映画『エスター』(三幕構成分析#130)

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続編『エスター・ファースト・キル』

【ビートシート】

「好き」5 「作品」5 「脚本」4

感想・構成解説

続編を見る前に見直した。以前に見たときも面白いと思ったが、改めて見て、よく出来ていると思った。雑になりがちな(雑さが許容されがち)ホラーやサスペンスというジャンルでしっかりと書かれている印象がある。脚本家を調べてみたら『ショーシャンクの空に』のフランク・ダラボンの元で経験を積みながら脚本を学んだとあり、設定回りを徹底的に固める徹底さなどは納得するものがある。プロットアークという視点で見れば、かなり処理されているがキャラクターアークという視点で見たとき、欠けるものがあり「脚本」は4点とした。ハリウッドにアークを2本で考える捉え方がないのと、ホラー映画というジャンルが、表面上のアクションで良しとしてしまうところに要因があると思う。

先に見直した雨森さんが「観終わってみると、エスターの人生について考えさせられて、少し悲しい気分になりした」と仰っていて、それは2回目ならではの見方だと思った。孤児院で両親と出会ったときエスターは「もし自分の身に何か悪いことが起きても、いいことに変えようとすればいいの」と言っている。初見では「いい子の発言だが」結末を知っている人間には「変えるためには手段は選ばない」という含みに聞こえて、巧いセリフ。ラストで池に蹴り落とされるとき「私を助けてママ」と言う。これはホラー的なセリフにもとれるが、エスターの育ちや孤独を込めた言葉に聞こえなくない。では、全編通してエスターの内面が描かれていたかというと、不幸な生い立ち以上の描写は少ない。それが続編ではテーマにされているところではあるが、本作にももっと入っていたら11年も経ずに期待されたのではないか。つまりエスターをモンスターとしての処理しかしていないため、初見では興味を惹かれないということ。続編では監督も脚本も違うので、本作の人気から商売的な制作の気配も感じる(作者が描き足りないと思って作ったように感じられない)。モンスターに感情移入させることはマイナスになると感じる人もいるかもしれないが「家の中のモンスター」というストーリータイプの中では「罪」というのは重要な要素になる。誘拐されたとか、精神的にこうなってしまったという生い立ちがもう少し情報があっただけで印象は代わった。あるいはホラーの本質には不条理があり「どうしてか理解できない怖さ」という描き方もあるが、そっちにフるのであれば、幼少期のトラウマなんか関係ないという段階を入れる。どちらにフるかは作者の描き方次第だが、全体をサイコスリラーにしているのだから本作においては前者で良い気がする。タイトルもOrphanなのだから、もう少しエスターを掘ってもよかった。

ストーリータイプと合わせて構成を補足するなら「閉鎖的な場所である家に到着するというのがカタリストがセオリー。古典的ホラーでいえば、若者達がロッジなんかに遊びにいくような。本作は到着するというより、エスターを家に招き入れるなので、エスターの到着がカタリストと考えられる。エスターとの孤児院の出会いではないし、いずれにせよ遅い。それまでのシーンで何を描いていたかを分析してみると無駄なシーン、無駄な設定が見えてくる。次のホラーの開始、恐怖の開始がアクト2の開始となるが、本作で言えば、日常ドラマに少しずつ変なことが起きていくので、明確なPP1らしい演出はない。演出(脚本)上でエスターを良い子に見せていたのが、「この子、大丈夫か?」と観客が感じ始めるのは「ハトに留めを挿すあたり」。デスとして機能。次のシーンで「エスターが扉に鍵を閉める」というのも非日常への象徴的な描写。とはいえ、制作者は「エスターが家に来たところ」をPP1と思って、演出・編集してしまっているため、ホラーがなかなか起こらない印象も受ける。トップシーンのホラー的な夢は、あざといがジャンルのセットアップとしては許容される描写。これだけホラー開始が遅れていると、ジャンルを勘違いしかねない。要所要所に無意味なホラーショットを入れてつないでいるのと、家族ドラマ自体がとても巧いので飽きはしないが(この点は『ゲット・アウト』に似ている)、何の映画だったのか忘れそうになる。この映画を昔に見た人に「エスターが家にくる前にどんなシーンがあった?」と言っても、ほとんど思い出せないのではないか?(実際、僕がそうだった)。つまり観客にとってはエスターが来てからが物語の本題、それまでにやっていることはキャラクターの設定のセットアップに近く、丁寧で巧みであるので、見る心地はいいのだが、あとで思い出すと全体からして大した意味がない。その中心にあるのが母親の設定。このジャンルにとっての「家」は逃れられない場所の象徴。古典的ホラーでいえば雪山に閉じ込められたとか、電話が繋がらないとかいった孤立状態など。それを作っているのが母親の「流産したトラウマ」「アルコール依存」+「娘を池で溺れかけさせた」といった設定。設定が多く、主人公のキャラクターコアが掴みづらい。エスターを迎える前に、母は夫に「(流産した娘)ジェシカへの愛を必要とする子にあげたいの」と言っている。この時点でドラマのCQ「母はトラウマを克服できるか?」が発生しているが、池でエスターを蹴り落とすことで、このCQへの答えは出されたと感じるだろうか? 結局、ジェシカへの気持ちは、エスターが想い出のバラを抜くところで終わっている。ホラー演出上の設定に過ぎない処理になっている。トップシーンの夢でフッたにも拘わらずである。「アル中」の設定も、設定としてフリがあるわりに、飲みそうになって飲まず(=本質的な悩みではない)、夫に疑われるシーンのためのフリに過ぎなかった。「娘を池で溺れさせかけた」だが、ビッグバトルのクライマックスは凍った池の上、エスターとは氷の中でのアクション。場所の選びは完璧。だが、もう一度言うが、池でエスターを蹴り落とす、それも「ママ、助けて」というエスターを蹴り落とすことが、母のCQの答えになっているだろうか? たとえば娘も池に落ちて救うというのであれば全く違った。撮影的に娘を水の中に入れることが難しかったかもしれないが、氷に穴に落ちるだけの理由のように、娘が銃を撃つようなシーンにストーリーとして意味が込められているか? 撮影ができないなら、できないなりの処理の仕方はいくらでもある(そういう処理は監督と脚本家の共同責任ではないかと思う)。孤児院でエスターに出逢ったとき個性的な部分を、夫が「母親と似ている」と言う。母親にとってエスターは何の鏡だったのか? ホラーでは鏡の演出が多用されるが、ただ恐怖感を煽るだけでなく、意味を込めることはいくらでもできる。同様の、テーマに関する処理の疑問は息子や父親の行動やセリフにも出ている。とくにMP以降の父は、母を疑うためにだけ動いているようで、夫婦擦れ違いシーンはくどいぐらい。浮気の過去も、やはりエスターにとって都合のいいだけのとってつけたような設定。もっと繊細な描き方や処理もできたはず。設定としてはほとんど突っ込みどころがないが、理屈だけじゃなく、もっと深いレベルでの処理が出来ていたらなら、ホラーを超えた、一本の映画として名作になったのではないか。「脚本」5点はつけられないが、エスターの設定、展開の面白さ(プロットアーク)としてはホラーとしては優れているし、演出も普通にはホラーサスペンスしている点など、良い作品であるのは間違いない。

イルカ 2023.4.9

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