作品についての人気や映画興行収入記録などは、言うまでもないので省略します。
この作品、とくに興味はなかったのですがAmazon Primeにあったので第一話を見てみました。
見たついでに、三幕構成によるビート解説を記しておきます。
尚、二話以降は見ていないので今後の展開はしらないまま書かせていただきます。
そもそも三幕構成とは?
三幕構成というのは、主にハリウッド映画で用いられている物語の構成方法です。
物語を「プロットポイント」という切れ目で3つの幕(アクト)に分けるため、そう呼ばれています。
それをさらに細かく分けたようなものが「ビート」です。
くわしくは当サイトの他記事をご覧ください。初心者の方はこちら → 初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」
第一話のビート分析
以下は、ある程度、ビートに関する知識がある人を前提に解説していきます。
あくまで「第一話」としての構成です。
アクト1
トップシーン:「妹を背負って雪山を歩く炭治郎」これはティーザーと呼ばれる手法で、冒頭で観客の心を掴むために興味を引くシーンを持ってきます。後で出てくるシーンを先に見せるというのは、よくあるティーザーです。このパターンの効果は弱いです。どうせ、数分後に出てくるシーンなのです。映画では、ほぼ使われません。テレビでは「チャンネルを変えさせないという狙いがありましたが、録画や配信が多くなってきている近年での効果は薄いでしょう。ティーザーに使う時間を、他のシーンに使えるのに同じシーンを入れるというムダを考えると、映画ではマイナスになりがちですが、作画に予算がかかるアニメでは経済的効果はあるでしょう。映画ではないので「オープニングイメージ」はとくにありません。
セットアップ:「炭治郎が炭を売りに村へおりて村へ行く」むかし話のような設定と展開です(「ジャンルのセットアップ」)。兄弟や街の人とのやりとりが描かれますが、セリフは説明的で、主人公も「親切で、いいヤツ」という程度で、ありがちです。例外は、後述するモノローグが多用されていることです。「主人公のセットアップ」として、もう少し魅力を加味するのであれば、ネズコや母との間で個人的なやりとりをさせてセットアップしておくべきです。父親の喪失に関するキャラクターコアをもっと見せておくこともできたかもしれません。想い出のアイテムをネズコや母とやりとりすることできます。そういったフリを入れておけば、後半で効かせることができます。「ネズコを助けたい」と炭治郎がもっと強く思うようなフリを入れることです。アクト2以降の「助けたい」という気持ちも、現状は「妹であること」だけが動機になっています。家族を守りたいというのは一般的な価値観なので、問題とされませんが、炭治郎のより個人的な感情を立てることで、キャラクターの魅力も立ち、共感もしやくなったはずです。ケガした人を助けたいだけでは医者と変わらないのです。
「カタリスト」:「サブロー爺さんの家に誘われる」大した事件ではありませんが、この先のストーリーを考えると、サブロー爺さんの家に泊まったために炭治郎は難を逃れたことになります。アニメ開始から5分で、30分アニメとしては遅れていますし、「泊まっていけ」と言われるだけと、事件自体のインパクトが弱いので、カタリスト感がないのでテンポロスしています。
「ディベート」:「サブロー爺さんの家で寝ている」サブロー爺さんのことを心配したり、鬼、鬼狩り様についての説明的モノローグです。サブロー爺さんについてはサブキャラクターなので、このタイミングで入れるべきではない情報です。他にセットアップするべき情報がたくさんあったはずです。次の「デス」へのフリで「やっぱり早く帰ればよかった」と思っていれば、次の「デス」での後悔が強まるのでもったいないところです。
「デス」:「家族が皆殺しにされている」アクト2に入るための勢いとして「デス」というビートがあります。これはビートシートで有名な『SAVE THE CATの法則』では欠けている要素です。炭治郎が村から帰ってくると家族が殺されている。このショックと勢いで、アクト2へ入っていきます。重要なビートです。
アクト2
「プロットポイント1(PP1)」:「ネズコを背負って雪山を歩く」アクト2=メインストーリー「ネズコを助ける」が始まります。アクト2に入った主人公は明確な目的をもっています。それをWANTといいます。炭治郎のWANTは「ネズコを助ける」です。そのための闘い=「バトル」がビートです。
