次回の読書会より、分析だけでなくて創作の要素をとりいれていくことにしました。
「作品合評会」と称して参加者から作品の応募を募り、講評したりしてしていきます。それに伴い、書いてみたいけど、どう書いたらわからないという方へ向けたヒントを書いていきます。(第一回はこちら)
今回は、句読点の打ち方を考えてみます。
ちいさいことですが、もしかしたら、こういうところにこそ文章の真髄があるかもしれません。
句読点のルール
学校の作文で習った考え方はおおよそ以下のようなものでしょう。
「、」は文中の切れ目に入れて、読むときは一呼吸おきましょう。
「。」は文章の最後に入れます。
基本的な考え方はこれで十分でしょう。
「。」をどこに打つかで迷う人は少ないと思いますが「、」の打ち方には個性がでます。
ある小説スクールの授業で面白かったことがあったので真似してみます。
1人目の文章
以下の文章は、ある有名作家の文章から読点(「、」)のみを排除したものです。みなさんならどこに打ちますか?(あるいは何個うちますか?)
うとうとしたと思ううちに眼が覚めた。すると隣の室で妙な音がする。始めは何の音ともまたどこから来るとも判然した見当がつかなかったが聞いているうちにだんだん耳の中へ纏まった観念ができてきた。何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。
いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事割烹は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分何しに大根おろしを拵えよう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのにきまっているとすぐ心の裡で覚ったようなもののさてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。
2人目の文章
同じことを別の作家でやってみましょう。いくつぐらい「、」がつくと思いますか?
まだおかもとに住んでいたじぶんのあるとしの九月のことであった。あまり天気のいい日だったのでゆうこくといっても三時すこし過ぎたころからふとおもいたってそこらを歩いて来たくなった。遠はしりをするには時間がおそいし近いところはたいがい知ってしまったしどこぞ二三時間で行ってこられる恰好な散策地でわれもひともちょっと考えつかないようなわすれられた場所はないものかとしあんしたすえにいつからかいちど水無瀬の宮へ行ってみようと思いながらついおりがなくてすごしていたことにこころづいた。
3人目の文章
さあ、3人目の作家です。あなたなら句読点を、どこに、いくつ打ちますか?
おわかれ致します。あなたは嘘ばかりついていました。私にもいけない所があるのかも知れません。けれども私は私のどこがいけないのかわからないの。私ももう二十四です。このとしになってはどこがいけないと言われても私にはもう直す事が出来ません。いちど死んでキリスト様のように復活でもしない事にはなおりません。自分から死ぬという事は一ばんの罪悪のような気も致しますから私はあなたとおわかれして私の正しいと思う生きかたでしばらく生きて努めてみたいと思います。私にはあなたがこわいのです。
読点の効果
どこに、どれだけ、打つかは作者が決めること。
上に挙げた文章では作者がいるので「答え合わせ」ができますが、あなたの文章の答えはあなたが決めるしかありません。
どこに「、」を打つかによって、読みやすさやリズムが変わることは感じていただけたかと思います。
作者は「、」を打つことによって、読者に読み方を強制することができます。
そのことだけは知っておいて、損はないと思います。
現代は読者の読解リテラシーが低いので、読みにくいだけで毛嫌いされてしまうので注意が必要ですが、それでも、作者としては「、」の一つや二つ、打ちたいところに打っていいのではないでしょうか?
多少、読みにくくなったとしても、それがあなたの文体になる可能性は十分ありえると思います。
閃いたら、勢いで書こう!
何かひらめいくものがあったら、考えすぎずに書いてみることをオススメします。
どこかで見たことあるようなアイデアでも恐れる必要はありません。
作品には必ず、作者の視点が入るので、同じアイデアでも全く同じになることはありません。恐れずに書きましょう。
一番、大切なことは書き上げることです。
書き上げなければ、誰かに見せることもできません。
すてきな作品ができましたら、ぜひ「作品合評会」にご参加ください。お待ちしております。
緋片イルカ 2020/08/01