ショットの要素3:「キャラクター」(演出9)

「ショットの要素」の記事:
概略
1:「トーン」
2:「フレーミング」
3:「キャラクター」
4:「ムーブ」
5:「タイム」
6:「トランジション」
7:「サウンド」
まとめ

キャラクターの何を伝えるか?

キャラクターとは、もちろん登場人物のことです。脚本であれば、冒頭に人物表がつくのが普通です。

確認になりますが、まず、キャラクターには格、役割(キャラクターロール)があるということです。

主人公はキャストに華があるから主人公になるのではなく、物語のテーマを背負っているから主人公です。ストーリーの中心にいるから華のあるキャストを配役する。この順番を間違えないようにしましょう。

キャストではなく、ストーリーによって主人公は決まるのです。

しっかりと主人公にキャラクターアークを持たせることは脚本の話なので、ここでは掘り下げませんが、映像的には主人公=メインキャストであれば、多くの観客が誰よりも見たい顔は主人公です。

物理的にいえば、画面を占有する面積、時間で、一番多くあるのが主人公であるべきとも言えます。ここまでは前回の記事でも触れたことです。

では、映像を通して主人公の何を伝えるべきか?

「情報」としては設定部分です。職業とか年齢とか客観的に事実のようなもの。

設定資料やキャラクターを創作する段階では、あれもこれも考えてみるのは構いませんが、作品内ですべてが伝えられる訳ではないで、取捨選択が必要です。

これは、主人公だけでなく、すべてのキャラクターに共通ですが、脇役でも必要な情報は伝えなくてはいけないし、逆にどうでもいいキャラの情報はストーリーのノイズになってしまう可能性もあります。

「印象」としては「性格」や「価値観」、それから「感情」といったものを伝える必要があります。

これらは、すべてのシーンで統一感がとれている必要があります。

例えば、最初のシーンで「警察官」と言っていたのに「消防署」で働いていたら観客は混乱します。設定が変わってしまっているからです。

同様に「動物が大好き」と言っていたキャラが「犬を蹴る」シーンがあったら、観客は違和感を覚えます(もちろん、それ相応の理由があれば構いません)。

さすがに「犬を蹴る」ようなシーンを書いてしまうのは極端な例ですが、「犬があるのにリアクションしない」といった見過ごしはしてしまいがちです。

作家が「動物が大好き」というキャラクターの気持ちになって書いていれば、リアクションするはずだと気づくはずです。細かいところは修正段階で直しても良いので、何度も直したり、いろんな人の意見をもらうことで、こういう部分まで練り込まれていきます。

「キャラクターアーク」について少しだけ触れておくと、主人公の「性格」や「価値観」につながる「人生観」のようなものが、物語を通して変化することが観客の感動に繋がります。

すべてのシーンに「統一感があるように」と書きましたが、それはすべてのシーンが繋がってはいるけど「同じ」という意味ではありません。表面的な違いがあっても主人公が変化していないなら繰り返しにしかなりません。

どう伝えるか?

では、上記の「設定部分」や「性格」「感情」といったものを、どう伝えていくか?

脚本上では「セリフ」と「動作(ト書き)」です。

両者は相反するものではありませんが、分かりやすさのため切りわけてみるなら「セリフ」は「言葉で伝える」、「動作」は「映像的な動きで伝える」と言えます。

例えば、イラッとしたときの感情を、セリフで「ふざけんなよ」と言わせるか、舌打ちや咳払い、拳を握りしめるといった動作で表現するか。もちろん、そのキャラクターに合ったリアクションが求められますし、クリシェにならないような注意も必要です。

「言葉」と「映像」どちらにも特性があります。

映像的なイメージをしていない脚本家が勘違いしがちなのは「言葉」=文字で書くと伝わると思ってしまうことです。脚本を読む技術の不足しているプロデューサーや監督が読んだときも、わかったような気になってOKしてしまいますが、映像になったとき、脚本を文字として読んでいない観客には伝わらないという事態に陥ってしまいます。脚本は必ず映像を意識して書き、読まなくてはいけません。

