映画『落下の解剖学』(三幕構成分析#277/WR分析会)

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※あらすじはリンク先でご覧下さい。

※分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。

【ログライン】

サンドラ:成功した作家のサンドラが、夫の転落死をきっかけに殺人容疑をかけられ、裁判の中で結婚生活の歪みを暴かれながら、真実が不確かな中で自らの人生と息子との生活を守る。
ダニエル:視覚障害のあるダニエルが、父の死の真相を巡る裁判の中で、両親の歪な関係と自分への想いに直面し、自分なりの真実を選び取り、母との生活に戻る。

【フック/テーマ】
自殺か他殺か/真実を自分で選び取る

【ビートシート】

Image1「オープニングイメージ」:「なし」
インタビューから始まるので該当なし。

GenreSet「ジャンルのセットアップ」:「ミステリー」
雪深く周りに民家がない状態での夫の死。誰が殺したのか?なぜ死んだのか?という謎解きが始まる。

Premise/CQ「プレミス」/「セントラル・クエスチョン」:「殺していないことの証明」

want「主人公のセットアップ」:「作家で酒好き」
作家であり、学生からインタビューを受けるような存在。学生にさえ酒をすすめる酒好きでもある。夫の爆音BGMに呆れている。

Catalyst「カタリスト」:「夫の死」
息子が夫の死体を見つける。

Debate「ディベート」:「夫を殺したと疑われる」
不審死として殺人を疑われ、旧知の弁護士を呼ぶ。サンドラとしては事故死、または自殺しか考えられない。息子にも事実のみを伝えるよう話す。

Death「デス」:「起訴される」
殺人の疑いがはれず、起訴。日常の死が確定。

PP1「プロットポイント1(PP1)」:「裁判開始」「生活の変化」
裁判の始まり(終了は金曜日予定)
家庭にも変化が起こる。証人でもある息子との生活を維持するために監視役がつく。

F&G「ファン&ゲーム」:「法廷でのやりとり」
警察側の弁護士、証人の発言、サンドラ側の弁護団のやりとりがメインストーリーの面白さ。
観客は一緒に謎解きをしている気分になる。

Battle「バトル」:「尋問」
殺人か自殺かという戦い。事実を詳らかにしていくため、ダニエルへの内面的バトルにも該当。

MP「ミッドポイント」:「録音データ」
前日の夫婦の会話が公開される。関係性があらわになり、夫婦間の問題が公になる。

Fall start「フォール」:「夫婦の内情」
録音データの終盤。性的な問題、浮気、そして暴力音が流れる。サンドラ側の問題点が浮き彫りになる。
本来のミステリーであればフォールで犯人がわかる、もしくは見当違いであることを知るなどが該当する。本作はどちらでも取れるので、空振りのフォールとも言える。

PP2(AisL)「プロットポイント2」:「判決持ち越し」「家庭崩壊」
金曜日になるが、判決は週明けに。
親子間での接触は禁止になり、息子から距離を取られる。一時的に家庭崩壊状態になる。

DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「家を離れる」

BB(TP2)「ビッグバトル(スタート)」:「犬で実験」
ダニエルが父親の自殺未遂した日を思い出し、確証を得るため犬にアスピリンを与える。
ダニエル自身が真実を選び取ろうと動く。

Big Finish「ビッグフィニッシュ」:「無罪」

Epilog「エピローグ」:「息子をこれ以上傷つけない選択」
弁護士と恋愛関係に発展しかけるが止める。観客側の感覚になるが、息子を傷つけないための選択。

Image2「ファイナルイメージ」:「夫のいた場所で眠る」
夫と過ごした書斎の簡易ベッドで眠る。

【作品コンセプトや魅力】

法廷ミステリー、夫婦関係、観客が真実を選び取る、リアルな証言、夫婦の内情を知った子供、視覚障害、子供ための環境、劣等感、自殺、作家、フランス、ドイツ、法廷の制度、裁判の流れ、アルチュール・アラリ共同脚本、ジュスティーヌ・トリエ脚本・監督、パルム・ドール受賞(史上3人目の女性監督)、アカデミー監督賞ノミネート、アカデミー脚本賞受賞(フランス女性監督として史上初)、英国アカデミーオリジナル脚本賞受賞、セザール作品賞・監督賞・オリジナル脚本賞受賞、ザンドラ・ヒュラー主演

【問題点と改善案】(ツイストアイデア)

観客巻き込み型であるがゆえに、共感要素が少ない。なのでテンポが遅く感じられる。
巻き込み型というのを考慮するなら、サンドラは現状維持、ダニエルの物語をもう少し見せるといいかもしれない。
テンポについては警察側の尋問の煽りを減らし、録音データまでを早める。早めた分、サンドラやダニエルの内面にもフォーカスされてほしい。

【感想】

「好き」4「作品」5「脚本」5
内容を把握せずに観ました。最初は他殺で犯人がわかるものだと思っていたので、肩透かしを食らった気分になりました。
ですが、結果がわかった上でもう一度観ると解釈が変わりますね。説得力のある物語に思えました。アクト1でサンドラが言っていたように真実だけが親子から語られていると信じる。すると、もっと感情的なシーンが欲しくなりました。
観客に真実を委ねるような、というより陪審員にする作品なので、これ以上のテコ入れは難しいかもしれません。それでも、もっと感情移入できればと感じえずにはいられません。この物語なら涙しただろうし、これからの親子を応援できたのにと。
こういった感覚含めて、観客巻き込み型が強く目立つ作品なのかもしれませんね。
この難しい構造の脚本とザンドラ・ヒュラーさんの演技があったからこそ、様々な解釈ができたのだと思います。

(雨森れに、2026/3/22)

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分析会にて

担当・進行:雨森さん

●ライターズルームの統一見解
●スリーポインツ
PP1:裁判開始(40分/28%)
MP:夫婦の録音が流される(87分/60%)
PP2:裁判持ち越し(115分/78%)

●採点

好き 作品 脚本
雨森 4 5 5
米俵 3 4 4
太郎 4 4 4
さいの 3 4 4
しののめ 4 4 4
山極 3 5 5
イルカ 5 5 5
平均 3.7 4.4 4.4

●担当者コメント
今回は脚本賞受賞作品から選ばせていただきました。

王道ミステリーのようなエンタメを楽しむものではなく、観客が真実を選ぶというテーマ性が高い物語でした。
何らかの真実が明らかにされると思っていたらそうではなかった。何もわからないまま終わった。そういう部分にメンバーそれぞれが衝撃を受けていました。それが好きの採点に反映されていると思います。
逆に脚本採点は全員高得点となっています。理由としてはテーマが掘り下げられていたことや、観客巻き込み型であること、描写のうまさなどが挙げられました。

また、3ポインツ以外にもビートのすり合わせをしました。話し合うこともなく全員一致でした。王道のストーリー展開でなくてもビートが一致するのは、ルーム内で分析能力が上がってきている証拠だと思います。もちろん、作品の脚本家がすごいのは言うまでもありませんが……今後もよりよい創作をするための刺激になった回でした。

イルカ解説

●三幕構成としての構造分析
この作品のアクト1は「夫の死」から事件が始まり(カタリスト)、妻が疑われて起訴されるまでが描かれ(ディベート)、ついに起訴される(デス)ことで、アクト2の法廷へと舞台は移っていく。妻にとっては初めての裁判、それも夫を殺した容疑者として疑われているという非日常が始まります。

アクト2は有罪/無罪という判決を決めるための裁判ですが、その実、「夫の死は自殺か」それとも「妻が殺したのか」の真相を求める闘い(バトル)が展開されます。判決が出るのはアクト3に入ってからなので、分析に慣れない人にはPP2が少し見分けづらいかもしれません。こういう作品は、後半のクライマックスから逆算していくことで構成が見えてきます。

