【報告】映画分析会(#8)『ペーパー・ムーン』:ロードームービー型のバティプロット

ペーパー・ムーン (字幕版)

当日の音声

mp3(53分26秒)

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メモ
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分析

ロードムービーやバディプロットの説明は音声の中でしておりますので、作品自体の分析を以下に示します。

Image1「オープニングイメージ」:「ペーパー・ムーンの歌/車」
当日の音声では「ペーパー・ムーンって何か意味があるのかな?」などと話しておりましたが、見直してすぐ、オープニングのクレジット中に歌われているのに気付きました。

1935年の流行歌『It’s Only a Paper Moon』という曲だそうです。

字幕を引用してみます。

ボール紙の海に浮かぶ
紙の月でも
私を信じていれば
本物のお月様
作り物の木と
絵に描いた空でも
私を信じてくれたら本物になる
あなたの愛がなければ
何もかも偽物
愛がなければ
安っぽいメロディ
うつろで はかない
サーカスの世界
でもあなたさえ信じてくれたら

「作り物」でも「本物になる」が何を表しているかは、映画を見れば、お分かりかと思います。

もう一つ、映像的にはあまり映っていませんが、主人公のモーゼはポンコツの車でやってきます(葬式中の人たちが音でふり返ります)。

車は作中に変化がしていくので、ラストにどうなっているかを比較したいところです。

CC「主人公のセットアップ」:「墓の花を盗む」
登場したモーゼは他人の墓から花を盗みます。これだけで、どういう人間か察せられます。この後のシーンでも少しずつモーゼの人となりや、詐欺の手口などが見えてきます。

Catalyst「カタリスト」:「アディを引き受ける」
アディを連れていくことを頼まれて、引き受けます。最初の事件です。さっそくバディプロットとしての二人旅が開始したように見えるかもしれませんがが、ここでは、本当の旅は始まっていません。『或る夜の出来事』の記事でも似たような説明をしています。その証拠として、モーゼは電車の切符を買って、アディを一人で行かせようとします。本当の意味での二人の旅は始まっていないのです。4分弱でカタリストが起きていることは、とても早い掴みです。

Debate「ディベート」:「パパでないなら200ドル返せ」
アディの母の事故を口実に200ドルをせしめ、その金で新車を買います。アディを引き受けると言ったのは、このためだったのです。電文でアディが「愛と20ドルを持って」着くと予言しているのはプレミスといえるような面白いセリフです。ラストでどうなるか?は見ればわかります。たまたま入っているセリフではなく、脚本家が狙ったセリフであるのは、電文の係の男が復唱することからもわかります。大切なことだから2回言ったのです。

アディの電車を待つ間、食事のシーン。パパでないなら200ドル返せと言われます。ディベートで口ゲンカになるのも定番です。アディは、モーゼのことを「父親でないか?」と言います。観客も実の父娘であるライアン・オニールとテータム・オニールが演じているので、そういう視点で見てしまいますが、全体を通して見ても、本当の父親なのかどうかは、はっきりとしません。僕の解釈は「アディの母とは知り合いだったようなセリフはあるので(これが口から出任せだったとしたらキリがありませんが)、母とは肉体関係もあったが、娘アディの存在は知らなかった。またモーゼにはアディの母の死を知って、葬式にやってくる優しい一面がある(他の男は誰一人きていないのに)」といったところです。

このストーリーの面白いところは、父親だったとしても、違ったとしても、どっちでもテーマは変わらないところです。冒頭のペーパー・ムーンの意味を踏まえるなら、遺伝子的な親子関係はどうであれ、信じれば家族なのでしょう。

ストーリーに戻ります。

200ドルはもうないと言うと、アディから稼げと言われます。聖書を高く売り付る仕事(?)が始まります。

カタリストが早かったので、このあたりでもアクト2に入っているように感じる人がいるかもしれませんが、まだまだディベートの範囲です。

Death「デス」:「保安官の家」
騙そうとしていた家から保安官がでてきて、窮地に陥ります。モノクロでもあり、少しわかりづらいですが胸の★のバッジを見たところから、モーゼの態度が焦りにかわります。保安官が「会社は?」と一歩前に出たところでは、威圧感のあるショットで撮られています。一貫の終わり=デスです。その危機を救うのはアディです。この一件から、アディを見る目、関係性が変わっていきます。また、保安官の前とはいえ、パパと呼ばれることも受け入れています。非日常へ入る気配を感じます。

PP1「プロットポイント1(PP1)」:「組まないか?」
道中、一緒に組んで稼ごうという誘いをもちかけ、二人は文字通りバディ=相棒になります。いよいよ、二人の本当の旅が始まります。

