映画『コロンバス』(三幕構成分析#87)

※あらすじはリンク先でご覧下さい。
https://amzn.to/3TYE87X

【ビートシート】

【ログライン】

コロンバスで母から離れられなかったケイシーは、ジンと出会って建築に癒やされ、待ちを出ていく。

Image1「オープニングイメージ」:「ミラー邸ほかコロンバスの建築とシンメトリーなショット」トップシーンはミラー邸。エレノアが教授を探すシーンから始まる。全編を通して、建築とそのシンメトリーなショットがイメージアイテムとして働いている。ある種のストーリーエンジンとなってすらいる。

CC「主人公のセットアップ」:「デボラ・バークの誘いに、行かない」ケイシーの初登場シーン。ガイドのような台詞を一人で読み上げている。字幕で「十字架もドアも時計も中心からずれています~非対称でありながらバランスを保っています」これは作品の見方へのプレミスといえそう。キャラクターのWANTは「図書館の司書になりたい」とデボラ・バークの誘いに「行かない」(本当は行きたいけど、行けない)。

Catalyst「カタリスト」:「ジンにタバコを渡す」ジンとの出会いは8分のシーンの終わりで、一瞬、ケイシーと母が映り、病院で見かけたということになっているが「出会い」としては機能していないと感じる。すると、この23分23%のタバコを吸いながら、画面手前に向かって歩いてきて、二人の間に柵が切れるシーンがカタリストとなる。監督・脚本・編集のコロナダの意図としては、ここをPP1としたつもりなのではないかと推測できるが、この後の展開を見てもPP1としては機能していない。

Debate「ディベート」:「母との日常生活」ジンと出会った時点でケイシー自身は認識していないが、ジンとの出会いによって「町を出ていく決断」をすることになっていく。逆算すると、母と会話したり食事をしたり、送っていく日常生活がディベートとなるが、カタリストの働きが弱いため、ディベートも弱くなっている。

Sub1:「サブ1」:「ジンが父のカメラを」時間的にはPP1前(28分26%)で、こんな位置にサブプロットがあるのは、メインプロットの邪魔をするが、ジンを二人目の主人公と捉えるなら、PP1が遅れている理由とも言える。カメラを手にとり、父の足跡をたどるかのような建築めぐりの「旅」が始まると言える。全体の比重はケイシー:ジン=7:3ぐらいか。ジンは登場時間は多いが、ケイシーの相手方として登場しているシーンが多く、ジン自身のシーンは3割かもっと少ないぐらい。

Death「デス」:「エンジンがかからない」「履歴書を出す」イクスターナルには「車のエンジンがかからない」ことだが、別シーンの「車を壊されると」といった会話から母も連想させる。履歴書を出して司書に進もうとしているのに、進めない感じなどもデスといえる。ただし、カタリストからの流れを受けるので、デスも、やはり弱くなっている。

PP1「プロットポイント1(PP1)」:「ジンと銀行(2番目に好き)を見に行く」ようやく二人の関係が始まる。34分34%は遅すぎる。シンメトリー過ぎるショットによる違和感、特殊な編集(ケイシーのシャツが突然変わる時間経過や、ジンのホテルとバーのカットバック)によって、観客を惹きつけているが、脚本としては遅い。1番目に好きな建物は「前に話した建物」と言っており、前シーン自体にはない(病院の前で会話している)が、ここでhouseと言っている「ミラー邸」のことを話したシーンがカットされていると考えるべきか。建物のうんちくを話すケイシーが、ジンになだめられるのはアクト2に入ったかんじ。表面ではなく、本音と向き合う旅が始まる。ジンの「(ポルシェックは)建築を癒やしの芸術と考えた」というセリフはプレミスの延長でもあり、ジンにとっての「旅」とも言える。

Battle「バトル」:「ジンとの散歩」PP1直後の散歩、MPでの散歩。ジンと建築を回ることが、この作品のfun&gameであり、バトルともなる。ケイシーの本質的な問題は母とのことなので葛藤、積み重ねは弱い。

Pinch1「ピンチ1」:「母の同僚に会う」ケイシーが町を出られない本質的な問題は母との関係といえる。ケイシーはジンにだけは本名はカサンドラと名乗っており、ジンもそう呼ぶ。カサンドラ症候群を思わせるのは明確。母の同僚に会いに行き、本人が出てこないことが「PP1~MPにおけるサブテクストをすくい上げた」ピンチ1といえる。

MP「ミッドポイント」:「ジンに母のことを告白」3番目に好きな建物(建築名不明)の前で、ジンに母が薬物依存だったことを告白して涙を流す。

Fall start「フォール」:「デボラ・バークに誘われた話」MPにつづいて、デボラ・バークの誘われたことも話す。本当は生きたいが、母のせいで行けないというかんじが明確になる。母との関係がここからの葛藤。