アクト3では、妻に無罪判決が言い渡され裁判に決着が着きます(ビッグフィニッシュ)。この「無罪を勝ち取る」ための最大の闘いがクライマックスとなる闘いです(ビッグバトル)。その闘いがどこで始まっているかを探ります。「息子の証言」は大きなシーンです。しかし、「息子が親元を離れて証言するかどうか迷う」ところから闘いは始まっているといえます。すると、週末を挟んで「判決が持ち越しになる」ところが、アクト2とアクト3を分ける切れ目になっているとわかります。

アクト1:事件発生から起訴まで
PP1:裁判開始
アクト2:裁判でのやりとり
PP2:裁判持ち越し
アクト3:息子の証言

以上、雨森さんおよびWR(ライターズルーム)がまとめてくれたように、PP1とPP2は同じです。これで三幕の構造はつかめます。あとはアクト2の中から、折り返し地点となっているようなMPを探していくことになります。分析会では「夫婦の録音が流される」がミッドポイントという意見で一致していて、僕も「演出的な派手さ」という観点からも、これで良いと言ったのですが、この記事を書くにあたって細かく映像を見直してみると「夫婦の録音が流される」はフォールにする方がしっくりくると感じて、ミッドポイントは別の地点に変更しました。詳細は後のビート解説で説明します。その前に3点、この作品の特徴を掴んでおきましょう。

●エンタメミステリーの裏にあるメッセージ
ミッドポイントは保留したままでも「妻が疑われ、裁判を経て、無罪判決を得る」という法廷ミステリーの構造が浮かび上がります。しかし、これは外面的な構造を掴んでいるに過ぎず、この作品の本質ではありません。この作品はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。ただのエンタメ作品でないことは明らかです。映画祭の審査員たちが、何を感じ取って、この作品を選んだのか想像してみることはヒントになります。ただの「良く出来たエンタメミステリー」ではパルムドールは受賞しないでしょう(映画祭の相性としても)。ちなみに、この作品が受賞した回の審査委員長は、僕が好きなリューベン・オストルンド監督(代表作『フレンチアルプスで起きたこと』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』)で、この作品を好むことに共感がありました。

映画のラスト、妻は裁判で無罪は勝ち取るものの、夫の死が「殺人」なのか「自殺」なのか「本当は何があったのか?」は明らかにされません。明らかにされないので事故だった可能性だってあります。そのことに驚きや苛立ちを覚える人がいるかもしれません(むしろ、そういう人のが多い?)。最後の最後で「妻が殺した証拠」(例えば凶器)が出てきて犯人だったとわかるようなドンデン返しや衝撃のラストがある訳でもなく、エンタメミステリーとして捉えるなら「良く出来た」どころか肩すかしの失敗作に見えます。しかし、それは失敗しているのではなく、あえてやっていないのです。エンタメ性を担保しつつ、作り手の伝えたいテーマを優先している作品で、そのテーマこそが評価された作品といえます。このことを理解しなくては、今作は楽しめないし、パルムドール受賞の価値も理解できないといえます。

エンタメ映画は作り手が、答えまですべて示してくれる作りになっていることが多く、こういう映画に慣れていると「最後は自分で考えてください」というオープンエンドなどに抵抗感を覚える人がいます。あれこれと考察するのが好きな人もいて、そういう人には自分なりの答えを出すのが楽しみかもしれませんが、作り手が「映像の文法」を守っていないために誤解からそうなってしまっている未熟な作品や、作り手の奢りや不親切でそうなってしまっている自惚れ作品も多くあります。ストーリーだけを考察していると取り違えてしまうこともありますが、演出面と合わせて映像作品として分析をしていくと、作り手の意図は明確になってきます。『落下の解剖学』でも「妻が殺したのか?」というストーリーの真相だけを追うと答えは出ませんが、演出を含めて「作り手がどうしてこういう作りにしたのか?」「それを通して何を伝えようとしているのか?」ということを掴むと、明確なテーマを投げかけている作品だとわかります。そこがただの考察系の映画との大きな違いです。

監督・脚本、さらに編集までしているジュスティーヌ・トリエは「妻が殺したのか?」は断定できないようなシーンを並べながら、妻が怪しいと見えるような演出をしていています。意図的にしているのです。映像が作り込まれているので、シーンを細かく考察して、妻が「殺した証拠」あるいは「殺してない証拠」を探すというストーリーだけを負うアプローチは徒労に終わります。どうあがいても「断定できない」ということがわかるだけです。トリエ監督が伝えたいのは、そういう「断定できない」ものを見せられたときに人(観客)がどういう態度をとるかということであり、このテーマを伝えるためには「断定できない映像」でなければらならなかったのです。

●殺人か? 自殺か?
ストーリー上、事件の真相が断定できない作品だからといって、トリエ監督は「世の中って、わからないことがあるよね~」などという無意味なメッセージを伝えたいわけではありません。セリフやシーンの節々から、監督が伝えようとしているものを受けとれば、「妻は殺していない」として描いていることが分かります。分析会では同じくテーマから読み解くアプローチをとっている方がいましたが「妻が殺した」とする方がこの作品からメッセージを感じるということを仰っていました。断定できない作品なので、「妻が殺した」という解釈が間違いとは言えませんが、それだと、トリエ監督の意図と合わない部分がでてくると僕は感じます。これについてはビート分析のあとに考えます。

監督の意図は、演出、セリフ、構成などから確信的な推測ができるものです。もちろん、世の中には、大した意図もなく撮ったり編集したりしている信頼できない作り手も多くいますが、一流のクリエイターはワンショットの画角やショットの時間といった細部にまで意図を込めて映像を作り上げます。編集までやるトリエ監督ですから、この作品は信頼できる(意図を汲み取るに値する)クリエイターといえます。信頼できるクリエイターの作品は、設定やストーリーの矛盾などはなく、キャラクター描写も一貫していてブレていることもありません。

このあと詳細に見ていきますが、「妻が殺した」と捉えると、いくつものシーンに関して「妻が演技していた」「ウソをついている」などとった解釈をしなくてはいけないことになり、無理があると感じます。断定はできないので「すべてが演技だ!」という解釈を否定する根拠はありませんが、それは例えば「これはすべて夢なんだ!(作品内では明示されてないけど)」と解釈するようなものだと思います。「妻が殺していた」とする場合、監督のメッセージも変わってしまうので、この点も最後に考えたいと思います。

●この作品の主人公は誰か?
妻はストーリーの中心にいるので主人公に見えます。いわゆる「主演」に近い一般的な意味では、妻が主人公と考えて問題ありません。妻を演じているザンドラ・ヒュラーは本作でアカデミーとゴールデングローブで主演女優賞にノミネートもされています。しかし、この作品の妻は、他の映画との主人公の印象とはずいぶん違っていると思います。プロットタイプによっては、ストーリーの中心になっているキャラ(主演にもなる)とは別に、ストーリーを動かしたり、観客の視点となるキャラが設定される場合もあるので、分析をするときは安直に主演=主人公と思ってはいけません。

妻は共感されるタイプの主人公ではありません。例えば「冤罪をかけられた妻が、真実のために裁判で闘い無罪を勝ちとる主人公」であれば、わかりやすく観客は共感して、勝訴の際には感動するようなタイプのストーリーになるでしょう。主人公が「容疑者」となる場合でも、観客が最初から無実だと感じる場合と、そうでない場合があります。前者なら『逃亡者』、後者なら『ボーン・アイデンティティー』などが浮かびます。『落下の解剖学』には「逃亡要素」はないのでサスペンスはありませんが、主人公の立て方として比較してみるとヒントになるかと思います。『逃亡者』のハリソン・フォードは最初から無実を主張していて、それを証明するには自分自身で証拠を見つけるしかないと逃亡する正義を求めるヒーローで、共感しやすいキャラクターです。『ボーン~』のマット・デイモンは記憶喪失のため「自分でもやったのかどうかわからない」という状態から始まるため、観客もわからない状態で真相を求めてシリーズを追っていくことになります。『落下の解剖学』との違いは、最後までに真相がわかるかどうかです。「妻が殺したのか?」の真相が明らかにされないだけでなく、妻は正義のヒーローのような主人公らしい演出がされていないため、観客はこの人を信じていいのかどうか分からない気分にさせられます。

