まったり散歩「青の洞窟 SHIBUYAに行ってみた」(2018/12/1)

人がなぜ夜が好きなのかというと非日常だからだ。朝起きて、昼に活動して、夜眠るのが日常。だから夜に活動するのはいつもとは違うワクワク感がある。哺乳類はもともと夜行性が多いらしいが、もしかしたら太古の記憶のようなものもかき立てられるのかもしれない。

イルミネーションというと恋人のデートスポットという印象があって毛嫌いする人もいる。「そんなところに行くのはマスコミが作りあげたイメージに踊らされるバカな人」などと言うかもしれない。けれど現場に行きもせずに「くだらないもの」と決めつけてしまうのも、また影響を受けている証拠だ。バカを批判している人が賢いとは限らないように、イメージに踊るのも、踊らされまいと片意地を張るのも一歩引いてみれば同じではないだろうか。

好き嫌いの好みは自由だけど、作家は好きでも嫌いでも足をはこんで自分の目で見て書くことは大切。古い刑事ではないが、小説は足で書くものだと思う。

公園通りから、誘うように輝いている。
これぐらいでは東京ではまあ、わりとよくある風景であるが、この先を予感させる演出は物語論でいう「冒険への召命」、非日常への招待状だ。

坂を上って行くと信号の先に青く彩られたケヤキ通りが見えてくる。

土曜の夜なので混んでいるとは思ったが、道幅が広いので圧迫感はない。カップルばかりかと言えば、当然、そんなことはない。女性グループもいれば、家族連れもいる。外国人もいる。のんびり歩く老夫婦もいる。21時近かったの学生は見なかったが、もう少し早ければ必ずいる。ときどき枯れ葉が散ってくるのが、なんとも言えない。

並木道の先に何か建物があるので行ってみると、売店と小型のアトラクションだった。列ができていて入りはしなかったが、鏡張りに青いライトだらけの室内がチラっと覗けた。ああ、これが「青の洞窟」なわけか。冒険の最奥部に「洞窟」があるというのはラスコーの洞窟壁画を思わせる。

父親と三人兄弟の息子たちが歩いていた。前を行く父と二人の兄に、少し遅れておいかける末子。母親は見守るようにさいごから歩いてくる。

明日、この父親が死ぬと想像してみる。
この兄弟たちにとって、この人工的な青いLEDの光が特別な意味を持つにちがいない。

原宿駅から帰ろうと道を折れると、途端に道が暗くなった。日常。
日常的に生活している人にとっては近所でイベント事をされて人が集まるのを、いい迷惑だと感じる人もいるだろう。
だけど、いろんな人がいて、いろんな重いの中で、みんな生きていく。
人が集まるところに行ってみると、そういうことがよくわかる。

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