一応、例をあげておきます。

主人公が「警察官であること」をセリフ伝えようとしたとき、家で家族と話している会話の中で「あなたは警察官なんだから……」といったセリフがあったとします。

文字で読めば、まあ理解はできます。けれど、役者の台詞の発音が悪かったり(※演劇ではリアルタイムなので役者が噛むこともあります)、観客側でたまたま意識が逸れていて、その一言を聞き逃してしまうことだってあります。

その「警察官」という情報がストーリー上、重要で、そのことを聞き漏らしたら、その後の展開を理解するのに支障がでるようであれば、こんな弱い伝え方をしてはいけません。

映像で表現した方がしっかりと伝わります。すなわち、警察官の制服を着て交番に立っているシーンでもあれば、観客の印象にも強く残りますし、わざわざ「警察官なんだから」といった説明的なセリフを入れる必要がなくなります。

説明セリフがなくなるということは一石三鳥で、代わりにもっと重要な感情的なセリフを入れて感情移入させる機会を増やせるし、無駄な説明が減る分、ストーリーのテンポも良くなるのです。

では、すべて映像で表現すればいいのか?

それができればサイレント映画になります。けれど、拘り過ぎる必要もありません。

ムリに映像で見せようと、シーンを増やすと、それはそれで「説明的なシーン」になってしまうだけです。言うまでもありませんがバランスが大事です。

台詞の良いところは、細かい厳密な情報を言わせたり、情報を確定させる働きがあります。

警察官らしい制服を着ていても、警備員なのか警察官なのかわかりづらいことがあるかもしれません。

例:
〇公園(昼)
警察官の制服を着た主人公が歩いてくる。
遊んでいた子供がかけてきて、
子供「おまわりさん、財布を落としたちゃったんだ」
主人公「そうかい。じゃあ、あそこのい交番にいる本物のおまわりさんに相談してごらん」

脚本上の「セリフ」「ト書き」でしっかりとキャラクターが描かれていることは、映像作品の大前提です。

脚本をベースに撮影が行われます。

撮影では役者の演技、カメラ、編集段階での演出(音楽やトーンなど)で、伝えていくことになります。

演劇と映像の違い

演技を考えるには、演劇と映像の違いを考えてみることが参考になります。

映像の役者は、カメラに映っているときしか喋りませんし動作もしません。

演劇の役者は、しばらくセリフがなくても舞台上にいるなら、その役者を演じつづけなければいけません。殺される役なら暗転するまでは死体でありつづけなければいけないのです。