主人公に「共感させる」というのはエンタメとしては常套手段で、興収にも関わりかねません(※ちなみに『落下の解剖学』の興収は制作費の5.8倍なので、主人公に共感されなくてともしっかりと成功しているといえます)。「共感」は一見すると素晴らしいことで、例えば社会的な弱者や見過ごされてきた存在を主人公として描く作品によって、多くの人の目が開かれるといったことがあります。一方で、正義のヒーローに倒される側は「悪」とされ、否定されることにより偏見を助長することもあります。このことをテーマにしているのが、この『落下の解剖学』です。

主人公とは「観客の視点となり、ストーリーを担い、テーマを背負うキャラクター」ですが、2つの意味では妻が主人公といっても問題ありません。しかし、共感しづらいことから「観客の視点」となっているとは言えません。アクト2に入ると観客は傍聴席に座って裁判を見守る立場に立たされます。あるいは陪審員席で有罪/無罪を一緒に考えさせられるような作りともいえます。この立場に一番近いキャラクターは息子です。アクト2では傍聴席に座っています。息子はもう一人の主人公といえそうです。分析するにあたって、息子の動きは注目しなくてはいけないでしょう。

また、ミステリーでは真相を追究する「探偵役」が必要です。アクト2で容疑者を追及する検察官や、妻の弁護士などは、部分的に、この役割を果たしていますが、あくまで「裁判として仕事をしている」だけで、最後まで真相には辿り着けません。他に「探偵役」を担っているキャラがいるでしょうか?

以上、3点、前置きが長くなりましたが、この辺りを意識しながらビート分析をかけていきましょう。

●アクト1
「オープニングイメージ」:「犬」
雨森さんの分析では「インタビューから始まるので該当なし。」となっていますが、そんなことはありません。この作品が、どんな映像から始まっているか見直してみてください。たしかにトップシーンからインタビューは始まっていますが、映像として映るのは「階段からボールが落ちてきて、降りてきた犬が拾って、上がっていく」です。ボールが落ちてくるのは、もちろんタイトルの「落下」とかけたものです。犬の存在意義、犬がボールをもって上がっていくことの意義は、この段階ではわかりませんが、明らかに作り手が意味を込めた「オープニングイメージ」といえます。「ファイナルイメージ」と対になるので、意義は最後にわかります。

「主人公のセットアップ」:「曖昧な受け答え」(誤解されやすい人)
妻は学生のインタビュー以降、カタリストである「夫が死んだ」シーンまで登場しないので、セットアップはインタビューシーンしかないと言えます。例えば、先述した「無実の妻が法廷で争う話」として主人公に共感させるパターンとしてあれば、夫の死より前に「はっきりと夫を愛している描写」とか「妻が殺していない証拠」などを見せておくことになります。後で、それらがウソだったと引っくり返るような展開になっても構いませんが、いったんは「夫を愛している妻が、夫の殺人容疑で疑われて……」という展開になるようにセットアップすることがエンタメとしてビートを機能させるというです。このインタビューシーンでは夫への感情は明確に掴めません。だから、夫が死んだ後に語られる「愛していた」などの言葉を素直に受けとっていいのかわからず、観客が妻を疑ってしまう理由の一つになっています。意図的に曖昧なキャラクターとしてセットアップされているといえますが、「主人公のセットアップ」を意図的に機能させていないという捉え方をしても良いと思います。通常「主人公のセットアップ」に失敗したまま、物語が展開すると、主人公に共感できないまま、物語の世界に入り込めず満足度も下がるといったことが起きますが、この作品では、まさに共感させないことで「信頼できない主人公」を作り上げています。つまり「主人公のセットアップをあえてしない」ということが、ある種のセットアップになっているとも言えそうです。雨森さんの分析では「作家であり、学生からインタビューを受けるような存在。学生にさえ酒をすすめる酒好きでもある。夫の爆音BGMに呆れている。」とあり、これらも描かれている要素であり、設定の部分として注目しておくに値します。「作家」や「酒」は、妻への疑いを補強する要素ではありますが、作品の一番の焦点ではないと言えます。こういった描写を通して、作り手が「主人公を観客にどう思わせたいか」という視点がビート分析では大切になってきます。また、インタビュアーの「どこが事実と架空の境い目か読者は知りたくなる」「そう思わせたいの?」というセリフは、メタ的な発言として、この作品自体のテーマを伝える「プレミス」の一つといえそうです。

「want」:「事故だと思う」→「自殺の主張しかない」
主人公の願望や目的を表す「want」は構成上のビートではなく、キャラクターアークに関わる要素です。「主人公のセットアップ」と同時に示されることが多く、ここでは時間が前後しますが(カタリストより後のシーンですが)、雨森さんが分析表で「自殺の主張しかない」という部分を拾ってくれているので補足しておきます。弁護士との打ち合わせで妻は「私は殺してない」「(自殺の可能性は)私も考えたけど、息子の前で自殺するはずがない、それは想像できない」「事故だと思う」と言っています。これを妻の率直な意見ととるか、夫が死んだあとなのでウソをついているととるかは解釈が分かれるかもしれませんが、ウソだとする=妻は殺していて無罪になろうとしているというwantがあるとするなら、自分で呼んで、味方をしてくれている弁護士への態度として相応しいかと考えると、僕は違和感を覚えます。また、ここで真相はどうあれ、「自殺の主張しかない」という弁護士の言葉を受けて、次のシーンでは「夫が錠剤を吐き戻した可能性がある」ということを思い出します。これも、本当に思い出したのか、弁護士の言葉を受けてウソをでっちあげたのか、解釈が分かれるところです。ちなみに、この電話をかけているとき息子が気づいたように振り向きますが、聞こえているのか、内容までは聞き取れていないのか。あとで、裁判中にこの話が出たとき、息子は「知らなかった」と答えます。いずれもどうだったのかは断定できません

「カタリスト」:「夫の死」
事件、ミステリーが始まる。説明は不要かと思います。

「ディベート」~「デス」:「妻が疑われて起訴されるまで」
一連のシークエンスで、ここもビートとしては特筆することはありません。シークエンスが長く、やや冗漫にも感じられます。エンタメ作品であれば、テンポが悪いと言えます。しかし、トリエ監督が「何故このシーンを入れたのか?」と考えることで演出意図が読み取れます。ここまでのシーンで捉えておくべき3つの観点をあげておきます。

①犬の視点
妻と息子が、夫の死体を見つけたシーンでは、動かずにこちらを見つめる犬の長いショットがつづきます。犬は何を見ているのか? 犬の視点ということにメッセージを込めているのは明らかです。次の現場検証のシーンでも、犬を追うようにカメラが動きます。これも意図的に犬の視点で撮っているのです。そして、部屋に入った犬は夫の写真を見つめます。まるで犬が真相を解き明かす探偵役かのような演出です。この後、検死のシーンが入り、過去の家族写真とともにオープニングクレジットが入ります。クレジットはシークエンスの切れ目に入れるものなので、これより前はすべてセットアップだったともいえます。そのセットアップで、犬を探偵役としてセットアップしていることの意義は大きいといえます。また、この犬は息子の盲導犬であることも忘れてはいけません。

