ログラインを使うコツ(中級編26)

三幕構成Q&A⑤「ログラインって何?」

以前、ログラインをつくるコツ(三幕構成45)という記事を書きましたが、改めて「分析」や「創作」に活用する観点から、今の考えをまとめてみます。2本のアークが出てくるので中級編としています。

また、『グリーンブック』を例にして説明していきますので、事前に視聴ないしログラインを書いてみてから読むと理解が深まると思います。

三幕構成 中級編(まえおき)

三幕構成の中級編と称して、より深い物語論を解説しています。

中級編の記事ではビートを含む用語の定義や、構成の基本、キャラクターに対する基本を理解していることを前提としています。しかし、応用にいたっては基本の定義とは変わることもあります。基本はあくまで「初心者が基本を掴むための説明」であって、応用では例外や、より深い概念を扱うので、初級での言葉の意味とは矛盾することもでてきます。

武道などで「守」「破」「離」という考え方があります。初心者は基本のルールを「守る」こと。基本を体得した中級者はときにルールを「破って」よい。上級者は免許皆伝してルールを「離れて」独自の流派をつくっていく。中級編は三幕構成の「破」にあたります。

以上を、ふまえた上で記事をお読み下さい。(参考記事:「三幕構成」初級・中級・上級について

超初心者の方は、初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」から、ある程度の知識がある方は三幕構成の作り方シリーズか、ログラインを考えるシリーズからお読みください。

ログラインの復習

ログラインを一言で説明するなら「誰が、何して、どう変わる」です。なるべく短く、端的に。

指導するときは、わざと文字制限をつけて長くならないように矯正するときがありますが、何文字以内でなければいけないという厳密なルールはありません。

『グリーンブック』で平均的なログラインを書いてみます。

「白人用心棒のトニーが黒人ピアニストドンの運転手となって、黒人差別の残る南部を旅するなかで友情を深めて、無事にニューヨークに帰ってきてクリスマスイブを祝う」

ログラインの一番の目的は物語の「本質」を見抜くことです。

「本質」とは旅、非日常、メインプロットなど。

曖昧なテーマのことではありません。「白人と黒人の友情物語」のようにすると「本質」=構成的な部分が見えません。

主人公によるアークとして文章化するのがログラインです。

短いログライン

平均的なログラインを短く、端的にするため、切り詰めてみましょう。

「トニーがドンと友情を深める」

映画を見ていない人には訳がわからない文章になってしまいますが、見た人ならわかります。

同時にこれは内的なメインプロット=キャラクターアークを表しています。

「トニーが南部に行って帰ってくる」

この言い方にすると外的なメインプロット=プロットアークが表されます。

2本を合体させると、

「トニーが南部に行く旅でドンと友情を深めて、帰ってくる」

「分析」においては、まずこの程度の短さでのログラインがとれることが大切です。

ストーリーの中の、いろんな要素に惑わされずに、本質を見抜く作業です。

「創作」において、短いログラインは指針になります。

方位磁石の針がN極を示すように、書いていて迷ったときに進むべき方向を示してくれます。

たとえば「ドンが同性愛者だとわかる」シーンがあります。

これは「トニーが警察に呼ばれて、行ってみるとドンが裸で、男性とともに捕まっている」という描写で示されています。

初心の方が書いてしまいがちなのは、これをドンの一連のシーンで示してしまうことです。

「ドンが寂しさを感じる」→「男を探す」→「出逢ってプールに行く(※作中でプールが示されています)」→「会話から性行為を始める」→「誰かに見つかる」→「警察が来て捕まる」→「ドンが警察官にトニーに電話をするように頼む」

といったシーンです。こういったことが「バックストーリー」では展開されているはずですが、映画ではすべてカットされています。

なぜでしょうか?

主人公はトニーだからです。

映画の印象としては2人の友情物語に見えますが、トニーとドンがそれぞれ、どのような登場の仕方をしているか、きちんと見てみてください。

トニーは冒頭から登場して、粗野な性格も、仕事も家族関係も抱えてる問題も描写されています。

ドンは、トニーの仕事対象として、15分も経ってから登場します。

観客はトニーに感情移入しているので、トニーが感じるのと同様に、ドンがどんな人物かわかりません。

「ドンが、トニーと旅をする映画」ではなく、「トニーが、ドンと旅をする映画」なのです。

トニーは警察署に呼ばれてドンを助けます。

こういったシーンがwhite saviorと批判される要因でもありますが、批評はともかく「分析」の観点からいえば、しっかりと「友情を深める」というメインプロット(アーク)の一部になっています。

