映画『ラブソングができるまで』(三幕構成分析#39)

ラブソングができるまで (字幕版)

一世を風靡した80年代は遠く去り、いまや、往年の“ギャル”たち相手にイベントを賑わせるしかない元ポップスターのアレックス。そんな時代に取り残された彼に、ついに返り咲きのチャンスが訪れた! Eirin Approved (C) 2007 Warner Bros.Entertainment Inc. All rights reserved.(Amazon商品解説より)

スリーポインツ

PP1:アレックスがピアノを聞かせて説得(曲の共同制作開始)(27分26%)
MP:コーラに曲が採用される(45分43%)
PP2:歌詞が書けないとソフィーが部屋から出ていく(共同制作終わり)(79分76%)

構成解説

監督のマークローレンス監督の過去作品『デンジャラス・ビューティー』や『トゥー・ウィークス・ノーティス』を見たことがあれば、この映画がどんな雰囲気かは察しがつくかと思います。ちなみに原題のMusic and Lyricsのが良い印象。

似たようなタイプの映画として『はじまりのうた BEGIN AGAIN』が浮かびますが、この『ラブソングが~』の方が6年も早いようです。

『はじまりのうた』では曲と相乗効果を生んでいたドラマチックさが、こちらはでラブ・コメにコーティングされています。

1980年代の音楽性の再現や完成度が、どの程度、その世代の人にツボなのかは判断できませんが、世界観を創りあげる演出はハリウッドの力だと感じます。この映画のコーラとか、『イエスマン “YES”は人生のパスワード 』のズーイー・デシャネルとか、映画内の架空バンドは楽しく好きです。

ヒュー・グラント、ドリュー・バリモアというキャスティングも、微妙に落ち目観のあるタイミングでの起用なのかな?というかんじがしました(今だから、そう思うのかも知れませんが)。

企画・演出はそれほど悪くないと思うのですが、脚本はガバガバという印象でした。

アレックスとソフィーという男女の感情をそれぞれ描くので、ダブル主人公のような構成になることもありますが、この映画では構成上の軸になっているのはアレックスです。

アレックスの部屋にソフィーがやってくる人物の紹介の仕方だけでも、どちらかが主人公かはわかります(※ソフィーを主人公にするなら作家との過去や、植木の仕事で部屋に行く映像で入る)。

全盛期のミュージックビデオから始まる冒頭シーンは無難なオープニングですが、脚本上では、効果的とはいえません。過去の説明でしかなく、ストーリー上の「オープニングイメージ」としては機能していないからです。

「主人公のセットアップ」として、世間からは「過去の人」と思われつつも、それほど自己卑下するでもなく、苛つくでもなく、高そうなアパートに暮らしている主人公の日常が描かれます。主人公の性格的に、それほど悩みを抱えているようには見えません。「ハッピーな元スターさ」などという軽妙なセリフ回しが、そう思わせる部分もあるでしょう。これはこれで、人間としては魅力的ですが、物語の主人公としてはやや弱く見えます。主人公は、アクト2で非日常の世界に踏み込みます。それには決断や踏み込む必然性が必要ですが、この映画では得てして、その動機が弱いのです。後述しますが、アレックスが曲を完成しきれなくても、コーラに採用されなくても、チャンスは失うけれど、絶望するほどではないということです。誰もがそういった日常生活を生きているのですが、映画の主人公としては弱いのです。観客は人生の貴重な時間を使って、映画を見るのであれば、それに見合ったモノを期待しています。ヒュー・グラントやドリュー・バリモアの笑顔が見たいというファンであれば、そこまでのドラマは求めないでしょうが、ここに深いドラマが用意されていれば、笑顔プラスαとして感動もできたのです。だから、ストーリーが弱いことは、もったいないことなのです。明確にセットアップしておくべきだったことを、映画の中から拾うなら「新しいことは何も期待しない」というセリフがありますが、これをしっかりセットアップして、ソフィーと出会ってどう変わっていくかを見せたり、遊園地の営業が減っているというセリフもありましたが、これも「来週は来なくていいです」と言われるシーンを見せることで、寂しさやピンチさが伝わります。セリフで言っているだけでは設定を説明しているだけなのです。中盤の遊園地でソフィーの言葉に励まされるシーンがありますが、、これもアクト1でセットアップしておくことによって、よりギャップが生まれたのです。

