『桃太郎』楠山正雄(三幕構成分析#24)

がっつり分析は三幕構成に関する基礎的な理解がある人向けに解説しています。専門用語も知っている前提で書いています。三幕構成について初心者の方はどうぞこちらからご覧ください。今回はとくに中級レベルの解説をしていますので混乱しないように気を付けてください。


(音声で聞きたい方や子供への読み聞かせには、こちらをどうぞ)

著作権フリーの作品を使ってビートを示してみます。

前回は『浦島太郎』の分析をしたので、今回は『桃太郎』を分析してみます。ただビートをとっても仕方ないので「桃太郎を脚本におこすなら、どう構成するか?」という視点で分析してみようと思います。それは、つまりはビートシートにあてはめるとしたら、どうするべきか?ということにもなります。また、三幕構成の作り方 Step8「三幕構成の使い方」では「ミッションプロット」という一つの型を紹介しましたが、そのあたりの説明も入れていきます。

今回も長めだし、ストーリーはご存知と思いますので、読みながらの分析をオススメしますが、先に読みたい方は青空文庫からどうぞ。

青空文庫
『桃太郎』楠山正雄(5358字)

※分析は広告の後から始まります。










『桃太郎』楠山正雄(5358字)ビート分析

※本文中のルビはイルカが削除しました。

 むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
 ある日、おばあさんが、川のそばで、せっせと洗濯をしていますと、川上から、大きな桃が一つ、

「ドンブラコッコ、スッコッコ。
ドンブラコッコ、スッコッコ。」

 と流れて来ました。
「おやおや、これはみごとな桃だこと。おじいさんへのおみやげに、どれどれ、うちへ持って帰りましょう。」
 おばあさんは、そう言いながら、腰をかがめて桃を取ろうとしましたが、遠くって手がとどきません。おばあさんはそこで、

「あっちの水は、かあらいぞ。
こっちの水は、ああまいぞ。
かあらい水は、よけて来い。
ああまい水に、よって来い。

 と歌いながら、手をたたきました。すると桃はまた、

「ドンブラコッコ、スッコッコ。
ドンブラコッコ、スッコッコ。」

 といいながら、おばあさんの前へ流れて来ました。おばあさんはにこにこしながら、
「早くおじいさんと二人で分けて食べましょう。」
 と言って、桃をひろい上げて、洗濯物といっしょにたらいの中に入れて、えっちら、おっちら、かかえておうちへ帰りました。
 夕方になってやっと、おじいさんは山からしばを背負って帰って来ました。
「おばあさん、今帰ったよ。」
「おや、おじいさん、おかいんなさい。待っていましたよ。さあ、早くお上がんなさい。いいものを上げますから。」
「それはありがたいな。何だね、そのいいものというのは。」
 こういいながら、おじいさんはわらじをぬいで、上に上がりました。その間に、おばあさんは戸棚の中からさっきの桃を重そうにかかえて来て、
「ほら、ごらんなさいこの桃を。」
 と言いました。
「ほほう、これはこれは。どこからこんなみごとな桃を買って来た。」
「いいえ、買って来たのではありません。今日川で拾って来たのですよ。」
「え、なに、川で拾って来た。それはいよいよめずらしい。」
 こうおじいさんは言いながら、桃を両手にのせて、ためつ、すがめつ、ながめていますと、だしぬけに、桃はぽんと中から二つに割れて、
「おぎゃあ、おぎゃあ。」
 と勇ましいうぶ声を上げながら、かわいらしい赤さんが元気よくとび出しました。
「おやおや、まあ。」
 おじいさんも、おばあさんも、びっくりして、二人いっしょに声を立てました。
「まあまあ、わたしたちが、へいぜい、どうかして子供が一人ほしい、ほしいと言っていたものだから、きっと神さまがこの子をさずけて下さったにちがいない。」
 おじいさんも、おばあさんも、うれしがって、こう言いました。
 そこであわてておじいさんがお湯をわかすやら、おばあさんがむつきをそろえるやら、大さわぎをして、赤さんを抱き上げて、うぶ湯をつかわせました。するといきなり、
「うん。」
 と言いながら、赤さんは抱いているおばあさんの手をはねのけました。
「おやおや、何という元気のいい子だろう。」
 おじいさんとおばあさんは、こう言って顔を見合わせながら、「あッは、あッは。」とおもしろそうに笑いました。
 そして桃の中から生まれた子だというので、この子に桃太郎という名をつけました。