②妻の動揺
夫の死体を発見したとき、妻が誰かに電話をしています。相手は、後のシーンで登場する弁護士かと思われますが、激しく動揺しています。「妻が殺している」とすれば、これは演技ということになりますが、他のシーンなどから判断して「この妻はそれほど器用な人間でしょうか?」と「妻犯人説」を信じている人に問いかけておきたいと思います。弁護士と話した後、ベッドで泣いている息子に対して「つらいのはママも同じ」「でも頑張っていつも通り暮らさないと」と励ましの言葉をかけます。観客によっては、冷静すぎる、配偶者を亡くした人の態度に見えないと感じるかもしれませんが、この段階で観客は夫婦の関係性を知りません(最後まですべてを知ることはないのですが)。こういった態度だけ見て、妻の態度を批判することは、観客自身の「自分なら」とか「一般的に」というバイアスで、この妻を見ているに過ぎません。現実社会でも被害者が元気に笑ったり、人生を楽しむことに不快感を示す人がいますが、他人の一部を見て「この人は〇〇だ」と決めつけることを、観客に疑似体験させることが、この作品のテーマそのものです。このシーンでは、妻は夫を思い出すように、不意に感情がこみ上げて泣きそうにしますが、これも演技とするのでしょうか? 取り調べや裁判で、演技するのはともかく、視覚障害のある息子の前でまで演技をする必要があるのかは疑問がありますし、この妻は「冷静で誤解されやすいタイプ」であり、「夫との関係には過去には愛情もあったが、最近は問題を抱えていた」という描写で一貫されているように感じます。人間に対する解釈は、どうしても主観的な余地が残るので「僕は感じる」という程度にしか明言できませんが、その根拠となるシーンは今後もいくつか挙げていきます。

余談ですが、トリエ監督は主演女優のザンドラ・ヒュラーに、妻が無実かどうかは伝えず「無実であるかのように演じてほしい」と演出していたそうです。もちろん、制作者のインタビュー発言などは、作品の解釈を断定することには使えません。作り手がテーマを語っていても、作品がそのテーマを伝える構成や演出になっていなければ(=観客として作品からそのテーマが感じられなければ)、作り手の独りよがりに過ぎません。作品は完成した時点で、作者からは離れてしまっているので、作り手の発言は、参考には使えても、答えとしてはいけないのです。

③息子の証言の不安定さ/母との関係
息子は警察の現場検証で両親の会話を聞いた場所が勘違いだったと訂正します。母を守るために嘘をついたのかも知れませんがわかりません。夫の死の真相と同様、少年の発言の真偽も最後まで断定できません。幼い少年であること、さらに視覚障害者であることが、証言者としての不安定さを増長しています。観客としても、息子もまた「信頼できないキャラクター」として感じられ、そのようにセットアップされているといえます。そして、別のシーン。夜、ピアノを練習する息子と妻の会話。ここで音楽についても拾っておきます。夫が爆音でかけている曲は、裁判シーンでも語られる50セントの「P.I.M.P.」で、女性を蔑視した歌詞とのこと。作中で何度かかかる、耳障りなほどの音の大きさが、夫の内面を暗示しています。一方、息子が練習しているピアノはアルベニスのアストゥリアス、曲自体の意味に繋がりはなさそうですが、巧く弾けず何度も練習しているところに少年としての未成熟さが象徴されています。妻が隣に座って弾くショパンのプレリュードは母子の関係性を暗示し、これから裁判の中で、共に曲を奏でるかのようです(父の爆音に負けないように)。しかし、息子は逃げるようにピアノから離れます。息子の複雑な内面描写がされています。ソファに移動した後。現場検証で矛盾をしたことに「自分に腹が立つ」という息子。母は「ウソはついてないでしょ?」「記憶と違うことを言わないで」「ママは大丈夫」と告げる。このシーンを母子の会話ととるか、母が殺しているバイアスをかけて「息子まで利用しようとしている」とするか。利用しているとすると、どのような証言を誘導して有利に進めようとしているのか狙いがなさすぎるとも感じます(ちなみに妻を「夫を殺したが逃げ切った」とするならアクト3での息子の証言がすべて母の誘導の結果となるが、そうは見えない)。

ビートに戻ります。

「デス」は「起訴される」ですが、丁寧に情報を拾うと検察の発表では理由が3つ挙げられています。

①「(夫の)頭部に殴打が加えられたとみられること」「殴打された場所は3階バルコニー」

②「現場検証で複数の矛盾が出たこと」

③「USBに残されたファイル」「事件前日の夫婦の会話の録音」

リアリティとしては凶器が見つかっていないのに起訴に踏み切ったのは、検察はやや攻めたように感じますが、ないとは言えません。もしかしたら、検察にも妻=作家であり外国人に対してのバイアスがあって「絶対に有罪にしてやる!」という勇み足があったのかもしれません。主題はミステリーでないので問題はないでしょう。ともかく、この3点を焦点にアクト2に入っていきます。

アクト2に入る前に、息子と犬の視点も振り返っておきます。息子視点でビートをとると、

「カタリスト」:父の死を発見。息子は見えないが犬が一緒にいて、第一発見者は息子ではなく、実は犬。余談だがスヌーヴという名前はスヌーピーからとっているらしい。

「ディベート」:犬は息子の目となり事件の真相を見ようとしている(客観的な探偵役)。息子は主観的な感情として「母を守りたい」と思いつつ現場検証に立ち会ってるようにも見える。

「デス」:現場検証での失敗。これによって、自分のせいで母が起訴されてしまう。

共感しづらい妻に対して、傍聴席で裁判を見ている息子は観客と同じ立場にいます。息子にも断定できない演出を維持して、息子に共感させすぎないようにコントロールされていますが、アクト3で主人公ともいえる動きをする息子の視点はアクト1から掴んでおく必要があります。

また、息子と犬との関係性について、盲導犬という立場から単純なペットではなく、息子と犬は一心同体。ストーリー上の扱いもニコイチのようなものだと捉えるべきでしょう。息子が犬を風呂に入れる描写や、枝を投げる様は、やや乱暴にも見えますが、これも可愛がっているのペットではなく、完全なパートナーである関係性を示しているともいえるのではないでしょうか。「犬+息子」がこのミステリーにおける探偵役であるとも捉えられます。

●アクト1の解釈
アクト1の話を「妻が殺していた」とすると、以下のようになります。
妻はインタビューにきた学生が帰り、息子が散歩に出た隙に夫を殺害した。あるいは口論の末に事故が起きた過失かもしれない。妻は古い友人の弁護士を呼んで、事故を主張するが、裁判になれば自殺説にした方が良いと言われ、錠剤を吐き出してきた可能性を思い出し(あるいはでっち上げ)、裁判に向かっていく。息子や弁護士と話すときの夫への態度などには、演技も含む。

「妻は殺していない」とすると、どうでしょう?
妻は学生インタビューを受ける日、学生が帰り、息子が散歩に出た隙に自殺か事故が起きた。妻は古い友人の弁護士を呼んで、率直に事故だと推測するが、裁判になれば自殺説をおした方が良いと言われ、錠剤を吐き出してきた可能性を思い出し、裁判に向かっていく。妻は冷静で、誤解されやすいところがあるが、基本的には率直な人間で、疑われる恐怖から隠したり、小さなウソをついてしまっている。

どちらとも解釈できます。妻の怪しい言動としては、弁護士が「自殺で」と言った直後に、錠剤を吐き出していたかもしれないと言い出したり、前日に口論をしていたことを隠していたこと、手首の痣については後にぶつけたのはウソであったと語られますが、この時点でもやや怪しさはある。これらは不自然な行動ともいえますが、リアルな人間でも、戸惑いや恐怖から、このような曖昧な態度をとってしまうとも感じます。また、いずれも、殺したという明確な証拠ではありません。そういったことから、僕は個人的には演技やテーマなど後者の「妻は殺してない」で受けとりますが、作品としての価値は徹底的に「どちらとも解釈できる」ようになっていることです。解釈ではなく、分析として捉えるなら「どちらとも言える」となります。

