「君だけに言う」

高校に入って初めて声をかけてくれたのが、アスカだった。入学式の翌日、ガイダンスの最中だった。

「ねえ、部活決めた?」
アスカは後ろから私の肩を叩いてそう聞いた。ショートカットで瞳の大きい、女から見ても可愛い女の子だった。

「うん、迷っているところ」
私は将来小説家になりたいと思っていたので、高校に入ったらそれに役立ちそうな部活に入ろうと決めていた。

「そうなんだ。名前は? ケー番交換しない?」
アスカが言った。

「わたしはアスカでいいよ? こっちはキクコ」
アスカは隣りにいた、少しぽっちゃりした女の子、それがキクコだった。

アスカもキクコももともと部活に入る気はなかったらしかった。「部活決めた?」というのは私へ話しかけるためのきっかけに過ぎなかったんだ、と知って心の隅の方でちょっとだけがっかりした。
けど、こうやって弁当を一緒に食べる友達が出来ただけでも、中学の私からは想像できない姿だった。

「昨日の話、本当?」
アスカがキクコに聞いた。

「本当だって?」

「やばくない?」

「やばい、やばい」

「何の話?」
私が聞いた。

「あ、キクコの彼氏が浮気してるっぽいんだって」

「ふうん」

「レイカはnixiやってないの?」
キクコが私に聞いた。

「憎し? なにそれ?」

「じゃあ、招待状送ってあげるね」
その場で、キクコからメールが届いた。

それがすべての始まりだった。

キクコのニックネームは「ペロちゃん」だった。自己紹介を読むと、それが昔飼っていた犬の名前だと知った。ペロペロとよく嘗める白いシェパードだったらしい。

ペロちゃんの昨日の日記には、彼氏にメールの返信がなく、3回も着信を入れたのに折り返しがない、ということがだらだらと時間を追って書かれていた。

アスカは自分の好きな音楽や飼ってきた洋服の写真を載せていて、どこのお店でいくらで買ったとか、何と迷ったとか、お金が欲しいとか……そんなことがつらつらと書かれていた。

「ふーん、そうなんだ」と私は思った。

アスカとキクコには100人以上のマイニクがいて、いろんな変わった名前の人達が二人の日記にコメントしていた。

朝の通学電車で、アスカと会った。
「昨日の日記読んでくれた?」

「ああ、ワンピースが安かったってやつ?」

「違うよ、その後の夜に更新したたやつ」

「まだ読んでない」

「ちゃんとチェックしてよ?」

「ごめん、何書いたの?」

「後でいいから見て、書き込みしといてよ?」

「うん、わかった」
私は愛想笑いを浮かべたが、アスカは笑い返してはくれなかった。

ログインすると、メールが届いていた。

ナガセからだった。

ナガセは中学の卒業式に告白されて付き合うことになった恋人だ、一応。

どうして私がnixiをなんかやってるのか?やっているのなら何で教えてくれないんだ?というようなことが、書いてあった。

私は面倒くさくなって、そのままシャットダウンした。

休み時間を見計らって電話がかかってきた。

「メール見た?」
ナガセの声が険しいのがわかった。

「メールって?」

「nixiの方に送ったの」

「ああ、見た」

「何で、返事くれないの?」

「別に……」

「何か、レイカ、高校行ってから変わったね?」

「そう?」

「nixiとかやるタイプじゃなかったじゃん?」

「私がやっちゃいけないの?」
自分はやってるのに、とは言わないことにした。

「そういう訳じゃないけど。やんないタイプだと思ってた」

誘われたからやってるだけ、と本音を言おうとして隣にいるアスカを見て、

「そう」
とだけ言った。

「誰?」
アスカが聞いた。

「彼氏」

「レイカ、彼氏いたの?」
キクコは意外そうに言った。

「うん、一応ね」

「喧嘩?」
アスカが聞いた。

「うんん。何でnixiやってるの教えてくれないんだって怒ってた」

「嫉妬だね」

「嫉妬?」

「けっこう出会いとかもあるからさ」

「ふ~ん、そうなんだ」

私は仕方ないような気持で、ナガセをマイニクに登録した。

アスカの日記は、夜にやっていたお笑い番組に出ていた芸人のコメントについてアスカの考えが書かれていて、それに対してみんなはどう思うか?というものだった。すでに30件以上の書き込みがあって、私が書くことなんて(そもそもそんな話題に書くことは私には何もなかったのだが)、アスカの手前、一言ひねり出してコメントした。

気付いたら、アスカとペロちゃんのマイニクにナガセが入っていた。

日曜日はたいていナガセと会う。
デート、といっても近所をぶらぶらしてハンバーガーを食べたり、ファミレスのドリンクバーでねばったり、暗くなると公園の陰でキスをしたり、その先を少ししたりする。
最初からどちらからの家にいると、そればかりする。
それがなければ付き合っているというより、ただの同級生のような気がする。

