映画『ボヘミアン・ラプソディ』:絶妙な脚本処理(三幕構成分析#34・音声)

スリーポインツ

『ボヘミアン・ラプソディ』
ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)

監督:ブライアン・シンガー
原案:ピーター・モーガン
フレディ:ラミ・マレック(第91回アカデミー賞最優秀主演男優賞)

プロットアーク
PP1:アメリカツアー開始(27分20%)
MP:観客と一体化(「We Will Rock you」歌唱)(70分52%)
PP2:ソロ活動をメンバーに伝える(84分63%)
アクト3:メンバーと和解してライブエイド参加

キャラクターアーク
PP1:プロポーズする(26分19%)
MP:ジム・ハットンとキスをする(65分49%)
PP2:妻の妊娠を知る(84分63%)
アクト3:ジム・ハットンを見つけ出し、妻とも和解

mp3(69分27秒)

youtube版

※マウスの前にマイクを置いてたので「カチカチ」うるさくてすいません。次は気をつけます。

分析・感想

「伝記映画」とでも呼ぶのか、歴史上の人物、実在の人物を主人公にした映画がたくさんあります。

その中でも「ミュージシャンもの」とでもいうような作品があります(具体例は割愛します)。

作中に有名な曲を多数使えることや、なかでもロックミュージシャンは、自身が破天荒な人生を送っていることもあってドラマも作りやすいのかもしれません。

しかし、制作やストーリー側からみたら、有名曲は使わなければならないといえますし、遺族や財団との関係で制約も多いことでしょう。

現実と映画、事実と創作のちがいに「ああだ、こうだ」言う人が必ずいます。

ファンの目もあります。ミュージシャン自身のファンを納得させながらも、ミュージシャンを全く知らない若い世代などに説明するべきことはしなくてはなりません。

こういったものを、監督と脚本家は「処理」しなければいけないといえます。

この意味では、とても巧く処理されている映画だと思います。

「クイーン」については、僕自身ベストアルバムのCDを持っていたぐらいで詳しくないので、実際と映画とのちがいについては、特に触れないことにします。

あくまで映画として分析していきます。

『ボヘミアン・ラプソディ』は「ライブエイド」というチャリティイベントのライブがラストシーンです。

ストーリー上の展開はなくミュージックビデオのようです。ライブビューイングのようで映画館で見たいと思わせるシーンです。

このシーンは「12分」あります。この映画の特徴の一つと言えます。

映画は「ライブエイド」の始まる前のフレディを見せることから始まりますので、「オープニングイメージ」「ファイナルイメージ」はこのライブです。この手の映画には無用ですが「ジャンルのセットアップ」も果たしています。

それから1970年に遡り、空港でキャリーバッグを運んでいるフレディからストーリーが始まります。運ばれてきたバッグを眺め、「パキ野郎」「パキスタン人じゃない」という会話で「主人公のセットアップ」がされています。バッグは海外あるいはアメリカへの憧れを思わせます(「JFK」というシールが貼られているのでアメリカから着た荷物でしょうか)。また人種差別的な目、出自を否定しているフレディというキャラクターのセットアップです(あくまで映画の中のキャラクターとしてのフレディです)。次のシーンでは歌詞をノートに書きつけていて、お堅い家庭が描かれ父から「善き思い、善き言葉、善き行い」(good thought, good words, good deeds.)という言葉を投げかけられます。これは

ゾロアスター教では、善神群と悪神たちとの闘争後、最後の審判で善の勢力が勝利すると考えられ、その後、新しい理想世界への転生が説かれる[6]。そして、そのなかで人は、生涯において善思・善語・善行の3つの徳(三徳)の実践を求められる。人はその実践に応じて、臨終に裁きを受けて、死後は天国か地獄のいずれかへか旅立つと信じられた[6]。(ウェキペディアより)

という、宗教からとられている言葉で、映画としては「プレミス」のようになっていますが機能しているかどうかは、微妙なところです。つまり、プレミスというビートは主人公が旅(アクト2)で学ぶものを予言することで機能します。このプレミスが機能しているとするなら、フレディは「クイーン」の活動を通して「善思、善語、善行」を学んだとなります。深読みしてしまうとゾロアスター教の教えを体得したとすら言えてしまいます。その雰囲気が出過ぎることは映画としてはマイナスになってしまうこともあるでしょう。エピローグに「ゾロアスター教のしきたりで火葬された」と出てくる辺り、あらゆる観客層に対して、うまく処理していると言えそうです。

