今回はストーリーサークルの「テーマ」について説明します。
その他の要素については以下のリンクからご覧ください。
「ストーリーサークルとは何か?」という概略は1「題材」にて説明しております。
ストーリーサークル目次
1「題材」(概略含む)
2「人物」
3「視点」
4「構成」(題材∩人物)
5「テーマ」(題材∩視点)
6「描写」(人物∩視点)
7「物語」(構成∩テーマ∩描写)
「テーマ」とは……
テーマという言葉はとても抽象的になりがちです。
「テーマなんか考えない方がいい」という立場をとる人もいます。
たしかに半端なテーマはあってないようなものです。
「これは愛の物語である」とか「人生の喜びと悲しみを描いている」などという言葉はキャッチコピーでしかありません。それもチープです。
どんな物語でも「愛」は含まれるし、人間が出てくれば「人生」を描いているに決まっています。
こういった半端なテーマは無意味などころか、弊害すらありそうです。
キャッチコピーをつけて深みのある物語を描いているような錯覚を覚えるのです。作者がそんな言葉に溺れたら最悪です。本の帯に「最高傑作!」と書かれていても、それを判断するのは読んだ読者です。
では、テーマなど考えない方がいいかというと、それもまた違います。
創作に効果的に使えるテーマをしっかりと考えるべきなのです。
そのためのコツは「文章にすること」です(参考記事:テーマは文章にせよ)。
たとえば「家族」というような単語ではテーマは表せません。ストーリーサークルでいえば「題材」を言っているに過ぎないのです。
あるいは「憎しみ」というような感情的なものもテーマにはなりません。ストーリーサークルでいえば作者の「視点」を言っているだけです。
では、テーマとはどのようなものか?
「家族は呪縛である」
「題材」としての「家族」と、「視点」としての「憎しみ」の感情を合わせたものです。
「テーマ」が「題材」と「視点」の共通部分に浮かび上がってくるというのは、こういうことです。
「テーマ」を広げる
とつぜんですが、ここで英語の文法を思い出してみます。
苦手だった人もいるかもしれませんが「肯定文」「疑問文」「否定文」という言葉は覚えているのではないでしょうか?
テーマとしてあげた「家族は呪縛である」
これは肯定文です。疑問文と否定文に書き換えてみます。
「家族は本当に呪縛なのか?」
「家族は呪縛ではない」
これらは、物語内で起こるテーマの変化です。
最終的に「やっぱり家族は呪縛だった」と終わっても構いません(バッドエンドです)。
応用編として「疑問詞」をつけてみましょう。
「なぜ、家族は呪縛なのか?」
「いつ、家族の呪縛は始まったのか?」
「どこで、家族が呪縛が起きているのか?」
「どうすれば、家族は呪縛から解放されるのか?」などなど……
役に立たない疑問文も出てくるかもしれませんが、広がりを感じるものもあるかと思います。
このようにテーマを文章にすることによって、創作に応用できるようになるのです。
「テーマ」と「構成」の関係
さて、肯定文「家族は呪縛である」に戻ります。
このテーマを物語上で、観客・読者にどう伝えていくかが大切なことです。それができなければ、テーマなど無意味です。
テーマを伝える一つのテクニックが「構成」に絡めることです。
かんたんな例を示してみます。
まず、主人公に「家族は呪縛である」という価値観を持たせます。家族が嫌いで、若い頃に自立して別に暮らしているとしましょう。もう何年も実家には帰っていません。
そこへ「父が倒れて介護が必要になります」(ビートでいうと「カタリスト」)
呼び出されて実家に帰り、今後のことを話します。実家には弟がいます。
弟の価値観は「家族との時間は人生の悦びである」です。兄とは正反対の価値観です。
当然、兄弟は意見が食い違い、ケンカをするでしょう。
現実では、無責任に家族を捨ててしまう兄もいるかもしれませんが、物語ではそうできない状況をつくります。たとえば家族会議の末「週末だけは兄が父の面倒をみる」というルールになるとか。
これ以降、兄の生活はそれまでと変わり「非日常」の状況になります。(ビートでいうと「プロットポイント1」を超えてアクト2に入った)
いろいろなイベント(「バトル」)をこなしながら、昔の父との思い出話なんかもしながら、兄はだんだんと変化していきます。
兄の価値観が「家族は呪縛……ではないかもしれない」と変化してきているのです。
「テーマ」から「メッセージ」へ
「父の介護をするはめになった兄が、だんだんと価値観が変わってきた」というところまで説明しました。
その後、プロットポイント2~アクト3に到るにつれて、兄の行動ようによって「テーマ」に対する結論が出されます。
どう終わらせましょうか?
