キャラクターアークについて、すこし補足してみます。
同じキャラクターが登場する二つのシーンがあったとします。メインキャラクターであれば当然あります。
その二つのシーンで、キャラクターの「性格」に一貫性がないと、観客は違和感をもちます。当たり前です。
では「感情」はどうでしょう?
前のシーンでケンカした二人が、次のシーンで何もなかったように仲良くしていたら、どうでしょう?
観客は違和感をもちながら「理由があるのかな?」と思います。
一定時間、疑問が解明されないままストーリーが進むと、キャラクターに感情移入できなくなります。
シーンを「点」と捉えるなら、二つのシーンは二つの点になります。
それらを繋ぐ「線」がキャラクターアークです。
キャラクターアークが描けているかは、心理描写がスムーズで、観客が感情移入してみていけるかに関わります。
キャラクターの一貫性を保ちつつも、ある部分では、変化をさせることがキャラクターアークの本質です。
それには、どこかで変わるきっかけとなるシーンもあるはずです。
段階的に、滑らかに、アークが描かれていれば、観客はキャラクターに感情移入して、物語の世界へ没入していきます。
逆もまた然り。
感情を吐露するような情緒的なシーンであっても、そこへ到るまでの流れがスムーズでないと、観客は白けてしまいます。
ビートを掴んでいくことで、アークが浮き彫りになってきます。ビートはキャラクターアークの「中継点」みたいなものなのです。
現実の人間関係では「時間が解決してくれる」「寄り添ってくれたことで信頼できた」ということが多分にあります。気候や体調で「今日は気分がいい」といったことだって、実際にはあります。
しかし、そういった解釈を映画で許容してしまうと、キャラクターに一貫性など必要ないことを許しかねません。
意図的に崩して狂人を描くのと、描写がブレているのは似て非なるものです。
一見、キャラクターに一貫性がないように見えて、ビート分析してみると、小さな描写で描かれていることに気付くことがあります。
見る側のリテラシーの問題もありますが、伝え方=演出に問題がある場合もあります。
あるいは、細かく、丁寧にみても、描かれていないということがあります。
それは、そもそものストーリーに問題があると言えそうです。
いずれにせよ、観客にすんなりと入ってくるキャラクターを描くことで、感情移入させることは、ストーリーの基本にして、もっとも重要な技術のひとつです。
緋片イルカ 2022.3.7