ことだま【言霊】
言葉に内在する霊力。
▷昔、言語が発せられるとその内容が実現すると、信じていた。「―信仰」(岩波 国語辞典 第七版 新版)
こと‐だま【言霊】
言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。万葉集(13)「―の助くる国ぞ」
→ことだま‐の‐さきはう‐くに【言霊の幸ふ国】(広辞苑 第七版)
言葉というのは「ある瞬間のきもち」を固めるものだと思う。
誰かに伝えたり、消えてしまわないよう残すために言葉にする。
それは、ほんとうは言葉にならないものかもしれないし、あるいは言葉になんかしなくても伝わってるいるものも、たくさんあるのだけれど、人々の「残したいというきもち」が文学となってきた。
この言葉になる前の気持ちを「言魂」(ことだま)と呼んでみる。
「霊」というよりは「魂」の方がしっくり来る。「魂」の方が人為的で、文化的な気がする。
きっと言葉が「霊」的な、人知を超えた力をもつ瞬間もあるのだと思うけど(たとえば呪文や祝詞や願いのような)、ここではひとます人為的な「魂」の話。
「魂」は作者が込めるものとも言える。
「画竜点睛」のように、それが欠けたら、どんなに「技巧的な言葉」を使っても物語は味気ない。だからAIに、人を感動させる物語は書けない(今のところ)。
抽象的な話ではなく、具体的に、作品のどこに「作者の魂」を感じるかというと、いくつか挙げられる。
1つめは独自な表現。
小説でいえば「描写」や比喩。
伝えたい、残したいと思った「きもち」は、その人のものだけど、それをよくある表現(クリシェ)、ことわざ、ただの熟語に託してしまうと、辞書的な意味しか残らない。
たとえば、ある瞬間のせつない気持ちを、誰かに「青春だね」という言葉で片付けられたら どうだろう?
未熟な作者は、自ら平凡な言葉でまとめあげてしまうことも多々ある。
2つめは人間らしいセリフ。
キャラクターの問題にも関わるが、その人に相応しい喜び方や怒り方がある。
心の底から怒っているときに、テーブルをひっくり返す人もいれば、黙って睨み付ける人もいれば、その場から立ち去ってしまう人もいる。
今、例にあげたものすら、どこかで見たクリシェ。
キャラクターに魂を込めて「この世でたった一人しか存在しない人間」にしていれば、その人らしい言動が出てくる。
悲しい時に顔を塞いで涙を流すような人を現実でみたら、あざとく見える。人間らしくない。
3つめはありふれたシーン。
ラブストーリーが女性が落としたハンカチを男性が拾うところから始まるのは、誰でも、どこかで見たことがある。見ていてドキドキしない。これならAIにも書ける。
ハンカチだと思って拾ったものに「ありえないもの」が包まれていたら?
「ありえないもの」が何か?
その発想は作者ごとにちがうはず。
アイデアの面白さに発想力の差はある。
けれど「その作者にしか思い付かないもの」があるはず。
平凡なアイデアは、どこかから「借り物」で発想しようとしているから平凡なだけ。
自分の魂と向き合えば「あなたにしか書けないオリジナル」が出てくるはず。
アイデアを昇華するには、また別の技術(「構成」とか)がいるけど、アイデアの悪さと技術の拙さを混同している人も多い。
明後日は文学フリマに参加する。
技術という点で見てしまえば、本屋に行けばプロの物語がたくさんある。文庫本で買えば、プロのが値段が安いことすらある。
それでも、文学フリマのような場所へ行くのは、プロの商業的な手垢にまみれた物語ではなく、作者の魂の声を聴きたいから。
ほんとうの文学には、プロやアマも関係ない。
緋片イルカ 2022.11.18