創作のトレーニング法(文学#71)

前回、ファイターとライター(文学#70)という記事で、創作を格闘技になぞらえて、各種能力を提示してみました。

今回は、そういった能力を鍛えるトレーニング方法を考えてみようと思います。

格闘技は見る専なので、僕が学生時代にやっていた陸上の長距離走で考えます。

創作能力はトレーニング可能か?

まれに、芸術や創作の能力を天賦の才能のように捉える人がいますが、それはごく一部の天才だけです。

スポーツで「根性練習」が横行していた時代がありますが、その分野に対しての科学的研究が進んでいない頃は「どうすれば上手くなるか?」に対する答えをもっていないため、それぞれの指導者による持論に頼らざるを得なかったのだと思います。

物語創作に関して、日本は遅れていると感じますが(特にスクールで教えられている内容)、映画大国アメリカでは何十年も前から、認知心理学やAIまで使った、物語への科学的アプローチがなされています。

科学的研究のすべてが正しいなどと言いたい訳ではありませんが、「指導者による持論」(経験則)と合わせることで、より効率的なトレーニングができることは間違いありません。

長距離走で喩えるなら、アフリカの高地などに住んでいる人が本格的なトレーニングを受けなくても、オリンピックで活躍できるような時代がありました。

今では、そういった、もともと能力の高い人が、さらに科学的トレーニングをしてメダルをとるのです(だから日本人がマラソンで勝てなくなってきている)。

物語創作も同じです。天賦の才があってもなくてもトレーニングは必要なのです。

ましてや、研究の遅れている日本では、天賦の才などなくてもトレーニングだけで活躍していける可能性もあるのではないでしょうか。

もちろん、適切な結果につながるトレーニングをすれば、です。

量のトレーニング

長距離走のレースに出るのに絶対的に必要なのは完走する体力です。

僕が専門種目にしていたのは5000m走でしたが、その距離を、そもそも走り切ることができないランナーなど問題外です。

これは物語創作でいえば、規程のページ数を書き上げる力です。

小説では枚数に幅がありますが、脚本では「映像の尺」があります。

映画を書こうというのに10枚で終わっちゃいましたでは通じません(ちなみに1分=400字1枚。映画なら90~120枚)。

構成を立てることは助けになります。

5000mを1000m×5セットのように区切って練習するようなものです。

1000mは、物語でいえば1つのシークエンスです。

こういう視点を持つことで、取り組みやすくなりますが、そもそもの1000mを走りきれなかったら……?

もしかしたら、長距離(映画や長編)には向かないという人もいるかもしれません。

短距離走を専門にするという手もありますが、まあ、創作は肉体の向き不向きではないので1年かけてでも完成すれば問題ありません。

遅筆でも、書きつづければいつかは書き上がります。

自分のペースが遅いのか速いのか? このペースだといつ終わるのか?

そういった意識を持つことは、長期戦略としては大切ではないでしょうか。

また、脚本は仕事となると「要求されるペース」があるので、その体力がない限り、仕事としては厳しいでしょう。

基準は一概に言えませんがドラマなら、

シノプシス1週間
初稿(60枚)を1~2週間
修正して完成まで1週間

トータル1ヶ月で1話分を仕上げるぐらいは最低限の体力ではないかと思います(最低限です。ぜんぜん早いペースではないです)。
もちろん、プロデューサーなどとのやりとり(相手方のOKを貰う)の中での1ヶ月です。
初稿の部分だけとっても60枚を4週でわっても「1週間に15枚」ぐらいはコンスタントに書けないと仕事にはならないでしょう。