今回の記事は、創作でアクト2を描きづらい人のために、アクト2を丁寧に分析していきます。

まず、この時点でのwantの確認です。

モーゼは当初の「アディを送り届けること」に加えて、「アディに借金を返すこと」「そのために稼ぐこと」「アディを相棒として教育すること」などが行動原理となります。

アディには「親が欲しい」という深層心理があると思いますが、表面的には「稼ぐ」ことでは一致しています。

これらのwantに沿ってシーンが積み重ねられていきます。そのひとつ、ひとつがビートでいえばBattle「バトル」になっていくのです。

また、アクト2はその物語のウリともいえるシーンが登場するタイミングです。雰囲気としてファン&ゲームと呼んだりします。

この映画では「モーゼとアディが道中で詐欺を働いていく」ということが、それにあたります。

『パーペー・ムーン』ってどういう映画?と問われれば、「父と娘が詐欺を働きながら旅をしていく物語」なのです。

アクト1はそのための準備、アクト3はその終着点。物語のメインはアクト2なのです。

二人は、手始めにリボンを買います。アクト2に入って主人公たちの衣裳や名前が変わることは定番です。ここまではアクト2開始の準備といったかんじです。

以下、「バトル」を丁寧に見ていくと、

1「リボンの支払いで、レジでちょろまかす」→成功

2「子だくさんのスタンリー一家に聖書」→失敗

3「裕福なハフさん」→大成功

上記の一つ一つのシーンを「バトル」としても構いませんが、僕なら一連のシークエンスで、一つの「バトル」として捉えます。

書き手からすと「お金を貯める」という過程なので、一つ一つが、MPに向かってアークを昇っていっているようなつもりになるかもしれません。

しかし、ストーリーの進展とは、時間をかけることではなく、段階が上がることです。

上記の3シーンは、とてもスピーディーに展開されていますが、一つ一つをバカていねいに時間をかけて描いていたら、テンポが悪くなります。

3シーンで4分ほどですが、1つに5分ぐらいかけて、合計15分使っていたらどうでしょう? 想像してみてください。

観客は、無意識に停滞を感じるでしょう。観客が感じる停滞とは、情報や刺激の少なさです。

「ああ、金を稼いでるのね」という理解だけで済むのです。ちょっとトイレに行って、戻ってきても状況は変わってません。

主人公達も詐欺をすることに苦戦していても、「まあ、どうせ何とかなるでしょう」ぐらいの態度で見てしまいます。

ストーリーを次のステージに進めることで、「次は何が起こるんだ?」と目を離せなくなるのです。

上記3シーンのあと、運転中のシーンでは軽快なBGMとともに「305ドル16セント」あることがセリフわかります。もう「アディへの借金を返す」目標は達成されています。

何かが達成されるということで、関係性にも変化が生まれます。これが次のステージです。

「200ドル分は私のもの」というアディは、降りようとすらしますが、降りません。アディのwantはお金ではないことが見えてきます。

Pinch1「ピンチ1」:「モーゼが女遊び/アディの香水」
1つ目のバトルのあとにはサブプロットが入ることがよくあります。これには理由があります。バトルはファン&ゲームでもあるので、アクト2に入ってすぐに起こります。しかし、バトルばかりが続くと、つまり、この作品でいえば、詐欺のシーンばかりが続くと単調になってしまいます。こういった原理から1つめのバトルのあとにはサブプロットが入ることが多いのです。

ここではモーゼが女と飲んでいたのか、部屋の前まで女がきています。サブプロットでは新しいキャラクターが登場するというのはよくありますし、ラブ要素を絡めることもよくあります(アクション映画に多い)。ストーリーとしては、お金に余裕ができたからこそ、飲んだり女遊びができるのです。次のステージに入っています。

そんなモーゼを見て、アディは缶から母親の写真をとりだします。

音声でも言ってるように、ここは「母親への気持ち」なのかと、初見では思いましたが。見直してみたら、まるで違いました。

アディは写真を見たあと、母親のポーズを真似していることから、大人の女になろうとしているのだとわかります。香水を塗りたくるのも同じ動機でしょう。

モーゼを振り向かせたい、一緒にいたい、という気持ちです。少女のなかでは、性的な意味合いよりも単純な「一緒にいたい」という気持ちでしょうが、少女には発想がないのです。そういう母親の元で育ったのもあるでしょう。

翌日、相手にされず(モーゼに窓を開けられ)、散髪屋で「坊屋」と呼ばれたことに、ふてくされます。

この辺りから、アディには「モーゼと一緒にいたい」という気持ちが芽生え始めているのです。新しいwantと捉えても構いませんし、主人公がアディに変わっていると言っても構いません。