ここまでは主人公である桃太郎が産まれるまでのプロローグといえます。脚本におこすときには、ここまでのシークエンス(シーンのかたまり)にどれだけの時間をかけるかに選択の余地があります。ストーリー上の主人公は桃太郎です。しかし、このシークエンスでは主人公が登場していないに等しく、設定を説明しているだけでしかないのです。映像であればメインキャストが画面に出てこないこと考えれば、いかに邪魔なシーンかは想像できるかと思います。「時間をかけない構成」をするのであれば1~2分、タイトルのクレジットの背景で見せきってしまうとか、いっそカットしてしまうことも可能です。文章でいえば「むかし、むかし、あるところに、桃から生まれた桃太郎という男の子がいました」で始めてしまえばいいのです。桃太郎が桃から生まれるシーンから始める手もあるでしょう。以上は「時間をかけない構成」です。では、しっかりと「時間をかける構成」ではどうでしょうか? 楠山正雄のこの文章では、こちらを選択しています。だから、ここまでで一章立てているのです。映像でいえば、おじいさん・おばあさん役にベテランキャストを起用していて、このシークエンスもしっかり描きたいような場合でしょう。10分以上とるのであればシークエンス自体に三幕構成が必要になります。このシークエンスでの主人公はおばあさんになります。「主人公のセットアップ」は昔話の決り文句、一行目の「むかし、むかし、あるところに」で説明されています。おばあさんにとっての非日常の始まりは「大きな桃が流れてくること」、ここが「プロットポイント1(PP1)」といえます。「桃を手に入れよう」というアクト2が始まり、「ミッドポイント」で見事、桃をゲットします。「行って帰る」旅の構造でみても「家に持ち帰ったところ」で「プロットポイント2」。そして、おじいさんが帰ってきて「さあ、食べよう!」というアクト3に入り、桃太郎が産まれるという予想外のエンドを迎えて、このシークエンスが終わります。ここだけで一本の短編映画のように構成することができます。脚本の下手な演出家がやってしまいがちなのがアクションや音楽だけでシーンを引きのばそうとすることです。ここでいえば、おばあさんが桃をとろうとするのをコミカルに描いたり、歌をミュージカル仕立てにしたりして、時間だけを延ばすようなことです。演出だけで盛りあげようとも、ストーリー上でのビートがなければ、停滞の原因になります。お酒を水増しして、量は増えてもアルコール濃度は薄くなっているようなものです。しっかりとテンポよく描けてあれば、主人公に関係ないシーンでも観客はいつのまにか作品に引き込まれていきます。こういうシークエンスを僕は「ティーザー」と呼んでいます。『アナと雪の女王』のような、近年のディズニーアニメでは使われるようになりました。アナとエルサの子供時代が短篇のようなテンポで描かれています。あとは歴史上の人物の幼少期を説明するときなども、こういうシークエンスが使われることがありますが、時間が長くなると説明的な印象は否めません。三幕構成は描きたいものを描くためのテクニックなので、作者がどういう物語にしたいかを明確にもたなくては、ビートは機能していきません。

 おじいさんとおばあさんは、それはそれはだいじにして桃太郎を育てました。桃太郎はだんだん成長するにつれて、あたりまえの子供にくらべては、ずっと体も大きいし、力がばかに強くって、すもうをとっても近所の村じゅうで、かなうものは一人もないくらいでしたが、そのくせ気だてはごくやさしくって、おじいさんとおばあさんによく孝行をしました。
 桃太郎は十五になりました。
 もうそのじぶんには、日本の国中で、桃太郎ほど強いものはないようになりました。桃太郎はどこか外国へ出かけて、腕いっぱい、力だめしをしてみたくなりました。


