映画『モンスターズ・ユニバーシティ』(三幕構成分析#71)

分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。

※あらすじはリンク先でご覧下さい。
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スリーポインツ

PP1:「ウーズマ・カッパで怖がらせ大会出場を宣言する」(34分36%)

MP:「パーティーで歓迎される(玄関)」(53分56%)

PP2:「サリーがズルをしていたことを知る」(75分80%)

感想・構成解説

前作の『モンスターズ・インク』(分析はこちら)は脚本セオリーが崩れていても面白い成功例ですが、今作はセオリーを破ってつまらなくなっている典型的な失敗例です。

前作でキャラクターの魅力や、モンスターの世界観を提示することは、すでに成功していて、予算も前作より上なのに、脚本を疎かになると、失敗するということがはっきりとわかるとも言えます。(以下の数字はIMDbより)

『モンスターズ・インク』(興収/バジェット比:5.04倍)
Budget
$115,000,000 (estimated)
Gross US & Canada
$290,642,256
Opening weekend US & Canada
$62,577,067Nov 4, 2001
Gross worldwide
$579,707,738

『モンスターズ・ユニバーシティ』(興収/バジェット比:3.71倍)
Budget
$200,000,000 (estimated)
Gross US & Canada
$268,492,764
Opening weekend US & Canada
$82,429,469Jun 23, 2013
Gross worldwide
$743,559,645

※前作に人気があれば、期待から興収は初動が伸びるのは当然。伸びきらなかったという数値に見える。

失敗している要因は、脚本以前の企画段階にもあるようにも感じます。
大きなポイントは以下。

・前作では「サリー」がアークが背負っていたが、今作では「マイク」に背負わせようとしている。非常に危険な変更(トイストーリーのウッディ・バズとも類比)。アークを変えることは主人公を変えることになり、観客は前作の感情を引きずっているので、シリーズもので主人公を変更は危険な作業。変えるなら変えるなりの、新シリーズを始める覚悟で、主人公を立てなければならないが、失敗している。具体的に言うなら、前作のサリーとボーの感情以上の魅力的なドラマをマイクで作らなくてはいけなかった。

・前作では「サリー+マイク」と「ブー」という関係性でドラマを展開していたが、「サリー」+「マイク」にしてしまい、ブーに相当するキャラクターがいないため、人間界との関わりが無く、モンスターの世界がただのファンタジー世界になってしまっている。観客からモンスター達への感情移入のしところがない。結局、モンスターの魅力も活きていない。

・前作で魅力的であったサリーとマイクの友情を壊すような設定。「昔はいがみあってたが、仲良くなった過程」というのをやりたかったのだろうがバディプロットのセオリーにのっとっていないため、ただサリーが嫌なヤツに見えたり、友情の結び方もとってつけたようになっている。ウーズマ・カッパのメンバーも邪魔をしている。2人で参加する大会でも良かったのに、キャラクターをたくさん出したい欲が出たか?

・前作と今作のパッケージを比べるだけでも失敗がよくわかる。(※リンク先で比べてみてください)前作は「マイクとサリー」の友情感が出ているが、今作ではマイクだけ。しかも帽子と本もストーリー上、効果的な役割を果たしたアイテムとは言い難い。サリーと一緒だが、マイクが少し目立つようなパッケージになればよかった(そうなるようなストーリーであって欲しかった)。

・前作で「恐怖」→「笑い」というハッピーエンドの変化を見せていて、それが魅力的でもあったのに、「恐怖」を競う世界観に共感しづらい。それゆえマイクが一番の「怖がらせ屋」を目指すことに共感しづらい。昔だからという「理解」はできても「共感」がしづらい。

・正当な続編は浮かばなかったのだろうか? 例えば「笑い」をエネルギーにする世界に、新たな「恐怖」をもたらす組織が現れて、町がピンチに。平和を取り戻すにはブーの力が必要だとか……いくらでも作れるのに。

脚本は未熟としか言いようがないレベルですが、いくつかのポイントを指摘しておきます。

アクト1:プロローグとして、マイクの小さい頃。このシークエンス自体は悪くない。これからの物語を期待させる。MUの帽子ををくれたモンスターは、ストーリー上もっと活用できたはず。マイクとサリーのバディプロットと考えると「カタリスト」「サリー登場」(16分16%)。くっそ遅い。オープニングシークエンスの7分を別物と考えて、引いてあげるとしても9分。遅い。ランドールが同室のくだりとかもいらなかった。最初からサリーが同室でよかった。この遅れをひきずって、ようやくドラマが動き始める「デス」「学部追放」(29分30%)も、やはり遅れている。前作インクのようにせめて演出上の1/4で何かしてればリズムを保てたが、学園生活のモンタージュをやっている(脚本のビートでいえば「ディベート」
)。つまり脚本だけでなく演出のテンポも悪いということ。