「バトル2」:「服屋での詐欺→成功」
ここでは詐欺の成功だけでなく、アディが「女の子らしい服を得る」という要素が加わっています。映像からは少しわかりづらいのですが、詐欺をする前にモーゼが「ドレスや帽子で」と言っているし、次の遊園地のシーンではアディの服装が替わっています。詐欺の意成功(バトルの勝利)により、アディが女らしさを獲得することによって、また物語のステージが上がります。

MP「ミッドポイント」:「遊園地で写真」
遊園地のシーンではいくつかのポイントがあります。

まず、アディは綿菓子屋を相手に、一人でちょろまかしができるところまで成長しています。「アディを相棒として教育する」というwantは達成されているのです。

モーゼにはストリップ小屋に繰り返し入るほどに、お金の余裕ができています。これは達成済みでしたが、この点で問題が起きていないことも確認できます。ミッドポイントはfalse victoryと言われ、見せかけの勝利です。映画後半で、お金を奪われてしまうことを思えば、しょせん一時的な金で、本質的な解決はしていないのです。モーゼにとって本質的に必要なもの(wantに対してneedと言ったりします)は、一時的な金ではなく、金の使い方、ひいては生き方を「学ぶこと」なのでしょう。こういうものをリワードと呼びます。「ペーパー・ムーンの前で、父親と写真を撮らないこと」は、モーゼにとってはリワードを得られなかったことになります。成長や変化に失敗する可能性があり、バッドエンドのルートを辿る可能性があります。

一方で、主人公のように動きを始めているアディの視点から見ても「父親になって欲しい」というwantは達成されていませんので、このシーンがミッドポイントっぽさがありません。しかし、ここでは写真という重要アイテムを手に入れます。一人、写真をとったアディの中では「モーゼと一緒にいたいという気持ち」、過大解釈すれば「モーゼを父親と信じる」ことを強く学んだのかもしれません。

他に特筆する点としては、ミッドポイントの定番として特別な場所という演出が、よくなされます。

アクト2=非日常の旅の中でも、さらに非日常的な場所。これはヒーローズジャーニーの喩えでいえば洞窟の最奥部です。大切な宝物は最も奥に隠されているのです。

こういうった、いくつかの点から、この遊園地のシーンがミッドポイントであると判断できます。

モーゼの残りのwantは「アディを送り届けること」ですが、ロードームービー型のプロットタイプでは、MPで目的地に着くということはありません。物語としてありえないとか、やってはいけないといった意味ではありません。ミッドポイントで目的地に到着していたら、別のプロットタイプになってしまうので、ロードームービー型としてはありえない、ということです。(※たとえば『スターウォーズⅣ』のアクト2前半部分はデススターを目指す道中ですが、MPで到着してしまうので、ロードームービーっぽさはありません。『ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間』では主人公の「指輪を捨てる」という大きなwantが維持されているので旅が続いているように見えます。「ヒーローズジャーニー作品比較」(三幕構成22)

Fall start「フォール」:「トリクシーが同乗」
ロードムービー型のプロットでは、ミッドポイントを過ぎると、状況に変化が起こります。この映画のように新たな同乗者が加わるのは定番です。『或る夜の出来事』でも、ヒッチハイクをして強盗の車に乗っています。

フォールはセーブザキャットの言い方でいえば「迫りくる悪いやつら」ですが、アディの視点から見れば、父親になってほしいモーゼを奪おうとする強敵が現れたともいえます。

アークという視点でいえば、ミッドポイントまで上昇していた=金が儲かっていましたが、トリクシーが現れてからドレスや新車など、散材がつづいていきます。アークを下降していくのです。折返しというニュアンスでも掴みやすいと思います。

「バトル3」:「トリクシーに白いドレス」→失敗(散材)

「バトル4」:「新しい車を買う」→失敗(散材)

MP以降は、作品によってパターンが違うのでバトルとは呼ばないのですが、今回はあえて呼んでみました。

バトルの観点でみれば、金儲け=成功、散材=失敗といえます。

ちなみに、これらの間に、原っぱでアディが車に乗らないというシーンがあります。モーゼの説得を受け入れず、トリクシーの長い説得の末、にこりとしてアディが受け入れます。

このシーンの解釈はいまいちできませんでした。

初見では母親とトリクシーを重ねているのかと思い、当日の音声でもピンチ2だと言っておりましたが、改めて見るとピンチ2ではないと気付きました。

男癖の悪さ、それを嘆くトリクシーは、どこか母親に似ているところはあったのかもしれないとは思います。

アディのトリクシーの心理として「拒絶」→「いったん受け入れる」→「(車を買って)やっぱり許せない」という揺さ振りつけたのかもしれませんが、あまり効果があるようには感じません。

