※この選考基準についてのトークはイルカウマ「100文字小説大賞」最終選考会にあります(2020/06/21 15時開示)
ショートショートはオチだけじゃない
今回のイルカウマ「100文字小説大賞」の選考基準として「小説らしさ」ということを重視しました。
ショートショートのような短い物語では「オチ」が重視されがちです。
けれど「オチ」というのは「上げて落とす」だけのことで、構成としては極めて単純です。
「○○だと思ったら」(上げて)
「実は●●でした」(落とす)
というだけなのです。
この型だけでショートストーリーを書いていくと、オチのバリエーションがなくなってきます。某ショートショートの本では幽霊、宇宙人、ゾンビなどのオチばかりになっていました。こういう作品はツイッターとか、新聞の片隅なんかで、たまたま1作品だけ読めば面白くも感じられますが、本として続けて読んでいくと飽きてきます。
また「上げて落とす」型は単純なので、読み慣れてくるとだんだんパターンになれて「○○だと思ったら」の上げの段階で、オチがわかってしまうことも少なくありません。
このオチの面白さというのは、小説のジャンルでいえば「ミステリー」や「サスペンス」に近いものです。
けれど、小説のふところはもっともっと広いはずです。
ショートストーリーと似ていると思うものの一つにテレビCMがあります。
多くは新商品などの商品CMです。CMの構成にもいくつかパターンがありますが、オチと同じ構成では、
「○○に困った状況がある」→「それを解決するには、この○○(商品)」
となります。
ですが、企業自体のCMのような雰囲気やイメージを重視したものを見たこともあります。
ふと、テレビに目を奪われてしまって、最後まで見たけど、何のCMだったのかわからなかった、なんて経験がないでしょうか?
ショートストーリーでも、そんな風に、わかりやすいオチだけを評価するのではなく、一瞬の感情や情緒、雰囲気を、写真のように切りとった作品があっていいと思うのです。
これは100文字という文字数に厳密にこだわらない理由でもあります。
一般のコンクール公募の要項を見ればわかりますが、小説は100ページ~300ページなどと、文字数の募集幅は広いものです。
字数に拘るのなら100文字といわず、短歌や俳句といった伝統文学を目指した方がいいでしょう。歌人の方たちは、少ない字数で表現するために凄まじい努力でことばと向き合っています。
それに比べると小説を100文字で合わせるのは簡単です。助詞や語尾で帳尻合わせをすればいいだけです(学校の作文でそんなことをした経験はみなさんもお持ちじゃないでしょうか?)
けれど、そんな字数を合わせるだけの作業は、表面的ではないでしょうか?
100文字小説では、字数に拘るよりも「小説としての魅力」を追及したいと思います。
では「小説らしさ」とは何なのでしょう?
これは、とても難しい問題です。人によって考え方はちがうので、答えがあることではありません。あくまで一個人の、一意見として書かかせてもらいます。
多くの方の作品を「選考する」という責任の重い作業をするにあたり、公平性のためにも、選考基準を明確にしておきたいとも思うのです。
読む人が違えば、評価も変わるのは当然なので、いろいろな方がいろいろな意見や考えをもって交流するきっかけにもなればいいとも思います。
ストーリーサークル
僕の小説に対するとらえ方を簡単に図にすると上記のようになります。
大きくは「ストーリー」「キャラクター」「ことば」の3つの要素があり、それが混じりあう共通部分に、小説的な効果が生まれます。「ストーリー」と「キャラクター」と「ことば」が重なり合えばあうほど、魅力的な小説になっていくと思います。
以下に、一つずつを見ていきます。
●「ことば」
どういう言葉を選ぶかという言語表現です。難しい漢字やことわざを使うといったことではありません。
たとえば、こんなストーリーで考えてみます。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」
という100文字小説を書くとしましょう。
このとき「貸し切り状態」というのは一般的な表現です。ニュースで使われるような「ことば」は伝わりやすい反面、情緒を生みません。
では「貸し切り状態」の車内をどんな言葉で表現したらいいか?