アクト2:「ウーズマ・カッパで怖がらせ大会出場を宣言する」(34分36%)、ようやくウーズマ・カッパの仲間とともに、怖がらせ大会優勝を狙うことになりアクト2へ入るのだが、ここはサリーとの「バディプロット」を動かすべきところが、弱小チームが勝ち上がる「アンダードッグプロット」を動かしてしまっているため、仲間達のキャラ紹介になってしまっていて、二人の感情を掘り下げるシーンが不足している。MPもパーティーで歓迎されるくだりだけで、サリーとマイクの関係が掘り下げられていないため、だんだんと「何の物語」を見せられているのか、わからなくなってくる。子供向けにモンスターをいっぱい見せればいいと思っているとしたら『カーズ2』と同じミスを犯していることになる。パーティーでのMPもダンス音楽ばかりで盛りあげていて、ストーリー上は盛りあがっているように見えないまま、予想通りの「笑い物にされる」(55分59%)「フォール」開始。アクト2後半は大会の決勝戦で、種目自体も、過去に見たことがある怖がらせシミュレーション(観客は前作から見ている)で真新しさも、緊張感もなく、段取り的に、あっさりと勝利して、サリーのズルがバレる。この辺りのサリーの感情も理解できない。ストーリーの都合でズルしたよう。後述するが、アクト3の台詞でサリーの「本当は俺は怖がり屋」という設定はいいが「設定」だけで「シーン」として描けていない(参考記事:説明セリフ・説明シーン)。ズルがバレてマイクが去って行きサリーがおいていかれる。演出的に、せめてサリーを追って欲しいところだが、サリー視点のショットでPP2を見せているところなども、演出のまずさ(これはサリーを主人公とした演出。それをやるなら、サリーにそれなりのセットアップが必要だった)。

アクト3:「人間世界に行く」という展開自体は正解だが、行動原理が理屈っぽい。トップのプロローグでフリをしっかり立てておく(たとえば、幼少期のマイクが怖がらせることができた→俺は怖いんだ!という成功経験を作っておく)だけで、サリーが人間世界へ行く感情に共感できたのに「ただ証明したい」→「人間世界へ」という論理的な行動で動かしてしまっている。理屈は理解はできるが、マイクの気持ちに共感しきれない。サリーが追いかけるのも展開上は正解だが、やはりサリーの感情もご都合。合流したあと、マイクとの会話に出てくるような「本当は怖がり屋」を、アクト1からセットアップしてあれば、「追いかける」ことに「親友のために勇気を振り絞る」といった感情を乗せられたはずだし「大人の人間達を怖がらせる」という(「ビッグバトル」)での克服という展開もできた。またアンダードッグプロットを振ったのであれば、モンスターの世界での「ウーズマ・カッパ」達の行動も欲しかったところ。こういったところからも、脚本・演出の両面からアクト3の盛りあがりに欠けている。失敗しすぎている。大学を結局、退学になるがモンスターズインクには郵便局員として入っていくという設定も良いが、校長との会話なども、段取り臭くて一つも響かない。ちなみにPP1やMPが遅れる映画は多々ありますが、PP2まで遅れを取り戻せていない映画は少ない。PP2の遅れ=アクト3が短い=クライマックスが盛りあがらないのは必然。

キャラや世界観の魅力は、脚本がつくるものだということを忘れてはいけないという戒めになるような作品だと思います。シリーズものはファンが出来てしまっているので、興収はそれなりに上がるし、失敗が紛れがちになりがちですが、惑わされてはいけません。観客の率直なリアクションをみれば、その作品が、本当の意味で成功しているかどうかはわかるのではないかと思います。ファンであれば、これはこれで好きと言えるでしょうが、『モンスターズ・ユニバーシティ』が前作『モンスターズ・インク』より面白いと思う人は、ほとんどいないでしょう。そう、言い切れるぐらいに脚本や演出にレベルの差があります。

緋片イルカ 2022.10.6

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