「きまぐれ」

 一昨日の日曜日は私の誕生日だった。十八になった。もう十八かと思った。
二ヶ月になる彼と朝から会って、いつもの店でいつものコーヒーを飲んで、「何処へ行く?」と聞かれたので、「帰る」と答えた。彼はしばらく黙ってから、「じゃあ駅まで送る」とぼそっと言った。
電車に乗って考えた。駅に着いて家までの五分の道で考えた。
「もう別れよう」
と、メールを送った。
彼を嫌いになった訳ではない。それはほんとうだ。なのに同じくらいにもう一緒に居たくないとも思ってしまった。二ヶ月前はもっと楽しかった。その頃に戻りたいだけ。この気持ちを表す言葉を私はまだ知らない。
私には友達がたくさんいる。ほんとうは友達という程の仲ではない人の方が多い。でも周りから違いはわからないんだろう。彼はよく嫉妬した。その気持ちに応えたいと思ったらしぜんに友達に素っ気なくなってしまった。友達という程ではない一人に付き合いが悪くなったと言われた。その分彼との付き合いがよくなったのだからいいと思ってた。
友達――仲のいい方の友達に別れた事を報告した。相談するような仲ではないが報告ぐらいはする。
「もう別れたの? 何で?」
 彼女の言葉で二ヶ月が「もう」に集約されてしまった。ちゃんとした二ヶ月だったのに「もう」という程度でしかないのかと思ったら、ちょっと淋しくなった。認めてしまう私。そんな短い期間に私の何が変わってしまったのかな?
 彼との付き合いがよくなると彼は喜んでくれた。私も嬉しくなった。間違っていないんだと思った。だけどいつの間にか私の何かが変わってしまって、何かが違うと思うようになって、私が変わってしまう何かがあったか思い出そうとしたけど、見つからなかった。彼は次第に私が居ることを当然と思うようになっていた。変わってしまったのは彼の方かもしれない。確かに息苦しかったけど、彼のせいではない。当然のように思わせたのは私なんだから。
 別れた理由がわからなくて、そのままメールを無視した。
 着信。彼からだった。
 ひどく泣いていた。
 私より五つも年上で、働いてて、その上まだ目標があって、そんな大人の彼が私に振られて泣いていた。
真剣過ぎて、自分がテレビドラマの冷たい女と重なって見えた。嫌いな女優の演じる冷たい女。そんな事を考えてしまうほど私は冷静で、彼の真剣についていけなかった。とにかくすべてが煩わしかった。
 昨日。学校に行くのがめんどくさかった。めんどくさいは私の口癖。いろんなときに使える便利な言葉。満員電車に乗るのもめんどくさいし、途中誰かに会えば挨拶しなくちゃいけないのも、無視したメールの言い訳をしなくちゃいけないのも、続きを聞かれて別れた理由を作らなくちゃいけないのも、授業中彼の事を思い出してしまうのも、みんなみんな、めんどくさい。「めんどくさい」でないのもあるけど、考えるのもめんどくさい。
 こうやって生きてきた。だらだらと十八年間も。中学に上がるときは何かを期待した。いろいろあったけど、結局なにもなくて、高校は何かあるところに入るんだって決めて、実力よりちょっと高かったけど今の学校を受けて、受かったときはすごく嬉しくて泣いたぐらいだったのに、今の自分にはそんな涙が馬鹿馬鹿しく見えてしまう。高校での思い出も恋人が出来たくらいで、それももう終わった。そろそろ進路を決めなくちゃいけない。めんどくさいけど。行きたい大学なんてない。どうせ何もないのはわかってる。
 家に帰って一人になったら、なんだか泣きたくなった。彼はすごく真剣に泣いていた。私の涙と彼の涙をはかりにかけてみた。彼に決まってる。私はあんなに真剣に泣けない。電話の向こうで自分の好きな人が泣いているのに私はテレビドラマのことを思い出していて、次の日も平然と学校に行き、何もなかったようにやり過ごして……。
 瞳から涙が溢れてきた。くやしいような、さみしいような、せつないような、めんどくさくはない気持ち。この気持ちを表す言葉を知っていれば、別れた理由も説明できるかもしれないのに……。

 今日は彼と会って話すことになっている。彼の仕事が終わるまで私は街をぶらぶらして、こうして待ってる時間がもったいない気がした。けど、他にすることもないんだからもったいなくもない。歩き疲れていつもの店でいつものコーヒーを頼んで待った。
 初めてのデートの時と似ていた。彼は急な仕事が入った。遅れてきた彼はすごく真剣に謝った。私はちっとも怒ったりしてなかったのに、必死に謝る彼が可愛かった。
 あの時は待ってる時間がもったいないなんて思わなかった。待たなきゃいけない時間じゃなくて、自分の意志で待ってる時間だったから、かな? 自分の意志で彼と付き合っていた。これから何かが起こるんだって期待していた。それは起こった。一通り起こってもう終わってしまった。もう何もかもが。
 自殺。一瞬、その言葉が頭をよぎった。ほんの一瞬だけど。それもめんどくさい。だって、どんな方法でとか考えたり、どうせなら痛くない方法がいいし、準備するのも……。違う。死にたい訳じゃないから、自殺は違うよ。
「ああ」
私は思わず声に出してしまった。その時、私の考えは一番底のところまで落ちたらしい。底なしでどこまでも落ちていくと思ってたけど、そんなことはなかった。ちゃんと底があって、そこまで落ちた反動で気分が高揚していく。不思議なくらいに気持ちが明るくなってくる。そわそわしてきて、この気持ちは何ていうんだろう? 名前はわかんないけど、初めてのデートの時に似ている。中学の入学式の前日にも、高校の合格が決まったときにも似ている。
まだ彼が来ないかと気持ちが早った。来たらこの気持ちの名前を聞いてみよう。そうだ友達にも聞いてみようかな、あの子は知らなそうだけど、あの子なら。誰でもいいから教えて欲しい、とにかく誰かと話したい。そうだ、進路のことも相談しよう、誰かに。彼にも? そう、彼にも。彼ともう一度やり直せるかもしれない。彼がいいと言えばだけど、言うに決まってる。どうしたの?って聞かれたら、何でって言おうかな。説明できないけど。なんとなく。きまぐれ。それ、「きまぐれ」でいい。私は気まぐれな女なのよってさらっと言ってみよう。許してくれるかな? 許してくれなかったら仕方がない、頑張って許してもらう、新しい恋人を探すのもそれはそれでいい。私、まだ十八だもん。
いろんなことが前向きに浮かんできた。彼はまだかと時計を見たら、たったの五分しか経っていなかった。
(了)

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