映画『 アパートメント 143』:ドキュメンタリータッチの抱える矛盾

ホラー映画はむかしから好きです。心霊現象のような「未知との遭遇」にドキドキ、ワクワクするかんじが好きなのだと思います。

小学生のころ、宇宙人に連れ去られるとか、臨死体験の特集番組を見て、怖くなった記憶を覚えています。

宇宙とか幽霊といったジャンルが好きなのは、母が好きな影響かもしれません。今は韓国ドラマ見ていますが。

さて、『アパートメント143』は、これといった前知識もなく、Amazonn Primeの無料で見られる作品でみつけて、「あ、ホラーだ。今度、見よう」と思って見ました。

映像が始まって、いちばんの感想は「あ、ドキュメンタリータッチなのか」でした。

ドキュメンタリータッチのホラー映画といえば、何と言っても、

ブレア・ウィッチ・プロジェクト (字幕版)

と、

パラノーマル・アクティビティ(字幕版)

もうひとつあげるとしたら、

クローバーフィールド/HAKAISHA (字幕版)

でしょうか。

どれも低予算で制作されて、大ヒットしたホラー映画です。ブレアウィッチはあまり面白いと思いませんが、パラノーマルは好きです。

手持ちカメラなどを多用したドキュメンタリータッチといわれる撮り方は、低予算で撮れるというメリットだけでなく、リアリティを演出できます。

映画的なショットではなく、ブレたり、ボケたりするショットを入れることで「実在の誰かが撮影した映像」に見えて、幽霊や怪奇現象との相性がいいのです。

それに比べて、同じ映画でも、ストーリー映画(何でもいいのですが、たとえば『スペル (字幕版)』のような)は「あくまで映画」です。

映画の中でどんな怪奇現象が起きても、あくまでフィクションです。ストーリーに三幕構成が明確にあります。

ここに、ストーリーとドキュメンタリータッチの矛盾が生まれます。

ドキュメンタリータッチの映画ではストーリーがしっかりし過ぎていると、作りもの感が出てきて、せっかくのリアリティを潰してしまうし、一方でストーリーがないと、映画としての退屈さが出てしまいます。

『ブレアウィッチ~』はドキュメンタリータッチの手法を確立した作品ではありますが、まさにストーリーが退屈で、中盤で飽きます。

『パラノーマル~』はあくまでリアリティの範囲内で、ホラーを描ききってよくできていました。うっすらとストーリーがあるけど、はっきりとした解決はしなくていいのです。

今回、見た『アパートメント143』はどこで失敗しているのでしょうか?

いわゆる「心霊のプロ」たちが家に向かうところから物語が始まります。

この入り方はドキュメンタリータッチの展開としては悪くない始まりだと思います。

家主が「心霊現象が起きる」(カタリスト)→「怖がる」(ディベート)→「もうダメだ……」(デス)→「心霊のプロ」を呼んでアクト2へ。

という三幕的な段階を踏むと、いかにも作りもの感が出てしまいます。

結果的にストーリーの入りが早いと言えます。

しかし、ここで構成的には別の問題が浮上します。

「心霊のプロ」たちが訪れるところからストーリーを始めてしまった場合、もう一歩、展開が深まる「プロットポイント1」が必要になるのです。

お決まりの「ポルターガイスト」が起きますが、そんなのはクリシェです。急に大音量が出たりすると、観客は驚いたりしますが、しょせん映画です。

じっさいに遭遇したら、それはそれは怖いでしょうが(残念ながらイルカは心霊体験はありません)、サダコじゃあるまい、画面のこちらに危険はありません。

だから、ストーリー上、何度も何度も、怪奇現象が起きても、ストーリーが進んでいるかんじがしないのです。

ストーリーエンジンでいうなら、この手のホラー映画には「ミステリー」のエンジンが働いています。

「この超常現象はいったい何なのだ?」

観客は、それが知りたいのです。けれど、それを明かしてしまったら、ファンタジーやSFのバトルジャンルと変わりません(『エクソシスト』なんて、そんなところがありますね)。

これが、ドキュメンタリータッチとの相性が至極わるいのです。

この『アパートメント143』では「ミッドポイント」で、ストロボ撮影で「女の霊」がはっきりと映ります。

ちなみに、電磁波がどうのといったやりとりは見飽きてますが、ストロボというシーンは初めて見ました。ひとつの描写として面白いと思います。ドキュメントタッチはこういった「描写」に拘らなくては新しいものが作れないと思います。

「ミッドポイント」を過ぎた後、霊媒師を呼んで妻が交霊し「妻の死」が心霊現象の原因だという方にストーリーは流れていきます。

ここで、ドキュメンタリータッチは弱まり、急激にストーリー映画となっていきます。

さいごの激しいシーンは、撮影大変だろうな~とは思いますが、怖いシーンにはなりません。(エンドロール直前の驚かしは、いわゆるホラーのお決まりなのでストーリーからは無視します)。

リアリティのあった人物たちが、急に物語のキャラクターになってしまうのです。この映画が評価されないとしたら、原因はここにあります。

せっかくドキュメンタリータッチで観客を「現実にもこういう怪奇現象はあるかもしれない」という気分にさせておきながら「じつは映画でした」と落とされているのと同じです。

リアリティを貫けていないのです。

緋片イルカ 2021/01/17

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