コーラから曲作りを依頼されるところから、物語が動きだします。この映画としては「カタリスト」にあたりますが、非日常への誘いではなく、日常の中の、ちょっと大きな仕事という程度の事件です。ここが根本的なドラマとしての弱さなのは前述した通りです。

傲慢な作詞家、ソフィーを説得するなどが「ディベート」にあたります。ソフィーの生活が描かれるシーンに時間が割かれるため、時間をとっていますが、姉家族などのキャラクター紹介をしているばかりで、ソフィーの内面をきちんと見せるシーンになっていません。作家との過去などは、作詞をを断る理由として、このあたりで片鱗だけでも見せておいても良かったでしょう。

「デス」もありません。まあ、ハリウッドで採用されているビートではないので、ない作品は多いのです。具体案は長くなるので割愛しますが、いくつも入れようがありました。

「プロットポイント1」として、ともかく二人の「曲作り」が始まります。非日常に入ったきっかけは弱いため、「バトル」もあまりありません。曲を作っているだけです。言うなれば「仕事している」だけです。途中、サブプロット的にソフィーと作家の過去が入りますが(「ピンチ1」)、これもソフィーがサブキャラである理由でもあるし、もっとアクト1からキャラクターを立ててダブル主人公にすればよかったのに、と思わなくもない中途半端さを感じるところです

「ミッドポイント」では、あっさりと曲が採用されます。あっけないですが、目標は達成です。次のシーンは「レストランで作家に出会いソフィーが対決」し、部屋にもどって「キスからのベッドイン」となります。ラブストーリーではキスやベッドインはミッドポイントになるので、こちらをミッドポイントととる考えも可能だと思います。時間は56分54%。ラブコメのセオリーでは、こういうラブの予兆となるシーンを、曲作りの途中(ミッドポイントへ行く前)に入れておきます。曲作りをしながら、いつのまにか恋に落ちていたという展開になるのですが、この映画では、曲作りと、ラブパートがミッドポイントを境に分かれています。だから、僕はミッドポイントを「曲採用」としました。この前半と後半で、曲作りとラブを、はっきり分ける構成は独特だと思いますが、成功しているかというと疑問です。たとえば「傲慢な作家の態度に腹を立てて手をだしてしまうアレックス」(このシーンの「降参。顔がバター漬け」はいいセリフ!)、自分のために頑張ってくれた彼に心動かされるソフィー、いい雰囲気になる。そして「この気持ちを曲にしよう」となれば、もっと「二人でつくった曲」という印象が観客も持てました。シーンの順番(構成)が間違っているように感じます。

ともかく、恋仲になってしまったことは、それまでと状況が変わるので「フォール」にあたります。フォールはたいていの映画では、MPまでとは正反対な状況が起きてくるのですが(だからフォールト呼んでいますが)、まれにMPで、まったくの別アクトに入っていくような構成の映画があります。この映画もそれに似ています。ここからやっとラブストーリーが始まる印象です。二人の関係は、ほとんど下降していませんが、曲のアレンジを巡って、二人は仲違いする「プロットポイント2」へ到ります。ちなみに、二人が恋愛関係に到ったことで、曲の考え方に食い違いがでたというのであれば「付き合うこと」がフォールになりますが、元々の性格の違いというかんじがしてしまうのは、やはり、前述した、曲完成までの「バトル」が機能していないため、達成感がないのです。「私たちの曲」と怒るソフィーよりも、「ビジネスはそういうもの」だと割り切るアレックスが正しいように見えてしまうシーンすらあります。

