「説明セリフ」とは?
よく、初心者が書きがちな悪いセリフとして「説明セリフ」という言葉があります。
いかにも、観客に説明をするためのセリフです。
太郎「いったいどうして?」
花子「彼は本当は嫌だったのよ。それを隠すために、あんな嘘をついたんだわ」
こんなです。
注意が必要なのは、太郎の「どうして?」という問いかけです。
この質問をさせた時点で、説明セリフを誘導しています(誘導セリフ)。
初心者が小慣れてくると、すぐに誘導セリフを使って、説明させようとします。
物語では「観客に伝えるべき情報」があります。
けれど、多くの場合はセリフで説明するべきではないのです。
電化製品の説明書などを思い浮かべてみてください。
文字だけでびっしり書かれていたら読む気がしませんね?
実際の説明書は、イラストや写真入りで、わかりやすく伝えているはずです。
その方が、確実に、的確に、負担が少なく伝わるからです。
セリフで言うよりシーンで伝えることが、良い物語です。
花子のセリフ「彼は本当は嫌だったのよ。それを隠すために、あんな嘘をついたんだわ」なんてことは、花子が説明しなくても自然と観客が察するようにシーンを見せればいいだけの話なのです。
「説明シーン」とは?
初心者が、次に陥りがちなのが「説明シーン」です。
「セリフでなく、シーンで伝えればいいんだな、よし!」と張り切って、「説明シーン」を作ってしまうのです。
「説明セリフ」という言葉はシナリオ教本にも書かれていますが「説明シーン」という観点は見落とされています。
日本のドラマや邦画も「説明シーン」のオンパレードなので、そういう意識すらないのでしょう。
だいたい、脚本は最初の数ページを読めば、ライターの腕がわかりますが(人物表だけでもわかることが多々あります)、その理由の一つに「主人公のセットアップ」だけで上手い下手が出るからです。
未熟な人は、主人公を「説明シーン」でセットアップしようとします。
言い換えるなら「設定を説明するようなシーン」で始めてしまっているのです。
設定とは何か?と聞かれて、答えに困る人は少ないと思います。設定は設定。
例えば、主人公の名前は田中一郎、18歳、高校生、男、部活は映画研究会。家族構成は両親と小学生の妹。放課後はハンバーガーショップでアルバイトをしていて、お金を貯めて撮影機器を買おうと思っている。彼女なし。実は料理が得意で、こだわりの手打ち蕎麦は家族にも好評……などなど。
こんなかんじで、そのキャラクターの設定です。
さらに、小学校時代、中学校時代の様子などを加えていくと「履歴」となっていきます。
この「田中一郎」を観客に伝えるとき、やってしまいがちな「説明シーン」は以下のような展開です。
シーン1:田中の部屋。目を覚ます。時計を見て驚く。遅刻である。
シーン2:焦ってリビングキッチンへ行くと、父と妹は準備を済ませている(父親「昨日の一郎の打った蕎麦、美味かったぞ。ごちそうさま」なんて言わせたりしたら最悪です)。
シーン3:町を慌てて走っていく。
シーン4:電車の中。スマホで映画研究会の友達とライン。「新作の○○見た?」とか。
シーン5:ギリギリで教室に到着。友人から「ワクドナルドのバイトばっかしてるから寝坊するんじゃねえの?」「うるせえ」「なんで、そんなバイトばっかしてるんだよ?」「お金貯めて、カメラを買いたいんだよ」「あといくらだよ?」とか
こんなです。アニメなんかでよくありそうです。
どれも、主人公を説明するためだけのシーンで「物語」が動き出してません。
観客(脚本の読者)は、主人公について知らないので、こういう稚拙なセットアップをされても、それほど不快には感じません。
「ふむふむ、主人公がよくわかる。読みやすい」とすら感じる人もいるでしょう。
ですが、セットアップの遅れは「カタリスト」の遅れに繋がり「PP1」、アクト2の遅れへと繋がります。つまりは盛りあがる部分を「説明シーン」で潰してしまっているのです。
