この記事はミニプロットについて(中級編13)からのつづきです。
目次:
①プロットの尺度
②「クローズド・エンディング」と「オープン・エンディング」
③「外的葛藤」と「内的葛藤」
④主人公の数
⑤キャラクターコアとwant
⑥時間の扱い
プロットの形式⑦「因果」と「偶然」
直接的時間か? 非直線的時間か?
やはりロバート・マッキーの『ストーリー』の引用から始めてみます。
今回の内容は少し複雑なので、読み解きながら進めますが、まずは引用を読んでみてください。
アークプロットは時間軸のどこかの点で始まって、ほぼ連続した時間を楕円状に進み、後日に終わる。フラッシュバックが用いられる場合も、観客が数々の出来事を時系列に並べられるように処理する。一方、アンチプットの場合、時間が逆転したり、交錯したり、分断されたりするので、出来事を時系列にまとめるのは不可能ではないにせよ、困難であることが多い。ゴダールはかつて自身の美学を語った際に、映画にははじまりと中間と終わりがなくてはならない……が、その順序どおりである必要はない、と言っている。(p.67)
まず、アークプロットについて「時間軸のどこかの点で始まって(中略)後日に終わる」とあります。
物語は「ある日」の「ある時間」から始まって、物語が終わる頃には、時間が経過していると言い換えると、少しわかりやすいかと思います。
私たちが生きている感覚として、時間が経過するのは、当たり前すぎるので、あえて言われると「ん?」となる人もいるかもしれませんが「ふつうの物語は、ふつうに時間が経過するよね」ということを確認しているだけです。
中略にした「時間を楕円状に進み」というのは、物語をアークとして捉えたときの表現なので、
こういった図を見たことある人ならば、引っ掛からない文章だと思います。
次に「フラッシュバックが用いられる場合も」について。
フラッシュバックとは「回想」です。
ドラマや映画でしょっちゅう使われているので、どういうものかさえ分かれば、「ああ、あれね」となるでしょう。
「回想」が何かや書き方、3つのパターンについては別記事にしましたので、そちらをどうぞ。
参考:脚本の書き方:回想(文章#39)
ちなみに日本の映像は回想に頼りがちですが、この是非についてはいつか書こうと思います。
ロバート・マッキーの文章に戻ります。
回想が入っても「フラッシュバックが用いられる場合も、観客が数々の出来事を(頭の中で)時系列に並べられるように処理する」
「頭の中で」とつけました。つまり観客がストーリーの時系列に混乱しないように、ということです。
回想という「過去の時間」が入りこんでも、観客が理解できるように並べるのが「ふつうの物語」です。
観客が混乱するのは、演出がまずいか、意図的にやっているかです。
意図的にやるのが「アンチプロット」です。
そのことを書いているのが次の文章「一方、アンチプロットの場合、時間が逆転したり、交錯したり、分断されたりするので、出来事を時系列にまとめるのは不可能ではないにせよ、困難であることが多い。」
時間を「逆転」「交錯」「分断」したりして、理解が困難になっている。
アンチプロットで、こういったことをやるのは、それによって「常識を疑う」といったメッセージやテーマを伝えるためです。
ストーリーの理解が困難ということは、意図がわからない観客には「意味不明」です。「ふつうの物語」として感動したり楽しんだりするのは難しいでしょう。
それでこそアンチプロットと言えるでしょう。
ゴダールの言葉「映画にははじまりと中間と終わりがなくてはならない……が、その順序どおりである必要はない」
「はじまり」「中間」「終わり」というのは三幕構成の各アクトの別の言い方です。
ストーリー自体には三幕構成が必要だが、演出上はその通りに提示する必要はないという意味です。
アンチプロットの特徴を言い表していると思います。
これまでの「プロットの形式」シリーズの記事で引用した箇所は「アークプロット」と「ミニプロット」の対比として書かれていましたが、ここでは「アンチプロット」との対比で書かれています。
では「ミニプロット」ではどうでしょうか?
