掌編『搬送』(1964字/SoC3)

 どこかの旅先にいる。知っている場所ではない。起きてから考えてみても、思いあたる場所はなかった。空がなかった。晴れているのか曇っているのか、雨は降ってなかった。地方の駅というかんじで、降りると踏切があった。駅員さんに話しかけている女性がいた。ヒステリック気味に食べる店がないのかと詰問している。都会の人だ。これから仕事へ行かなくてはいけないのにコーヒーも飲めないのかと。駅員さんの返事は聞こえなかった。踏切を過ぎると、五叉路になっていた。僕は左から二番目の道へ向かった。また、踏切があって、戻っているようだったが、そこはもう別の駅なのだと思ったら、そうなった。ビルの二階にグリーンのハンバーガーショップの看板を見つけた。階段を登るとモーニングをしている人で満席だった。むわっとしていて、すこし暑かった。席が空くのを待ちながらレジに並んでいると、いつの間にか、二十年来の友達が二人、隣にいた。会話の内容は、起きたすぐには覚えていたが、いま、これを書いているうちに忘れてしまった。その友達とは先月会ったので、その記憶が再生されたのかもしれない。
朝、起きて短篇小説を書かなくてはいけないと思ってパソコンを点けると、階段を登ってくる母の足音がした。右膝を患っているから、ド、ドンというリズムで母だとわかるし、そもそも父が登ってくることはない。ドアを開けて迎えると、父が起き上がれないので手伝ってくれと言う。両親の寝室へ降りると、父はベッドに横になっていて、ただ寝ているようにも見えたが、倒れ込んだようにも見えた。背中を支えて上半身を起こしてやると、糸で引っ張られたように倒れて、また横臥した。トイレに行きたいと言う。母が前に入院したときのオムツがあるから、それですればいいと言うが、父はトイレに行きたいと言う。寝室のすぐ隣りにあるが、その3メートルほどが歩けるように思えなかった。立てるかどうか、無理ならすぐベッドに戻すつもりで立たせてみた。後ろから腰を抱え込んで、なんとか立てた。馬の後脚みたいになって、擦り足で進む父をトイレまで運んだ。母が先に行って便座を下げた。父は立って小便をする人だったが大人しく座った。いったんドアから離れて、母と病院の相談。いつもの様子ではない。これまではトイレも食事も一人でしていた。昨夜、お風呂の中でふらついたというのは、そのとき初めて聞いた。母はかかりつけの病院に電話しに行った。その間に父をベッドに戻した。口が渇いてそうだったので、水を飲むか聞いたら、頷いたので、フタ付きのストローが刺せるプラスチックのコップに入れてきて飲ましてやった。ありあとう、と父が言った。横向きに倒れて、眠るというので掛け布団をかけてやった。母によれば、今日はもともと病院の予約が入っていて、ただ、いつもとは違う初めての先生が診ることになっていたが、確認したら、内科の先生なので診られるから連れて来てくれということ。救急車は呼ばず、タクシーか、難しければ搬送してくれる民間救急を呼べと言われたというので、教えられた番号にかけると、十三時半に来てくれる。電話を切った母が二万円もするらしいと呟いた。反射的に、断って普通のタクシーで連れていこうと言ってしまったが、頼んでしまったし、しょうがないと言われて、まあ、そうだと思い直した。普通のタクシーでは連れて行けないのだから、しょうがないという意味も含んでいた。
 民間救急の人は玄関先にストレッチャーを置いた。二人がかりで父を乗せ、車まで運んだ。手伝いたかったが余地がなかったので任せて見ていた。母と一緒に隙間に乗り込んで病院まで付き添う。見下ろすような角度で寝ている父の顔が見えた。唇が蒼く縮こまっていて、死人の唇に見えた。何度か、胸のあたりを、息をして上下しているのを確認した。唐突に、静かに、あたりまえのように死というものは訪れるものなのだと思った。病院に着いてからはベンチで待つだけ。仕事があるなら帰っていいと母に言]われたが無視した。いくつかの検査を終えて、車椅子で戻ってきた父は喋れるほどに快復していて、驚いて、ホッとした。CTスキャンをして、梗塞らしいものは見当たらなかったが、写らないぐらいの小さいのが起きていたら、また影響が出るかもしれないというので、念のため入院した方がいいと説明された。親切な女性の先生。入院の手続きを終えて、病院を出たのは夕方だった。タクシーに乗るかと母に聞いたが、近いのでいいと言って、びっこを引く母と坂道を帰ってきた。
 父を運んだのが昨日のことで、旅先の夢を見て起きたのが今朝である。面白い小説を書かなくてはいけなかったが、このことしか書けなかった。死人のようだった父の顔を、いま思い出すと、あのとき父はどんな夢を見ていたのだろうかと思う。

(了)

緋片イルカ 2022.5.31/テーマ「夢」

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