あらためて成長した桃太郎のセットアップです。桃太郎のメインストーリーはここからです。「主人公のセットアップ」として「桃太郎ほど強いものはいない」。「力だめしをしてみたくなりました」というWANTもあります。

 するとそのころ、ほうぼう外国の島々をめぐって帰って来た人があって、いろいろめずらしい、ふしぎなお話をした末に、
「もう何年も何年も船をこいで行くと、遠い遠い海のはてに、鬼が島という所がある。悪い鬼どもが、いかめしいくろがねのお城の中に住んで、ほうぼうの国からかすめ取った貴い宝物を守っている。」
 と言いました。


「鬼の話をきく」ことが「カタリスト」です。この後に書かれている、きびだんごをついたり、侍の衣裳を用意したりはアクト2への助走として「ディベート」と言えなくもありませんが、葛藤がないので機能はしているとは言えません。「デス」も見送る二人にかすかに悲しさがありますが、やはり弱いといえます。このあたりは、現代物語として構成するのであれば、感情を明確にすることが必要です。たとえばですが、男の子には勇ましくあって欲しいと背中を押すおじいさん、愛情から心配で心配でたまらないおばあさん、など。桃太郎も「力だめし」で「鬼を征伐にいく」という動機はやや乱暴なので、鬼を悪として描写するなどのバランスも必要でしょう。いずれも、キャラクターを明確にするということです。

 桃太郎はこの話をきくと、その鬼が島へ行ってみたくって、もう居ても立ってもいられなくなりました。そこでうちへ帰るとさっそく、おじいさんの前へ出て、
「どうぞ、わたくしにしばらくおひまを下さい。」
 と言いました。
 おじいさんはびっくりして、
「お前どこへ行くのだ。」
 と聞きました。
「鬼が島へ鬼せいばつに行こうと思います。」
 と桃太郎はこたえました。
「ほう、それはいさましいことだ。じゃあ行っておいで。」
 とおじいさんは言いました。
「まあ、そんな遠方へ行くのでは、さぞおなかがおすきだろう。よしよし、おべんとうをこしらえて上げましょう。」
 とおばあさんも言いました。
 そこで、おじいさんとおばあさんは、お庭のまん中に、えんやら、えんやら、大きな臼を持ち出して、おじいさんがきねを取ると、おばあさんはこねどりをして、
「ぺんたらこっこ、ぺんたらこっこ。ぺんたらこっこ、ぺんたらこっこ。」
 と、おべんとうのきびだんごをつきはじめました。
 きびだんごがうまそうにでき上がると、桃太郎のしたくもすっかりでき上がりました。
 桃太郎はお侍の着るような陣羽織を着て、刀を腰にさして、きびだんごの袋をぶら下げました。そして桃の絵のかいてある軍扇を手に持って、
「ではおとうさん、おかあさん、行ってまいります。」
 と言って、ていねいに頭を下げました。
「じゃあ、りっぱに鬼を退治してくるがいい。」
 とおじいさんは言いました。
「気をつけて、けがをしないようにおしよ。」
 とおばあさんも言いました。
「なに、大丈夫です、日本一のきびだんごを持っているから。」と桃太郎は言って、
「では、ごきげんよう。」
 と元気な声をのこして、出ていきました。おじいさんとおばあさんは、門の外に立って、いつまでも、いつまでも見送っていました。