歌詞はFAXでコーラに送られていて、もう一度、会いに言ったアレックスは「パートナーには戻れない」と言われます。ここをPP2にするという解釈は問題ないと思います。演出的にもいかにもPP2です。ただし、ここはラブストーリーの方のPP2というかんじ。PP1を「曲作り開始」にしたので、そのうけとして「歌詞が書けずに出て行くところ」としました。この辺りの差は、分析する人の好みや、つかみやすいさ次第だと思います。時間的にもシーンのつながり的にも、どっちでも、とってもほとんど同じといえます(一連のシークエンスなので、シークエンスの頭でとるか、お尻でとるかの違い)。

いかにもなBGMに合わせて、淋しそうなアレックスとソフィーは露骨な「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」

「ビッグバトル」はコンサート。ここだけ、唐突にソフィー視点で描かれます。作詞のクレジットをアレックスが奪ったかと思わせて、オリジナルの曲を書いていたというツイストを入れるため、またそれを観客にも驚かせるという演出上の狙いです。演出効果としては悪くないと思いますが、物語の観点から見ればキャラクターアークの描き方が雑だから、サプライズでごまかしたともいえます。シーンも曲も悪くないと思いますが、このシーンをもっと最高にするための段取りができたのではないか?という気はします。やはり、もったいないのです。

緋片イルカ 2021/09/20

なお、この映画は「三幕構成と恋愛(プロットタイプとストーリータイプの違い)」の記事にコメントをいただいたのをきっかけに分析してみました。コメント欄には、別の方の分析もありますので、良かったらご覧下さい。

「がっつり分析」のタグをクリックしていただくと「なんでもレビュー」のうち三幕構成の分析記事のみが表示されます。

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『映画『ラブソングができるまで』(三幕構成分析#39)』へのコメント

  1. 名前:うお 投稿日:2021/09/25(土) 15:55:15 ID:6b2f401aa 返信

    緋片さん、お久しぶりです。うおです。

    『ラブソングができるまで』を鑑賞・分析して下さりありがとうございました。
    まさか記事としてアップして頂けるとは思っていなかったので驚きました!
    お時間を割いていただき感謝申し上げます。
    この作品の改善点など、”なるほど…”と思いながら読ませて頂きました。

    ちなみに、緋片さんはこの作品のプロットタイプは何になるとお考えですか?

  2. 名前:緋片 イルカ 投稿日:2021/09/25(土) 16:43:24 ID:bb31f18b7 返信

    うおさん、コメントありがとうございます。

    見たことない映画だったのと、息抜きに見るのにちょうど良い雰囲気だったので見てみました。分析はあくまで主観的なところもあるので、あくまで僕の一意見です。思うところあれば遠慮なく、何でもコメントください。話してみると、一人で分析してると気づかないところが、見えてくるということが勉強会ではよくあります。またサイトで記事をあげるのは、一方通行になりがちなので、コメントをいただけるのは、とても嬉しいです。

    プロットタイプは典型的なラブコメ型だと思います。ブレイク・スナイダーの10のストーリータイプでいえば、相棒愛Buddy Loveの、6-3:ロマ・コメ愛Rom-com Loveというやつです。同じ監督の『デンジャラス・ビューティー』はSave the Catでビートの解説に使われている作品ですが、これも同じ型です(たしかブレイク・スナイダー自身が書いた脚本もラブコメだったと思います)。

    ラブコメ型は「三幕構成と恋愛」の記事で書いたとおり、

    PP1:「関係が始まる(無関心か嫌悪)」
    MP:「お互いに認め合う」
    PP2:「関係が終わる(寂しい)
    アクト3:「自分の意思で、再会」

    の流れです。『ラブソング~』で無関心というのは恋愛的な無関心で、認め合うはミッドポイント後のベッドシーンです。別れて寂しい、再会からのハッピーエンドは映画を見ればわかる通りです。この感情の流れがラブストーリーをつくっています。