ナガセとは最後まではしたことないし、これからもしたくないと、はっきりと思う。

最中はドキドキするが、終わると早く家に帰ってお風呂に浸かりたい、ベッドに潜りたいと、私はいつも思う。

月曜日、学校へ行くと、キクコにめずらしく興奮した調子で、私に話しかけてきた。

「レイカ、どこの公園でしたの?」

キクコの含み笑みが、言葉の意味するところはわかったが、どうしてキクコがそんなことを知っているのかがわからなかった。次の言葉を聞くまでは。

「ナガセくん、いろいろ書いてたよ?」

書いてあることは予想できて、私は見たくないような気がした、けどそれはそれでいつまでも胸の中がぐずぐずするようで、見てしまった。

予想していた通りのことが書いてあった。

キクコもいくつかコメントし、それに対してナガセも追加のコメントをしていた。

最後までさせてくれないナガセの不満と、「普通好きだったらOKだけどな」というキクコのコメントが、私の胸に重く残った。

私はキクコの顔を見たくなくて、一人トイレへ行った。
すれ違った、他のクラスの子が私の顔を見て目を背けたのがはっきりとわかった。

それ以来、私はnixiは見ないことにしたし、キクコとも喋らないようにしたし、そのせいでアスカとも遠くなった。
ナガセからの連絡も減って、たまに誘われても断った。

私は一人になった気がした。けれど中学の時とそんなに変わらない気もした。入りそびれた文芸部にも今さら入れそうにはなかった。

寂しいと言ったら、何かに負ける気がした。

代わりに私はnixiを憎んだ。nixiをやっているであろう人をみなペロちゃんと同類のようだと思って憎んだ。

ある日、アスカが声をかけてきた。

「レイカ、最近、nixi来てないね?」

「うん、私、元々ああいうの駄目なんだよね」

「そっか。何か分かる」

「アスカは楽しんでるじゃん」
私は本音で言ってから、嫌味になっているような気がしてシマッタと思った。が、すぐにどうでもいいか、と思った。

「何か書かないと浮いちゃうからさ」

「ふ~ん、そうなんだ」

「そうだよ。キクコは大好きみたいだけど」

「ペロちゃんだもんね」
私は思わず鼻で笑ってしまった。

「レイカ……。言おうか迷ったんだけど、キクコの昨日の日記……」

「何?」

「ごめん、どうしよう、やっぱ見ない方がいいかも」

「そんなこと言われたら、さすがに気になるよ」

「……うん、ごめん」
アスカは俯いて、黙っていた。私にかけるべき言葉を探しているようだった。

「じゃ、今見てみるよ」
私は言った。

要はキクコとナガセが付き合い始めた、ということが書かれていた。キクコが、友達の彼氏だから申し訳ないということを書いていて、好きになったら仕方がないという応援のコメントがたくさん寄せられていた。

私の知らないところで時間が進んでいて、私だけが世界から取り残されてしまったような気がした。

一人とはこういうことなのか、と私は知った。

「大丈夫?」
アスカが言った。

「うん、別に。ナガセなんてそんな好きじゃなかったから……」

「でも、泣いてるよ、レイカ」

「え?」
私は、自分の頬に一筋の涙が流れているの自覚すると、さらに涙が溢れ出してくるのがわかった。

この寂しさを表現する言葉を私は持っていなかった。

「書いたもん勝ちだからね」
と、アスカは言った。

「何でもかんでも日記に書いちゃえば誰かしらコメントしてくれるでしょ? それが多ければ、反対意見なんて書けないじゃない?」

「……うん」

「だから、みんな一生懸命、コメントしてくれるマイニクを増やしたがってさ。ほとんど話したこともないような人でも、同級生ってだけで、『久しぶり』とか言ってさ」

「でも、そこから仲良くなることもあるでしょ?」
私がそんな質問をしたのは、それすらも否定して欲しい気持ちからだったと思う。

「……まあ、そういうのもあるだろね」
アスカはやんわりと肯定した。

アスカの好きな音楽について日記を書いた次の日に、キクコは嫌いなモノとしてその音楽のことを書いていたことがあったらしい。
それがアスカに対しての気持ちから書かれたものだったのか、ただ本当にキクコの好みとして書いたのは分からなかったが、学校では普通に親しげに話しかけてくるキクコが信じられなくなって、アスカはnixiから疎遠になったらしい。

「どうしても気になって、週に1回くらいは見ちゃうんだよね。もう依存症だよ」
とアスカは言った。

私は、アスカの言葉をヒントに、nixiへの皮肉を込めて、現実ではデブのブスで人と喋るのが苦手なキクエ(これは私なりのキクコへの仕返し)がネット上では全くのお嬢様を装い、男達がナンパなメールを送りつけては……という小説を書いた。
私はそれをアスカに見せて、将来、小説家になりたいということを告白した。

「実は今まで、誰にも言ったことがないことなんだよね」

「夢があるってすごいことだよ!わたしなんか何にもやりたいことなんてないもん。頑張って欲しい!絶対なれるよ、レイカなら!」
その声色はアスカの心の底から出てきている言葉であるのがはっきりわかった。

「この小説、面白いからnixiに載せちゃえば?」
アスカが言った。

「それは絶対イヤ」

「なんで?」

「簡単にコメントされたくないもん」

偉そうに!と、私の中の誰かがコメントしたが、

「確かにそうだね」
とアスカは言ってくれた。

(了)

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