構成や主人公の意義が理解できていないと「ドンの感情もしっかり見せたいんだ!」と、メインプロットに無関係なシーンを好きに書いてしまいます。

なまじ、良い雰囲気のシーンが書けてしまうと、惜しくなってカットもしづらくなります。

メインプロットに無関係なシーンは、ムダなシーンの有力候補です。

方位磁石としてログラインを使えば、ストーリーが進んでいる方向が合っているどうか、よくわかります。

ログラインを「白人と黒人の友情物語」のように曖昧に書いてしまっていると、指針の役割を果たせません。

ちなみに、どうしてもシーンを残したいのであれば、「サブプロット」として入れるか「コントラストプロット」とするなど、しっかりと構成することでドラマが強くなります。つまり、シーンをカットするのではなく活かす方向に構成の方を直していくのです。その場合、ログライン自体も別な書き方になっているはずです。

長いログライン

次は、ログラインを長くする作業をしていきます。

長くするとは「具体的にすること」「シーンや設定を加えていくこと」です。

たとえば「トニー」で済ませてしまっていた主人公は、どういう人物なのか情報を加えていきます。

このとき、バランス感覚が必要です。

極端な失敗例を書いてみます。

「ニューヨークのナイトクラブ『コパカバーナ』で用心棒をしていたイタリア系白人男性のトニーは、クラブが改装工事のため閉鎖されてしまう間の仕事として運転手になり、車で南部を旅する中でドンと友情を深めて、帰ってくる」

トニーの説明だけを極端に加えてみました。

映画を見ればわかる通り、どれも間違った情報ではないけれど、ログラインとしては不適切、アンバランスです。

「本質」からズレた情報がたくさん入ってしまっているのです。

こういったログラインを書く人の脚本はPP1が遅くなりそうな予感がします。アクト2に入ることよりも、キャラクターを紹介することが大事だと思っている可能性があるのです。

「分析」において、バランスのよいログラインを書けるようにするだけでも構成の勉強になっているともいえます。

逆をいえば、ログラインを見れば、その人の構成への理解度が知れるというものです。

バランスよく情報を付け加えていく場合、拾うべきは「フック」「オリジナリティ」「ビート」に関わるものです。その点はログラインをつくるコツ(三幕構成45)でも説明しています。

平均的なログラインより長いものを書いてみます。

(再掲)「白人用心棒のトニーは黒人ピアニストドンの運転手となって、黒人差別の残る南部を旅するなかで友情を深めて、無事にニューヨークに帰ってきてクリスマスイブを祝う」

「1962年、ナイトクラブで用心棒をしていたイタリア系白人のトニーは、クラブ改装中のつなぎ仕事として、黒人ピアニストであるドンの運転手となり、黒人差別の色濃く残る南部のツアーに同行し、様々なトラブルを解決しながら、ドンの演奏に心打たれたり、手紙の添削を受けたりしながら友情を深めていき、最後の夜には演奏を拒むドンを守り、無事にニューヨークに帰り、待っていた家族にドンを紹介してクリスマスを祝う」

ログラインは無理に一文で書く必要はありませんが「。」で文章を切らないと長いと感じてしまうような場合は「ログラインとして長くなってきている」と言えそうです。

長くなると「本質」が見えづらくなっていきますが、具体的なシーンや説明が加わって、作品の魅力や雰囲気も見えてきます。

ログラインの目的は本質を見抜くことでした。その役割を理解していないという人を指導するときには文字制限をつけて、長くできないよう矯正します。

「本質」を樹木で喩えるなら「幹」や「根」です(ストーリーの根幹)。

「幹」は外的なプロットアーク、「根」は内的なキャラクターアークといったところでしょう。

ログラインの文章が長くなりがちな人は、シーンの印象=「枝葉」ばかりに目がいっていて不要な文章が増えてしまうのです。

本質的なログラインをつくってから「ビート」や「オリジナリティ」となる要素を付け加えていくと、企画書向けの文章に近づいていきます。

「分析」でも、その作品の「フック」や「オリジナリティ」となっている要素を拾うことは大切です。

これは樹木でいえば「花」や「実」のようなもので魅力として拾いたい部分です。

ログラインをバランスよく長くしていくのは、枝葉を伸ばして、樹木を成長させていくようなイメージです。

枝葉を伸ばす=具体的なシーンや重要な設定などを付け加えていけば、シノプシスに近づいていきます。

とくに「ビート」に関わるものは、枝葉を伸ばすときの参考になります。

アンバランスな例を示すなら、

「1962年、ナイトクラブで用心棒をしていたイタリア系白人のトニーは、クラブ改装中のつなぎ仕事として、黒人ピアニストであるドンの運転手となり、黒人差別の色濃く残る南部のツアーに同行する。様々なトラブルを解決しながら、ドンの演奏に心打たれたり、手紙の添削を受けたりする。ケンタッキー州に入ったある日、トニーはフライドチキンを食べる。食べたことがないというドンに対して、黒人ならチキンだという偏見を浴びせながらも食べてみるように勧める。恐る恐る口にするドン。食べおわった骨の処理に困ると、トニーは「こうすればいい」と、走行中の車の窓から放り投げる。驚きながらも真似をするドン。調子にのったトニーはドリンクのゴミまで放り投げるが、それはドンが許さなかった。そんな風にして友情を深めていく二人。最後の夜には演奏を拒むドンを守り、無事にニューヨークに帰り、待っていた家族にドンを紹介してクリスマスを祝う」

