「心の旅」としてのビートの意義を考える

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前回につづいてモノミスに加えられた心理学的な解釈について考えていきます。

民話(昔話)や神話はご存じのとおり、人物の感情や動機がほとんど描かれていません。アニメや絵本にするときには子供向けに道徳的な価値観が加えられますが、基本的にキャラクターの心情は問題になりません。構造があれば充分でした。

しかし、構造だけでは現代人は満足しません。現代の物語には感情的なリアリティが必要です。
「桃太郎は鬼退治にでかけました」という行動の説明だけではなく、「鬼に村が襲われる→恐怖に怯える村人達」→「桃太郎自身も怖いが、誰かがやらなくてはいけないと決断して鬼退治に行くと言う」→「村人達は驚き、育ての老夫婦は心配して引き止める」→「それでも桃太郎の決心は固い」→「老夫婦の心配は消えないが、せめてもときびだんごを持たせてやる」……と、主人公や周りのリアクションを交えて展開していくことで必要なのです。

モノミスの基本構造は「主人公(英雄)が、宝物を得て、帰ってくる」でした。
むかしは「宝物」は物質的で、村を繁栄させるものでよかったものが、今では精神的な価値が求められるということです。桃太郎が「鬼の財宝を奪って帰ってくる」だけでよかったものが、「鬼が奪った村の宝物を取り戻してくる」などでないと共感を得られないのです。その宝物は、村の存続に関わるという設定を加え、桃太郎の行動を正当化もします。神話を信じられない現代人は、中途半端な理屈では納得してくれません。

時代が進み、物質的に豊かな社会になるにつれ「宝物」はさらに精神的なものへとなっていき、「自分探し」「幸せ探し」のような『青い鳥』型のストーリーが生まれます。メーテル・リンクの『青い鳥』』は1908年の発表で、我々には古典ですが物語の歴史で言えばかなり新しいのです。桃太郎の得る「宝物」は物質ではなく「鬼との和解」といった事実でもよいのです。村人と鬼の争いを仲裁して平和をもたらすことができれば、現代では英雄と呼べるでしょう。もちろん国と国の戦争といった現代的なテーマを重ねて見るからです。

飛行機や船の発達し、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周 』では現代人の興味はあまり惹けなくなりました(この小説自体はレトロな味わいがあって楽しめます)。海外旅行といえばハワイ旅行がせいぜいであった時代なら、「丸の内のOLがインドに旅する話」と聞けば珍しかったかもしれませんが、今ではどこかで聞いたストーリーです。近年、アメリカで宇宙飛行士を題材にした映画が多いのは、以前はサイエンスフィクションの題材だった「宇宙」が、旅行先へと認識されるようになったからではないでしょうか。

さて、「プロットポイント1」で始まる旅は非日常とも言い替えられます。ロードムービーのように移動する旅の物語も健在ですが、「平和な家庭に、出所した父が帰ってくる」というような非日常の始まりで物語が成立するようになってきました。
「旅」は物質的な宝物を得るためではなく、精神的な成長を得るための「心の旅」でかまわないのです。その旅で得る「宝物」は「心の成長」です。

ビートに「心の旅」としての解釈を加えていくと次のようになります。

1:日常の世界(ビートでいえば「主人公のセットアップ」で見せておく)
 主人公は平和に暮らしています。物語をドラマチックにするためにも「不足」か「過剰」の設定が必要です。不足であれば「むなしさを感じる」「孤独を感じる」「やりたいことをやれていない」といったことが考えられます。精神的な過剰は「仕事が忙しすぎる」「母親の干渉が多すぎる」など。もちろん、どれも一例に過ぎません。(「不足」「過剰」については「アラン・ダンダスの物語の最小単位」)。
 ここではわかりやすくするため、一つに絞って「独り暮らしで、話し相手もいなくて孤独な老人」としておきます。わざと、なるべく地味でつまらなそうな題材で示します。

2:「カタリスト」
 それらの「不均衡」を変化するきっかけが訪れます。これは外的な事件のビートです。「近所のゴミ拾いボランティアに誘われる」とでもしておきます。

3:「ディベート」「デス」
 主人公は誘いを拒みます。これは主人公の性格にもよって展開を変える必要はありますが、誘いをすぐに引き受けてはいけません。簡単な誘いで変われるほどの性格であれば、主人公の「孤独」がウソになってしまいます。むしろ、そういう付き合いがあるのであれば、孤独ではないのです。だから、主人公が「ボランティア」をしようと思うためには「デス」が必要です。精神的に追いつめられて変わらざるを得なくなるのです。例えば「脳梗塞を起こして倒れて、たまたま通りかかった人に助けられたが、部屋だったら死んでいただろう」とか「自分と似た生活の友人が、アパートで孤独死していた」など。

4:「プロットポイント1」
 ボランティアを始めていきます。老人の内面がきちんと伝わっていれば、ボランティア程度が、彼にとって大きな旅であることが伝わります。

5:「バトル」「ピンチ1」
 当然、ボランティアを始めたからといって、突然変われるはずはありません。孤独な生活が長かった彼は、うまく話せなかったり、イライラして辞めたくなったり、失敗します。それでも助けられたりしながら、続けていきます。ボランティアを始めることで出会った人は、老人が部屋に籠もっていたら出会うことがない人でした。旅に出たからこそ出会えた人物です。こういうキャラクターとの出会いはサブプロットとなり、ビートでいえば「ピンチ1」です。

6:「ミッドポイント」
 そして老人は宝物を手にします。それは「友情」とも言えるかもしれませんし「社会とのつながり」と言えるかもしれません。物語としては言及する必要はありません。部屋で孤独に暮らしていた老人と、仲間と一緒にボランティアをしている老人を比べれば、自ずと伝わることです。

 短いストーリーならここまでで終わってもかまいませんが、これ以降は「フォール」としてボランティア解散の危機が迫ったり、「ピンチ2」で助けてくれた仲間が倒れてしまうとかがあって「オールイズロスト」で旅は終わります。つまりボランティア活動がおわります。老人は再び部屋に戻ります。しかし「宝物」を得た老人は、自分が英雄であることを証明するために再始動します。「ビッグバトル」として過去の自分と似た人物の説得をするかもしれません。

このようにビート≒モノミスには、キャラクターの心の旅としての「成長」が求められるようになったのです。
英雄とは物質的な「宝物」を手に入れた者だけでなく、精神的な成長をとげたものをも含むことになるのです。
明日は「英雄」ということを軸に、キャラクターロールやユング心理学のアーキタイプについて考えていきます。

「キャラクターロールとアーキタイプ」はこちら

(緋片イルカ2019/01/19)

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