鬼退治へ出発。わかりやすい「プロットポイント1(PP1)」です。

 桃太郎はずんずん行きますと、大きな山の上に来ました。すると、草むらの中から、「ワン、ワン。」と声をかけながら、犬が一ぴきかけて来ました。
 桃太郎がふり返ると、犬はていねいに、おじぎをして、
「桃太郎さん、桃太郎さん、どちらへおいでになります。」
 とたずねました。
「鬼が島へ、鬼せいばつに行くのだ。」
「お腰に下げたものは、何でございます。」
「日本一のきびだんごさ。」
「一つ下さい、お供しましょう。」
「よし、よし、やるから、ついて来い。」
 犬はきびだんごを一つもらって、桃太郎のあとから、ついて行きました。
 山を下りてしばらく行くと、こんどは森の中にはいりました。すると木の上から、「キャッ、キャッ。」とさけびながら、猿が一ぴき、かけ下りて来ました。
 桃太郎がふり返ると、猿はていねいに、おじぎをして、
「桃太郎さん、桃太郎さん、どちらへおいでになります。」
 とたずねました。
「鬼が島へ鬼せいばつに行くのだ。」
「お腰に下げたものは、何でございます。」
「日本一のきびだんごさ。」
「一つ下さい、お供しましょう。」
「よし、よし、やるから、ついて来い。」
 猿もきびだんごを一つもらって、あとからついて行きました。
 山を下りて、森をぬけて、こんどはひろい野原へ出ました。すると空の上で、「ケン、ケン。」と鳴く声がして、きじが一羽とんで来ました。
 桃太郎がふり返ると、きじはていねいに、おじぎをして、
「桃太郎さん、桃太郎さん、どちらへおいでになります。」
 とたずねました。
「鬼が島へ鬼せいばつに行くのだ。」
「お腰に下げたものは、何でございます。」
「日本一のきびだんごさ。」
「一つ下さい、お供しましょう。」
「よし、よし、やるから、ついて来い。」
 きじもきびだんごを一つもらって、桃太郎のあとからついて行きました。
 犬と、猿と、きじと、これで三にんまで、いい家来ができたので、桃太郎はいよいよ勇み立って、またずんずん進んで行きますと、やがてひろい海ばたに出ました。
 そこには、ちょうどいいぐあいに、船が一そうつないでありました。
 桃太郎と、三にんの家来は、さっそく、この船に乗り込みました。
「わたくしは、漕ぎ手になりましょう。」
 こう言って、犬は船をこぎ出しました。
「わたくしは、かじ取りになりましょう。」
 こう言って、猿がかじに座りました。
「わたくしは物見をつとめましょう。」
 こう言って、きじがへさきに立ちました。
 うららかないいお天気で、まっ青な海の上には、波一つ立ちませんでした。稲妻が走るようだといおうか、矢を射るようだといおうか、目のまわるような速さで船は走って行きました。ほんの一時間も走ったと思うころ、へさきに立って向こうをながめていたきじが、「あれ、あれ、島が。」とさけびながら、ぱたぱたと高い羽音をさせて、空にとび上がったと思うと、スウッとまっすぐに風を切って、飛んでいきました。
 桃太郎もすぐきじの立ったあとから向こうを見ますと、なるほど、遠い遠い海のはてに、ぼんやり雲のような薄ぐろいものが見えました。船の進むにしたがって、雲のように見えていたものが、だんだんはっきりと島の形になって、あらわれてきました。
「ああ、見える、見える、鬼が島が見える。」
 桃太郎がこういうと、犬も、猿も、声をそろえて、「万歳、万歳。」とさけびました。
 見る見る鬼が島が近くなって、もう硬い岩で畳んだ鬼のお城が見えました。いかめしいくろがねの門の前に見はりをしている鬼の兵隊のすがたも見えました。
そのお城のいちばん高い屋根の上に、きじがとまって、こちらを見ていました。
こうして何年も、何年もこいで行かなければならないという鬼が島へ、ほんの目をつぶっている間に来たのです。