その工夫が「ことば」の選び方です。ガラガラとか、広々も安易ですよね。
では、こんなのはどうでしょうか? 広辞苑からの引用です。
くう‐ばく【空漠】
①何もなくて広いこと。「―とした海洋」
②つかみどころがなく要領を得ないこと。「―たる議論」
かつ‐ぜん【豁然】 クワツ‥
①うちひらけたさま。「―たる眺望」
②迷妄または疑惑のにわかに解けるさま。「―と悟る」
どちらも①では「広い」という意味合いがありますが、②をみると空漠は「要領を得ない」ぼんやりとした印象の出ることばです。「漠」という字は「漠然」や「砂漠」のような熟語も連想します。
豁然はあまり使わないことばですが、辞書をみると迷いが晴れるような印象があります。ちなみに夏目漱石の『吾輩は猫である』に「豁然大悟した」という表現があります。
どちらがいいかは「何を書きたいか?」という作者の「視点」によります。(「ストーリー」と「ことば」の共通部分)。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」ことを、もやもやとした話として書きたいのか、さっぱりと晴れた話として書きたいのかで、「視点」があればことばの選び方は自然と変わるはずなのです。
もちろん辞書的な意味だけでなく、社会的な使われ方や伝わり方も考える必要があります。豁然といって、現代の読者が「迷いが晴れる印象」を持ってくれるでしょうか?
もっとふさわしい「ことば」があるかもしれません。
だから、難しい漢字や故事成語を使うということが「ことば」を選ぶことではありません。
一人称視点の小説であれば、その語り手にふさわしい「ことば」があります。主人公が小さな子どもで「豁然」なんて「ことば」を使っていたら不自然です。保育園児が、その新幹線に乗ったらどんな「ことば」を選ぶでしょうか?
あるいは「豁然」と言ってしまうような漱石先生みたいなキャラクターであれば「豁然」と言うのがふさわしいかもしれません。
そこに「人物描写」が生まれます(「キャラクター」と「ことば」の共通部分)。
100文字小説の二次審査では「ことば」に対する工夫や考慮が見えるかを、加点ポイントの一つとしました。
●「ストーリー」
物語を考えるときに「ストーリー」から考える人と「キャラクター」から考える人がいるように思います。
どちらが大事かはなく、はどちらも重要です。
さきほどの例をつかいましょう。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」
これはストーリーから考えた例です。「誰が」というキャラクターがありません。それもそのはず、これはニュースから拾ったネタです。
「ストーリー」の魅力を考えるときにはオリジナリティが重要です。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」で100文字小説を書くと言いましたが、このまま書いたのでは「ストーリー」としてはオリジナリティがありません。
ここに絡んでくるのが、冒頭であげた「オチの構成」です。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」と思ったら(上げて)
「なぜか満員状態だった」(落とす)
その心は……「みんな東京から逃げようとしていた」
のようなかんじです。
100文字小説の二次審査では、この構成のうまさ、オチのうまさは、ショートショートである以上、無視はできないと考え、加点ポイントの一つとしました。
ただ、冒頭にも言いましたが、小説の魅力はオチだけではありません。
大切なのはオリジナリティだと思います。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」と思ったら、
「なぜか猫でいっぱいだった」
「なぜかお花でいっぱいだった」
「なぜかゴキブリでいっぱいだった」
「なぜかゾンビでいっぱいだった」(使ってしまった笑)
「なぜか○○でいっぱいだった」
あなたなら○○に何をいれますか? その心は?
このオチの面白さは大喜利のような発想が必要で、とても難しいものです。難しいから幽霊や宇宙人、ゾンビなどの意外性に頼ってしまいがちなのです。
例を見ればお分かりだと思いますが、僕も得意ではありません。お笑い芸人さんには(バカリズムさんとか?)、得意な方がたくさんいそうです。
100文字小説であれば「その心は」の理由は、なくてもいいかもしれません。
オチがなくても、猫だらけの車内が、素敵な「ことば」で描写してあれば、読み心地はとてもいい小説になるのではないでしょうか?
これも「小説らしさ」の一つだだと思います。
100文字小説の二次審査では、オチだけでなく、こういった設定や状況にオリジナリティを感じるものは加点ポイントの一つとしました。
もしも、思いつきで書いた100文字小説のアイデアが気に入ったら「その心は……」の理由をかんがえて、長い小説に書き直していくこともできるかもしれません。
●「キャラクター」
これは言わずもがな登場人物です。
「ストーリー」を中心に考えていると「語り手」や「主人公」が疎かになることがあります。とくに100文字小説では「語り手」が見えなくても書けてしまう長さです。
その場合「語り手」=「作者」のように見えてしまいがちです。
日本の文学が「私小説」に寄りすぎている影響もあると思いますが、「作者」が言いたいことを言っているだけのツイートのようなものは、小説らしさは弱いといえます。
ストーリーが平凡でもリアクションで「キャラクター」のオリジナリティは出てきます。
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」
↓
「やった、心置きなく向かいの座席に足を乗せられるぞ! 一度やってみたかったんだ」
これぐらいだと誰でも思いそうなことという感じがしませんか?
