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※あらすじはリンク先でご覧下さい。
※分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。
【ログライン】
ゲイバーのショーダンサーをしているルディは、隣の部屋で暮らすダウン症のマルコと出会い、その母親が逮捕されたこときっかけにマルコを保護し、恋人のポールと共にいい親として過ごすが、同性愛者ということを隠していたため監護権をなくし、二度とマルコと会えなくなる。
【フック/テーマ】
ゲイカップルが障害児を育てる/偏見と正義
【ビートシート】
Image1「オープニングイメージ」:「さまようマルコ」
死ぬ前のマルコ。マルコのセットアップ要素にもなる。
GenreSet「ジャンルのセットアップ」:「ゲイバー」
差別や偏見がある場所。これから戦うものの暗示。
Premise/CQ「プレミス」/「セントラル・クエスチョン」:「偏見を乗り越えられるか」
want「主人公のセットアップ」:「歌手志望のショーダンサー」
Catalyst「カタリスト」:「マルコと出会う」
Debate「ディベート」:「ポールに法律的助言を求める」
何かできないかと動く。
Death「デス」:「マルコを見つける」
施設に連れていかれたマルコを発見する。家庭局に通報せず保護。これまでの
生活が変わる(死ぬ)
PP1「プロットポイント1(PP1)」:「マルコとの生活」
F&G「ファン&ゲーム」:「家族になっていく」
血のつながらない三人が「家族」になっていく。
MP「ミッドポイント」:「思い出」
ルディの歌が流れる中、ホームビデオ調で思い出を表す。しあわせな時間。
Fall start「フォール」:「上司に勘づかれる」
PP2(AisL)「プロットポイント2」:「マルコが施設へ」
ゲイカップルであることを隠したため、監護権がはく奪される。三人での生活を喪失する。
BB(TP2)「ビッグバトル(スタート)」:「審理開始」
Twist「ツイスト」:「監護権は認められず」
マルコへのいい影響を認めてもらえるが、同性愛が教育に悪いとされてしまう。
Big Finish「ビッグフィニッシュ」:「再審で成す術がなくなる」
母親が出所し、権利を主張したことで接近禁止令が出る。
Epilog「エピローグ」:「マルコ死亡」「ルディの歌」
マルコはルディたちとの家を探してさまよい、死んでしまう。ポールは審理に関わった関係者にその事実を伝える。
ルディは悲しみや苦しみをマイクに叩きつけるように歌い続ける。
Image2「ファイナルイメージ」:「さまようマルコ」
家族を求めてさまようマルコ。
【作品コンセプトや魅力】
社会の偏見、差別、性的指向、同性愛、ゲイカップル、LGBTQ、障害児を養育する、家族、社会的弱者、こころの繋がり、法と正義、日本で舞台化
【感想】
「好き」5「作品」5「脚本」4
泣けるというより、社会や法に疑問を抱く作品でした。
生まれ持ったものや性的指向のせいで社会的弱者にならざるをえなかった人々の存在を感じます。
法廷劇や偏見にフォーカスされているので、観客側が得る感情は同じものが多いと思います。
一方、そのフォーカスのせいで他の部分が不明なまま流されているようにも思えました。たとえばルディがなぜマルコにそこまで入れ込んだのか。ポールもなぜそれに乗ったのか。現実では「家族」であることに理由は必要ないかもしれません。しかし、物語なら納得するために感じたい部分ではあります。歌に乗せたホームビデオも素敵でしたが、果たしてその見せ方で「家族」が充分伝わるのか。観客の感性にどこまで任せるべきかのさじ加減が気になりました。この他、ルディの歌に対するセットアップも不足しているように思えます。
ここまで個人的な不明点を並べましたが、もしこの映画が冒頭で書いた通り「泣けるというより、社会や法に疑問を抱く作品」であるならば、成功だと断言できるのではないでしょうか。私の挙げた点は泣くための補足なので……
長々と書いてしまいましたが、私の好きな映画のひとつであることは間違いありません。
(雨森れに、2025/10/28)