「バトル」:「ネズコが暴れる」。これも『SAVE THE CATの法則』では欠けているビートです。書籍では「お楽しみ」という大雑把なシークエンスでまとめてしまっていますが、ミッドポイントへ向かう過程は小さな「バトル」(トライアル)の積み重ねです。トーナメントのように勝ち上がっていき優勝したところが「ミッドポイント」というイメージです。最初の「バトル」は背負われていた「ネズコが錯乱する」です。それによって炭治郎は崖から落ちます。敗北とも言えますが、ケガもせず命も助かったので引き分けといったところでしょうか。第二回戦は「襲ってくるネズコ」です(立ちあがったネズコをホラー映画の手法でカメラを揺らして捉えるショットは、ちょっと好きです)。ネズコの口に斧の柄を噛ませた状態のまま、設定の説明モノローグがつづきます。主人公の行動として炭治郎がやっていることは「鬼になるな、頑張れと叫ぶこと」だけです。これでバトルに勝利します。
「ピンチ1」:なし。通常30分アニメではピンチはありません。
「ミッドポイント」:「ネズコが涙を流す」炭治郎が叫んだリアクションとして、ネズコが涙を流し、少しだけ正気を取り戻します。「バトル」に勝利し「ミッドポイント」に到達したのです。ミッドポイントはfalse victoryとも呼ばれます。完全に正気を取り戻すわけではありませんが、いったん「ネズコを助けること」に成功したのです。ちなみに「主人公のセットアップ」で説明した想い出のアイテムのフリをつくっておけば、叫ぶ代わりにアイテムを使うことをきっかけに使えたりします。叫ぶだけで正気を取りもどすのは、根性論、精神論的で、物語の設定としては客観性に欠けます。シリーズのつづきで回収があるのかもしれませんが、叫ぶだけで改善させることができるなら、過去にも事例がたくさんあったはずです。ただし設定の客観性に欠けるということは、ストーリーとしての欠点ではありません。客観性がないことで、一部の人はついていけなくなりますが、反面、主観的についていく人(ファン)には関係ないのです。つまり「炭治郎とネズコの兄妹愛がなせる技」といってしまえば、片づくからです。
「フォール」:「冨岡義勇が襲ってくる」『SAVE THE CATの法則』では「迫り来る悪いヤツら」などと呼ばれるビートです。この呼び方は当てはまらないこともありますが、この第一話に関しては、そのままです。せっかく元に戻った(?)ネズコを狙う人間は「悪いヤツ」となります。あくまで第一話での構成上の役割としての「悪いヤツ」で、シリーズを通したキャラクターについての善悪を言っているのではありません。「フォール」のあとは、展開が次のステージに入ったともいえます。炭治郎のWANTは「悪いヤツからネズコを守る」になったのです。
「ディフィート or ピンチ2」:「冨岡義勇にネズコを奪われる」あっという間に敗北します。サブプロットはないので「ピンチ2」ではなく「ディフィート」として機能しています。
「オールイズロスト or プロットポイント2」:「土下座」力のない炭治郎は土下座して命乞いをします。この時点で最後の手段というかんじです。アクト2で起きていることを整理すると「ネズコを助けるために医者に連れて行こうとしたところから始まり、鬼になりそうになったのを何とか抑えたものの、とうとう冨岡義勇に奪われてしまった」。「ネズコを助ける」ための出来事(旅)でした。それが絶望的=オールイズロストになったのです。
「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「説教される」どうするべきか、迷ってる段階です。
アクト3
「ターニングポイント2」:「冨岡義勇がネズコを刺す」これをきっかけに次の「ビッグバトル」が始まります。
「ビッグバトル」:「冨岡義勇との闘い」オノと石を投げて一矢むくいるものの、敗北します。ビッグバトルでは、このように一回、敗北するのが、よくあるセオリーです。そしてネズコが炭治郎を守ることで、冨岡義勇の気持ちを変え、肉弾戦としては敗北しつつも、精神的な闘いとしては勝利(目的を達成=「ネズコを守った」)しているのです。
エピローグ:「鱗滝左近次を尋ねろ」次回、以降へつづく新しいWANTが与えられて、第一話はおわります。
シリーズとしての物語を考える
以上、第一話の中でのビートをみてきました。シリーズアニメや連載マンガでは、ラストまでの全体のストーリーを通してのビート分析も可能です。
また、コミックスでもページ数に着目して、同様に分析可能です。(いずれコミックスの分析方法の記事をあげます)
『鬼滅の刃』での第二話以降は「ネズコを助ける」ための修行や旅に入っていくのだと思われます。
『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』と比べてみますと、ルーク・スカイウォーカーは育ての親である叔父と叔母を、帝国軍に殺され、オビワンとともに旅にでます。