その後、フレディは妻となるメアリーと出会い、バンドメンバーに声をかけます。主人公が自ら「カタリスト」を起こすというのはあまり機能しません。カタリストは非日常へのきっかけで、自分から簡単に起こせることで入れるような非日常は本当の意味で非日常にはならないからです。だからビートとしては、この辺りはカタリストは起きていません。それなのに、バンドグループを結成し、メアリーを恋人にして、ライブして、曲を作って、とアップテンポでストーリーが進んでいくので、見ていて飽きません(※サイトでは説明していませんがティーザーとして機能しています)。カタリストは最初の契約をしてもらうところです。売れたら「日本ツアーに行く」というプロデューサーに「もっとだ」と言います。これはwantです。フレディのプロットアークとしての願望が示されています。また、このシーンで後に深い関係になるポールとの出会いでもあります。

プロとして活動をはじめますが、BBCでは口パクをしろと言われたりといった「ディベート」をしながらも、米国ツアーが決まり、アクト2に入ります。

クイーンのバンド活動はトントン拍子に進んでいくので、ツアーを開始したところで「非日常」に入った感覚があまりありません。それは「プロットポイント1」が見つけづらいとも言えます。しかし演出では露骨にアクト2を見せています。曲に合わせて、走るバスを空撮するショットや、派手なライブシーンはアクト2の雰囲気をあらわすfun&gameにぴったりです。また、最初に述べたように映画のクライマックスがライブなので、アクト2の「バトル」でもライブを見せているのです。そして、上りつめていった頂点である「ミッドポイント」は有名な「We Will Rock You” rel=”noopener” target=”_blank”>We Will Rock you」歌って観客を盛りあげたシーンといえそうです。「ビッグアップルをかじった気分だ」というセリフがあります。ビッグアップルはアメリカ(とくにニューヨークを指すそうですがアメリカを言うこともあるそうです)を象徴する言葉で、契約時に「もっとだ」と言っていたところから、米国ツアーを経て、制覇したようなニュアンスが出ています。ただし、やはりトントン拍子なので、ややMP感に欠けるというか、他のライブシーンより盛りあがり感があるようには見えないのも事実です。

また、MPは偽の勝利false victoryです。頂点の上った後は落下が始まります。

「We Will Rock you」はメンバーのアイデアから作られた曲でした。観客との一体化だけでなくクイーンメンバーとの一体化でもありました。

ライブの直後、フレディにソロ活動の話が出てきます。「フォール」)の開始です。

一度はソロの話を拒みますが、最後にはメンバーに契約したことを伝え、「プロットポイント2」です。クイーンとして活動してきた「旅」が終わったのです。

ソロ活動という「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」を経てから「妻の妊娠を知る」「ポールをクビにする」という勢いから、アクト3に入っていきます。アクト3に入ってからは「バンドの再結成」「エイズを告白」「ゲイを認める」といったところから、ライブシーンまでオールハッピーの流れで、とくに説明もいらないぐらいです(音声の方では軽く触れました)。

むしろ「プロットポイント2」のとり方が迷いやすいところかもしれません。

「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」というシークエンスが時間的に長い映画は「プロットポイント2」が二つで迷うのです。つまり「オールイズロスト」=すべてを失った地点=旅の終わりの地点と、再出発=アクト3の開始=ターニングポイント2が離れている場合ともいえます。

『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』に潜む3つの問題点(中級編6)の記事でも説明しましたが、ブレイク・スナイダーのビートシートではイベントとしての構成とキャラクターアークを混ぜて一本にしているため、初心者向けに押さえるべきところは押さえてる反面、複雑な映画を分析するときには理屈っぽくなってしまうことがあります。それで、僕は「プロットアーク」という言葉をつくって、「キャラクターアーク」と二本のアークで捉えることにしています。

絡まった二本の色違いの糸を解きほぐしていくように、それぞれの基準でビートをとらえていくのです。分析の手間が二倍になりますが、へんにビートの定義で理屈をこねているよりは、別々にとらえてしまった方がすっきりして、作家の意図がはっきり見えてきます。