    「一緒に曲を作る」という仕事は、二人の関係を始めさせるためのプロットアークです。この仕事がなければ、二人が恋に落ちることはなかったでしょう。ここは「ロミジュリ型」のラブストーリーと決定的に違います。ロミジュリは一目惚れに近いので、出会ったこと自体がプロットポイントとして機能して、ぐんぐんと関係を深めようとします。それゆえ物語としては、二人を妨げる障害も必要になります。障害がなければ、すぐにくっついてハッピーエンドになってしまうので笑

  3. 名前:うお 投稿日:2021/09/26(日) 19:13:13 ID:2f0d08e83 返信

    緋片さん、返信ありがとうございます。

    ラブコメは気軽に観れるのが良いところですよね。

    「ロミジュリ型」に関してですが、プロットポイントで既に恋に落ちているということは、「ロミジュリ型」のイクスターナルは『相手を手に入れる』という人間関係的なものになりますか?
    『一緒に曲を作る』というような外的なイクスターナルは必要ないのかな?なんて思ったり…
    作品によりますかね?

    もし的外れな質問でしたらすみません!

  4. 名前:緋片 イルカ 投稿日:2021/09/26(日) 20:12:06 ID:89ba28e25 返信

    コメントありがとうございます。

    どんなセオリーも基本的には「作品による」という前提の上ですが、「ロミジュリ型」でも、ハリウッド映画であればイクスターナルな何かを用意しているのではないかと思います。逢瀬をするにも「邪魔をする存在」がいれば「目を盗んで脱出する」とか「待ちあわせの場所へ到達する」といった「相手を手に入れる」を具体的な(イクスターナルな)目的に置き換えてストーリーが進むようになってると思います。「イクスターナルな目的達成=相手を手に入れる」となるように、映像として表現するのが映画表現なので。小説であれば「好きだけど、どうしよう、やっぱり、ダメ、ああ、でもやっぱり好き」みたいな内面をていねいに書いてても進みますが、映画だと心の葛藤は、画にならないシーン(モノローグ入れるか、日常生活にBGMが流れてるだけとかになってします)ので、映像的な動きが欲しくなります。ハリウッド映画なら脚本がモノローグ的だったとして、監督が演出をすると思います。

    ロミジュリ型でも両者が熱烈に恋に落ちてしまってる場合か、一方が強烈に落ちているけど、もう片方は気にはなってる(心の奥ではものすごく惹かれてる)けど、表面的には気のないフリをしているとか、そういうキャラクターの差によっても、微妙に変わってくると思います。三角関係になる場合もたくさんありますし、それこそ「作品による」ですね。

  5. 名前:うお 投稿日:2021/09/28(火) 00:41:47 ID:48a522d20 返信

    緋片さん、返信ありがとうございます。

    そうですよね、映画は心の声がないのが基本ですもんね。
    そう考えると漫画や小説の実写化なんかは、すごく大変なのかもしれませんね。

    「ロミジュリ型」と言っても『両者が一目惚れして、ただただ惹かれ合い求め合う』だけでなく、色々な形があるということですね。
    主人公は一目惚れして、相手は興味なしみたいな映画もありますもんね。

    沢山映画を観て、色んなバージョンを学んで行こうと思います!
    今回も丁寧な解説をありがとうございました。

  6. 名前:緋片 イルカ 投稿日:2021/09/28(火) 00:51:03 ID:09f21c47f 返信

    お役に立てましたら幸いです。

    いろんな作品を見るうちに、決まった答えはない中で、共通点を発見したりするのが面白かったり、創作にも応用できるようになります。

    僕が書くときには、自分の書きたい作品と似たような設定、ジャンルのものを集中的に見るようにしています。そういうときには、共通点が発見しやすいです。

    うおさんは、ラブストーリー系に興味をお持ちなのかなと思ったりしますが、そっち系ばっかり攻めてみたら、どこにも書いてないような発見があるかもです(よかったら、こっそり教えてください笑)

    時間の余裕ができたら『或る夜の出来事』も見直してみたいと思っております。

    また、何かありましたら、いつでもご連絡ください。