●アクト2前半(MPまで)
「PP1」:「裁判開始」
起訴の発表のあと40分あたりで裁判所の映像が入ります。アクト2=非日常=法廷のシーンが始まったといえます。アメリカ映画のような非日常の演出としては弱いですが、観客として始まったという印象を受けます。

WRで別意見を挙げる人がいませんでしたが、「PP1」を「裁判開始」とするなら、52分あたりの1年後というテロップが入った後、本格的な公判シーンが開始してからがアクト2ではないかと感じる人もいるのではないかと思います。三幕構成すなわちスリーポインツだけで分析していると、このような迷いが生じます。分析に慣れた人でも、直感に頼らず。この可能性は考えた上で、最終的に判断するのが大切です。

結論を先に言うと、1年後の公判開始は「ピンチ1」というビートが当てはまるので「PP1」は、上記の40分で問題ないといえますが、なぜ、そうなのかをしっかりと説明できるところまでがビート分析です。

40分~52分にあるシーンを、以下に拾っておきます。

①メディアの反応(41分)
この作品においては、メディア=世間が、この事件を(この妻を)どう見るかということが大切な視点でもあるので、メディア視点(カメラ目線のショット)が入ることは、ただのストーリーの説明以上の効果がある。つまり、状況を説明するためだけなら妻や弁護士の会話で進めればいいところを、しっかりとメディア目線でストーリーを進めている。アクト2入ってすぐにこのシーンを置いているのは監督の意図である。作り手によっては、説明のためだけに安直にメディアを使うが、それは説明的な平凡なシーンになり、主人公との距離をつくる(感情移入を邪魔する)原因となるのでマイナス。今作においては、むしろ主人公から観客を引き離す効果を生んでいる。

②音声ファイルについて、弁護士との会話(42分)
弁護士は音声ファイルがあったことを、妻が話さなかったと責める。ミステリーとしては妻が隠していたように見える。一方、妻の言い分は「録音の内容は事実を反映してない」「思わず感情的になった時の発言が、そこだけ切り取られて提出されたら、歪められた事実が証拠とされてしまう」「実際の私たちとは違うのに」。妻が隠していたというバイアスを外して、冷静に彼女の言葉を受け取れば、至極真っ当なことを言っている。妻の言葉に対して弁護士は「事実かどうかは関係ないんだ」「問題は君が人の目にどう映るかだ」と言う。これらもすべて「プレミス」ともいえるセリフ。その後の会話では「大事なのは君の周りに、味方がいるかだ」→「誰もいない」→「ダニエルがいる」。つまり、ダニエル=息子を味方にできるかどうかの闘いであるという「セントラルクエスチョン」ともいえる。「プレミス」や「セントラルクエスチョン」はアクト1に置かれることが多いが、アクト2にあってはいけないということはないので問題はない(ただし効果は弱まる)。

③息子の元に監視人がつく(44分)
息子に対して友達になろうと言うが、息子は距離を保つ。新キャラクターの登場はアクト2に入って以降に起きる「ピンチ1」の可能性が高い。この作品では監視人がメインストーリーの裁判に影響することはないので「ピンチ1」とはいえず、ただのサブキャラクターの登場である「サブ1」と捉える。

④妻、息子、犬、監視人の散歩(47分)
息子のフランス語を復唱して練習をする妻。裁判への準備である。妻がうまくフランス語を話せない言葉の壁は、「妻が誤解されやすいタイプ」という設定の補強であり、彼女に対するバイアスを助長する設定として効果的。

⑤落下の実験をしている遠景(47分)
これは後の証言のための伏線シーン、落下を映像的に見せることサスペンスをリマインドする効果、会話シーンが多い中での編集のリズムなどの効果はある。ストーリー上は特に大きな意味はないが、妻が眺めるところから見せるため、妻が何かを考えているように見え、それが妻犯人説の演出にもなっている。

⑥証言の練習(48分)
妻のセリフ「順番があるのね」「ただ話すだけじゃダメだとは、知らなかった」。このセリフに合わせて、口元のアップが映される。この演出は一般的に「喋ることに注目させる」ショット。今作でいえば「ウソをついている」あるいは「きちんと彼女の言葉を聞いて」という演出にもみえる。演出なので、観客の受け取り方次第だが、どちらともとれるような巧い演出。このショットの後、妻はスイッチが入ったように裁判用の話し方になる。しかし、すぐに夫の鬱病の話になり、「夫のイメージを守り、息子を傷つけないように」したいと迷いも見せる。この妻の態度は夫を殺して、裁判を逃げ切る犯罪者の演技だろうか? 不器用っぽい言動すらも演技だろうか?

⑦息子のピアノ(52分)
1年後のテロップとともに、息子のピアノが上達しているのがわかる。時間経過の表現でもあるが、1年間の練習の成果として息子の成長も表している。髪型も少し大人びている。アクト2として「裁判開始」をして準備を進めてきたなか、「公判開始」によって、ストーリーが一歩進む「ピンチ1」といえます。息子の映像で時間経過させているところからも、息子にとっては、ここからが「PP1」ともいえる。息子にとっては母が殺したのか、信じるかどうかの闘いが始まる。

以上、40分~52分で展開されるシーンを拾ってみました。「プレミス」のようなアクト1にあってもよいシーンが置かれていたり、なかなか裁判が始まらない印象があるので、52分を「PP1」とすることも、適切な分析だと思います。ちなみに、そちらの解釈をとるのであれば、息子視点の「ピンチ1」を「裁判長に呼ばれて、傍聴するなと言われる」シーンとします。僕としては「裁判が始まった!」という印象を40分で受けるので、ビートとして機能していると捉えます。分析に小慣れてくると、直感的に「PP1」と感じられることが多くなりますが、必ず別の解釈も疑って意義を考えた上で断定していくことで分析力は高まっていきます。

ビートに戻ります。

上記と重複するシーンがありますが「バトル」のシークエンスをざっくり拾います。
裁判がメインストーリーなので「バトル」は裁判に関するシークエンスです。

バトル①「保釈を勝ち取る」
バトル②「インタビューした学生の証言」
バトル③「息子の証言」
バトル④「落下の科学的検証」
バトル⑤「精神科医の証言」
バトル⑥「夫婦の音声ファイル」

雨森さんの分析表では、バトル1を「学生の証言」のところにしていますが、PP1を40分にしたなら、保釈どうこうの裁判所シーンをバトル1でありF&Gであると捉えるべきです(アクト2に「入った!」感とF&Gは関連するもの)。また、創作の際はシークエンスを組み立てることで構成を立てやすくなります。分析の際にも、バトルを大きく捉えておくと創作の力が養われます。

これらのバトルは、検察が起訴の会見で発表した事由、
①「(夫の)頭部に殴打が加えられたとみられること」「殴打された場所は3階バルコニー」
②「現場検証で複数の矛盾が出たこと」
③「USBに残されたファイル」「事件前日の夫婦の会話の録音」
に基づいている展開ということにも注目しておきましょう。MPでは検察の最後の切り札的な音声ファイルが公開されることで、裁判が「行くところまで行った」というミッドポイント感があります。もちろん、夫婦喧嘩のフラッシュシーンまで入り、演出的な派手さとしてもミッドポイントな感じがあります。それで、分析会では、僕も同意見の立場をとりました。

しかし、ミステリーの構成として捉え直しておくと別の解釈もできます。分析は一作品として捉えることも大事ですが、他の類似作品と比較することで、プロットタイプとして掴みやすくなり、その方が創作の際に有用なことも多いので、僕はそうしています(分析はあくまで創作のためにやっている)。

