八百屋のオレンジ(文学#94)

あなたがオレンジを買いに八百屋に行ったとします。

「オレンジをください」

ところが、店主がリンゴを取って寄こします。聞き間違えたのでしょうか?

「リンゴではなく、オレンジをください」

「だから、オレンジをとっているだろう」と、店主が苛立つ。

会話が通じないことに驚き、もしかしたら嫌がらせをしているのかもしれないと、あなたも苛立つ。

次に出る言葉は罵り文句になるかもしれません。

どうして店主はリンゴをとったのでしょうか?

「俺の店ではこの赤い果物(リンゴ)をオレンジと呼んでいるんだ」

リンゴやオレンジといった一般名詞は、社会的に常識なので、この店主が本気で言っているとは思えない。だから「嫌がらせをしているのか?」と感じます。

けれど、本当の本当にこの店主の主観の中では赤い果物=オレンジと認識されていたのであれば、どうでしょう?

店主の気持ちになったとき「オレンジと言われて、オレンジをとっているのに文句を言われる」と感じる。だから苛立つ。「オレンジをとってるだろう」と。

一般名詞ではなくて、抽象的なものだったらどうでしょう?

「愛をください」と、親や結婚相手や恋人に伝えたとします。

相手が与えてくれるものが、あなたの求める「愛」とは違ったら?

逆もまたしかり。あなたの与える「愛情」は、相手にとっては迷惑なだけという可能性もあります。

同じようなことは「正義」とか「幸福」といったことでも起きるでしょう。

あなたが店主の表面的な言葉に囚われず「この人は赤い果物をオレンジと呼ぶ」ことを理解したとします。

2つの選択肢があります。

1つは「あなたの認識は社会常識として間違っている」と相手を説得します。

相手が受け入れれば「知らなかったよ。教えてくれてありがとう」と変わってくれるかもしれません。

けれど「誰に何を言われようとも、俺にとってのオレンジはこの赤い果物のことだ」と頑なだったら、また争いが起こります。

自分が「正しい」とか「博識」だとか思っている人は、自分の考えを相手に押しつけがちです。

そもそも、あなたの目的は何だったのでしょうか?

オレンジを手に入れることです。

店主が「赤い果物をオレンジと呼ぶ」のであれば、別の言い方をすれば良いのです。

「そこにあるオレンジ色の果物をください」というと、店主は混乱するかもしれませんが「その果物を下さい」と言えば、オレンジは手に入ります。

「それじゃ、わからない」と言われることもあるかもしれません。

ハンドジェスチャーが国によって違うように、自分の常識が通じないのは言葉だけではありません。

「相手を理解する」とか「多様性」だとか、そういったことを大切だと思う人もいれば、「くそくらえ」だと思う人もいるでしょう。

「世界中が平和になればいい」なら多くの人が思うでしょう。

「世界中」という言葉には、自分や自分の家族も含まれるので、そこまで大きく括れば多くの人は、まあ反対しません。

けれど「平和」には、またそれぞれの価値観があるでしょう。

他所で戦争が起こっていても自分の生活が「平和」だと思っている人もいれば、そうではないと危機感を持つ人もいます。

「平和」という言葉を巧みに利用して、お金儲けしている人もいます。

八百屋の店主のように、人によって「平和」の認識は違うのです。

人間や世界が、そんな風に成り立っているという「視点」を持つことは、良い物語を書くために必要な能力です。

ある本に「作家はレフェリーのようなものだ」という喩えがありました。

よくわかります。

主人公の視点に偏ったストーリーはプロパガンダです。

敵対するキャラクターをチープな悪者に仕立て、作者自身の価値観を、読者に押しつけているだけになりかねません。

そういう一方的なストーリーには嫌悪感を示す人もいれば、信者がつくこともあります。

極めて公平なレフェリーとして書いたとしても、ストーリーの結論だとか主人公の選び方に作者の「視点」が滲みでてしまうでしょう。

それは作家が書く上では避けられないことかもしれません。

だとしたら、作家は自分の言葉に責任を負う必要があるのかもしれません。

間違えることは誰でもあります。

あなたが赤い果物をオレンジだと思うのなら、そう書けばいい。

反論を受けるでしょう。

どんなことを言っても、誰かしらは反論してきます。

身近で話しているだけなら出会わなくても、広いところで発言すれば、そういう人に出会う可能性がたくさんあります。

承認欲求で物語を書いている作家は、自分のストーリーを賛美するファンが増えることを望みます。

やり方が違うだけで、宗教のグルと変わりません。

あなたは世界をどうしたいのか?

その「視点」を持つことは、作家のコアとして、一番大切なのではないかと僕は感じます。

(深夜の思い付きに書く)

緋片イルカ 2024.1.19

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