われわれが「異常」として感じる行為に見出される一つの典型的な構造は、それが自己目的化したものであるということだ。社会の価値観による多少の揺らぎはあるとはいえ、われわれは概して、自己目的化した行為というものに、生理的な反発を感じるのである。
たとえば、同じ人を殺すという行為にしても、やむにやまれず身を守るために行った場合と、殺すこと自体が目的化し、殺すことが快楽となって、その殺人を行ったとのでは、まったく受け止め方が違うであろう。自己目的化した殺人というものに、理解できない「異常性」を感じるとともに、強い嫌悪と赦しがたい怒りを覚えるのである。
(『あなたの中の異常心理 』岡田尊司、幻冬舎新書より引用。以下の引用もすべて同書より)
同書では、自己目的化して繰り返される異常行動の例として以下のようなものが挙げられている。
・イジメ、DV、虐待
・過食症
・万引き
・虚言癖(ミュンヒハウゼン症候群)
また物語では宮本輝『泥の河』における、蟹に火をつけて遊ぶシーンが挙げられている。
破壊的な行動に耽るとき、必ずその人自身も危害を加えられる体験をしたり、阻害された思いを味わっているものである。愛され、大切にされている存在が、そうした行動に耽ることはないのである。
こういった異常行動は繰り返されていく。
ある行為が繰り返されるのには、そこに快感という報酬が伴っているからでもある。おぞましいだけにしか思えない破壊のための破壊であっても、やっている本人にとっては快感という報酬があるのだ。快感というと語弊があるならば、気晴らしと言ってもいいだろう。報酬のない行為が何度も繰り返されることはない。
そこには短絡的な快楽回路ができあがり、無限にループし続けるのである。その短絡的な円環において、他者は排除されている。相互的で共感的な他者とのかかわりはない。自己目的化した快楽の追求は、他者の介在なく行えるゆえに、ますます歯止めを失いやすいのである。
また、快楽には「禁止」が加わることでより異常性が高まっていく。
・覗きや盗撮
・露出症(パラフィリア)
・バタイユにみられる自虐性(『エロティシズム』)
・マルキ・ド・サドにみられる嗜虐性(『悪徳の栄え』
それらの背景には、しばしば共通する問題が見え隠れする。
それは、自分が愛されていないという寂しさであり、欠落したものを抱えているという飢餓感である。それを本来は満たし、癒やしてくれるはずの相互的かかわりが不足しているのである。その結果、自己目的化した快楽の円環に飢餓感を閉じ込めるために、いくら繰り返しても満たされることのない行動に耽り続けるのである。
逆に言えば、、この悪循環から脱出するためには、周囲から愛され、認められているという感覚を取り戻すことが必要になる。だが、実際には、こうした悪循環に陥ってしまうと、本人は自己目的化した行為を正当化し続けてしまう。周囲もそんな本人にそっぽを向いてしまい、両者の溝は広がり続けてしまうことになり、改善とは反対の方向に向かっていく。
【キャラクターとしての自己目的化】
上記にあげたようなキャラクターは悪役のバックボーンに心理的な要因をつくることで魅力的にすることにも使える。悪役を描くときに、金のために犯罪を犯すとか怒りで殺してしまうという心理は誰にでも描ける。共感や同情も生み、強い嫌悪と赦しがたい怒りを覚える「悪」にはならない。サイコパスのような凶悪犯罪者を扱った者でも、理解不能の「モンスター」として描かれている場合、ただの悪趣味なキャラクターにしかならない。本質的に「悪」を描くには「自己目的化」というキーワードをしっかりつかんでキャラクターを描く必要がある。
緋片イルカ 2020/01/12
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