これは100m走のスタートで出遅れているのに似ています。映画の2時間を長距離と思うなら、スタートの遅れぐらいは取り戻せると思うかもしれませんが2時間なんてあっという間です。トップレベルの選手(世界に通用するような作品)は、スタートから全速力で、そのままゴールまで走り抜けていきます。
だらだら「説明シーン」なんかで始めている時点で、世界レベルには通用しないと思うべきです。
「ストーリーエンジン」の喩えで言い換えるなら、物語が始まってからゆっくりとエンジンをかけていてはダメということです。
物語が始まる前からエンジンはかけておき、スタートランプが点灯したら一気にアクセルを踏み込んでスタートダッシュをするようにストーリーを動かすべきなのです。
そうすれば、観客は冒頭からグッと引き込まれ、時間を忘れたように物語に入りこんでいきます。
なお、ゆったりと始まっていく演出のスピード感と、物語におけるストーリーエンジンを駆動させるというのは別次元なので混同しないように。ゆったりした演出がいかんとは微塵も言ってません。
逆にアクション映画のようなスピーディー演出でも、ストーリーエンジンが動いていないこともあります。
「ストーリーエンジン」を駆動させるというのは、物語のテンポやスピード感を言っているわけではありません。
書く前に「設定」しておく
「説明シーン」を書いてしう原因の一つに「設定が甘い」「履歴を考えていない」といったことが考えられます。
初心の人では「設定」を考えながらシーンを書いている人すらいます。
「設定」は書き出す前に考えておくものです。
先の「田中一郎」の例でいえば、なぜ「友人」なのにバイトしている理由を知らないのか?
「友人」なら知っていていいでしょう。知っているなら、彼から「なんで、そんなバイトばっかしてるんだよ?」なんてセリフは出てこないはずです。
いきなり「あと、いくらだよ?」など、知ってる前提のセリフが出てくるはずです。
観客に伝わらない不安が残るときは、別のシーンでもフォローを重ねるように描きます。
ストーリー上、重要な情報であれば、必ずくり返し触れる機会があるので、自然と伝わっていきます。
一回しか出てこないような情報なら、そもそも説明する必要がない情報という可能性があります。
初心の方で不安感が強いのは、ただ観客の推察力を低く見積もりすぎている場合もあるかもしれません。観客はバカではありません。
自分が観客になったときを想像して、自分の文章を読んでみて下さい。
それがうまくいかない人は「客観視する能力」が弱いのかもしれません。これは物語を書く上で重要な能力です。
とはいえ、心配は要りません。
自分一人で客観視できないなら、友人や仲間に読んでもらって感想をもらえばいいのです。
書く前に「構成」しておく
「説明シーン」を避けようとするとき「では、物語をどこから始めるべきか?」という問いにぶつかります。
その問いは「この物語は誰の何の物語なのか?」とも言い換えられるでしょう。
「田中一郎」の話でいえば「蕎麦職人を目指す話」なのか「映画監督を目指す話」なのかでシーンの選び方はがらりと変わります。
「説明シーン」が入ってしまう2つめの原因は、書く前に「構成を考えていない」のです。
「設定」を闇雲に「シーン」として並べていっても、主人公の説明にはなれど、そこからドラマは生まれません。
主人公のどんな一面を切りとり、どのような順番に見せていくかという「構成」をすることで、ドラマが生まれるのです。
それは「何を伝えたいのか?」「誰の何の物語なのか?」「ジャンルは何か?」といったこととも繋がります。
「設定」が決まってなければ「構成」は立てられませんし、「構成」が決まらなければ「シーン」の意義が固まりません。
また「設定」が変わってしまえば「構成」は直す必要が出てきて、カットされる「シーン」も出てきます。
三者には「設定」→「構成」→「シーン」という順番(階層)があります。
「設定」や「構成」を飛ばして「シーン」を書いてはいけないのです。
緋片イルカ 2022.10.4