兄は、それまでの仕事を辞めて、父との時間を増やすようにしたとします。
このラストで観客・読者が感じるのは「家族との時間は人生の悦びである」というメッセージです。
よくあるハッピーエンドです。
兄の価値観は「家族は呪縛」→「家族は悦び」に変化しました。
主人公の変化や成長を通して、観客・読者は「テーマ」を自然と受け取ります。
つまりラストシーンの決め方で、物語の「メッセージ」が決まるのです。
このように「構成」によって「テーマ」は伝わるのです(ちなみに「テーマ」をセリフで言わせるのは一番安易なテクニックと言われます)。
では「兄はやはり両立ができず、弟たちにすべてを押しつけて、音信不通になる」というラストだったら、どうでしょうか?
バッドエンドでしょうか?
兄を冷酷な人間だと不満をもつ観客もいるかもしれません。
文句をいう観客がいれば、その人自身が「弟の価値観に近い」のです。
別の観客を想定してみましょう。
物語の兄と同じように、父の介護をするハメになって、仕事を辞めてしまった。その後、20年と介護生活をつづけて、現在、年は50も過ぎている。新しい仕事を探しているが見つからない。
こんな人生を送ってきた観客だったら、家族を捨てた兄を観て、どう思うでしょうか?
世の中には、いろんな人がいます。価値観はますます多様化しています。
日本のテレビドラマが人気がない要因のひとつは、時代に一辺倒なメッセージしか提示できていないからです。古い価値観に共感する世代と、ネットよりもテレビを観る世代をターゲットにして、ますます懐古主義が広がっているようです。
価値観に、正しいといった答えはありません。
むしろ、何か一つの考えこそが正しいというとには怖いものを感じます。
それでも、物語のラストの付け方は、「作者のメッセージ」になります。
作者自身の考え方と違っても「作品のメッセージ」にはなります。
観客が好きなように解釈すればいいといった言い分は、「ラストを決めた」作者としては無責任です。
「物語をどこで終わらせるべきか?」
これは、作者が作品と向き合う上で、とても難しい問題の一つだと思います。
普遍的な「テーマ」と時代的な「テーマ」
普遍的な「テーマ」とは、時代に関係なく扱われるものです。
「家族」「恋愛」「友情」「運命」「生死」「罪」「正義」……などなど
こういったものです。「ストーリー価値とアーク」の記事に、ロバート・マッキーが挙げているものをリストにしてますので参考にしてください。
あるいは、時代によって「テーマ」となるものもあります。
現代の日本でいえば「少子高齢化」「ひきこもり」「貧困層」「シングルマザー」「自殺率の高さ」「女性の立場」「性的マイノリティ」「老老介護」……などなど。
いわゆる社会問題とされるものです。
「少子高齢化」などは、出生率が高かった頃は「テーマ」になりませんでした。今でも国によってはなりません。
テレビドラマのような新しいものを優先しようとするメディアでは、こういう時代的な「テーマ」が好まれます(けれど最近のテレビはちっとも早くない)。
時代的な「テーマ」だけで物語を描くと、数年後には共感されないことがあります。
我々が過去の作品をどれだけ面白く見られるかと考えてみれば、わかりやすいかと思います。
過去の時代的な「テーマ」を扱ったものでも、長く鑑賞に堪えうるものは、普遍的なテーマまで掘り下げられているのです。
たとえば小津安二郎の『東京物語』は、価値観や時代背景には現代とズレがありますが、家族ドラマには今と変わらないものが感じられます。
しかし、普遍的なテーマだけでは、物語がぼんやりとしてしまうこともあります。
「家族が父を介護するストーリー」などくさるほどあります。
普遍的テーマだけではオリジナリティに欠けるのです。
「題材」のオリジナリティ(どんな家族なのか?とか、どういう仕事の人なのか?とか)や「視点」のオリジナリティ(社会問題に、新しい価値観の提案はできないか?とか)をくわえていくことでクリシェを避けられます。
「題材」と「視点」をとらえ、その共通部分にあたる「テーマ」をみていくことが、ストーリーサークルをつかう一つの意義となるのです。
次回はストーリーサークル「描写」について説明していこうと思います。→ ストーリーサークル6「描写」(文学#39)
緋片イルカ 2020/12/09