キャラクターコアとwantの確認(中級編27)

三幕構成 中級編(まえおき)

三幕構成の中級編と称して、より深い物語論を解説しています。

中級編の記事ではビートを含む用語の定義や、構成の基本、キャラクターに対する基本を理解していることを前提としています。しかし、応用にいたっては基本の定義とは変わることもあります。基本はあくまで「初心者が基本を掴むための説明」であって、応用では例外や、より深い概念を扱うので、初級での言葉の意味とは矛盾することもでてきます。

武道などで「守」「破」「離」という考え方があります。初心者は基本のルールを「守る」こと。基本を体得した中級者はときにルールを「破って」よい。上級者は免許皆伝してルールを「離れて」独自の流派をつくっていく。中級編は三幕構成の「破」にあたります。

以上を、ふまえた上で記事をお読み下さい。(参考記事:「三幕構成」初級・中級・上級について

超初心者の方は、初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」から、ある程度の知識がある方は三幕構成の作り方シリーズか、ログラインを考えるシリーズからお読みください。

定義

先日、キャラクターコアとwantの違いを質問を受けたので、まとめておきます。

まずは定義から。

キャラクターコア(CC):その人間の本質的なもの。根元的なもの。

want:その人の願望、目的など。「〇〇したい」と簡単に言えるもの。

図にあるとおり、キャラクターコアは深いところにあるもので、そこに基づく表層的なものがwantと言えます。

具体的に見ていきます。

具体例と解説

映像で考えます。

トップシーンで「走っている人」が映ったとします。

この人が「どこかへ向かっている」ことがわかります。

学生服を着ていて、しきりに時計を気にしていたら、学校に遅刻しそうなのだと察しがつきます。口に食パンをくわえても構いませんが笑

次のシーンで「駅に到着した」とします。

ここまでのシーンでのwantは「駅に向かう」「〇分の電車に乗る」などと言えます。

これは表層的な(図で言う最上部にある)wantです。

こういうwantは、シーンごとに常々変化していきます。

赤信号に捕まれば「はやく渡りたい」とか、改札で残高不足であれば「チャージしたい」といったwantが発生します。

細かい障害によって、細かくwantも変化していくのです。

ちなみに「want+障害」は葛藤の基本原理です。

書く上ではセリフやト書き一行ずつに、細かいwantを意識していかないとキャラクターがブレます。

自動改札が閉まり、残高不足のときに、とつぜん「スマホを出して友だちにライン」をしたら、どうでしょう?

メッセージの内容が「やばい、遅刻する」だとします。一見、このキャラクターの心情としては繋がっているようです。

ですが、「電車乗ってからラインすればよくね?」と思いませんか?

「チャージしたい」というwantを達成して電車に乗り込めば、抱え込んでいるwantが解消されます。

いったん落ち着いたところで、「友だちに連絡する」という新しいwantが浮かぶのは自然です。

もし、残高不足のタイミングでラインをしたとしたら、メッセージの内容は「もう無理、諦めた」でしょう。

これなら、自動改札で「心を折られた」かんじになり、これはこれでキャラクターの心情としては自然です。

このように細かいwantを丁寧に繋いでいくことがキャラクターアークの本質でもあるのです。

「信号を渡りたい」「チャージしたい」という細かいwantは、まとめて言ってしまえば「遅刻せずに学校に着きたい」というwantでしょう。

表層にいくつも湧きあがっている小さいwantに対して、深いところにあるwantがあるのです。

言い方を変えてしつこく説明すると、「遅刻せずに学校に着きたい」という深いwantがあって「信号を渡りたい」「チャージをしたい」という表層的なwantが生まれてくるのです。

このキャラクターが、遅刻することをどうとも思っていなければ、急ぐためのwantは生まれてきません。

図の2段目には代表的なものとして「トラウマ・本心・性格・気質」と書きました。

人間には、簡単には変わらなそうものや、簡単に表には出さないものがあります。

「遅刻せずに学校に着きたい」というwantが生まれてくるキャラクターの2段目には、「遅刻してはいけない」とか「きちんとしたい」といった性格や気質が関係しているでしょう(※もちろん、その日だけは遅刻してはいけない特別な理由がある場合もあります。そんなのは設定や状況により、一つずつ違います。簡潔に説明しているだけです)。

シーンごとにwantが変化するように、「いくつかのシーン」=シークエンスを通して変化していく部分があります。

このあたりになってくるとプロットに関係してきます。

物語全体を通して、つまりはキャラクターアークを通して、主人公が変化するべきは、深いレベルでのwantです。キャラクターコアに近いものとも言えます。

「遅刻癖のある人が直った」という表層的な変化に感動する人などいませんが、「ずっと言えなかった本心を告白してトラウマと向き合う」なら感動しそうです。

心は深いレベルになればなるほど、抽象的になってきます(※そのために映像的に表現するテクニックも必要になりますが、ここでは触れません)。

作者自身の人間観も大きく投影されます。

「両親が離婚して、本当はすごく寂しかったけど言えなかった」というトラウマを抱えていた主人公が、母親に本心を告白したとします。

これで母子の関係が改善するというドラマは納得できそうな流れです。トラウマが「寂しかった」だからです。

次はどうでしょう?

