前回、「設定」と「構成」のちがいについて、
『マインドアサシン』の例をつかって説明しました。
今回は、同じかずはじめ先生の『ラックスティーラー』との比較で「設定」の意味を考えてみたいと思います。
運を操る能力
このマンガも第一話が試し読みで読めるようになっていますので、どうぞ、読んだ上で、以下をお読みください。
前回の『マインドアサシン』と読み比べていただければ、いかに似ているかは感じられると思いますが、
改めて「設定」部分を確認していきます。(マインドアサシンについては前回記事をご覧下さい)
主人公の来栖悠聖(くるすゆうせい)は、運を吸いとるという能力を持っています。
運を完全に吸いとられた人間は不慮の事故などで必ず死にます。
『マインドアサシン』では暗殺として記憶を消された人間は赤ん坊のように呆けた状態になってしまいますが、
どちらも触れるだけで暗殺できるので、証拠が残らないという点が共通しています。
個人的に暗殺能力を使っている奥森先生とはちがい、来栖は殺し屋を職業としています。
また『マインドアサシン』では診療などを目的に、人の役に立つために記憶を消してやるというプラスの使い方がありますが、
『ラックスティーラー』でも運を分け与えることで、人を幸せにしてやることができるというプラスの使い方が共通しています。
『マインドアサイン』のコヤタと同様、『ラックスティーラー』では花凛という無垢な少女がいます。
しかし花凛は、来栖の実の娘で「運が全くない」ために来栖が盗んできた運を分け与えてやらないと死んでしまうという設定は違います。
奥森先生は依頼者優先で行動する優しく包みこむようなキャラクターですが、来栖の性格は粗暴です。
以上、二つのマンガの設定部分を比較しました。
「記憶」と「運」という操るものは違いますが、その能力はプラスにもマイナスにも使える点は、とても似ているマンガといえます。
「一話完結」構成とストーリーアーク
『マインドアサシン』は基本的に一話完結型の構成です。
奥森先生のところへ「依頼者」がやってきて、その問題を解決する。
暗殺の入らない回もあって、それがまた魅力的なのですが、基本的には依頼を解決する型です。
これは、ストーリーとしては「専門家もの」と言え、似たような「構成」になるは、弁護士とか探偵とか、主人公のプロフェッショナルな能力を頼って「依頼者」がやってきて、主人公が解決するという形です。
『マインドアサシン』の依頼者は、主に心の悩みを抱えた人々です。
余談ですが、一話完結型は構成はとてもシンプルで簡単なのですが、反面、ネタ集めが大変という側面があります。
つまり、毎回の「依頼者」を考えるのが大変なのです。『マインドアサシン』が週刊連載に耐えられなかったのは仕方のないことだと思えます(しかも、かず先生のデビュー作です)。
さて『ラックスティーラー』の構成を見てみましょう。
こちらの依頼者は、殺し屋としての依頼です。
『マインドアサシン』と比べるとアクション性が高まる反面、「感情ドラマ」は弱くなっています。
『ラックスティーラー』より『マインドアサシン』の方が好きという方がいるとしたら、この部分による違いでしょう。
とはいえ、各話の「構成」も、おおよそは「依頼者が現れて」→「暗殺する」という展開は似ています。
この二つのマンガは主人公の設定も、構成もとても似ているのです。
一方で、『ラックスティーラー』には『マインドアサシン』には全くない展開があります。
それは構成の用語でいうところのキャラクターアークです。キャラクターアークとは?
一話完結の依頼解決型のストーリーの主人公は、基本的に成長や変化をしません。
その都度、感情的なリアクションはしますが、それによって人生観を変えられて、仕事を変えるような大きな変化は起こりません(主人公が仕事を変えたらシリーズが終わります)。
けれど、映画のように主人公の変化や成長を描くタイプの物語では、主人公の変化が起こります。
『ラックスティーラー』の来栖は、一話完結型のように始まりますが、全巻を通してみると、この「変化」をするタイプのキャラクターなのです。
似たような設定で、似たような構成のマンガなのに、奥森先生と来栖を分ける大きな違いはなんでしょうか?
主人公のWANTは構成をも変える?
キャラクターの目的をWANTといいます。
この違いはシリーズの主人公としては大きな差になります。(くわしくは→主人公のWANT)
奥森先生は、心の悩みを抱える依頼者に親身になって行動します。彼のWANTは「苦しんでいる人を救いたい」です。
一方、来栖が「運」を盗むのは「娘の命を救いたい」です。これが来栖のWANTです。
奥森先生に比べると、個人的で、それが性格の粗暴さにもつながっています。
けれど、娘を救うためなら何でもする行動力や強さがあります(殺人だってするのです)。
このWANTの差が、二つのマンガの構成を分けているといえます。
つまり、「設定」のちがいが「構成」に影響しているのです。
もう一つ、大きな違いを生んでいる「設定」があります。
それは、『マインドアサシン』の暗殺能力は、第二次世界大戦中にナチスが開発したものという設定がありますが、来栖の運を盗む能力については、本人は何故もっているか知りません。
娘がなぜ「運がないか」もわからないのです。わからないなり、ただ生き延びるために能力を使っている。
中盤以降、この「運を操る能力」自体は、このマンガ全体のテーマにもなってきます。(詳細はどうぞ原作マンガをお読みください。面白いですよ。)
これも「設定」のちがいが「構成」に影響しているのです。
前回の企画書に関する記事では、「設定」をごちゃごちゃ書くよりも「構成」が見えるように物語を提示することが大切だということを書きましたが「設定」が適当でいいという意味では決してありません。
あくまで「設定」と「構成」は区別して考えることが大切だということなのです。
緋片イルカ 2020/12/02
第一話がおもしろかった方は、ぜひ全巻読んでみてください。このマンガはぜひ最終巻まで読んでほしいです。
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次回の開催はこちら→読書会#7『蛇を踏む』川上弘美