ここまで、6つにわけた言動決定要素のうち「知能」について、さらに細かく「年齢差」、「職業差・経験差」、「男女差」という観点から考えてきました。
今回からは次の言動決定要素「価値観」について考えていきます。
前回までの「知能」が客観的な能力のようなものだとすると、「価値観」は個性のようなものです。
たとえば、医者という同程度の「知能」を持つ二人のキャラクターがいます。
年齢も、職業も、性別も同じであれば似たようなキャラクターになってしまいます。
しかし、一人は「病人を救うためになら何でもする」という価値観を持っていて、他方は「病人の命よりも金儲け」という価値観を持っているとしたら、どこかで見たことのある医療ドラマのように見えてきませんか?
「価値観」についての説明はこれで終わりでもいいぐらいなのですが、いくつか「価値観」から派生する問題について考えていきます。
「キャラクターコアの有無」
例にあげた「病人を救うためなら何でもする!」という価値観を持っている人間が主人公タイプであることはおわかりになるかと思います。
一般的に主人公は、多くの人に共感を得られる価値観をもっています。
それに対して「病人の命よりも金儲け」というキャラクターはアンタゴニストと呼ばれる、主人公に敵対する役割になります。
水戸黄門のような勧善懲悪のストーリーであれば善と悪の対立で、正義が勝つようにすれば成立しますが、単純すぎてリアリティがなくなります。
現実には「病人を救うために何でもする」というヒーローはなかなかいませんし、「病人の命よりも金儲け」という完全悪な人間もなかなかいないのです。
もし、それに近い人がいるとしたら、その価値観をもつに至った過去があるはずです。
「病人を救うためなら何でもする!」と思うには「子供の頃に大切な弟を病気で亡くして悲しかった」とか「研修医のときに死んでいった人と約束をした」とか。
そういうコアがあるために、迷ったり葛藤しながらも、自分の「価値観」を突き通せるのです。
一方、悪人にもコアがあります。
むかしは主人公のように「病人を救うためなら何でもする!」という価値観を持っていたかもしれないが、現実は治療には高い器具や薬がいる。
お金がなくてはいい治療もできないという経験があったからこそ、最高の病院をつくるというのが「価値観」になっているかもしれません。
キャラクターコアは設定としては必須です。
これがないキャラは、チェスや将棋の駒のように作者の都合だけで動きます。
作者の都合のいい展開に、キャラクターが従ってしまうのです。
よく使われるセオリーは、悪人のキャラクターコアを前半では見せないでおくことです。
それによって、読者・観客は主人公側に共感します。
物語が進むにつれて、悪人の過去が明かされて「本当はいいやつなのかもしれない」となってきます。
(※これは物語の専門的な言葉でいうと、フラットなアークによって周りの人間が変化するストーリータイプで、とうぜん、変化はミッドポイント以降です。詳しくは「プロットを考えるシリーズ」をご覧ください。)
キャラクターコアを「シーンで見せる」かどうかは、とても重要な物語のビートといえます。
これはキャラクターの二面性を描くといったこととも関連します。次回はそのあたりを、さらに掘り下げていきます。
緋片イルカ 2019/07/03
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