あとは、女優との契約で尺を使わなければならなかった、なんていう大人の事情があったのか。それぐらい構成上の意義は不明でした(※ご意見ある人、ぜひコメントください)。

Pinch2「ピンチ2」:「トレイシーを置いて出る」
アディを主人公としたシークエンスです。ホテルで、フロントの男性とトレイシーの仲をとりもち浮気させ、怒ったアディは彼女を置いて出発します。時間の長いシークエンスで、見ていてダレると思います。作戦自体に面白味もなく段取りくさいからでしょう。

ピンチ1ではモーゼの気を惹けなかったアディですが、ここではトレイシーを倒すということで父親の―奪取に成功しています。

出発したものの、外は雨。まだまだアークの下降は続きます。

「バトル5」;「酒の密売人を騙す」→成功にみえて→大失敗
セリフから残金は212ドルまで減っていることがわかります(スタートに比べればまだまだあると思いますが)。

大きな仕事をしようとして、酒の密売人を騙します。いったんは成功したようにみえて……

PP2(AisL)「プロットポイント2」:「警察へ連れて行かれる」
警察官だった密売人につかまり、警察へ連れていかれます。旅の始まりでは保安官を騙そうとして成功しましたが、ここでは反対にバレました。

「アディを送り届けること」という目的は、まだ達成されていませんが「一緒にで詐欺を働く」という二人の旅は終わりを告げたのです。

緊張感はありませんが、逮捕されれば一貫のおわりで「アディを送り届けること」も出来なくなるでしょう。

DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「取調べ」
どうやって逃げだしたらいいか、一方的に取調べを受ける時間が続きます。

TP2「ターニングポイント2」:「アディが荷物を集める」
アディが荷物を集めるふりをして、車のキーを入手して脱出開始。BBビッグバトルの始まりです。車での逃亡劇、村人との車の交換をして、隣の州へ入り、新しい詐欺をしようとしたところで、再び警官に見つかってしまいます。ツイストです。怪我をさせられ、金を奪われたあと、アディを伯母の元へ届けることを決めます。残り10ドル。プレミスで言っていた「愛と20ドルをもって」が思い起こされます。

アディを送った後、モーゼは車に残された写真に気付きます。シーンとしてはアディを思い遣るシーンですが、物語論として見るならミッドポイントで間違った選択をしたことを後悔しているとも言えます。

しかし、アディの方は遊園地で「モーゼと一緒にいたい」というリワードを得ていました。

だから、やってくるのはモーゼからではなく、アディからなのです。

image2「ファイナルイメージ」:「「作り物でも本物になる」/車」
車は最初と同じようなポンコツになっています。モーゼがこの旅で手に入れた金は全てなくなってしまいました。しかし、アディという娘を手に入れました。

オープニングのペーパームーンの歌詞通り、血が繋がっているかどうかはわからなくても、アディは信じて本物の関係になったのです……というラストではありますが、本質的には、そう慣れたかは疑問も残ります。

モーゼがリワードを得ていないため、アディが戻ってきたのは、アディ自身による決断であり、モーゼにとっては偶然でもあります。思春期ぐらいになったら、モーゼの元を去ってしまうかもしれません。

緋片イルカ 2021/12/13

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『【報告】映画分析会(#8)『ペーパー・ムーン』:ロードームービー型のバティプロット』へのコメント

  1. アバター 名前:やすたに浅草キッド 投稿日:2021/12/14(火) 22:54:44 ID:8924e78ea 返信

    大変興味深く拝聴致しました。
    邦画のロードムービーと言えば寺島しのぶと大森南朋の『ヴァイブレータ』を思い出しました。
    今後、邦画も取り上げてくださると嬉しく感じます。

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  2. 緋片 イルカ 名前:緋片 イルカ 投稿日:2021/12/15(水) 22:54:49 ID:799083569 返信

    コメントありがとうございます。『ヴァイブレータ』知らない映画でした。あらすじを調べてみましたが、面白そうですね。

    邦画は、ビートの概念がないまま創られていて、実際に分析してみるとプロットポイントしかとれないことも多いです。そんな構成でも、面白い作品は「セリフが面白いね」「演技がいいね」「雰囲気がいいね」といった主観的な面白さで、感想を言い合って終わってしまいそうなので、課題作品としては避けていました。

    僕自身があまり邦画をみないので知らないというのもあるので、良さそうな作品とかあったら、ぜひ教えてください!

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