ミステリープロットの視点で見直して、ミッドポイントを捉え直します。
妻が「殺したかどうか?」の真相はさておき、妻の「want」は「無罪判決を受ける」ことで、厳密な意味での「無罪を証明する」「真相を証明する」ではありません。探偵役の弁護士や検察官も同様で、「有罪/無罪」のための追究が裁判では展開されます。一方、「want」として「真相を知りたい」と思っているのは息子(と観客)です。以上の「want」を掴んでおくことで、アクト2が掴みやすくなります。

各「バトル」では、どちらが優勢か、すなわち、有罪/無罪のどちらに傾いているかは判断しづらく、観客によって受け取り方も違うでしょう。そのため、アークとして上昇しているのか(無罪の流れ)、下降しているのか(有罪の流れ)が判断しづらく、それがミッドポイントのつかみづらさにもなっています。

「MP」:「弁護士の信頼を得る」
先に探偵役として「検察官」「妻の弁護士」「息子+犬」を挙げました。検察官は裁判中以外のシーンはありませんので無視して問題ありません。妻の弁護士は、裁判中は仕事上、妻の味方に立ちますが、彼が「妻が殺していない」と信じているかは不明です。アクト1では「事故」だと思うという妻に対して仕事上の発言ではありますが、「それは誰も信じない」「僕もだ」と答えています。その後、音声ファイルがあることを言わなかったことを責めるシーンがあり、次は81分あたり夜に二人で飲むシーンがあります。僕はここをミッドポイントとしました。「夜に二人で語り合う」というのはミッドポイントによくあるシーンでもあります。このシーンでは「妻と弁護士の付き合いが長いこと」「初めてあったときに弁護士は妻に恋心を抱いていたこと」が明かされながら「君を信じている」と伝えます。セントラルクエスチョンであげた「味方をつくれるかどうか」を達成した点と解釈できます。弁護士が個人的な感情から信じているように見えるのは、観客が知りたい客観的な「妻が殺したかどうか?」の真相には関係がないので、共感しづらくしてありますが、それもトリエ監督のコントロールです。演出上、観客をここで「妻は怪しくない」と思わせることが狙いではないからです。ですが、弁護士は信じたのです。「私は動物に似てない人は信用しない」妻とに対して、弁護士は「犬に似ている」と言います。この作品にとって「犬」がどういう存在として置かれているかを踏まえれば、このシーンは妻に好意的なシーンです。もちろん、酒を飲みながらのシーンなので、妻がアルコールを勧めて(学生にもそうしたように)、弁護士を仲間に引き寄せようとしたと「妻殺人説」の捉え方もできますが、すでに弁護士として働いているシーンを見ているので、その必要は感じません。アクト2以降のアークが上昇か下降かは捉えづらいですが、下降として妻の気持ちとしては追い詰められて、弁護士に「どう思っているのか?」と聞いたシーン、弁護士が信じているという意味では上昇したシーンともいえ、このシーンをミッドポイントと僕は解釈することにしました。ミステリープロットでは真相に迫る有力な情報を得たりする(リワードを得る)シーンがMPに置かれることが大いのですが、リワードとして弁護士の信頼を得たともいえますし、まだ判決が出たわけではないので、ミッドポイントらしい偽りの勝利、False Victoryともいえます。

次のシーン、ベッドで寝ている息子の元で「みんなが言うような恐ろしい悪人じゃない」と語ります。ここでは「monster」という単語にも注目。さらに「パパは最良の伴侶だった、私はパパを愛してた」「どう証明すればいい?」と語ります。ここも重要なシーンなので、しっかりと確認しておきます。

●アクト2後半(フォール以降)
「フォール」:「音声公開」
これらのシーンの後、裁判の前に、裁判長が耳打ちをされて一度退出します。これは何のシーンかわかりづらいのですが、セリフで「彼がどうしても……」とあり、裁判長が着席した後、息子が入ってくることからも、息子が新しい証言をしたいと伝えたシーンです。これまでなかったイレギュラーのことが起きている感じが、物語の方向が変化した演出にもみえます。

そして、夫婦の音声が公開されるシーンに入ります。ここでは、夫の生きて喋っている映像が映ることで、盛り上がるシーンに見えますが、同時にミステリープロットのセオリーで「犯人が顔を見せる」に類比できると感じます。分析上、ここをミッドポイントとする解釈をとりづらい理由として、音声の再生開始は87分から始まり、「PP2」にあたる115分まで、30分近いシークエンスがあります。「録音データ再生」の部分だけをミッドポイントとするとしても、その直後のやりとりからを「フォール」とする雨森さんの取り方は、ビート分析としては大雑把な印象を受けます。ちなみに「フォール」はシークエンスでなく、落下の開始地点でとるべきビートなので、厳密にとるなら「音声を聞いた直後」のように書き方になるべきですが、そうだとしても、音声公開と、その後のやりとりは一連のシークエンスなので、ここを「フォール」とはできないと感じます。音声公開を起点に別のシークエンスが始まっていると捉える方が、構成としては掴めます。

妻の視点でとらえるなら、ミッドポイントで弁護士の信頼を得たが、最大の敵である音声公開というシークエンスが始まり、下降が始まるという捉え方ができます。

「PP2」:「裁判持ち越し」
「ピンチ2」はとくになしで、一気に「PP2」まで落ちたというかんじで、アクト3に入っていきます。

●アクト2の解釈
アクト2を振り返ると、外的なエピソードとしては裁判が進むバトルの連続で、上昇しているのか下降しているのかは掴みづらいですが、ミッドポイントとして弁護士とのシーンの後、折り返して「音声ファイルの公開」という長いシークエンスが展開されます。

裁判中のシーンばかりなので、妻の発言がどこまでが真実を語っていて、どこからが裁判用の発言かは判断できません(例えば、インタビュアーの学生の証言シーンで「酔いが回ってて」というのはウソで、学生が驚いた表情をするが裁判のための証言だともとれる)。妻の内的なアークは推測しかできないと言わざるを得ません。

一方、傍聴席にいる息子については迷いや葛藤が描かれているシーンがいくつかあります。

その前に「フラッシュシーン」について拾っておきます。フラッシュシーンとは回想、夢、想像やイメージと、いろいろな使われ方をしますが、定義としては「現在進行しているシーンとは違う時間・空間のシーンが差し込まれること」としておきます。裁判中にVTRが流されるシーンはフラッシュには含みません。まずは列挙してみます。

①バルコニーで妻が夫を殴る(65分)
②バルコニーから夫が飛び降りる(68分)
③吐き出された錠剤とゴミ箱(72分)
④音声データ再生~殴る前(87分~96分)
⑤車を運転する夫(父)(134分)

この5つのシーンだけです。
僕は未確認ですが、トリエ監督の「回想は一つも入れていない」という発言があるそうですが、映像ルールとして、そうなっているかどうかも含めて検証します。

①は検察側が「殴られた上に押された」と主張しているシーン。息子の顔からフラッシュに入り、フラッシュ後も息子の顔に戻ってくるので、息子の記憶か想像ということになるが、視覚障害者であるので回想とはいえないし、検死の際に検死官が「死因は頭部の外傷」「地面に当たる前にできた傷のよう」「何かにぶつかったか、もしくは何かで強く殴られたとみられる」と言っていることとも矛盾し、フラッシュの殺し方とは矛盾するので、息子の想像だと解釈できる。

②は弁護側が呼んだ女性の分析官が落下の状況を説明して「被害者は窓から落ちたと考えざるを得ません」と言っているシーン。入りは女性の分析官が模型で説明しているところからで、フラッシュ中にもショットが2つあり、1つは夫が窓を乗り越えて落ちるショット、2つめは人形が落ちる実験の映像、戻りは息子の顔。実験映像に繋がれるので、フラッシュと思わない人もいるかもしれないが、窓を乗り越えるショットは人形ではなく人間である。①のフラッシュと対になる息子の想像だと思われる。