とても魅力的なシーンですが、ワンシーンの説明ばかりが長くなるのは一本の枝ばかり伸ばしているようなもので、ログラインとしてはアンバランスです。

シノプシスであれば、一部のシーンを強調するように書くことで雰囲気が伝わるというテクニックはあります。

ちなみにAIが作るプロットについて(三幕構成49)で書いたAIのプロットにおける「味気なさ」とはこういう部分が欠けているということです。

企画書やシノプシスを提出するときには「ログラインを長くする作業」が役に立ちますが、しっかりとビートシートを作って「分析」している場合は長いログラインは不要です。

僕のビートシートでは「フック」と「オリジナリティ」は「Subject」「Originality」の項目で拾いますし、具体的なシーンや「ビート」は時間とともに拾っているはずです。

だから「ビートシート」にはログラインの項目はありません(※短いログライン=「本質」はビート分析していれば掴めているはずです)。

ログラインと執筆

「創作」において「ログライン」「シノプシス」「ビートシート」を、どこまで準備して執筆に入ればいいのか?

いろいろと学ぶと、準備しなくてはいけないと考えてしまうかもしれませんが、はっきり言って、人それぞれ、作品次第です。

参考例として、僕の場合を紹介しておきます。

仕事で書くときは、執筆前の段階としてプロットやシノプシスの提出がいるので必然的に丁寧な段取りになります。

自分の作品として書くときは「短いログライン」だけで書き始めて、あとは執筆しながら考えていくことがあります。準備が一番少ないパターンです。

これで「初稿」があがってしまうならラッキーですし、行き詰まったら、途中で「ビートシート」をつくって構成を検討することもあります。

分析をたくさんこなしているため、ビートを体感的に覚えているので、展開を決めないで書いていても「そろそろカタリストだな」とか感じていますので、結果的に三幕構成になることはよくあります。

そういった体感的なリズムが掴めないときに、一度、分析として「ビートシート」を作って検討するというかんじです。

作品全体として大きな構想があるときや、群像的なものは混乱しやすいので、事前に「ビートシート」を作って、中継地点となるような重要なビートを把握してから書き始めます。もちろん書いている途中に変更になることは多々あります。

傾向として、脚本は構成の影響が大きいのでしっかり決めた方が書きやすいけど、小説は文章表現が大事なので集中するため構成を決めすぎない方が書きいやすいということは感じます。

作者の経験や性格、作品の文体や内容によりけりですが、誰でも最初の目的は「初稿を仕上げること」です。

「初稿」が一番早く仕上がるのが、一番いい方法と言えそうです。

初稿が出来てから「分析」をして推敲するのは当たり前と考えれば、初稿は「完成度を高めること」よりも「早く仕上げること」が重要だと考えられます。

「ビートシート」を考えすぎて、なかなか書き始められないのであれば本末転倒。

案ずるよりが産むが易し、ログライン程度の準備で書き始めていいと思います。

「ビートシート」も作れない、けれど書き始めもうまくいかないという人は、その中間にある「シノプシス」を活用するのが折衷案かもしれません。

個人的には「シノプシス」を書くのは嫌いです。

ビートに慣れているので「ビートシート」は作れるし、具体的なシーンを込めた「シノプシス」を書くぐらいなら初稿に入ってしまいたいという、せっかちな性格だからです。

あくまで僕の性格です。

けれど、ハリウッドの脚本家で、ものすごく長いシノプシスを準備した上で脚本に入るという人もいるそうです。

その人にとっては、それが一番書きやすいスタイルなのでしょう。

人それぞれ、作品次第なのです。

今は「シノプシス」を書かないスタイルですが、仕事で「シノプシス」があったことにより推敲でのブラッシュアップの質が上がったという経験もありました。

初稿を早く仕上げるより、初稿から完成度を高めた方が、全体としては効率がいいということもあるかもしれません。

もっとしっかりと来る方法が見つかれば、僕もスタイルは変えていきます。

誰に何を言われようとも、創作において「こうしなければいけない」というルールなどありません。

同時に、他人の方法はヒントやアイデアになれど、自分にとっての正解にはなりません。

常に模索しながら、自分のスタイルを見つけること自体が、創作の能力向上に繋がるのでしょう。

ログラインにせよビートシートにせよ、使う使わないは自由でも、いろんな方法を知っていることは損にはならないでしょう。

緋片イルカ 2023.3.12
2023.3.24 誤字脱字、読みづらいところ修正

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