映画『天使のくれた時間』(三幕構成分析#38)

天使のくれた時間 (字幕版)

ウォール街で成功し、豪華な暮らしをしていたジャック(ニコラス・ケイジ)はある日、突然、違う人生をおくっていた!目覚めるとそこは今まで見たことがない部屋。横には13年前に別れた恋人ケイト(ティア・レオーニ)が眠り、二人の子供のパパになっていた。 「その世界」でのジャックは現実とは全く違うタイヤセールスマンの平凡な夫。やがてジャックに、現実の世界へ戻る時が近づいてくるが…。(c)2000 UNIVERSAL STUDIOS(Amazon商品解説より)

スリーポインツ

PP1:家に戻る(30分24%)
MP:ニュヨークでキス(81分65%)
PP2:ショップで黒人(ドン・チードル)と再会(100分80%)

構成解説

「人生にはお金や仕事より大切なものがある」という、理屈では多くの人が共感するけど日々の生活では忘れがちな教訓を思い出させてくれる物語。フランク・キャプラ『素晴らしき哉、人生!』を思わせる設定。クリスマスなのはもちろんディケンズの『クリスマス・キャロル』の系統で、構成は「魔法のランプ」型です。

原題は『The Family Man』なのに、邦題が『天使のくれた時間』になっています。魔法の時間の仕掛け人である黒人(ドンチードル)は明示されていないのに「天使」となっているのは『素晴らしきかな』の設定を、訳者が引きずっているせいでしょう。

プロットポイントをとるのはとても簡単です。

「別れたはずのケイトとの時間」が非日常なので、その関係が始まる地点がPP1、終わりがPP2となります。

ただし初心者が間違えやすい注意点は「目がさめた瞬間(17分)」で、たしかに「魔法の時間」が始まっているのですが、ビートとしてはカタリストになるので注意です。

この世界を受け入れられず、ニューヨークの元の家や職場に戻ったりするくだりがディベートとして機能して、諦めてケイトの家に戻ったところから、構成上のアクト2が始まります。

つまり物語(ストーリー)としては「魔法の時間」が非日常ですが、構成上は「ケイトとの関係」がアクト2になっているのです。それ故、魔法のランプ型でありながら、ラブストーリーにもなっています。

ケイトとの関係で、主人公のジャックは「人生で本当に大切なもの」を学びます(リワード

「バースデーパーティーのビデオを見る(67分(54%)」がミッドポイントらしい演出になっていますので、すこし間違えやすいです。ここをMPとすると、直後の「結婚記念日を忘れていた」というのがフォールとなって、ケイトとの関係が悪い方へ向かうように見えます。

しかし、すぐにディナーへ誘い名誉挽回、「ホテルの部屋で、シャンパンで乾杯、キスをする」という古めかしいMPシーンがあります。「ずっと君を愛している」というセリフまであるので、こちらで頂点と言えます。愛というリワードを得て(思い出して)、ジャックは変わったのです。

本当のフォールはその翌日の「タイヤ店に大会社の会長がやってくる」ところで、ここから以前のウォール街で働いていた頃のジャックへの後戻りが始まります。

ケイトと口論にはなるものの、完全に変化したジャックは家族を選びます。

そして「魔法の時間」は終わります。

この魔法の時間の仕掛け人である黒人(ドン・チードル)と再会「A glimpse, by definition, is an impermanent thing, Jack.」(きらめきは一瞬だ。永遠には続かない。)と言われ、元の世界に戻ります。オールイズロストです。

アクト3では、元の世界のケイトに会いにいくビッグバトル

元の世界ではケイトの方が昔のジャックそっくりになっていて、時間に追われて大切なものを見失っているというツイスト。もちろん、説得してハッピーエンドで終了です(空港で説得というシーンも前時代的なシーンですが)。

改めて、構成の特徴をみると、PP1はタイミングとしては遅くないのですが、ストーリータイプから何が起こるかは観客は分かっているので、やや始まりが遅いように感じます。時代的なテンポの遅さもあるでしょうが、アクト1でのユーモアなど少ないため、退屈に感じるのが原因だと思います。

ケイトとの関係は、小競り合いはありつつも、シンプルに幸せになっていく過程で、この手の展開が苦手な人には、見ていてうんざりなアクト2になってしまうかもしれません。この映画自体が合わない人でしょう。

それでもバランスをとろうとしている上手いシーンがいくつもあります。たとえば、「バースデーパーティーのビデオ」で、下手な歌で、野暮ったい愛情表現をするシーンです。

ストレートに「愛のある暮らし最高」という描き方ではなく、観客もちょっと引くような「やっぱりウォール街の暮らしのが良いかも」と何割かの人は思うようなバランスをとっているのです。

多様性を含む脚本になっているということです。作者一人の独善的なストーリーでは「愛のある暮らしこそが最高」という価値観が出過ぎて洗脳的にみえて、うんざりするような物語に見えてしまうのです(※スクールでは、よくこういう本を見かけます。たとえば過激なフェミニズム思想で書いて、男性差別をしてしまっているような本です)。

物語は、作者の価値観の押しつけではなく、あくまでキャラクターの心理描写に、観客から心を寄せられるのが大切です。

子どもや会社同僚、ボーリング仲間などはサブプロットとして機能していず、ただの登場人物になっているのが、ややもったいない印象。たとえば、アクト2に入る前に友人に「浮気しそうになったとき、お前が忠告してくれた」といった会話がありましたが、これ自体、サブプロットに使えそうなので、過去のエピソードにしてしまうのはもったいないです。

キャラが活きないのは、アクト1でセットアップできていないせいでもあります。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、タイムスリップの前後をきちんと観客に見せているので、そこに面白さ、笑い、皮肉が効いてくるのですが、この映画ではアパートの住人と、会社の人間くらいしかアクト1で出てこないため、ギャップが出ていません。

元の世界では、ケイトたちとは交流がないのですが「電話が来ている」というフリがありました。これをアクト3へのフリにしか使っていないのですが、アクト1で一度、ケイトに会いに行ってしまう展開も可能でした。

アクト1の段階で、「心の片隅にはケイトを気にするジャック」を描くことで、アクト2で心変わりするフリにできますし(実際、ここがないためキャラクターアークが滑らかになっていない)、ケイト周りの人物たちもアクト1で紹介してギャップを生むことがでました。また、それらがないため、魔法の時間が始まって登場してくる親族や友人が「誰か?」ということ自体に戸惑います。アクト2で戸惑うということはアクト1のセットアップができていない証拠です。

もったいないところはたくさんありますが、それでも、今見ても「いい映画だな」と思わせるところはケイトのキャラクターです。

安い弁護士報酬で働き、安物(偽物?)のスーツで満足し、ベったりな愛情表現に幸せを感じて生きているキャラクターが「お金はなくても幸せに生きている聖人」を体現しているため魅力的です。ジャックが変化するかはケイトというキャラクターにかかっているのですが、成功していると言えそうです。

そんなケイトが、元の世界では成功してドライな性格になっているところに観客はショックも受け、ジャックの説得に「ケイト、振り向いてくれ!」と応援できるのです。

演出もシーンも古びても「人生にはお金や仕事より大切なものがある」というメッセージだけは古びません。

「魔法のランプ」型はコズモゴニックアーク(あるいは究極のリワード)に近づくことが多く、このタイプである『クリスマスキャロル』が、あのディケンズを有名にしたというのも頷けます。

緋片イルカ 2021/09/17

個人的にはニコラス・ケイジは大塚明夫さんの声で見るのが好きです
天使のくれた時間(吹替版)

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