①と②から、息子が「母が殺したのか? 自殺なのか?」に迷っていることが映像的に表現されている。ちなみに、このシーンの後、裁判長と話すシーンが入り、「もう傷ついている」「立ち直るために」膨張したいなどの発言がある。アクト2で傍聴席に座らされた観客は、好奇心で面白半分に「妻の有罪/無罪」を見ているかもしれないが、息子にとっては「母が父を殺したのかどうか?」は極めて重要な問題である。

③は不思議なショット。妻が「アスピリンの吐瀉物とゴミ箱に包装パック」を発見したことを語っているシーンで、妻から入りますが、戻りはやはり息子。これも想像と言えるが、注目すべきは、映像が歩く犬のPOVショットになっていること。この意義はアクト3の分析で詳しく考えますが、息子と犬が同化したようにも見えます。

④音声データが再生され、少年はもちろん、裁判所にいる人たちの引きのショットが映されてフラッシュに入っていきます。これが回想だとすると、その場にいた妻にしか思い出せない映像となりますが、戻りは傍聴席の一般人が2ショット入ってから、息子の頭を下げて深く考えるショット。入りと戻りから、この場にいる、みんなが想像したという解釈が当てはまりそうです。戻る際の夫のセリフが「monster」であることは、この想像が息子に意味があることを関連づけます。フラッシュが終わり、殴ったりしている音に関しては、妻以外は誰にもわからないので、観客にも映像は見せないという演出です。検察側も「何があったかは分析が困難」だと言うが、妻が殴ったことは本人も認める。観客も息子も分からない。ただし、息子はこの時点で裁判長に新しい証言があることを伝えているので、犬が錠剤を誤飲したことを証言するつもりでいることになる。これは推測だが、息子も父の自殺を信じようと思っていたが、この音声を聞いて、母を信じる自信がなくなってきた。それが、アクト3での迷いや犬への実験に繋がっている。

⑤については、アクト3でのシーンなので次の項で解説する。

余談ですが、脚本を学んでいる方は、裁判という会話が多くなりがちなシーンでフラッシュを最小限に抑えている意義や効果を考えてみてください。もし、回想を映像を入れていたらどうなっていたか? 例えば、学生インタビュアーが証言台に立つ時、トップシーンの録音音声が流されますが、編集次第で、ここでトップシーンの映像を流すこともできます。しかし、それをすることは、この作品の観客にさせるというテーマや妻や息子のリアクションを映す時間を奪います。ドラマシリーズなどで、以前の回のシーンを思い出させるために回想するというのであれば必要悪ですが、映画のたった1時間前の映像を、もう一度見せるなどという回想は損しかありません。またフラッシュの入りと戻りに関してですが、作中でいろんな人の回想やイメージが入る場合、誰のものかわからなくなったりするので、基本的には、そのフラッシュの主観にあたる人で挟むルールや、そもそも、視点となるようなメインキャラクター以外の回想はあまり使わないとか、ストーリー上必要な回想でも説明的にならないように工夫するなど、様々なテクニックがあります。こういうことをわからないままフラッシュを使うのは危険なので、WRでは「初心者禁止事項」に入れています。効果的な使い方を考えられるようであれば初心者ではないので、使っても構いませんが、説明的な使い方をしてる場合は、クセにならないように改めて禁止した方が良いと思います。

音声ファイル後のシーンを確認しておきます。検察側は前日の喧嘩で印象操作をするように、腕のアザも当日に出来たものかもしれないと主張します。音声について説明する専門家が、検察の方を見て、裁判長にこちらを見て話してくださいと注意されるシーンがあります。専門家が検察寄りの発言をしている暗示の演出です。その後、妻の弁護士は、主観的な推測と客観な事実を混同しないように主張し、「想像を事実と考えるのは危険です」とメタ的なセリフがあり、冒頭で学生インタビュアーが「どこが事実と架空の境い目か読者は知りたくなる」「そう思わせたいの?」と聞いていたことへの、回答のようなセリフです。検察側はさらに小説の一節まで引用しますが、これが事件に関係ないことは、さすがに観客も感じますが、だからこそ、これは作り手が言わせたいシーンとも捉えられます。

そして、裁判長から「裁判持ち越し」が告げられアクト2は終わります。妻は、息子が証言することを知らなかったのが表情から分かります。

●アクト3
「ビッグバトル」:「息子の迷い~証言」
息子は証言を控えて母と分かれて、一人になりたいと言い出し、息子は監視人(友達になろうと言っていた)と過ごします。妻は音声ファイルを聞いた息子が、自分をモンスターだと思ったのではないかと心配しているのでしょう。車の中で泣くシーンは「ダークナイトオブザソウル」に該当します。それから視点は息子に移り「ビッグバトル」が始まります。「探偵役」という捉え方をするなら、アクト2で検察官も弁護士も真相に辿り着けなかったが、「探偵役」を引きついで息子が最後の闘いに挑むというかんじです。

息子は犬にアスピリンを飲ませます。この動機は掴みづらいところがありますが、「父が自殺した」ことに確信を持ちきれない息子からしたら、一度、実験して確かめたいという思いがあったのでしょう。ちなみに、このシーンを犬が可哀想だと言っていた人がいましたが、息子と犬は一心同体のようなものなので、単純なペットの関係で捉えるのはやや違うと言えるかもしれません。息子が犬を傷つけることは、自分自身を傷つけていることにあたり、それほど、彼が追い詰められているといえます。ちなみに、気絶しているシーンは犬の演技だそうです(そして犬の本名はメッシというらしい)。

そして、監視員の女性と外で話すシーン。犬が二人の会話を見つめています。監視員のセリフ「何かを判断するのに材料が足りないと判断のしようがない」「だから決めるしかない」、「たとえ疑いがあっても、一方に決めるのよ」監視員の仕事としてはグレーな発言なのかもしれませんが、この作品へのメタ的な発言としても、作り手が言わせたいメッセージです。

次に息子の迷いの時間。オープニングクレジットで流れていた家族の写真を見つめています。

そこへ、唐突なテレビ番組、これも作り手からの露骨なメタ発言です。妻の言葉を引用して「私はわざと曖昧に書く、フィクションが現実を破壊できるように」。さらに「死の真相はどうでもいい、小説家を夫を殺したと考える方が、自殺と考えるより面白い」。このシーンは作り手のメッセージ以外では、入れる必要のないシーンです。作り手の露骨なメッセージと受け取ってよいシーンでしょう。ここで妻が映るのを「ツイスト」として、息子のシーンに戻ります。

ピアノをゆっくりと弾き、気持ちを固めていくように滑らかになっていきます。屋根裏部屋から、地面を見下ろし、映像は裁判所に繋がります。アクト2で証言したときとは違い、カメラもどっしりと構えて息子を映します。裁判長にも面と向かって話します。そして、父の車でのフラッシュシーンが挟まれる。フランス語はわかりませんが、息子の言葉と、父の口は一致しているように見えるので、この発言は父が本当に言ったことと受け取ってよいと感じます。もし、ここが、息子の捏造とするなら、これは想像で息子の発言も嘘ということになります。犬にアスピリンを飲ませたり、監視員の前で泣いたりしたシーンも演技のように捉えなくては繋がらなくなるので、ここは真実と受け取ってよいと感じます。フラッシュのシーンが、父の発言そのままであれば、このフラッシュは回想といえます。監督が回想を使っていないという発言があったかもしれませんが、ここは回想です。

「エピローグ」:「無罪判決後」
テレビ中継で、妻の無罪が放送され、息子は笑顔を見せます。マスコミの描写はアクト2入ってすぐのシーンと、アクト3「ツイスト」にあたるテレビ番組と、裁判後のここの3カ所のみで、最小限のシーンでメディアというものを描いています。車の中で電話した妻は笑顔を見せ、弁護士も笑顔を見せます。この作品で一番賑やかなシーンです。弁護士と二人きりになって「考えてたのと違う、ほっとすると思ったのに」「(裁判に)勝った場合、何か見返りがあると期待してた、でも何もない」「ただ単に、終わっただけ」。容疑者にされて、勝訴したときの感情としてリアルです。ちなみに裁判の終わりは、弁護士と別れも意味しています。ラブほど発展はしていませんが、長い期間共にいた仲間との別れという雰囲気は出ています。