Sub2:「サブ2」「ジンが建物を見上げて、写真をとる」サブ1のウケだが、サブ1が早すぎたため、ジンのサブプロットが弱まっている。

Pinch2「ピンチ2」「ジンにデボラ・バークの誘いを受けろと言われる」MP~PP2におけるサブテクストはケイシーが「本当は町を出たい」ことを認めること。ジンにはっきりと言われる。

PP2(AisL)「プロットポイント2」:「母に嘘をつかれていた」描写がわかりづらいが、ガラス張りの母の職場で、同僚に電話。同僚は留守電を聞いてから、電話をかける。同僚は母に電話をしている=母は職場にいない=どこかで遊んでいる?となる(70分あたり、母が工場の仕事でロッカーで男性と話しているシーンが示唆か?)。いずれにせよ、母に嘘をつかれていたと解釈したのだと思われる。

DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「ダンス」声を出して踊るケイシーは、これまでで一番、感情が出ている。これまで圧さえてきたアーク、MPまで下降するアークから考えると、上昇してきていると言える。

BBビッグバトル:「エレノアがジンを病院に連れていく」ジンに巻き込まれる形でビッグバトルが始まる。TP2の機能を持っていないビッグバトル開始は初めて見たかもしれない。あるいは、母と対決というほどでもないので、ビッグバトル自体が機能していないとも言えるか。(おそらく一番好きな建物である)「ミラー邸」にジンを案内する。トップシーンのエレノアが教授を探すショットの類比シーンは、ケイシーがジンを失う予感。ジンのシーンとして見るなら、教授がシンメトリーに立っていたショットに対して、やや右に立っていてアシンメトリーになっていることで対比とも言える。ジンのサブプロット=メモの建物の答えは見つからないが「この建物ということにしておく」としてケリをつけ、ホテルを引き払ってアパートに移る。ガブリエルとの別れ。母との最後の夜を経て、エレノアと旅立っていく。

image2「ファイナルイメージ」:「建物ショット」ラストはスチュワート橋というらしい赤い橋。7分あたりにでてきていて、風景ショットに見えるが「ジンがやって町にやってきた」描写の一つなのかもしれないと思えば、ラストショットは出ていくケイシーで対比にできた(それなら橋の反対側から撮るべきだった)。37分あたりに、橋は「心をつなぐ隠喩」「元は精神病院だった」という会話があるが、それを受けるなら、カサンドラ症候群を克服したケイシーのように見えるが、あざとい感じもする。

【感想】

監督のキャッチコピーから、どうしても小津安二郎、野田高梧を意識して見てしまいがち。小津の「畳の高さに合わせたショット」を「コロンバスの建築に合わせたショット」に置き換えたと言えなくもないが、むしろショットの効果としては、シンメトリーなショットで不自然さ(人工的さ)を感じさせ、その不自然さが目を惹いているように感じる。小津が人間の高さにカメラを合わせたとすると、この作品は建物にカメラを合わせた中に人間が映り込んでいるような印象。

執拗に、建物をシンメトリーに映すため、人物の会話ショットのアシンメトリー感が目立つ。ノースクリスチャン教会(61分あたり。エレノアの台詞からすると、ここは教授が倒れた場所でもある)で、ケイシーとジンが話すショットは、ジンをやや遠くに立たせて、人間もシンメトリーになるようなショットで収められていて象徴的(建物が人を癒やしたかのよう。ショット的なMPといえそうでもある。ただし「建物が人を癒やす」はジンによるサブプロットのアーク)。

途中でも触れたが、特殊な編集も同等の効果。それらがなくストレートにストーリーを描いていたら、さらに退屈になっていたと思われる。編集も自分でやっているからできるようなつなぎも多い。

人物に影がかかりがちなショットも意図的と思われる(たとえば65分あたりのトンネル?の中)。

会話シーンを真正面から切り返すショットは小津的。

ケイシーの献身的なキャラクター自体が、小津映画で原節子が演じるようなキャラクターの影響にも見える。

はっきりとストーリーを進める意図を持たないような会話→日常的案会話が野田的かもしれない。ただ、野田脚本はもっとストーリーを進めるテンポがある気がする。監督の小津、脚本の野田という2人がぶつかることで生まれていた効果を、コゴナダは一人でやっている分、どちらも半端になっている印象もある。ショットが徹底されていないし、脚本に関しては明らかに緩慢とも言えそう。

ショット自体の面白さはあるが、キャラクターの感情をにじませるようなショットとは言えない部分も多い。奇抜さだけで惹きつけているような。建築という視点がなくなったとき、次回作『アフターヤン』でのショットの違いで、奇抜さだけじゃないかどうかが浮き彫りになっていくるのではないか。は配信になったら分析してみたい。

好き嫌いがかなり分かれそうな作品だが、個人的には好きな方。心地よい。

緋片イルカ 2022.11.2

SNSシェア

フォローする