「家族を殺されて、自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱えている」というトラウマを抱えている主人公が親友に告白。

親友に「生きてていいんだよ」と言われて、前向きに生きていけるようになる。

ストーリーの構成としては成立しているようでいて「罪悪感って、そんな簡単に克服できるもの?」という疑問がよぎりませんか?

僕はよぎります。僕ならもっと丁寧に変化させていかなければいけないと感じ、そのように構成・描写していきます。

親友に「生きてていいんだよ」と言われても、主人公は「お前に何がわかる!」と言うかもしれません。

キャラクターの心情と真摯に向き合っていない作家が描くと、キャラクターは安易に変化します。

ストーリーのご都合(あるいは作者の都合)で変化してしまうのです。こういったキャラクターは、人間というより人形やロボットのようです。

物語の教本には「主人公は変化しなくてはいけない」などと命題のように書いてあるので、なまじ物語論を学んだ人がこういった理屈っぽいストーリーを書きがちです。

作者が人間と真摯に向き合っていれば、変化させようとしてできなかったラストになっても、感動的になる可能性は十分にあります。

「変化しようとしたけどできなかった」というドラマだってあるのです。リアリティもあります。

人間を単純化してはいけません。

ですが、wantやビートは単純化する作業そのものです。

ビート分析は表面的で、理解を深めるための目安として行うものです。

表面的だとわかった上で、あえてwantを拾うのです。

これも、なまじ学んだ人に多い勘違いですが、ビート通りに書けば感動的なものが書けると思うのも、大きな間違いです。

表面的な物語の力学として、アクト1でwantを示して、観客が主人公を掴みやすくしておくことは効果的です。

あざといと分かった上でなら、積極的に使うべきです。

ですがwantなど示さなくても、深いキャラクターコアを示す描写力があるなら、それに優るものはないでしょう。

作者はビートによる物語の力学を学ばなくてはいけないし、同時に人間というものに深い見識を持つように目指さなくてはいけません。

前者は「プロットアーク」に、後者は「キャラクターアーク」に相当します。この違いがしっかりと、わかれば中級以上です。

分析上の使い分け

このサイトおよびライターズルームでの分析法は、僕のやり方に基づくので、僕自身の分析経験が影響しているので、そのあたりからの補足をしておきます。

はじめ「キャラクターコア」という言葉を考えて、それをビートとして拾おうとしたとき、wantとして描かれていると感じました。

ハリウッド映画では表面的なwantではなく、本心が滲み出ているようなwantが、アクト1のカタリスト前に置かれています。

wantを示した上で、カタリスト(最初の事件)を起こすのは物語の力学にも適います。

CGアニメなどでは、トップシーンでモノローグでwantが示されているほど露骨に置かれています。

邦画などで明確にwantが置かれていないため、主人公が何をしたいかわからない、場合によっては何の物語かすらわからないといった作品と比べたとき、あざといぐらい露骨にでもwantを置いている方が効果的だとわかります。

この観点は僕が分析によって感じたもので、違う意見もあるでしょう。

僕は自分が絶対的に正しいなどとは思いませんし、従えなどまったく思いません。

ライターズルームでは、新しい意見があれば共有してチームとしての力を向上させていきます(正しいかどうかの討論は興味ありません、効果的かどうかの検証は積極的に行います)。

分析表ではCC=キャラクターコア=wantと表記してきましたが「キャラクターコアとwantはイコールではないのではないか?」という意見をいただきました。

本質的なキャラクターコアを掴もうとする人にはwantとイコールでないのは当然です。

こういった経緯から、最近の分析表ではCCではなくwantと表記しています。僕は。

ですが、CCを本質的に掴もうとする作業が難しい初心の人は、今まで通りCCはwantとして見つければいいと指導しています。

wantを置かないよりは、あざとく置いた方が効果的だから、そこを身につけてもらうためです。

wantをきっかけにキャラクターコア、つまりは「人間とは何なのか?」という深いレベルの理解を目指していくことが中級以上のレベルでは求められます。

繰り返しになりますが「プロットアーク」と「キャラクターアーク」の2本のアークをとれることが、中級レベルなのです。

SNSシェア

フォローする