「鬼ヶ島に到着」を「ミッドポイント」とする構成は1つの選択肢です。「ミッションプロット」というプロットタイプでは「ミッドポイント」までは仲間集めや準備をして、「フォール」から、いよいよ「ミッション開始」という構成の仕方があります。「フォール」はミッションの「開始地点」や「場所移動」として機能すればいいのでブレイク・スナイダーの「迫り来る悪い奴ら」
のような感覚とはちがいます。だから仲間の裏切りのような「状況悪化」は必要ありません。観客は「鬼退治」という当初の目的を理解しているので、緊張感は途切れません。観客の感覚としては頂上としての「ミッドポイント」には到達していないので「ミッドポイント」には感じられないかもしれませんが、全体から見れば、「作戦開始」という大きなベクトル変化(行って帰るの帰りはじめ)が起きています。この構成にするのであれば「鬼退治がいかに困難なことであるか」をセットアップしておき、そのためには「仲間を集めることが必須である」という展開に観客も納得していなければなりません。このタイプの作品例は三幕構成の作り方 Step8「三幕構成の使い方」の記事で紹介しています。
ミッドポイントにはもう一つの選択肢がありますので、後述します。

 桃太郎は、犬と猿をしたがえて、船からひらりと陸の上にとび上がりました。
 見はりをしていた鬼の兵隊は、その見なれないすがたを見ると、びっくりして、あわてて門の中に逃げ込んで、くろがねの門を固くしめてしまいました。その時犬は門の前に立って、
「日本の桃太郎さんが、お前たちをせいばいにおいでになったのだぞ。あけろ、あけろ。」
 とどなりながら、ドン、ドン、扉をたたきました。鬼はその声を聞くと、ふるえ上がって、よけい一生懸命に、中から押さえていました。
 するときじが屋根の上からとび下りてきて、門を押さえている鬼どもの目をつつきまわりましたから、鬼はへいこうして逃げ出しました。その間に、猿がするすると高い岩壁をよじ登っていって、ぞうさなく門を中からあけました。
「わあッ。」とときの声を上げて、桃太郎の主従が、いさましくお城の中に攻め込んでいきますと、鬼の大将も大ぜいの家来を引き連れて、一人一人、太い鉄の棒をふりまわしながら、「おう、おう。」とさけんで、向かってきました。
 けれども、体が大きいばっかりで、いくじのない鬼どもは、さんざんきじに目をつつかれた上に、こんどは犬に向こうずねをくいつかれたといっては、痛い、痛いと逃げまわり、猿に顔を引っかかれたといっては、おいおい泣き出して、鉄の棒も何もほうり出して、降参してしまいました。
 おしまいまでがまんして、たたかっていた鬼の大将も、とうとう桃太郎に組みふせられてしまいました。桃太郎は大きな鬼の背中に、馬乗りにまたがって、
「どうだ、これでも降参しないか。」
 といって、ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう、押さえつけました。
 鬼の大将は、桃太郎の大力で首をしめられて、もう苦しくってたまりませんから、大つぶの涙をぼろぼろこぼしながら、
「降参します、降参します。命だけはお助け下さい。その代わりに宝物をのこらずさし上げます。」
 こう言って、ゆるしてもらいました。
 鬼の大将は約束のとおり、お城から、かくれみのに、かくれ笠、うちでの小づちに如意宝珠、そのほかさんごだの、たいまいだの、るりだの、世界でいちばん貴い宝物を山のように車に積んで出しました。


「鬼との戦いは」いかにもアクト3の「ビッグバトル」です。そうすると「プロットポイント2」はどこにあったのでしょうか? しいて言うとしたら「門を攻略して、お城の中に入ったところ」です。「ミッションプロット」においては「プロットポイント2」は「旅の終わり」ではなく「状況の変化」として機能します。「ちょっと待て! 桃太郎は鬼退治に出たんだから、鬼退治がミッドポイントだろう!」と思われた方は初級レベルを越えている方だと思います。くわしくは後述します。

