描写を考える③言葉選びの三視点(文章#33)

前回のおさらい

前回の記事では「説明」と「描写」のちがいについて掘り下げました。

表現に、正しいひとつの答えなどないけれど、効果的かどうか、誤読されていないか、といった観点からのチェックは可能で、言葉を選ぶときには、一字一句まで気を遣って選ぶべきだと書きました。

今回は、その選び方について、三つの視点から考えてみたいと思います。

作者の視点

(例文1)
私と妻は、何年も前から分断されていた。

夫婦の冷え切った関係を表す一文です。

「分断」という言葉は、広辞苑によると「まとまりあるものを断ちきって別れ別れにすること。」とだけあります。

しかし、近年では「社会の分断」といった使われ方で、経済格差や、思想による対立を表現する「divide」の訳語として使われます。

そのため、この言葉には含みが生まれます。

つまり、作者はこの夫婦関係に、社会的な分断の構造を持ち込もうとしているように読めます。

「分断」というのは現代を生きる同時代作家にとっての共通のテーマだと思っています。それゆえ大事にしたいと思っている言葉だとも思っています(とはいえ、分断の本質は近年に始まったことではなく、人類の歴史に太古から抱える「他者との共存」というテーマに根差しているとも思ってますが)。

この言葉を「使いたい」と思うこと、それが三つの視点の一つめ「作者の視点」です。場合によっては、作者の思想ともいえます。

(例文2)
私と妻は、何年も前からディバイドされていた。

英語にしてみると、どうでしょうか。より、概念としての「分断」が目立ってきますが、反面、カタカナ文字をシャレオツと思う知識人臭もでてしまいます。

前回の例文でも示したとおり、どちらが良いかというのは、全体から判断されるもので、この一文だけで判断できるものではありません。

小説全体にカタカナ言葉が多く、それが文体のような魅力として働いているのであれば、あえて「ディバイド」という表現が適当だと思いますし、一方、他には難しい言葉が出て来ないのに、ここだけ使っていると、無理して使っているように見えたりしもします。

また、この「私」がどういうキャラクターかにも左右されます。

それが二つめの視点です。

人物の視点

(例文3)
ぼくのパパとママは、もう何年も前からディバイドされてるんだ。

「ぼく」「パパ」「ママ」といった表現から、小さな子供であると読めます。

子供が「ディバイド」なんていう言葉を使うには違和感があります。

こういう文章は、キャラクターを作者の思想を言わせるための人形にしてしまう危険があります。

物語を描きたいと思う人には、大なり小なり、描きたいものがあるはずです。

そうでなければ「物語なんて書く必要はない」はずです。

しかし、現実を無視した、作者の願望を具現化しただけの物語は、自慰的で、読者に抵抗感をもたせます。

露骨の例として、プロパガンダや宗教や企業の宣伝に関するストーリーを想像していただけたら、おわかりになると思います。

作者が「伝えたいこと」は「物語を通して間接的に伝えるべきもの」で、作者がキャラクターより前に出てきては、世界観を壊してしまうのです。

例外として、一人称の文学作品のように、作者≒主人公で書かれている場合で、その作者自身の抱える問題が、その時代の多くの人に共通の場合は、共感されることもあります(参考:My StoryとOur Story

こういう作品を目指す場合、作者自身の弱いところも、曝け出しような、自然主義的なスタイルが必要だと思います。

弱いところを見せなかったり、綺麗事の思想ばかり言う、主人公には共感しづらいからです。

読者の視点

「作者が何を伝えたいか?」という作者の視点と「キャラクターとしての整合性」としての人物の視点について話しました。

これらはストーリーサークルにおいて「視点」と「人物」の中間に「描写」があることを表しています。

つまり、言葉を選ぶときに「自分」のこと「キャラクター」のことを、しっかり区別して考えて書くということとも言えます。

それに対して、三つめの視点である「読者の視点」は、小説そのものの読まれ方を考えることです。

言葉を発信する側ではなくて、受け取る側として、どう感じるかを想像して言葉を選ぶこと。

「分断」と書かれたり「ディバイド」と書かれることで、読者の感じ方はどう変わるだろうか?と想像することです。

説明としては「相手の気持ちになって考える」ということに過ぎないのですが、本当の意味で他人の気持ちになって考えるというのは、とても難しいことだと、真剣に考えたことのある人ならお分かりなるかと思います。

難しいことですが、物語内では、常に気を遣わなくてはいけません。

Aという人物が発言したことに対して、それを言われたBという人物が、どうリアクションするか?

作者は、それを常に考えて書くべきだからです。

一方の視点、すなわち主人公の視点からしかキャラクターを描けていない物語は、ご都合主義に展開されます。

(例文4)
夫「俺たちの関係ってディバイドされてるよな」
妻「ディバイド?」
夫「ディバイドっていうのは分断って意味だよ。関係が冷え切っているってこと」
妻「なるほど、たしかにそうかもね」

一方の視点だけで書かれている会話を書いてみました。こういった、一方視点のやりとりを、創作物では、よく目にします。とくに日本のテレビドラマなんかでは、この程度のセリフ回しでの展開が目立ちます。

ここでは、妻の視点というのが、ほとんど無視されています。作者が「ディバイド」という言葉を説明したいがために、妻に「ディバイド?」と聞きか返させています。

(例文5)
夫「俺たちの関係ってディバイドされてるよな」
妻「はあ?」
夫「つまりディバイドっていうのは分断って意味で――――」
  妻、咳払いをする。
妻「テレビの音、聞こえないから黙っててくれる?」

キャラクターの具体的な設定をしていませんが「夫をうざい」と感じている感情を察るだけでも、たとえば、こんな会話になるでしょう。もちろん、ひとつの正解ではありません。一例です。

この4と5の会話を見た読者がどう感じるのか?まで考えるのが「読者の視点」です。

物語にリアリティを求めない人であれば「例文4」のような説明的なやりとりでも、違和感なく読んでくれるかもしれませんが、読者の数が多くなればなるほど、違和感をもつ読者も増えてくるでしょう。

こういう、一方的な展開を書いてしまう作者は、おそらく独りよがりで、「作品」自体がどう読まれるかを意識していません。

さきにも言ったように、キャラクターBのリアクションを考えて書くことと、「読者の視点」を考えて書くことは同義だからです。

言葉を選ぶときには、一字一句まで気を遣って選ぶべきということが、少しでもご理解いただけたら幸いです。

僕の考えの良し悪しは、読まれた方が判断してくだされば構いませんが、納得してくださった方であれば、今後の「描写を考える」シリーズも参考になることがあるかと思います。

週一ぐらいで、とりとめもなく書いていく予定です。

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緋片イルカ 2021/06/18

描写を考える④世界観と言葉選び(文章#34)

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