以下は、過去に映画の勉強会に参加していた方達にビートを説明した際に用いた資料です。HDDから発見したので公開しておきます。映画を初見でプロットポイント1、2、ミッドポイントがつかめるぐらいに三幕構成を理解している方に向けています。初心者の方はどうぞこちらからご覧ください。
物語ビートと映画ビートの違い
ジョゼフキャンベルの神話論がスターウォーズに応用されたという理屈のもとに、映画のビートと物語のビートを同じもののように語る人が多い。もちろんビートの中には同じ機能を持ったものもあるなので、部分的には同じと言えるが、そうでないものも多い。(※ちなみに民話学ではビートと言わず、構成要素と呼んだりするが区別はしない)。
前回示した、「不老不死の男が、女と恋をして、女を失い絶望する」とログラインにした時に、「女との出会い」「女を失う」というPP1、PP2にしてしまうと、展開が遅くなったり、アクト3にヒロインが登場しないといった展開になってしまい、映画として失敗するという話。だから、出会いをカタリストに前倒しして、PP2では見せかけの別れとしてのPP2を設定する必要がある。
物語論では、「主人公が非日常へ行って、帰ってくる」という表現がされるが、これを非日常=アクト2として、PP1、PP2をそれぞれ非日常への「入口」「出口」とする考え方は物語のビートとしては正しいが、映画のビートとしては間違っている。
民話を分析するのは「映画のビート」と「物語のビート」の違いを比較するのによい。
以下、柳田国男の「日本の昔話」から黒鯛大明神という話。
『黒鯛大明神』の分析
物語の最小単位である「変化前」と「変化後」がある。
変化前(アクト1):さびしい山道に
変化後(アクト3):黒鯛の社が建った
その原因となる「魚商人が山鳥をとり、代わりに黒鯛を置いていった」がアクト2に相当する。物語としては「さびしい山道に、魚商人の行動をきっかけに、黒鯛の社が建った」である。
ビートは以下、
「CC:魚商人が魚を売りに山へ入る」商人が主人公であることがすぐにわかる。この民話では主人公は変化をしないので、読者の物語への視点を定める効果として機能。「主人公が変化しなくてはいけない」というのは映画のセオリー。
「カタリスト:山鳥がかかっているのを見る」
「ディベート:欲しいと思ったが、ただ持っていくのはよくない」
「PP1:黒鯛を置いてかえる」主人公が黒鯛を置いていくという行動がなければ、非日常に入らなかった。
「バトル:鯛がかかるのは神のお示しだと勘違いして、村で評議する」ここから公(視点)が商人から村人に変化している。「主人公は一人でその視点で描かなければならない」というのも映画のセオリー。映画的に商人の視点で描くなら、山鳥を持ち帰った商人に不思議なことが起きるアクト2になる。群像劇では主人公を変えてビートを機能させる方法もある。
「MP:黒鯛三所権現として祀る」勘違いのアークが行き着いて社が建つ。映画でないのでここで変化は完了。物語としては終わっても良い。商人がやってきて真相を話すところからフォール(迫り来る悪い奴ら)し始めてアクト2後半に持っていくのは映画のセオリー。
以上、ビート分析。
以下、映画のビートに基づいた実例。
アクト1:寂れた村へ続く山道(オープニングイメージ)。ある強欲な商人が通りかかると、罠にかかっている山鳥を見つける(カタリスト)。商人は「儲けものだ」と、山鳥を盗み、代わりに石ころを仕掛けて去っていった。家に帰り、逃げようとする鳥を可哀想だと思いつつも、かごに入れて、鍋にして食べようとお湯を沸かし、さあ殺そうとして鉄砲を構えるが、やはり忍びなくなって鳥にムシロをかける、どうしても撃つことが出来ず、鳥は逃げてしまう。男は追いかけていって、ムシロのかかった山鳥を銃を撃つ(ディベートとデス)。と、女性の悲鳴が上がる。ムシロを外すと、山鳥ではなく女であった。銃は足下をかすめただけであったが、男は山鳥と間違えたことを謝罪して、怪我の手当に家につれてかえる。ムシロなんかをかぶっていた理由を聞くと、家で粗相をして仕置きをされていたところを逃げてきて、もう帰るところもないので、女房のしてくれと言う。共同生活が始まる(PP1)。
