くときはセルバンテスよりも自分の方が上なんだと自分に言い聞かせないといけない。とにかく理想を高く掲げて、一歩でもそれに近づくこうとすることだ。それに、しっかりした考えを持つこと。削除すべきものを削除し、他人の意見に耳を傾けて、それについて真剣に考えるだけの勇気を持たなくてはいけない。そこから一歩踏み出せば、自分たちがいいと思っているものをいったん疑ってかかったり、それが本当にいいものかどうか確かめられるようになる。さらに言えば、誰もがいいと思っているものを疑ってかかれるようになる。これはたやすいことじゃない。何かを破棄しなければならないと考えはじめると、とたんに「自分がいちばん気に入ってるものをどうして捨てなければならないんだ?」と考えて、守りに入ってしまう。しかし、分析してみて、物語の中でそれが実際にうまく機能しておらず、構造からみても浮き上がっていて、人物の性格とも矛盾し、ストーリーが別方向に向かっていきそうだとすれば……破棄せざるを得ない。最初の日は、確かに胸が痛むよ。次の日になると、少し楽になる。その次の日になると、もう少し楽になり、四日目にはさらに痛みが和らぐ。五日目になるときれいさっぱり忘れている。そんなものだ。しかし、捨てるかわりに大切にしまっておいた場合は用心した方がいい。というのも、題材が手元にあると、別なところで生かせないかと考えて、何かあるとまた引っ張り出してしまう危険があるんだ。この選択をひとりでやるのはむずかしい。(『物語の作り方』p.14)

物語が完成したかどうか、応募できたかどうか、だけに拘るのは、結果だけを見て物事を評価するのと同じ。

直前になって応募しようと慌てて書きかけの作品を再開したり、結局、応募ができなくても、そういうのをひっくるめて作品を書き上げている過程。「ほかの人は気づいていなくても」。

慌てたり、諦めようかと迷ったりがなかったら「構想」は思いつけなかった。50頁書いてみて、ようやく見えた。

思い出すと、過去に書いた小説でも、似たようなことがあった。過去にダメダメな作品を書いてきた過程があって、今回ようやく「構想」の大切さに気づけたこと。

気付ければ、次のステップへ進める。

ここまで読んだ物書きさんがいたら、大丈夫、あなたの作品は完成します。

誰だって〆切に間に合うこともあれば、間に合わないこともある。

間に合っても「つまらない作品」のときもあれば、間に合わなかったけどあとで「すばらしい作品」になることもある。

「創作」は簡単じゃないし、単純じゃない。

いつも、ホームランが打てるわけじゃない。三振もする。

それでもバッターボックスに立ち続ければ……つまり書きつづけていればあなたは作家。

大丈夫、あなたの作品が完成します。それが今でなくても。

緋片イルカ 2022.3.30

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