トレーニング①:週に10~15枚を毎週書く

脚本のプロを目指す人は、これぐらいは基礎トレーニングとして続けていくと「タフネス」がついていくでしょう。

また長距離走ではとにかく長い距離をジョギングするという練習もあります。

この場合、スピードはいったん二の次で構いません。

一度でも、長い距離を完走したことがあると、それ以下が短くかんじられるようになります。

マラソンを完走すれば、5000mなど短く感じるのです。

2回、3回と完走すれば、距離への抵抗感はさらに薄れます。

トレーニング②:120枚とか長いものを書き上げてみる

一度でも、長いものを書き上げたことがあると15枚など短く感じられるようになります。

量のトレーニングをするときは、目標とする数値以上の量をこなすことで、基礎体力が養われていくのです。

ちなみに長距離走をやっているとわかりますが、練習をさぼると、体力は驚くほどすぐに落ち込みますので、続けることは大事です。

質のトレーニング

目標の距離が完走できるようになったというだけでは、スタート地点に立てたに過ぎません。

長距離走はタイムを競う競技です。

物語では120枚書けたというだけでは自己満足です。

作品が面白くなくてはいけません。

「どうやったら面白くなるのか?」

これはほとんどの作者が考えて、取り組んでいる課題だと思います。

まずはぐだぐだ言ってないで「量をこなしなさい」です。

あれこれと考えているよりも、走って練習している方が速くなります。習うより慣れろです。

少なくとも、簡単に完走できる=簡単に書き上げるぐらいの基礎体力が身につくまでは書きなさい。

これだと「根性練習」の言い分と似てしまいますが「へ理屈ばかりで体力がない作家」が多いのも事実です。

量は十分にこなしている。それでも「面白く書けない」という人こそ、初めて「質のトレーニング」が必要になってくるのだと思います。

走ることで考えてみます。

ひとつは筋力です。

ゆっくりと長い距離をジョギングするような「量のトレーニング」を続けていると、心肺機能や全身の筋力はついていきます。

ですが、それぞれの身体の作りや、走るフォームが違うので、人によって、ふくらはぎの筋力が弱いとか、大腿が弱いとか個人差があります。

自分の弱いところを見定めて、集中的に強化することで、トレーニング効率がアップします。

物語でいえば「セリフが弱い」「シーンがありがち」とか「異性キャラがチープ」とか、いろいろ作家ごとのクセがあります。

これに気付くのは、自分では難しいところがあるので、他人の意見が重要になってくるでしょう。(それでも、ランナーがビデオにとって自分を分析するように、客観的に自分を見れれば気付けるでしょう)。

ただし、そもそもの欠点が多い場合、つまりあっちもこっちも筋力が弱いというのは基礎体力がないということです。

キャラクターも、構成も、テーマもぜんぶ弱いという人は、どこが弱いのではなく、全部弱い、量のトレーニング不足です。

基本的なことはしっかりと出来るようになってきたけど、部分的に弱い場合のみ、集中的にトレーニングする意味があります。

もちろん、量をこなしながら、並列的に筋トレもできるなら、それは構いません。

ちなみに筋肉の部位によって筋トレの仕方が変わるように、物語でも部分強化の方法は多種多様ですが、基本は「自分が上手いと思う作家の作品を見本にすること」でしょう。

セリフが苦手なら、セリフが上手いと思う作家のやり方を盗めばいいのです。

(参考:具体的な技術などは「文章テクニック」のタグでいろいろ記事にしています)

質を上げるふたつめの方法はフォームの改善です。

走るという動作は「地面を足裏で蹴り、腕を振って反動をつけて、膝を上げて、つま先を前に出す」、そんな動作の繰り返しです。

一連の動きが、身体を前に移動させるよう効率よく働いていれば、速く走れるのです(ちなみに長距離走では長い距離を楽に走れるフォームもあります)。

書くことでも同じです。

物語が、あるテーマやクライマックスシーンに向かって力強く進んでいるか?

