文章テクニック13「オーディオドラマのリアリティと小説表現」

【オーディオドラマと朗読のちがい】
オーディオドラマ(ラジオドラマや声劇も)は
・セリフ
・音楽
・SE(サウンドエフェクト)
を使って音によって世界を表現する物語です。台本は脚本形式で書かれます。
一方、小説の文章はあくまで読むために書かれていて、朗読もそれを音読したものに過ぎません。

【ラジオドラマのリアリティ】
ラジオドラマではリアリティを出しつつも説明するべきことをセリフで言わせるというテクニックが必要です。
例えば「アツいですね」
と書いただけでは、聴いている人には「暑い」のか「熱い」のか、スポーツに興奮して「アツい!」のか、わかりません。
声色から性別や年齢はなんとなく想像つきますが、独り言なのか、話しかけているのかもわかりません。場所も時間もわかりません。

「どうも、田中さん。今日は暑いですね」
とやれば、道端での挨拶かな?と見えてきます。

さらにSEとしてセミの鳴き声を入れます。
「あら、田中さん」
「おはようございます」
「今朝は暑いですね」
というと、二人の人物が夏の朝出会ったというのが伝わります。

セリフとSEでリアルな状況をイメージさせていくのがオーディオドラマの魅力です。
ナレーションをつける場合もありますが、イメージを邪魔することも多いので嫌われます。

【小説を朗読する限界?】
小説は読むために書かれた文章なので、そのまま音読された場合、オーディオドラマに比べて聴きづらい部分が出てきます。
著作権の切れた古い作品が朗読されることも多く、耳できいてもピンとこない表現があったり、話し言葉・書き言葉の差もあります。

最近ではAmazonで「Audible オーディオブック」↓

というシリーズもでています。

又吉直樹さんの『火花』では、俳優の堤真一さんが朗読しています(リンク先でサンプルが聴けます)。

オーディオドラマ化したわけではなく、小説の本文をそのまま朗読しています。花火の音など邪魔しない程度にSEも入っているようです。
堤さんの朗読は素敵ですが……地の文を淡々と聴いていると、国語の授業中にウトウトしてしまうかんじがするのは僕だけでしょうか?
やはり小説は「読むもの」なのかもしれません。

【文章でリアリティを表現する】
小説家が「セミが鳴いている」とだけ書いても説明としての役目は果たしていますが表現はしていません。
SEの「ミーンミーンミーーン」と聴かされたときの夏の感触や情緒を呼び起こすことはできません。完全に負けています。

だから小説では文章表現をしなくてはいけないのです。
有名な作家からの例をいくつか引用します。

煮えつくような蝉の声の中にじっと坐って(夏目漱石『こころ』)

ちりちりともつれたように短い啼音(なきね)を立てて、蝉が飛び移った(三島由紀夫『金閣寺』)

近くの森から蜩(ひぐらし)の声が追いかけるように聞える。(志賀直哉『網走まで』)

池のまわりの木立から蝉の声が遠い海鳴りのように巨大なかたまりになってかれらにおしよせてくる。(大江 健三郎『われらの時代』)

たくさんの蝉が松の枝にしがみついて、声を限りに鳴いていた。夏は今が盛りだったが、蝉たちはそれが長くは続かないことを承知しているようだった。彼らは残された短い命を慈しむように、声をあたりに轟かせていた。(村上春樹『1Q84 BOOK2』)

リアリティだけでなく感情や情緒を刺激するために「表現」されています。

もちろん、説明はしてありました。けれど、小説は、説明だけでは足りないのです。(川上弘美/第一五七回芥川賞選評)

画像や動画での映像表現すらあたり前の現代において、文章だけで戦うには、研ぎ澄ました言葉使いが必要なのかもしれません。

●参考

日本の作家 名表現辞典

緋片イルカ 2019/07/17

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構成について初心者の方はこちら→初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」

三幕構成の書籍についてはこちら→三幕構成の本を紹介(基本編)

文学(テーマ)についてはこちら→文学を考える1【文学とエンタメの違い】

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