 桃太郎はたくさんの宝物をのこらず積んで、三にんの家来といっしょに、また船に乗りました。帰りは行きよりもまた一そう船の走るのが速くって、間もなく日本の国に着きました。


日本に帰ってきました(鬼ヶ島ってどこの国だよ?というツッコミはおいておきます)。帰ってきたので「旅」はおわります。「鬼退治」をミッドポイントにしていたらここが「プロットポイント2」になりますよね?
 でも、このあとはおじいさん・おばあさんと再会してエピローグになってしまうのでアクト3=「ビッグバトル」がなくなってしまいました。構成として、どうしましょうか? 後述します。

 船が陸に着きますと、宝物をいっぱい積んだ車を、犬が先に立って引き出しました。きじが綱を引いて、猿があとを押しました。
「えんやらさ、えんやらさ。」
 三にんは重そうに、かけ声をかけかけ進んでいきました。
 うちではおじいさんと、おばあさんが、かわるがわる、
「もう桃太郎が帰りそうなものだが。」
 と言い言い、首をのばして待っていました。そこへ桃太郎が三にんのりっぱな家来に、ぶんどりの宝物を引かせて、さもとくいらしい様子をして帰って来ましたので、おじいさんもおばあさんも、目も鼻もなくして喜びました。
「えらいぞ、えらいぞ、それこそ日本一だ。」
 とおじいさんは言いました。
「まあ、まあ、けががなくって、何よりさ。」
 とおばあさんは言いました。
 桃太郎は、その時犬と猿ときじの方を向いてこう言いました。
「どうだ。鬼せいばつはおもしろかったなあ。」
 犬はワン、ワンとうれしそうにほえながら、前足で立ちました。
 猿はキャッ、キャッと笑いながら、白い歯をむき出しました。
 きじはケン、ケンと鳴きながら、くるくると宙返りをしました。
 空は青々と晴れ上がって、お庭には桜の花が咲き乱れていました。

底本:「日本の神話と十大昔話」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
   1992(平成4)年4月20日第14刷発行
※「そのお城のいちばん高い」「こうして何年も」の行頭が下がっていないのは底本のままです。
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年8月27日作成
2013年10月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

物語は「旅」だけではない

このサイトでは「物語は旅である」と、いくつもの記事で書いてきました。

その感覚からすると、今回の「ミッドポイント」や「プロットポイント2」の位置に違和感をもたれた方がいたと思います(いて欲しいです)。

上のリンク先の記事から自家引用してみます。

すべての物語は比喩としての「旅」です。過去にも同じような記事を何度も書いていますが、最重要なので、ここから始めます。

具体例を示します。

桃太郎→「鬼退治」をして帰ってくる。
浦島太郎→「竜宮城」へ行って帰ってくる。
赤ずきん→「おつかい」をして帰ってくる。
シンデレラ→「舞踏会」へ行って帰ってくる。
バックトゥーザフューチャー→「タイムスリップ」して帰ってくる。

いかがでしょうか?
すべて「旅」という構造を持っています。

と書いてあります

また、Step3「その旅って面白いの?」では旅の目的地となる「感動スポット」を見つけることを説明しました。桃太郎でいえば「鬼を退治すること」です。

そして、Step4「ツアーを組もう」という記事では感動スポットを「ミッドポイント」に置くということも言いました。

「やっぱり『鬼退治するところ』がミッドポイントになるはずだろ!」

そう感じられた方は「初級編」をしっかり理解してくださったと思います。どうぞ、この先の話にお付き合い下さい。「ん? なに言ってんだ?」というような方は、もう一度、Step1からお読みいただくか、ログラインを考えるシリーズなどで、もう少し三幕構成の感覚を掴んでからの方が、混乱しないかと思います。

自家引用のつづきです。

ちょっと待てよ「かぐや姫」はどうなんだ? 鶴女房(つるの恩返し)は? 花咲かじいさんは?
そう感じる人もいるかと思います。しかし「旅」の感覚がつかめるようになれば、比喩としての「旅」という意味で自然とわかるようになります。三幕構成になれていない人は、例外はいったん無視して基本をつかむことをオススメします。