ムダなシーンがあれば、それだけストーリーを邪魔していることになります。

陸上競技では、空気抵抗ですら影響します。

ストーリーに挟まれている「ちょっとした余談」が、邪魔になってることは多々あります。

走るフォームが無意識的に身についてしまうように、物語や語り口も無意識的に身についています。口グセなんかもそうです。

そういったものを修正するのに、役立つのはやはり他者からの指摘です。

つまり、質のトレーニングを要約するなら、

トレーニング③:他人からのフィードバックを受けて推敲する

に要約されるのです。

もちろん、指摘してくれる人の能力も問われます。

素人意見ばかり聞いていると、あっちこち振り回されて、どっちを目指せばいいのか迷ってしまうかもしれません。

「物語の質を上げる」のに、適切な意見を言える人を大切にしてください。

生活習慣の改善

肉体を強化するには栄養が必要です。

物語も同じです。映画でもマンガでも小説でも構いませんが、たくさんの物語を読むことです。

「そもそもの話が浮かばない」という人は、栄養の偏りがあるのかもしれません。ニュースや世界で起きていることを見るだけでもネタはいくらでも落ちています。

また、肉体には睡眠も大切です。

物語でいう睡眠は「物語からいったん離れて遊ぶこと」でしょう。

散歩に出たり、気分転換にいつもはしないことをしてみるとかもいいでしょう。

そんな瞬間に、アイデアが浮かんできます。

仕事やプライーベートな束縛もあるでしょう。

「もっと書く時間があれば」と思う人も多いと思いますが、プロの作家も、物語で食べられる前はみんな、生活との折り合いをつけて書き続けてきたのです、

与えられた時間はみな同じですから、ときにはこれまでやってきたことを止めて時間を確保するような生活習慣の修正も必要でしょう。

とにかく、書きつづけられる体制を整えなくてはいけません。

1年後のデビューを目指すのか、10年後のデビューを目指すのかは自由です。

幸い、作家は引退しなくてはいけないルールはありませんので、死ぬまで書きつづけることも可能です。

人生設計の中に「書くこと」を据えなくては、いいものを書くことや、ましてやプロとして仕事にすることは難しいかもしれません。

チームの支え

陸上競技は、厳密にいえば個人競技であるので、1人で練習しても結果は出せるはずです。

ですが、大学や実業団など、多くの選手がチームに所属して結果を出しています。

これは、精神的な支えが大きいからでしょう。

自分一人でトレーニングをこなしていくのはとても大変です。

ですが、やる気がないような日でも、仲間がいることで頑張れるということは創作でも多分にあるのです。

うまくいかないときに、グチも言えます。

悩んでる仲間を見て、自分だけじゃないんだ、一緒に頑張ろうと思えたりもします。

集団行動が苦手な人は、無理に入る必要もありませんが、ときに集団の力には個人では敵わないものがあります。

トレーニング以前に、チームに所属してしまうということは、一番の近道なこともあるでしょう。

創作で言うチームとは、学校に入ることや、サークルに入ることです。

レースに出る

練習の成果を試す意味でも、自分の実力を客観的に知る意味でも、定期的にレースに出てみることは大切です。

レースでは実力以上の力が出ることも、その逆もありえます。

自信のない人は「実力がついたら応募しよう」なんて考えがちですが、むしろ実力を測るためにレースに出るのです。

創作でいえばコンクールの応募、マンガなら持ち込みなどもあるでしょう。

自信に溢れている人は、レースに出てみればわかります。

力があれば評価されますし、落とされたなら、その程度ということです。

コンクール自体に逆恨みして、選考委員がわかっていないとか言う人もいるかもしれませんが、それなら別のコンクールに応募すればいいだけのことです。

1つのコンクールで落とされたならともかく、20や30のコンクールに落とされるようであれば、あなたの物語に問題がある可能性は高いです。

実際はわかりません。

100社の出版社に断れても、101社めで受け入れてもらえることもあるでしょう(アンパンマンやハリー・ポッターのような)。

ただ、100社持ち込む努力をしているのか?

それぐらいの思いのある作品なのか?

といった問いかけは付きまといます。

幸いなことに、物語のコンクールはたくさんあります。

年に1回しかない受験だったらダメ元でも受けてみようと思いませんか?

ましてや、受験料などかからないコンクールがほとんど。書いて、送るだけです。

緋片イルカ 2023.1.13

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