そして旅をしながら、フォースの力を学んでいきます。
僕は『鬼滅の刃』の今後の展開は知りませんが、おそらく似たような展開だと思います。
これは「ヒーローズジャーニー」と呼ばれるストーリータイプの一種だからです。
ネットなどでは「三幕構成になっているから面白い」といった言い方をしている記事を目にしますが、これは間違いです。
ましてや、『鬼滅の刃』が『』と似ているから売れるなんて、言いだしたら大間違いです。
同じストーリータイプでも、売れていない物語はたくさんあります。たとえば『エラゴン遺志を継ぐ者』という映画です。
失敗したので、シリーズのつづきが作られていません。
『ロード・オブ・ザ・リング』は成功しています。
どれも同じタイプです。
大切なのは共通点を見つけて安心することではなく、むしろ違いに目を向けて、作品の魅力や個性を見つけることです(逆に欠点も見えてきます)。
同じに見えないかもしれませんが『塔の上のラプンツェル』も同じタイプのストーリーです。(参考記事:「ヒーローズジャーニー作品比較」)
『鬼滅の刃』の魅力
『スターウォーズ』のルークの冒険には「妹を助ける」とか「犯人捜し」といった目的がありません。
この点、炭治郎の方が情緒的です。これは観客の「感情移入」の土台になります。
また、第一話だけでモノローグの多用が目立ちます。
悪いモノローグは「説明セリフ」であり、物語上では弱くなります。
たとえば第一話の中で、サブロー爺さんの家で寝ている炭治郎は「サブロー爺さん、家族をなくして一人暮しだから寂しいんだろうな」というモノローグがあります。
このとき映像には「目を瞑っている炭治郎」が映っているだけです。これはアニメではなく紙芝居です(ただし、上でも書いたようにアニメとしては経済的です)。
もっと映画的な手法を使うなら、サブロー爺さんが「墓に手を合わせて寂しそうにしている」とか、「寂しさ」や設定を伝える方法はたくさんあります。シーンで見せるといいます。
そうすることで、設定や感情を伝えつつ、表の会話では別のやりとりを展開させることができます。(こういうテクニックはサブテクストといいストーリーサークル6「描写」の記事でも説明してます)
観客は「作中でこの人は寂しいんです」と言われるよりも、シーンを見て観客自らが「ああ、寂しいんだろうな~」と思った方が心動かされます。感じて、心が動くから感動につながるのです。説明されるのは頭で理解してるだけです。だから説明セリフは良くないのです。
一方で、モノローグが効果的に働くときもあります。
第一話の前半、山をおりていく炭治郎の絵に合わせて次のようなモノローグが重なります。
「生活は楽じゃないけど、しあわせだな。でも、人生には空模様があるからな。移ろって動いていく。ずっと晴続けることはないし、ずっと雪が降り続けることもない。そして、しあわせが壊れるときには、いつも、血の匂いがする」
人生を語るようなセリフは、その言葉の意味だけをとれば、いい言葉であることが多いのです。
とくに抽象的や詩的であると、観客は自分の感情を重ねやすくなります。(こういったタイプのモノローグは、本来はどんなキャラクターに言わせるかこそが大切なのですが、多くの観客は安易なメッセージに引っ張られ安いので不自然な「いい言葉」が蔓延ります。その問題については、ここでは割愛します)。
モノローグの多用はアクションシーンでも続きます。
炭治郎の思考、妹への気持ち、敵方として表れた冨岡義勇までもが葛藤をモノローグで語ります。
第一話からクライマックスのような「叫び」を展開しています。
第一話のうち炭治郎の8割がモノローグではないでしょうか。
ここまで、露骨に多用している作品は珍しいと思います(そもそも少女マンガ、アニメはモノローグが多くなります。作者が女性であることと少女マンガを結び付けるのは短絡的だと思いますが)。
もはや、そういう作風といっていいと思います。
シネフィルや映画学校の教師のような人たちが、いかに「安易なモノローグはいかん!」などと言おうとも、これだけのヒットを生むのであれば、一般人には効果的と言わざるをえないともいえます。
このコロナ禍に流行った作品だけに観客側の「共感」に対する姿勢がずいぶんと敏感だったということは、考慮されるべきかもしれませんが、だからといって、どんな作品でも流行ったわけではないのです。人気があるというだけでアンチになる方が、よっぽど安易な考えだと思います。
緋片イルカ 2020/12/24
500円でアニメの全26話までが見られます(2020/12/24現在)
「サブロー爺さん、家族をなくして一人暮しだから寂しいんだろうな」というモノローグの演出意図は、「家族を亡くして寂しいサブロー爺さん」ではなく「サブロー爺さんを気遣う優しい炭次郎」ではないでしょうか?