過去記事で何度も書いていますが、物語における時間の流れは「アークプロット」だからこう、「ミニプロット」だからこう、といった分類は粗雑です。
初級レベルの人はそれで構いませんが、中級以上では、作品ごとに時間の扱い方を考えるべきです。
次のような映画はどうでしょうか?
これらは「ミニプロット」と呼んでいい作品です。時間の扱いに特徴があって初見では混乱しがちですがアンチプロットではありません。
「ミニプロット」でもよくある群像劇とは違います。
『パルプフィクション』では、時系列を変えているのは一カ所だけなので、回想が入る「アークプロット」と呼べるかもしれません。分類が目的ではないので、どちらでもいいです。
大切なのは「○○プロットだから△△である」といった安直な理解でわかった気にならず、きちんと作品ごとの特徴や、上手くいっているところや、いっていないところを丁寧に掴んでいくことだと思います。
そういう理解をすることで、自身の創作に応用できるようにもなります。
「プロットの時間」と「シーンの時間」
「プロットの時間」と「シーンの時間」について触れておきます。
『メメント』のような、時間が逆行していく構成で考えてみます。簡易的なオリジナルプロットを作ってみます。
シーン1:1月1日 16:00 殺人事件が起きている。死んでいる妻。
シーン2:1月1日 12:00 妻はまだ生きていて、親戚一同で会食。この中に犯人が?
シーン3:1月1日 7:00 朝の風景。会食の準備。妻と夫が口論。犯人は夫か?
シーン4:1月1日 1:00 年明けの夜。妻が初詣に向かう。隣にいるのは夫ではない男。誰だ?
シーン5:12月31日 23:00 大晦日の夜を過ごしている家族……
シーン単位で、時間を遡っていくのが『メメント』のような時間逆行型の構成です。
この構成では「プロット」において時間を逆行させてはいますが、「シーン」ごとには通常の時間が流れているということに注目してください。
つまり「シーン1」は1月1日の16:00~16:10とかを描きます。
16:00~15:50を描くわけではないのです、15:50~16:00なら構いません。時刻がずれただけで、時間の流れ方は通常です。
「シーン」で時間を逆行するとしたら、ビデオや動画の巻き戻しで、セリフも逆再生されるような演出です。
たとえば「テーブルから皿が落ちて床で割れる直前、巻き戻して、テーブルの上に戻る」といった演出。コメディなんかで見かけます。
あくまで部分的な演出で、映画全体が巻き戻しだけで描かれる作品を僕は知りません。おそらくアンチプロット作品には存在すると思いますが、見ていて面白いものではないでしょう。
時間を「停止」するというのもあります。写真を撮ったように、静止画で見せる演出です。
「巻き戻し」でも「停止」でも、時間を操作するということは、現実的なストーリーでは起こりえません。
主人公がアイテムや特殊能力を使って、止めたり巻き戻したりという物語はありますが、それは「プロットの時間」であって、シーンとしては時間を止めていても、主人公は動いています。
観客の時間は、動いている主人公とともに流れるので、シーンとしての時間の流れ方は、やはり通常です。もしも、主人公まで止まってしまったら、物語もそこで停止して進みません。
ちなみに、こういうストーリーは「魔法のランプ型」の構成になります。
「シーンの時間」を「交錯」させたらどうなるでしょうか?
『(500)日のサマー』や『いつも2人で』では男女の「出会いの頃」と「倦怠期の頃」の会話が対比的に描かれています。
これは「プロット」における対比ですが「シーン」で交錯させたら、どうなるでしょうか?
たとえば、レストランでの会話シーンで、Aのセリフは倦怠期のときのセリフ、Bのセリフは出会いの頃のセリフ、を会話させるように編集したら?