わざわざ解きほぐす必要もない(つまり一本のアークが弱い)映画もたくさんありますが、この『ボヘミアンラプソディ』は二本でとらえた方がすっきりするタイプです。

ここまでは、プロットアークを中心にビートを説明してきました。もう一方の糸であるキャラクターアークについては、ほとんど触れてきませんでした。

ここからはキャラクターアークとして、もう一度、全体を見直してみます。

キャラクタアークとしてのスリーポインツは「プロポーズする」→「妻にセクシャリティを告白」→「妻の妊娠を知る」という妻メアリーとの関係ではっきりととれます。

クイーンの活動がトントン拍子に進んでいく一方で、フレディのセクシャリティの問題が影を落としているように見えます。

サブプロットではなくプロットアークとキャクターアークを陰陽のように、絡めることで、ストーリーに深みやリズムをつけているのです。

プロットアーク=クイーンのバンド活動では、アクト2の非日常感が弱いと言いました。それは「デス」というビートがないことにも由来します。しかし、プロットアークのPP1直前にある「プロポーズのシーン」は、フレディがゲイであることからすれば、むしろ「デス」ともいえそうです。MPに向かって下降していくアークのシーンでは「デス」の位置で、ハッピーなことが起きます。「デス」で落ちてから上昇して「MP」に向かっていくのはV字のようなアークですが、「デス」の位置でハッピーになってから逆V字に下降していくアークがあります。とはいえ、『ボヘミアンラプソディ』は実際は下降しているアークではないし、「デス」として機能しているとは言えないでしょう。あくまで雰囲気として「デス」っぽいというだけです。

結婚が不幸の始まりであったかのように、アクト2に入ってからゲイとしてのセクシャリティに関するイベントが出てきます。逆に言うと、ここまではほとんど見せていないのです。

アメリカツアーんか、妻への電話中に男に目を引かれたり、ポールにキスをされたりして、とうとう妻に「バイセクシャルだと思う」と打ち明け、妻には「あなたはゲイよ」と返されます。初見ではここがMPかなと思いました。ここまでは下降していたアークだと思ったのです。この後、髪を切ってイメチェンをはかるのも、折返しを始めたように見えます。

しかし、キャラクターアークとしてのMPは「ジム・ハットンとキスをする」にしました。ここにもこの作品の脚本の巧みさを感じます。

ジム・ハットンという人をストーリーのキャラクターとして捉えると微妙なポジションです。MPでぽっと出てきた割に、ラストでは妻を差し置いて主人公の恋人という立ち位置を維持したまま終わるのです。これが実在のモデルがなければ、ストーリーとしては失敗しているでしょう。シンデレラが最後は出てきた村の幼なじみと結婚して幸せになりました、「めでたしめでたし」といったかんじです。

けれど、実在人物の制約上、全く出さない訳にいかないし、事実をねじ曲げすぎて「若い頃から付き合っていた」という嘘を作りすぎることもできません。

その処理が、この形だったのだと思います。

ジム・ハットンは熱烈なキスして、主人公であるフレディに「君が好きだ」とまで言わせて、いかにもMPなシーンをかっさらっておきながら、セリフでは「本当の君を見つけた会おう」とツッコミたくなるようなセリフを残して去って行きます。まるで天使か妖精です。

さらにもう一つ重要なセリフを残しています。

「君には友達が必要だ」というセリフです。

作中バンドメンバーは「家族」という言葉を使われていますが、この「友達」は妻であるメアリーです。

妻とのキャラクターアークの構成は、恋愛ではなく、結婚をとおして友情を獲得するための旅であったといえるのです。

ラブストーリーは構造的には「バディプロット」なので、相手次第では、友情にも恋愛にも展開することができます。(参考:「三幕構成と恋愛(プロットタイプとストーリータイプの違い)」(三幕構成25)

脚本家は、フレディのセクシャリティに触れつつ、妻のメアリー、恋人のジムハットンというキャラクターを巧みに処理しているといえます。

このジム・ハットンをMPに置いているところから、逆算していくと、より深いテーマも見えてきます。

たとえば、ジムが男性ではなくて本当に天使として描かれてらどうでしょう?

CGか何かつかって、ストーリー上は酔っ払ってるかクスリでトリップしてるかにして「天使」を見たなどとするのです。

MP付近に、天使が現れれば、観客はその意味を考えます。

それはフレディは「心の奥底で何を求めているのか?」という問いにつながります。

セクシャリティを超えた、もっと深い根元的な欲求まで連想させるのです。

それを匂わせるセリフが節々には入れられています。

まずはプロポーズの直前、メアリーに「大勢の前で歌うってどんな気持ち?」と聞かれ「なりたいと思ってた人間になれる。何も怖くない。まるで君といる時みたいに」とフレディは言います。