また、映像ではOKが出れば同じシーンを演じることはありませんが、演劇では公演中は何日にも渡って同じ演技を繰り返します。

この過程で演劇の役者はキャラクターと向き合う時間が長く、深いところまで理解しようとアプローチします。

演劇を経験すると演技力が向上するというのは、この辺りに理由があるのです。

では演劇出身の役者のが上手いかというと、そうとは限りません。

「芝居がかっている」という表現がありますが、映像では演劇とは求められる演技力が違います。

キャラクターとしっかり向き合うことで、その人物になりきるというアプローチは同じで、そのトレーニングは演劇を経験している役者の方が抱負でしょう。

それは「自然な演技」にも影響します。アドリブなどは、そういうアプローチが不足していたら、ストーリー上のキャラクターを崩してしまいます。

発声では、演劇の役者は劇場の後方まで届くような腹からの「いい声」を出します。

ですが、映像では自然な演技が求められます。日常生活で「いい声」で話す人はいません。演じ分けが出来ないと芝居がかってしまうのです。

身体動作でも同じです。ミュージカルのように歌うのは極端なジャンルとはいえ、演劇では怒りや喜びといった表現を、身体を使いながら表現する傾向があります。

劇場の後部座席のことを考えるというのは、脚本にも現れます。

例えば、小道具。

映像の例:
女性、薬指のダイヤの指輪を見つめて、
女性「これだけは絶対に売りません」

映像ではこのように書けば、ダイヤの指輪のアップを映してくれます。

ですが、演劇では伝わりません。劇場の後方の席にいる観客には「これ」が何かわからないのです。

演劇の例:
女性、薬指の指輪を見つめて、
女性「このダイヤの指輪だけは絶対に売りません」

身体表現を加えるなら、相手に背を向けたりさせます。

映像では、高級な本物の「ダイヤの指輪」を借りてきて映すこともできますが、演劇でそれを使うことはハードルが高くなります。

小道具なら何とかなっても、大道具や気象などは本物で表現できませんから、あざといぐらいの形容詞をつけることで、観客の想像力を刺激する方が効果的な場合があります。

映像の例:
少年、夜空を指差して、
少年「見て、あそこ」
空には白い満月が輝いている。

演劇の例:
少年、空を指差して、
少年「見て、あのお月さま。真っ白に輝いてる。きれいだな」

「芝居がかる」のは演技だけでなく、脚本上の問題でもあるのです。

アニメと実写の違い

目の前にいる人が、何となくイライラしていたり、浮足だってソワソワしているときなど、わかるときはありませんか?

人間の感情は空気を通して伝わります。

体温なのか空気なのか、科学的には厳密には証明できないでしょうが、確かに空気を通して伝わります。臨場感と言ってもいいかもしれません。

この感覚が持てない人には、演劇の演出家にはなれません。

それは空気で伝わるもので、カメラを通した映像では伝わらなくなってしまいます。

例えば、もの凄く怒っていて大きな声を出して暴れている人が、同じ電車にいたら、それだけで身構えるでしょう。ですが、ネットの動画で見たところで、その緊張感は大幅に減ります。

その映像の中の人が怒っているというのは理解できる、そのことから、嫌な感じを受けたり、可哀想と思ったり、こちらの感情が揺さ振られることはあるとしても、直接的な緊張感とは違います。

画面を通して、空気感は伝わらないのです。

だから、主人公(キャラクター)というワンクッションを通して、感情を伝えるのが映像表現です。

脚本上のキャラクターアークが重要です。これが良い作品の大前提なのは書きました。

次に必要なのは、それらの感情を映像的に伝える技術です。

このことを考えるときに、アニメと実写を比べてみることが参考になります。

二次元アニメでも、CGアニメでも構いませんが、そこには本物の身体が存在しません。

けれど、アニメで感動したことがある人は多いでしょう。

声は声優さん、俳優さんがやっているので、声による感情表現が大きいのはもちろんですが、だからといってオーディオドラマと同じとはいえません。

単純な法則としては表情パターンです。

(^^)(>_<)(T_T)

こういった顔文字のように、キャラクターの表情を作ることで「印象」を伝えられます。

アニメ映像の表情パターンと声が合わさることで、感情が伝わってくるのです。

これは実写の役者にも、ある程度、当てはめることができます。

眉毛を寄せて睨んだり、歯を見せる笑顔などは、それだけでわかります。

慣用句にもなっています。「開いた口が塞がらない」「目を見開いて」「眉をひそめる」「白い歯を見せる」など、それだけで感情が伝わる表現です。

ですが、やはりリアルな人間は日常生活では、そこまで明確な表情をしません。これは漫画原作の脚色するときのひとつのポイントにもつながります。

アニメでも実写でもリアリティが重要ですが、そのリアリティの質自体が違うようなものです。コメディではアニメよりなのでオーバーな表現も許容されます。

現実社会では、多くの人が「本心を顔に出さないまま」生活を送っています。ムカついても笑顔で対応したり、内心ですごく喜んでいても顔にでない人もいます。

初心者の脚本はすぐに泣いたり叫んだりしますが、リアルな大人は、なかなか泣きません。

演劇、アニメ、実写、オーディオドラマ、それぞれに特性があり、それに合わせて脚本も演出も変えなければ、効果的な演出にはなりません。

その違いがわかれば、そのシーンごとに適切な表現が見えてくるはずです。

※いずれ「ショット分析」で具体例で検証していきますが「こういう感情にはこういうショットがベスト」といった絶対の法則がある訳ではありません。

緋片イルカ 2024.2.3

次:ショットの要素4:「ムーブ」(演出10)

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