「模写の効能」(文章#25)

むかしから、プロの作家の文章を、一字一句、同じように書き写す「模写」という練習方法があります。
今回はこの「模写の効能」を考えてみたいと思います。

写してみてわかること

よく言われる模写の意義は「プロの文章のリズムを感じる」といった、かなり感覚的なことです。

やってみて、すぐに感じることは「句読点を打つタイミング」「改行するタイミング」などです。

写しながら、頭の中では「次はこうくるだろう」という予測があって、それが元の文章と違うので「なるほど、先生はこう書かれますか」と気づかされます。
改行や句読点のタイミングなどは、作者がそこで一呼吸おいていることなので、模写してみると「リズム」をすぐ感じられます。

物語の題材や、構成といったストーリーの面白さ、好き嫌いとは別に、語り口・話し口といった特徴は模写をしてみると、よく感じられます。
ストーリーやジャンルとは別に、自分に合った文体を探すのにも良いかも知れません。

いろいろな作家を写してみて、合う合わないとか、あるいは「読みやすい」「読みづらい」と感じる作家を写してみることで、感じる「リズム」はあると思います。

漢字の使いわけ

模写は「手書きで原稿用紙にやらなくてはいけない」と言う方がいます。たいてい年輩の方です。この意見に対して、僕としては二割ぐらい賛成です。現代の作家は多くがワープロ(ソフト)を使って書いているでしょう。ワープロで書いている作家の模写をするなら、ワープロで模写をするのが正式ではないでしょうか。
以下、漢字から、てワープロと手書きの違いを考えてみます。

ワープロでは漢字の読みさえ知っていれば簡単に変換できてしまいますが、手書きでは辞書を引く必要が出てきます。
手書きで書いている作家は、書けない漢字を多用することはあまりないのではないでしょうか。

写していて、意味はわかるのに読めない漢字に気づくこともあります。
これは手書きでは読めないままに写せますが、ワープロでは読みが分からないと打てません。
(ちなみに僕のパソコンにはAtok広辞苑ソフトが入っていて、簡易操作で意味検索できます)。

他にも送り仮名の違いもあります。
古い文章だと、現代の一般的な表記のルールと違って「表す」を「表わす」としたりします。これは戦後の学制ができる前と後で大きく変わるのかもしれません。ワープロの変換では「変換候補に出てこないので否応なく気づかされます。ただし、これは文意としてあまり大きな違いではないと思います。

漢字はただの記号ではなく、部首や成り立ちに意味があるので、漢字を書けるということは、その言葉の本質をつかんでいることになるのかもしれません。極めて日本語で小説を書く人の態度ではありますが、言葉への意味の込め方が変わります。

例えば「体」「身体」「躰」「躯」で印象は違います。もちろん「からだ」「カラダ」もあります。読みは同じなのにぞれぞれ雰囲気が変わります。例えば英語圏では発音の方に重きが置かれていて、韻を踏むような言い回しに変えたりする選び方をするのでしょう。漢文も英語寄りかもしれません。

漢字だけでなく言葉の呼び名なども作者による違いがでます。「携帯」「携帯電話」「ケータイ」「スマホ」「スマートホン」「スマートフォン」など、やはり印象が違います。

模写をしてみると、作者が手書きで書いているかワープロで書いているかにも意外と気づきます。。
変換候補にでないような漢字の使い方をする人は、おそらく原稿用紙に手書きしているんだろうなと感じます。年輩の作家に多いです。

原稿用紙の設定

模写をするときに考えるべき要因に400字という原稿用紙の単位があります。ワープロではこれが自由に設定できるのですが、手書きでは通常200字か400字です。

むかし、脚本では200字原稿(ペラと呼ばれる)で書いて、その200字ごとに何か面白いことが書いていないとダメなんだと言われたそうです。また放送の尺が厳密なので基本的には1ページ=1分と換算されます。日本よりもアメリカのフォーマットには文字の大きさや余白のとり方までルールがあって、その通りに書いていないだけで素人とみなされます(それを助けるための専用ソフトもあるのですが)。

小説では単行本にできるかどうかという、だいたい200ページというのが、一つの基準になります。ただし、これも一行の文字数や段組などで調整もできるので脚本ほど厳密ではありません。小説コンクールでも「250枚以内(短篇も可)」などわりと幅があります。

僕は初稿は400字フォーマットで書くようにしています。
これは脚本をやっていた慣れと、ページ数を計算しやすいためでもありますが、とにかく自分のフォーマットを決めた上で、そこに模写をしていくことで「文章リズム」の比較がしやすくなります。
手書きで書いているだろうと思われる作家は、400字の最後の一行で段落が終わることがよくあります。

このページごとのリズムは、構成のリズムにつながります。何ページごとにシーンが変わるかなんかは、よくわかります。それがその作家のストーリーのテンポになっています。

素振りとしての模写

僕は模写は、野球の素振りのようなものだと思っています。
じぶんの小説を書く時間がない、書く気持ちにならないときに、写すのです。2~3ページで十分です。15分もかかりません。

今日は模写だけにしようと思って、書いたら、その勢いで、ヤル気がなかったのにじぶんの作品にとりかかれることもあります。
また、4~5日書かない日があると、なんとなくリズムを忘れたりします。これはスポーツでも音楽でも、お稽古ごとでも、何でもそういうものだと思いますが、とにかく頭と指が鈍らないように毎日続けることは大切です。

写してみると、とにかく「書いたような気」になれます。〆切が近いのに、書けていない焦りを紛らわすのにも有効です。

また、僕は長編を丸々写したことはありませんが、短編などでも、これだけの文章を書くのに、どれぐらいの時間や労力がかかるのかというのが体でわかります。
内容を考える手間や直しの手間を抜きにして、文字を何万字打つというのは、これだけ大変なんだということがわかります。

この感覚は執筆の基礎体力のようなものではないでしょうか。
一日数ページの模写ですら続けられない人が、300枚なんか書きげられないでしょう。

新しい模写の形

一時期「ケータイ小説」が流行ったころは、今でいう「ガラケー」の時代でしたが、小さい画面に合わせて、セリフばかりで、改行が多く、メールのように読めることが読みやすさの基準でした。人気が出て、書籍化されてみると、内容の薄っぺらさが浮彫になってしまうものも多くありました。それは本なった時点で、一般小説と比較されてしまうからです。

スマホの現代、ネットで読まれることを想定して書かれているものもあります。電子書籍も増えてきています。
投稿サイトではスマホで書いてしまっている作家もいるでしょう。

音声入力の文字変換も優秀になってきています。いずれ喋るだけですべて書いたという「語り部作家」が出てくるかもしれません。

そういったフォーマットはこれからも変わっていくでしょうが、自分なりのやり方で「模写」から学べることは必ずあると思います。

緋片イルカ 2020/03/02

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