44分あたり、ボヘミアンラプソディの歌詞についてプロデューサーと揉めるシーンで「ビスミラ」という言葉に言及しています。これはコーランの一節で「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において」という意味だそうです。(この記事を拝見しました。)

曲の解釈については詳しい方に譲ります(この記事は拝見しました)。

ただ、脚本としては「この一語をプロデューサーが拾い、言い間違えて、フレディ訂正する」というやりとりが、脚本家がこの言葉を印象づけようとしている証拠でありメッセージです(参考:文章テクニック9「言い間違い」)。

結婚指輪を外そうとした妻には「君と生きていきたい」と引き留めます。

新宅にメンバーを招いたり、パーティーを開いたりして、繕いますが、フレディの心はずっと何かを恐れているようです。

天使ジム・ハットンが告げる「本当の自分」とは何なのでしょう?

PP2を過ぎて、メンバーを失い、友達になりたかった妻メアリーも失い、上っ面の関係であったポールすら失います。

そして、人間が誰しもが恐れるものと直面します。エイズによる「死」です。

ここはPP2として機能させることもできました。実は時間的には「104分78%」なので、ほぼPP1の目安時間におかれています。

しかし、ここがPP2的に見えないのは、バンドメンバーと仲直りした後に置かれているからです。すでにアクト3に入っているのです。ビッグバトルの「ツイスト」として置いているのです。

このシーンがここにあることによって、クライマックスの「ライブ」はただのライブではなくて「命を賭けた」闘いのように見えるのです。

もしも「死の自覚」をPP2に置いていたならば、メンバーに謝罪するシーンなどのセリフが大きく変わったでしょう。「ライブエイド」で演奏したい理由が切実になるのです。

事実との折り合いはわかりませんが、可能であれば、そうした方がアクト3の勢いが増したとは感じますが、別の問題も出るかもしれません。

ともかく「死の自覚」後、エイズであることをメンバーに告白し(時代的にゲイの告白とも言えるでしょう)、本当の自分になってジム・ハットンと会うのです。

つまり、死を前にして「本当の自分」になったのです。

とはいえ、かなり好意的に解釈しました。

やはり、セクシャリティの問題としての部分が出過ぎている印象で「死と向き合う」アークとしては堀り切れていないとは感じます。

この映画は、

第91回アカデミー賞では、作品賞を含む5部門にノミネートされ、主演男優賞、編集賞、録音賞、音響編集賞の最多4冠を獲得した。(ウィキペディアより)

だそうですが、キャラクターアークを「死」まで掘り下げ切れていたら脚色賞もとれていたと思います。

主演男優賞は、言われてみれば「まあ、たしかに上手かったな」ぐらいの印象でしたが、編集賞は脚本、演出とあいまって納得の巧さだと思いました。

以上、プロットアークとキャラクターアークに解きほぐして説明してきました。

キャラクターアークは主観的になりがちなので、分析の入口としてはプロットアークが重要です。

この映画はクライマックスがライブシーンなので、やはり「クイーン」の映画なのです。

フレディ・マーキュリーという人間を描いたものではなく、クイーンというバンドを描いたストーリーなのです。

二本にわけて考えるという分析法は僕のやり方ですが、一般的なビートシートのように一本でとろうとするなら、両者の中間をとったようなビートシートにすると思います。

分析はあくまで解釈に過ぎず、大切なのは、巧い部分を盗んだり、欠点を見つけたりして、自分の創作に活かすことです。正しい答えはありません。

緋片イルカ 2021/02/22

●補足
記事を書いて録音した後に読んだ、映画と事実との関連などで気になった外部記事を紹介しておきます。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』が語らなかったフレディの悲劇

『ボヘミアン・ラプソディ』ゾロアスター教とフレディの複雑さ
※この記事にもありますが(読んでませんでしたがウィキペディアにもありました)監督のブライアン・シンガーはクレジットされているけど降板していたそうです。

『ボヘミアン・ラプソディ』の凄みはポール・プレンターにこそあると思う。

パールシーとしてのフレディ・マーキュリーの葛藤/『ボヘミアン・ラプソディ』

フレディ・マーキュリーの生涯の恋人、メアリー・オースティン。

この映画は「リモート分析会」でとりあげた作品です。
今後もAmazon Primeの見放題作品から選んでいきますので、分析にご興味ある方はAmazon Primeの申込をおすすめしておきます。

3月が多忙のため、次回は4月前半を予定しています。Amazon Primeの見放題が終了する作品だと困るので、開催の一ヶ月以内になってから告知いたします。今のところ、作品の候補などはありません。

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