「旅である」という感覚はあくまで比喩であるし、最初の理解を助けるための捉え方です。例外はたくさんあるのです。むしろ例外のが多いのです。「中級編」では、この例外こそが重要です。。

もしも「物語は1つしかない」というような理解をされている方がいたら、その方は、おそらく初級レベルです。あるいは説明の便宜上、そう言っているだけです。

すべての物語に共通する要素はあります。それを並べればパターンもあります。それでも作品を比べて見れば、一つずつ違います。

どんなものでもいいので「プロフェッショナルの仕事」というのを、どうぞ想像してみてください。

宝石でも壺でも構いませんが、シロウトには同じに見えるような芸術品や工芸品が、プロの目には違って見えます。それぞれの価値や真偽を見抜けることが出来るのがプロです。シロウトに出来ないことが出来るから、プロなのです。

あるいは職人芸のようなものではどうでしょう? シロウトから見ればもう完璧のようでも、職人にはミリ単位のズレが歪んで見えるのです。

物語も同じです。

大枠でくくってしまえば物語は一つとも言えます。けれど、それは「事件が起きて、主人公が解決するものだよ」というようなレベルの言い方です。

そういう理解は、創作には役立ちません。書けたとても、プロから見たら歪んで見えるのです。

抽象論が長くなりました。具体的なビートの話に戻りましょう。

今回は2つのミッドポイントをおいて、違いを考えてみました。

物語としては「旅」として掴めばいいの「桃太郎が鬼退治をして帰ってくる話」と理解していいのです。けれど物語と構成は違います。「鬼退治」をミッドポイントに置くとアクト3がなくなってしまいます。2時間の映画であれば失敗します。

全体で10分~30分ぐらいのアニメなんかであれば、問題ありません。観客は「長さ(時間)に見合ったドラマ」を期待しているからです。

15秒のCMを想像してみてください。「カーペットのシミが落ちない。困った~」→「そんなときは、このマジックスプレーを!」

新商品のCMとしては成立するでしょう。15秒だからです。

では「カーペットのシミが落ちない」葛藤を30分かけて、最後にマジックスプレーがでてきたら、どうでしょうか?

自主映画などでは、この手の創り手の勘違い的なオチが時々ありますが、一般的には企画の時点で通るわけありません。創り手から「意外性」や「シュール」に見えても、観客からしたら拍子抜けです。下手な夢オチなんかが嫌われて「くだらない」の一言で片づけられてしまいます。

「カーペットのシミが落とす」ような小さなミッションであれば、15秒で、新商品をもってきて解決できます。
しかし「鬼退治」のような大きなミッションはそうはいきません。ゴキブリ退治じゃないのです。だから2時間かけるのです。ミッドポイントまでの30分で仲間を集め、綿密な作戦を練り、後半の60分をかけて対決に挑むのです。その鬼退治の中で、さらにアクト3ではクライマックスとしての「最終決戦」(ビッグバトル)があるはずです。

これは「ミッションプロット」という一つのプロットタイプです。(プロットタイプとストーリータイプの違いに注意

プロットタイプというのは、過去に同じような題材(ここでいえば「大きなミッション」)を扱った映画による「定跡」のようなものです。それなりの信頼があります。

けれど、そんな型に嵌めたくないという人もいるでしょう。

「アクト3がないなら、オリジナルで創ってしまえばいい!」

それも一つの解決案です。むしろ、それでこそクリエイターとも言えるかもしれません。作者がテーマをもっていればオリジナルのストーリーになるでしょう。ただし三幕構成になっていれば、です。

創り手の勘違いオチにならないように過去の定跡は知っているべきなのです。

さいごに、オリジナルのアクト3をつけた、この人の「桃太郎」をご紹介します。

青空文庫で読めます。

緋片イルカ 2020/05/16

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