演出意図が伝われば出来そうな気配がありますが、かなり尖った演出で、映画好きではない一般の観客が見たら、面白いと思うより混乱するでしょう。
「分断」させるのも同様です。シーンを刻んで、めちゃくちゃに繋ぐようなものです。
『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』というドキュメンタリーで、ティエリーという男が、録り溜めたフィルムを思いつくままに切り貼りした映像がありました。あれが「シーンにおける時間」での「分断」と言っていいでしょう。
映画内で、その映像を見たバンクシーが次のように言っていました。
「その映像を見て悟った。ティエリーは映画監督じゃない。精神に問題のあるカメラ・オタクだ」
言い換えるなら「アンチプロット」です。
いくつかの例を挙げましたが、これが「プロットの時間」と「シーンの時間」の違いです。
ロバート・マッキーがいうような「時間が逆転したり、交錯したり、分断されたりする」というのはプロット(構成)レベルの問題なのです。
「プロットの時間」を操作すること=構成すること
先の「元旦殺人事件」の構成を操作してみます。
シーン1:1月1日 16:00 殺人事件が起きている。死んでいる妻。
シーン5:12月31日 23:00 大晦日の夜を過ごしている家族
シーン4:1月1日 1:00 年明けの夜。妻が初詣に向かう。隣にいるのは夫ではない男。誰だ?
シーン3:1月1日 7:00 妻の朝の風景。会食の準備。妻と夫が口論。犯人は夫か?
シーン2:1月1日 12:00 妻はまだ生きていて、親戚一同で会食。この中に犯人が?
シーン2~5を通常の流れに戻しただけです。
これだけで、回想型のよくあるサスペンスやミステリーの構成になりました。
『メメント』のような逆行型は少ないので、物珍しさだけで「すごい!」「新しい!」と賛美する人がいるかもしれませんが、大切なのは「何のために、その構成にするか?」です。
構成の物珍しさだけを面白がるのは「どんでんがえし」のような、オチだけつければ面白いと勘違いしているようなものです。テーマやメッセージと、噛み合っていない構成は、観客を驚かして楽しんでいるだけで、2時間かけて見るような物語ではありません(ネット動画みたいな数分程度なら許せます)。
「元旦殺人事件」の2種類の構成では、どちらも「シーン1」で「誰が殺した?」「なぜ起きた?」というミステリーのストーリーエンジンを働かせています。
逆行型のように少しずつシーンが遡っていくことと、回想型のように一気に戻してから進めていくのでは、どのような効果の違いがあるのでしょうか?
答えは一つではありませんので、どうぞ、ご自身で考えてみてください。
作品を通して、どういうテーマを込めるかを踏まえて、どちらの構成がいいかが決まるのです。作者が決めるとも言えます。
ちなみに、最初に「シーン1」がないとストーリーエンジンがかかりません。並べてみます。
シーン5:12月31日 23:00 大晦日の夜を過ごしている家族
シーン4:1月1日 1:00 年明けの夜。妻が初詣に向かう。隣にいるのは夫ではない男。誰だ?
シーン3:1月1日 7:00 妻の朝の風景。会食の準備。妻と夫が口論。
シーン2:1月1日 12:00 妻はまだ生きていて、親戚一同で会食。
ここまで見ても、まだ殺人事件が起こるかどうかすら、わかりません。
エンジンがかからないことで、ミステリーやサスペンスとしては失敗しているように見えますが、作者のテーマが別にあるのなら、いけないという訳ではありません。
構成は、伝えたいものを効果的に伝えるためのものです。
『メメント』と同じ時間逆行型の構成を巧みに使って、強いメッセージを伝えている絵本があります。
この絵本の方が『メメント』よりも時間逆行型の構成を活かしてメッセージを伝えています。
『メメント』に限らず、クリストファー・ノーランという監督は物珍しさばかりの物語をつくる人だと思います。物珍しさゆえにヒット作が多いけど、感情ドラマとしては魅力に欠ける物語が多いと個人的には思います。
ループ型の構成も物珍しさで面白がられますが、きちんと構成することが大事です。
参考:アニメ『ひぐらしのなく頃に』とループ型ストーリー