キャラクターとしてはフツウというかんじがします。
こんなのはどうでしょうか?
「新型コロナの影響で新幹線が貸し切り状態である」
↓
「やった、今日は北と南、両方の車窓が楽しめるぞ!」
これは「鉄道ファン」みたいなキャラを想定してみました。新幹線は車内のどちら側の座席がとるかで、見える景色が全く違います。席が空いていれば、どちらかの景色を選ばなくてはいけないけれど、今日は両方を見れる、とそんなことに喜びを見出すキャラクターを考えてみました。
けれど、ステレオタイプなキャラクターです。「鉄道ファン」というイメージだけで人間としての個性がありません。キャラクターに名前がないモブキャラのようなかんじです。「マナーの悪い若者」とか「おしゃべりなおばさん」とか「親切なおばあさん」とか、そういった類いの、誰でも思いつき、どこかで見たことのあるキャラクターです。
より、一人の個人として描いていくと、その人しかしない行動が出てくるでしょう。
あなたなら、新幹線貸し切り状態でなにをしますか?
あなたの周りの人では?
アノ人だったら?
そんな風に考えていくと、個性的なキャラクターが生まれてくると思います。
また、キャラクターの魅力は奇抜さではありません。
たとえば、ぜったいにやらないようなこと……たとえば「吊革で筋トレをしている人が、今日は新幹線が貸しきりだから先頭車輛から、全力ダッシュができるぜ!」みたいな、ありえなさはコメディやギャグ漫画では、面白味になりますが、やればやるほど、リアリティがなくなってきます。奇抜さだけが個性ではありません。
さっきの「心置きなく向かいの座席に足を乗せられる」という例で「誰でも思いそうなこと」と、悪い例のように言いましたが、これだって、それが個性であるならキャラクターなら、かまわないのです。
「誰もいない車内。やった、念願の足伸ばしができる! 外見はひょろっとした体型のサラリーマンでしょうか。今日は人の目なんか気にしなくていい。それなのに……なんだか足を乗せることに気がひける。革靴まで脱いだのに、本当に乗せてしまっていいのだろうか、自分の足は臭くないだろうかと匂いをかいで……くさい、と、やっぱりやめてしまう。俺はいつもこうだ……」
こんなキャラクターだったら、個性が感じられませんか? この人の会社や家庭での様子も、なんとなく浮かんでくるかもしれません。
「誰でも思ういそうなこと」は言い替えれば共感の得やすさでもあります。
その人らしい「ことば」で描写されたキャラクターは、平凡でも人間としてリアリティがでてくると思います。
100文字小説の二次審査では、こういったキャラクターの感情、情緒、魅力といったものを感じられるものも加点ポイントの一つとしました。
ついでに当サイトの宣伝など……
以上、二次選考で加点ポイントとした基準を説明してきました。
これ以外に、最終選考通過作品を選ぶ際には「選考バランス」も加点としました。
これはコンクールの都合だけで、内容とは別の理由で、最終選考に残す10作品内での、ジャンルや傾向のバランスを考えて、数作品に加点して選考に加える作業をしました。「+1点」して最終選考に残ったものがありますが、あくまで1点だけの加点で残れる内容のものが上がっただけです。個人的な都合で大幅ひいきなどした訳ではありません(詳細は「選考日記」にありますので、気になる方はご覧下さい)。
ストーリーサークルの「ストーリー」と「キャラクター」の共通部分にあたる「構成」については物語論として、たくさんの記事がありますので説明を省かせていただきました。ご興味ある方は、初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」や、三幕構成の作り方 Step1「物語は旅である」(全8回)などをご参照ください。
また、三幕構成による分析をする「読書会」もあります。
「視点」に関するものはテーマにつながり「文学を考える」シリーズ
「キャラクター」に関するものは「キャラクター論」シリーズ
「ことば」や「描写」に関するものは「文章テクニック」シリーズ
にそれぞれ、重なる部分があります。ご興味ありましたら、ご覧下さい。
●追記(2020/06/24)
一週間も経っていませんが、サークルの言葉について、むしろ「ことば」よりも「視点」が外ではないかというかんじがしてきています。考えがまとまったら、また新しい記事を書くと思いますが、選考をしたときにはこの考え方でした。