物語は面白くなきゃいけないのか?(文学#46)

ある映画を見るとする。

1800円払って、人生の二時間を使って、映画を見るとする。

「つまらなかった」

がっかりする。

期待していた作品であれば裏切られたような気持ちすらするだろう。

でも、怒るようなことではない。

レビューに☆1をつけて、罵詈雑言をかきたてるほどではない。

人生、晴れる日もあれば、雨の日もある。

いい映画に感動する日もあれば、がっかりする日もある。

映画が自分の期待通りでなかったことに怒りを感じるのは、世界が自分のためにあるという勘違いだ。

作品はあなたのためだけにあるのではない。

仕事も、家族も、友人も恋人も、名前も知らないお店の店員さんだって、あなたのために存在しているのではない。

みんな、それぞれの人生を生きている。

そこに目を向けてみよう。

作品の向こうには、その物語を書いた人がいる。

思いがある。

携わった人々がいる。

その人たちの前で、レビューに書いたような罵詈雑言が言えるだろうか?

言えるなら、いい。それはあなたの意見だ。

そして、あなたの言いたいことを伝えたいだけ伝えたら、今度は耳を傾けてみよう。

書いた人には書いた人の言い分がある。

作品を通してキャッチボールしてみよう。

するつもりのない人は、書き手には向かない。絶対に向かない。

不器用なのはいい。

ボールをうまく投げられなかったり、うまくキャッチできなくても、練習すればうまくなる。

だけど、一方的に、好き勝手に投げているだけの作品は、何かの拍子に話題になっても、いずれ消えていく。

売れようが、流行ろうが一時的。100年後には忘れ去られる。

面白いかどうかは、物語の本質ではない。

面白さだけを求めて書いてはいけない。

よく読め、さすれば、己が書くべきことも見えてくる。

緋片イルカ 2021/04/10

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