『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』は、設定はありがちなタイムトラベル能力ですが、シーンや感情ドラマに魅力的な作品です。イギリス作品らしい構成の弱さが目立ちますが、個人的にはとても好きな作品です。
『きみに読む物語』や『市民ケーン』と比べてみるのも面白いと思います。この辺りまでくると名作です。構成とテーマが合致しています。時間的な混乱もありませんので、もはや「アークプロット」と呼んでいいでしょう。
物語における時間について
まず、ラブストーリーの定番プロット(ビート)を提示します。
シーン1:二人が出会って(PP1)
シーン2:幸せの絶頂を迎えて(MP)
シーン3:別れて(PP2)
シーン4:新しい関係を築く(act3)
これらを2時間で描けば「アークプロット」のラブストーリーになります。
セリフなしで10分ショートムービーにもできます。
参考:短編映画『紙ひこうき』(三幕構成分析45):ビートの教科書のような短編
1分ぐらいのダイジェストムービーのようにもできるでしょう。
短くなればなるほど、キャラクターを描く時間がないので、テーマもキャラもクリシェになりがちです。
(※クリシェ【cliché フランス】昔から言い古されてきた出来合いの表現やイメージ。また、独創性のない平凡な考え方。広辞苑より)
ネット動画やCMなんかで「いい話」などと話題になるのは、この手です。「いい話だけど、よくあるよね」「よくあるやつけど、いい話だね」と。
話が逸れましたが、2時間だろうが、10分だろうが、1分だろうが、描かれているアークは同じです。フォーマットによる時間です。
これに対して「物語における時間」を区別しておきます。
一連のアーク(出会い~別れ~新しい関係)に、物語内では、どぐらいの時間が過ぎているか?
500日の関係か、数時間の恋か、それとも生涯の恋なのか?
『パリ、ジュテーム』か『ニューヨーク,アイラブユー』か忘れましたが、数時間の恋みたいな作品がありましたす(たしか前者。僕も真似て10分の恋という短篇を書いたことがあります)。
タイトル覚えてませんが、フランスの短編映画でパーティーでの数時間の恋を描いている良作もありました。
常識に囚われていると考えづらいですが、数時間のラブストーリーという物語はたくさんあります。
数十年という生涯をかけたラブロマンスはたくさんあります。(『ワン・デイ 23年のラブストーリー』)
生まれ変わっても、何度も恋をする二人を描いた物語もあります。(『浜松中納言物語』や『豊饒の海』)
物語における時間と、構成における時間は、区別して考える必要があります。
物語における時間は、主人公の時間でもあるので「キャラクターアーク」に関連します。
一方、構成上の時間の扱いは「プロットアーク」に関わります。
両者は関連しているので、区別して考える必要がないこともありますが、複雑な物語では、あえて切り離して考えることで見えてくることがたくさんあります。
参考:「ストーリー価値とアーク」(プロットアークとキャラクターアーク)(中級編2)
ミニプロットと時間
ミニプロットと時間の関係について考えてみます。
ミニプロットとはアークプロットをミニマムにしたものです。
もう一度、恋愛のアークで考えます。
ミニプロットでは必ずしもすべてのビートを入れる必要は無いので、ここでは「恋愛のアーク」=「出会いと別れ」ぐらいに簡略化して考えて構いません。
2時間で1つの恋愛のアークを描けば「アークプロット」になると言いました。
1時間で2組の恋愛を描けば「コントラストプロット」になります。
3組以上になれば「マルチプロット」です。
それぞれについては過去の記事で説明済みです。
「マルチプロット」の形式で、3組を描く代わりに、1組の別の時代を描くこともできます。
たとえば「10代の恋愛」「結婚生活」「老年期」というシークエンスで描かれた物語を想像してみてください。
ミニプロットになるほど、時間(+空間)が飛びやすくなります。
作品ごとに掴むべきだというのが大前提ですが「ミニプロットの方が時間は非直線的になりやすい傾向がある」とは言えます。
ここまで読んでいただいた方には、いらない説明だと思いますが、まとめとして記しておきます。
緋片イルカ 2022.4.28