ラストシーン、弁護士と別れて家に帰り、息子と再会。お互い会うのが怖かったと言い合い、抱き合い、息子が母を抱えるように頭に手をやります。成長した息子が、母を守ったことを暗示しているようです。

「ファイナルイメージ」:「妻の元に犬」
ソファで横になる妻のもとに、スヌープがやってきて寄り添います。母子を見守り、ナイトのようにも感じられます。この作品内で善なるものとして描かれている犬が寄り添うことは、妻の無実を証明している何よりの証拠にみえます。信じられるかどうか、ですが。

●タイトルの意義・テーマについて等
『落下の解剖学』というタイトル(原題も同じ意味)の「落下」とは、もちろん一つは「夫の落下死」を表します。裁判の過程では「夫婦が落ちていった様子」が暴かれました。そして、妻はメディアの好奇にされされ、有罪になっていれば社会的な「落下」あるいは「転落」と言い換えてもよいと感じますが、この結果的に虚しさが残ったような裁判、このようにして社会的に転落させられていく様を解き明かした(解剖)ようにも見えます。この作品を、妻が有罪だとして考察して楽しんでいる人がいれば、それは主人公を貶めようとしている危険性があります。メディアや無関係な人は、面白半分で誰かを犯人に仕立て上げたりするが、当事者である妻と息子は追い詰められていたでしょう。これと同じような事象は、現実にもたくさん見出されます。トリエ監督は「ペルージャ英国人留学生殺害事件」(詳細が知りたい方はリンク先のWikipediaをどうぞ)に影響を受けたと語っているそうです。

無実の人間が、様々なバイアスや、メディアの好奇心に煽られて「転落」していくことがこの作品のテーマで、この作品について犯人捜しの考察をしようとすると、その加害者の側に立つことになるという仕掛けを作るために「妻が殺したかどうか?」は断定できない、けれど怪しくも見えるような、映像を徹底的に作り込んだといえます。一方で、メタ的なセリフも多く、その辺りは作り手からのメッセージとして素直に受け取ってよいと感じます(そうでなければ、シーンとして残す必要はない)。興収としても成功したというのは、表面的なミステリーとしての面白味に惹かれた人が多いという部分もあるかもしれないと思うと、皮肉です。それだけ多くの人が考察遊びを楽しんだのか、あるいはエンタメ性の裏側にあるメッセージをきちんと受け取った人が多いのかは、わかりません。

この作品を「妻が殺していたが、裁判を逃げ切った」というメッセージを込めて作ったとする場合、メタ的なメッセージなどが無駄なシーンになってしまいます。また、そう捉えた場合、作り手のメッセージがよくわからなくなり、「悪い奴が逃げのびる皮肉」などであれば、このような「断定できない映像」を作り込む必要はなく、もっとシンプルに最後に妻が殺していた証拠を出した方が、メッセージとしても効果的になると感じます。

さいごにWRで「妻が犯人」の方がメッセージ性が強くなると言っていた方の、コメントを全文引用しておきます。本人許可はとってありますが、記事に転載するにあたり、一部補足、言い換え、明らかに不要部分はカットさせてもらいました。

●「妻が殺した説」について
イルカが「分析会で落下の解剖学について、妻が殺したとした方がテーマ的に立つというようなことを仰ってたと記憶してますが、妻が殺してたとするとどういうテーマを感じるのか、もう一度、聞かせてもらうことできますか?」と訊ねた後の回答として以下。

「改めてグダグダ考えていた時に、むしろ「殺してない」方が正解かも…とか色々思い始めて、分からなくなってしまい思考を放棄してました

今改めてちょっと考えてみてるんですが、あの作品の最大のテーマ?メッセージ?をどう取るかで、変わってくるのかも?と思ったり…。

個人的にあの作品を見て一番感じたテーマ(メッセージ)は、「どんなに怪しく、また好印象でない人物相手でも、客観的な証拠もないのに、印象論や人物像だけで裁いてはいけない」というものでした。そういう意味では極端な話、例え本当に殺人犯だったとしても、客観的証拠がない場合には印象論(特に、作中であったような、無断録音されたプライベート性の高い夫婦喧嘩に土足で踏み込まれるような形)で裁くことはできず、推定無罪が適用されるべきである、という話になるのかなと…。

それを前提とした場合、結局無実であるよりは、犯人であった方がテーマがブレない気がしてました。無実の場合だと、「どんなに印象が悪いからといって、“犯罪者ではないかもしれないんだから”、証拠もないのに有罪にすべきではない」といった方向性にもなりかねず、そうなると微妙にテーマがズレるかもと思いまして…。あと無実の場合、最後の最後まで怪しい上に印象の悪い人物像で終わらせる意義がいまいち掴めず…。「人物像や印象は悪くても無実の可能性がある」という点においてフォローが入りきっていないように感じるのと、「印象悪いけど無実だった実在の人々」への偏見温存になりかねないなーとも思うので…。

ただイルカさんが「前半ではいかにも犯人っぽく振りを入れまくっている」と仰っていたのを聞いて、そう考えるとむしろ無実の可能性も高そうだよな…と思い始めたり…。あと主人公の状況的には、夫を殺すほどの理由や動機はほとんど無さそうなんですよね…。ムカついてはいたかもしれないけど、主人公の方が夫より仕事や人生が順調で、リスクを犯して殺人するのはむしろデメリットでは?と…。

また、本当に殺していた場合、視覚障害の息子に迷いながらも擁護させて業を背負わせるようなことするかな?というのもありますし(まあでも犬に薬盛ってましたけど…)、最後に主人公へ寄り添う犬(しかも実質、盲導犬)も、無謬の存在じゃなくなってくるので、無駄に露悪的な作品ということにもなりかねないよな…と…。
(大人の視覚障害者の設定だった場合、無条件の無謬化はむしろマイクロアグレッションじみたことになりかねないのでアレですが、子どもだしなぁ…という…)

どっちにしろ一度しか見れてないので、全然構成の観点からの分析という感じではなく、それこそめちゃくちゃただの印象論なのですが…
複数回見たら180度意見変わるかもしれないです

※イルカ:「妻に動機はなさそう」というのも、全くその通りだと思いました。もし殺しているとしたら、妻の性格や態度から計画殺人ではなく、突発的な暴力からの過失致死で、夫婦関係が悪かったので疑われるのが怖かったというぐらいかと想像したりしました。

●補足追記
作中、赤い服には意味があると感じます。検察官、裁判長などは赤い法服を着ていますが、弁護側は黒。これが、どこまでフランスの法廷に即しているか定かではないですが、ネットの簡易調べによると、赤い法服は大事な場面で着用するが常用ではないとのこと。それを着させているということは演出といえます。妻は、ほぼ一貫して青などの落ち着いた色を着ていて、現場検証と、夫婦の会話のシーンでは赤味の服を着ている。夫も赤茶。息子は、証言に立つときには真っ赤。監視員と話すときは茶と青の半々、茶色いセーターでピアノを弾いて→屋根裏部屋ではグレーに赤いライン→最後の証言では真っ赤。色表現の演出は厳密でないことも多いので確定しづらいですが、主観の強さを表現しているように感じます。検察側はともかく、裁判長も主観に満ちていて、「裁判の目的は、自己検閲をせずに、真実を明らかにすること」と息子に対して言っているが、この裁判では全く真実は明らかにならない。ちなみに、死んだ時の夫は上下青で、これは事故だったのではないかと想像したり。

以上

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