作者の「言魂」(文学#65)

ことだま【言霊】
言葉に内在する霊力。
▷昔、言語が発せられるとその内容が実現すると、信じていた。「―信仰」(岩波 国語辞典 第七版 新版)

こと‐だま【言霊】
言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。万葉集(13)「―の助くる国ぞ」
→ことだま‐の‐さきはう‐くに【言霊の幸ふ国】(広辞苑 第七版)

言葉というのは「ある瞬間のきもち」を固めるものだと思う。

誰かに伝えたり、消えてしまわないよう残すために言葉にする。

それは、ほんとうは言葉にならないものかもしれないし、あるいは言葉になんかしなくても伝わってるいるものも、たくさんあるのだけれど、人々の「残したいというきもち」が文学となってきた。

この言葉になる前の気持ちを「言魂」(ことだま)と呼んでみる。

「霊」というよりは「魂」の方がしっくり来る。「魂」の方が人為的で、文化的な気がする。

きっと言葉が「霊」的な、人知を超えた力をもつ瞬間もあるのだと思うけど(たとえば呪文や祝詞や願いのような)、ここではひとます人為的な「魂」の話。

「魂」は作者が込めるものとも言える。

「画竜点睛」のように、それが欠けたら、どんなに「技巧的な言葉」を使っても物語は味気ない。だからAIに、人を感動させる物語は書けない(今のところ)。

抽象的な話ではなく、具体的に、作品のどこに「作者の魂」を感じるかというと、いくつか挙げられる。

1つめは独自な表現

小説でいえば「描写」や比喩。

伝えたい、残したいと思った「きもち」は、その人のものだけど、それをよくある表現(クリシェ)、ことわざ、ただの熟語に託してしまうと、辞書的な意味しか残らない。

たとえば、ある瞬間のせつない気持ちを、誰かに「青春だね」という言葉で片付けられたら どうだろう?

未熟な作者は、自ら平凡な言葉でまとめあげてしまうことも多々ある。

2つめは人間らしいセリフ

キャラクターの問題にも関わるが、その人に相応しい喜び方や怒り方がある。

心の底から怒っているときに、テーブルをひっくり返す人もいれば、黙って睨み付ける人もいれば、その場から立ち去ってしまう人もいる。

今、例にあげたものすら、どこかで見たクリシェ。

キャラクターに魂を込めて「この世でたった一人しか存在しない人間」にしていれば、その人らしい言動が出てくる。

悲しい時に顔を塞いで涙を流すような人を現実でみたら、あざとく見える。人間らしくない。

3つめはありふれたシーン

ラブストーリーが女性が落としたハンカチを男性が拾うところから始まるのは、誰でも、どこかで見たことがある。見ていてドキドキしない。これならAIにも書ける。

ハンカチだと思って拾ったものに「ありえないもの」が包まれていたら?

「ありえないもの」が何か?

その発想は作者ごとにちがうはず。

アイデアの面白さに発想力の差はある。

けれど「その作者にしか思い付かないもの」があるはず。

平凡なアイデアは、どこかから「借り物」で発想しようとしているから平凡なだけ。

自分の魂と向き合えば「あなたにしか書けないオリジナル」が出てくるはず。

アイデアを昇華するには、また別の技術(「構成」とか)がいるけど、アイデアの悪さと技術の拙さを混同している人も多い。

明後日は文学フリマに参加する。

技術という点で見てしまえば、本屋に行けばプロの物語がたくさんある。文庫本で買えば、プロのが値段が安いことすらある。

それでも、文学フリマのような場所へ行くのは、プロの商業的な手垢にまみれた物語ではなく、作者の魂の声を聴きたいから。

ほんとうの文学には、プロやアマも関係ない。

緋片イルカ 2022.11.18

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