この記事はミニプロットについて(中級編13)からのつづきです。
目次:
①プロットの尺度
②「クローズド・エンディング」と「オープン・エンディング」
③「外的葛藤」と「内的葛藤」
④主人公の数
⑤キャラクターコアとwant
⑥時間の扱い
プロットの形式⑦「因果」と「偶然」
葛藤の種類について
葛藤の種類については、下記の記事ですでに書いています。
参考記事:
「葛藤のレベルとアーク」(中級編1)
ここでは、改めてポイントだけ確認しておきます。
外的葛藤とは目に見える葛藤のことで、内的葛藤は心の中での葛藤です。
主人公はwantという目的を持っています。それに対して障害が発生することで葛藤が生じます。
例えばラブストーリーで、主人公が片思いする異性と「デートに行きたい」という外的なwantを持っていたとします。それに対して「相手に恋人がいる」「親が反対する」「仕事を休めない」などといったことが障害となります。
「デートに行きたいのに、行けない状態」が外的葛藤になるのです。
また、片思いする異性に「愛されたい」といった内的なwantをもっていた場合、デートに行けても、相手の冷たい態度によって内的には葛藤しているという場合があります。
「愛されたい」というwantに対して「冷たい態度」が内的葛藤になるのです。
「冷たい態度」はキャラクターの言動で表現することになりますが、ベタなセリフなど言わせてしまうと、途端にキャラクターがつまらなくなるので最大限の注意が必要です。
外的葛藤よりも、内的葛藤を描く方が難しいことは言うまでもありません。
ジャンルによる違い
ロバート・マッキーは『ストーリー』で以下のように書いています。
アークプロットでは外的葛藤が重視される。登場人物が強い内的葛藤をかかえている場合もあるが、中心に据えられるのは、人間関係の処し方や、社会制度への抵抗や、現実世界で働く力との戦いである。逆に、ミニプロットでは、主人公が家族や社会や環境に強い外的葛藤を抱いている場合もあるが、重きが置かれるのは、意識的であれ無意識的であれ、自分の思考や感情の中での戦いである。(p.65)
要約すれば、アークプロットは外的葛藤、ミニプロットは内的葛藤が、中心的であるということ。
一般的に見ればそうですが、物語の本質から考えると大雑把な分け方だと思います。
ロバート・マッキーはアークプロットとミニプロットという言葉に、多くの要素を含め過ぎているため、細かい点での分類が雑なのです(※それを丁寧に解きほぐすのが「プロットの型式」として書いているこのシリーズです)。
アークプロットかミニプロットかという区分けよりも、作品ごとの外的・内的葛藤の度合いをそれぞれ掴むことの方が大切ではないでしょうか?
結論を先に言えばアークプロットであろうとミニプロットであろうと、外的・内的両方の葛藤が必要です。それが、いい物語です。
ロバート・マッキーの言う外的・内的の差は、むしろジャンルによる違いと言えそうです。
外的葛藤がストーリーの中心になっている一番わかりやすいジャンルは映画でいえばアクションです。
「敵を倒す」とか「誰かを守る」とか「大金や宝石を手に入れる」と言った外的なwantによって動く主人公は、必然的にシーンも派手になり、予算もかさんでいきます。
一方、恋人や家族との心のすれ違いといった内的葛藤を中心に据えたドラマが、対極にあるのはお分かりになるかと思います。
けれど、名作と呼ばれるアクション映画では、アクションシーンの中にも主人公の思いや感情といったストーリーが絡まってますし、心のすれ違いを中心としたドラマであっても、よく見れば外的葛藤が描かれた名シーンがあります。
作品を魅力的にするには、外的・内的を「同期させる」ことが大切なのです。
内外の葛藤を「同期させる」には?
二つの事例で考えてみましょう。
一つ目はアクション映画に内的葛藤を同期させる方法です。
アクション映画であればアクト3は必然的にクライマックスの派手なアクションになります。
前回の記事でも例に挙げましたが、ボクシング映画であればビッグバトルは「ボクシングの試合」です。
外的葛藤だけで描くなら「勝つか負けるか」です。
そこで試合の前日のシーンで「この試合はただのボクシングじゃない。○○を賭けた戦いなんだ」といったシーンを置いてみるのです。
○○に入るものはプライドでも、愛でも、夢でも構いません。キャラクター次第です。
すると、試合のシーンでは外的に「闘っている」だけでも、内的葛藤が同期しているのです。
主人公の「○○を賭ける」という宣言は、試合前日に唐突に言うだけでは、観客・読者の気持ちは掴めません。
きちんと絡めるためには、ストーリーの初めからキャラクターアークがきちんと描かれてなければなりません。
二つ目はドラマ映画に外的葛藤を同期させる方法です。父と母と娘、それぞれの心のすれ違いを描いた家族ドラマだとしてみます。
クライマックスをハッピーにするかバッドにするかの選択肢はありますが、ここではハッピーエンドにしてラストを「お互いの理解が深まった」と描くとします。
ここに外的葛藤を同期させるには「ビッグバトル」として大きなイベントを用意することです。
例えば「身内の入院や葬式」「パーティー」「何らかの発表会」など、みんなが集まるシチュエーションをつくるのです。クリシェですが、喧嘩したまま誰かが海外など遠くへ行くことになり、空港まで追いかけるなどもあります。こちらはタイムリミットのシチュエーションを加えたものです。
ドラマですから、アクト3までの内的葛藤はていねいに描けているはずです(※それが出来ていなければ根本的な実力不足です)。
感情が丁寧でも平凡なシーンで「お互いの理解が深まって」終わるだけでは、盛りあがりに欠けます。ダメというではありませんが、物語としての魅力に欠け、観客・読者の印象に残りにくいのです。
だから「ビッグバトル」を用意することでクライマックスを作ってあげるのです。
おそらく、平凡なシーンでもいい物語であったものが、クライマックスをつけることで、さらに魅力的な物語になるでしょう。
キャラクターアークとビート
二つの事例を見てきました。
内的葛藤をきちんと描くにはキャラクターアークが必要です。
外的葛藤をきちんと描くには「ビッグバトル」のようなビートを作ることが大切です。
これは「キャラクター」と「構成」と言い換えることもできます。
どちらか一方を絶対視する人がいますが、どちらも大事に決まっています。アークプロット、ミニプロットに限った話ではありません。
とはいえ、ロバート・マッキーの言うようにアークプロットは外的、ミニプロットは内的葛藤が中心的だというのは、一般的には、その通りだと思います。
裏を返せば、アクションのような外的葛藤ばかりを描きがちの作家はキャラクターアークについて学ぶべきだし、ドラマのような内的葛藤ばかりをテーマしがちな作家ほどビートを学ぶべきとも言えそうです。
「プロットの尺度」の記事で示した数字でいえば「2から1へ」「1から2へ」学んでいく違いです。
緋片イルカ 2022.3.18