時間経過というごまかし:「バトル」の機能(三幕構成#39)

映画『ワンダー 君は太陽』の記事で、書き慣れていない作者がテーマから逃げるために「物語内の時間を飛ばして、事件が起きているように見せること」「登場人物を増やして、脇役の説明、心情に時間を使うこと」をよくやってしまうと書きました。

今回は前者を中心に、どうして、そういうことが起きるのかということを説明していきたいと思います。

時間を飛ばすとは?

まず「時間を飛ばして事件が起きているように見せる」とはどういうことなのかを確認します。

『ワンダー』では主人公の少年が「初めて学校に通い始めて、クラスメイトと仲良くなっていきます」

あらすじで書いてしまえば、違和感はありませんが、作品にしたときにはシーンで描く必要があります。

仲良くなる過程を「どんなシーンで描いていくのか?」が大切なのです。

『ワンダー』では、理科の得意な主人公が、苦手な生徒にカンニングさせるというきっかけがあり、その後は、昼食などを一緒に食べながらの簡単な会話のあと、家で遊んでいるシーンなどが、連続的に入ります。

曲とともに時間を経過させるモンタージュシーンという手法ですが、これで、二人の友情が完成してしまうのです。

ここに作者と観客の間にズレが起きます。

作者の側では1週間、2週間と時間が経過すれば、それだけ仲良くなったと考えてしまうのですが、観客としては遊んでいるようにしか見えません。

「たくさん遊んだ」ということは伝わりますが、二人の友情が深くなったとは感じないのです。

これと似たようなミスはさまざまな作品で、起きています。

たとえば「ミステリー作品」で、犯人を捜すための捜査をするとして、

「Aさんに聞き込み。犯人は男性らしい」

「Bさんに聞き込み。20代の髪の長い男だった」

「Cさんに聞き込み。バイクに乗って逃走するところを見た」

書き手(とまぬけな探偵)は捜査しているつもりになっていても、観客からしたら「いろんな人に聞き込みした」というシーンにしか見えないのです。

捜査が進展していません。ストーリーが進展していないともいえます。観客はワクワクしません。

進展する場合には変化があります。

「Aさんに聞き込み。犯人は20代の、髪の長い男で、バイクに乗って逃げた」

「Bさんに聞き込み。男ではなくて、女だった。イヤリングを落としていった」

「Cさんに聞き込み、そのイヤリングはDさんのものである」

はじめに書いた聞き込みでは「犯人の容姿について聴く」ということを繰り返しているだけですが、進展する方では聞き込みをするたびに「犯人は男?」→「いや女?」→「容疑者が現れた」と、捜査内容に変化が起きているのです(※これでもまだまだ2時間サスペンス並みの段取りくさい展開なので、面白くするには、もっと変化させる必要があります)

そういえば『鬼滅の刃』の第三話でも、主人公が修行するシーンがありましたが、モノローグで「半年修行した」「一年半かかった」と言っているだけで、中身がありませんでした。

修行の中で、どういう壁にぶつかって、どういう方法で乗り越えて、強くなったのかを、シーンとして描かなくて「強くなりました」という設定を説明されているだけなのです。

「バトル」の機能

ブレイク・スナイダーのビートシートでは、アクト2に入り、ミッドポイントへ行くまでのビートは「お楽しみ」「Bストーリー」しかありません。これは、欠点のひとつです。

ログラインや構成表をつくって「主人公と友人が仲良くなっていく」というところまでストーリーが作れても、いざ、本文を書くときに何を書いていいかわからなくなってしまうのです。

このサイトで紹介しているビートシートでは「バトル」というビートを入れています。神話論では「試練」と呼びますが意義は同じです。

むかしの男の子向けの熱血マンガなどに「ライバルと殴り合った後に仲良くなる」といった展開がよくありました。

これは「バトル」のひとつの形です。人と人が仲良くなる方法の一つは「全力で向き合うこと」です。

殴り合いまでしなくとも、不満をさらけ出したり、泣いたり怒ったりするほどに感情を吐露したあとは、関係性が変わります(こういうシーンが描けない作者は、経験として本気で何かと向き合ったことがないのかもしれません)。

心理学でいう「吊り橋効果」というのもあります。パニック映画やホラー映画では、一緒に逃げた相手とは自然と仲良くなっても違和感がありません。これは恋愛、友情どちらでもいえます。『ワンダー』で仲良くなるきっかけとしてカンニングをさせるというのも、これです。

「秘密の共有」にもなります。「誰にも言っちゃダメだからね?」などと言って秘密を話すことは信頼の証です。

「相手の意外な一面を見る」というシーンもあります。いやな奴と思っていた相手が、誰かに親切にしているところを見て、認識を改めるのです。

敗北の連続によって、成長を見せることもできます。修行のシーンであれば、何度も何度も失敗するシーンを描いた末に、ようやく成功することで、頑張ったことがシーンとして出てきます。

ここに挙げたのは一例に過ぎませんが「仲良くなる」とか「成長する」のに意義のあるシーンを、しっかり積み重ねることで、観客も主人公の変化を感じられます。

関係を深めるシーンが「バトル」というビートであり、「成功」か「失敗」(あるいは「勝利」か「敗北」)があってというビートは機能します。

トーナメントの1回戦、2回戦と勝ち上がっていくように「信頼関係を築いていくこと」で、ミッドポイントに到達し、主人公は成長や変化するのです。

時間が経ったから成長するという理屈は、設定の説明にしかなっていません。

「時間経過」させただけで、主人公の変化を描いたつもりになっていると、観客とのズレが起きてしまうのです。

冒頭にあげた、初心者がやりがちなミスのもう一つ「登場人物を増やして、脇役の説明、心情に時間を使うこと」は、シーンを描けない作者が、ページを埋めるために、主人公から視点をズラすことによって起こります。

キャラクターアークをしっかり描けていないという意味では原因は同じです。

ほんとうにをキャラクターアークしっかり描こうと思ったなら、サブキャラクターなんかに割く時間はありません。

一番、中心として描きたい人物を主人公に据えるべきともいえます。

どうしても描きたいサブキャラクターがいるのなら、主人公として別作品にすればいいのです。逃げ勝ちな作者はその別作品でも、また、他のサブキャラクターばかり描こうとして、逃げてしまうかもしれませんが。

緋片イルカ 2021/01/08

SNSシェア

フォローする