アクト2:翌日、男が目を覚ますと女は絹でできた高価な着物を出して、町へ行って売るようにいう。女は機織りをして作ったことと、夜はけして覗くなと告げる(ルール)。男は町へ行って着物を売り今までに手にしたことのないような大金を手に入れる(F&G)。その帰り道、昨日の罠に集まっている村人達と出会う。昨日、罠に石がかかっていて、不思議なこともあるものだと話している(ピンチ1)。翌日、男はまた町で着物を売った金で黒鯛を買ってきて、罠に仕掛けておく。村人達がやってきて驚いているところに、隠れていた男が現れて、これは天の神のお示しであるといい、村に社を建てることを提案する。建設のためのお金がないという村人達に対して、男は費用を出す代わりに、神社に奉納されたものの半分をもらう約束を取り付ける。家に帰って、妻にその話をすると、妻は不謹慎なことをすると天罰が下ると諫めるが男は聞く耳をもたない。やがて男は、本来の商売よりも社建設の方にかかりきりになってしまい、妻の織った着物を売りに行かなくなる。
数ヶ月後、社が完成する(MP)。祭りが開かれ、近隣の金持ちなどからも奉納があり(リワード)、男は喜ぶ。と、祭りで賑わっている夜、林の中で妻が若者と出会っている(フォール=迫り来る危機)のを村人の一人が見かける。数日後、その若者が社に訪れると柱の一つが折れてしまう(ディフィート)。商人の男は、職人達が手を抜いたせいだと起こり、再建に新たな費用がかさみ、イライラして女にも手をあげてしまう。妻の浮気も疑っていたのである。男は怒りにまかせて家を出ていくが、妻に申し訳なく思い、夜深く、帰ってくる。そこで妻が山鳥であることを見てしまう。妻はこの姿を見られたからには、もうここにいることはできないと言って、空へと飛んで行ってしまう。男は金も妻も失った(オールイズロスト=PP2)
アクト3:男は途方に暮れて、ふらふらと歩き(ダークナイト)、いつの間にか社へときていた。そこで妻の言葉「不謹慎なことをすると天罰が下る」を思い出し、自分の強欲さを反省する(TP2)。そこへ若者が現れ、若者は山の神であることを明かし、無断でこの社を建てたことを怒っていると告げ、社に火を放つ(ビッグバトル開始)。男は逃げ出すが、社の火を消し止めることはできず、やがて火事は村全体へと広がっていく。水が足りない。このままでは村が全焼してしまう。火事を止めるには、村の外れでせき止めてある川の流れを変える必要がある。男と村人達は川へ行くが、そのためには命がけの作業である(詳細未定)。しかし、男は、山鳥を盗んで石をしかけたのも、金儲けのために黒鯛をしかけたことも告白し、すべて自分の責任であると犠牲になる覚悟を決める。その作業の途中、男が失敗して川に流される(ツイスト)。と、あの山鳥が現れる。命を助けてもらったお礼、夫として愛していたことなどを告げて協力する。しかし山の神も現れる。(人間と信仰に対するメッセージか何かを入れて)、山の神を説得して、成功、火事も消し止められる(ビッグフィニッシュ)。
エピローグ:山の神のための新しい社が建てられ、男は山鳥の一枚の羽を大切に、真面目に働くことを決心する。
分析の時に、気付いたアクト2で主人公(視点)が変わっている問題を解決するために鶴女房のプロットを入れ、主人公に変化させるためにアクト1では「強欲」というCCを入れて、アクト3でキャラクターの成長も入れた。MP以降は、ビート通りではあるが、何をテーマとしたり、どういったイベントを起こすかは作家のセンス。ビートの定義などに拘り過ぎると、悪い意味でのハリウッド的なお決まりパターンになるので、あくまで「面白さ」の感覚を優先に。結局はビートがわかってても面白いエピソードが考えられないなら面白くはならない・・・けどビートがわかるということは物語の本質をつかむことと似てる気もする。以上。