映画『女と男の観覧車』:赤と青の意味(三幕構成分析#33・音声)

スリーポインツ

『女と男の観覧車』

ジニー: ケイト・ウィンスレット
ミッキー: ジャスティン・ティンバーレイク
キャロライナ: ジュノー・テンプル

キャラクターアーク
PP1:ミッキーにキスされる(28分)
MP:キャロライナを諦めさせる(57分)
PP2:ミッキーと別れる(75分)

mp3(53分30秒)

youtube版

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分析・感想

トップシーンからミッキーのモノローグで入ります。シナリオスクールなんかでは頭ごなしに注意されかねない手法ですが、ウディ・アレンほどのベテラン(老兵?)になると、巧い下手を超えて、モノローグの多用がひとつのスタイルになっています。

初心者がモノローグを使うと、キャラクターをきちんとシーンで見せることから逃げてしまうので、基礎を学ぶ段階では多用がよくないのは確かです。たとえば「恋をしてる」としたら、観客が「ああ、この主人公は、この人が好きなんだな」とわかるシーンを描くことが必要なのに、モノローグで「わたしは恋をしている」と言わせて、説明した気になってしまうのです。観客は説明に感情移入できません。

モノローグを使ってはいけないのではなく、大切なシーンを弱くしてはいけないのです。

うまく使えば、重要でない説明を効率よく片付けられる利点もあります。ミッキーは「1950年代のコニーアイランド」で「ビーチの監視員をしている」「演劇を学ふ大学生」であることなどを、矢継ぎ早に語ります。キャラクターの設定を、こんなに説明してしまっていいのかと思うかもしれませんが「演劇を学んでいること」は、あとのシーンで、しっかりと描写されています(会話や本をプレゼントするといった行動)。冒頭のモノローグは補足情報のようなもので、ここだけで重要情報を説明しているわけではありません。ましてやミッキーは主人公でなく語り手です。フックさせたい相手ではありません。

語り手の役割は、物語への導入をスムーズにすることです。モノローグはキャロライナの登場へとつながっていきます……

また、トップシーンはオープニングイメージとしての機能もあります。たくさんの人がひきしめきあっているビーチ、背後に見える観覧車、また遊園地という場所はあとでラストと比較します(カメラに語りかける手法と遊園地は『アニー・ホール』を思わせます)。

ストーリーに戻ります。キャロライナが登場し、父親を探しているのがわかります。キャラクターの目的を提示することはセットアップの基本です。キャロライナがどういう人かはまだわかりませんが、何をしようとしているかがわかると、観客はストーリーを追いやすくなります。

遊園地という舞台をしっかり見せながら、キャロライナが大きな看板の前を通過して入っていく姿は、不思議な世界へ足を踏み入れていくようです。父親の名前はハンプティ(ダンプティ)です。

カフェでジニーと対面すると、彼女のリアクションから、複雑な事情があり、歓迎される帰宅ではないことがわかります。カタリストが起きているように見えます。

初見ではキャロライナの方が主人公のように見えます。しかし、全体を通してキャロライナの役割はサブキャラクターです。主人公はキャラクターアークを持っています。

「ミッキーのモノローグ」→「キャロライナの登場」という段階は派手ですが、主人公ジニーにつなげるための前振りでしかないのです。

もしも「ふつう」に描くとしたら、「ジニーの日常」→「キャロライナがやってきた」という段階で描きます。では、この変則的な描き方によってどんな効果が生まれているのでしょう?

キャロライナはストーリー上、若くて美人という設定で、ジニーの老いや狂気と対比させる役割です(役者の演技が追いついているかは疑問ですが)。キャロライナから見せていく構成で、そのセットアップが始まっているのです。

キャロライナを主人公のように展開していくことで、実は主人公であるジニーをセットアップしているのです。ちなみにケイト・ウィンスレットですから、観客が主役を間違える危険は少ないでしょう(無名の役者だったら混乱の原因になります)。

変則的な構成でも「主人公のセットアップ」は必要です。キャロライナが住むことが決まる一連のシーンがおわったあと、改めて人物紹介がされます。

夫との寝室でのシーンで、この作品のイメージカラーである、どぎつい赤と青が使われています。色でセットアップしていると言ってしまってもよいかもしれません。息子が問題を抱えていること、女優志望であったことなどもシーンとして描かれます(主人公のセットアップはモノローグで片付けたりはしないのです)。ちなみにミッキーがドラマを学んでいて、ジニーの元夫がドラマーなのは韻を感じます。

ジニーにとっての「カタリスト」は、ミッキーとの出会いです。19分と、カタリストのタイミングとしてはかなり遅いです。モノクロ映画並みで。しかしキャロラインのセットアップで「プロットアーク」としてのビートは機能しているので問題になりません。

主人公の「カタリスト」はミッキーとの出会いです。わかりやすいイベントです。
海がきれいなボラボラ島について語るミッキー。過去の不倫を過ちと言って、帰る。

すぐに夜の海で情事を経て、年齢、既婚者であることを告白(「ディベート」)。さらに過去の不倫で「元夫が消えてしまったこと」=愛を失ったことを語ります(「デス」)。夫の話になると、焚き火が消え、露骨に青味がかってきます。そんなジニーを受け入れ、ミッキーがキスをすることが「プロットポイント1」となり不倫開始、アクト2へと入っていきます。う効果が生まれています。

アクト1は変則的でしたが、アクト2に入ってからはシンプルに進みます。

ジニーとミッキーの関係が進み、「マフィアがキャロライナを探しにくる」「息子の火遊び」などの小さいサブプロットが入りつつ、キャロライナとミッキーの出会いから三角関係に発展していくのはベタな恋愛ドラマの展開です。冒頭のミッキーが言っていた「メロドラマ」そのものです。けれど、映画自体はメロドラマではなく「悲劇」を扱っているものだというのは忘れていけません。

MPでは「パーティーやイベントごと」「秘密や内面の告白」「サブプロットと絡む」といったシーンがよくありますが、そのすべてが入っています。「ジニーの誕生日」「前の夫が死んでいたことを告白」「キャロライナとミッキーについての話」です。キャロライナをミッキーから諦めさせることでFalse Victoryとなります。「キスシーン」「ベッドシーン」というのもMPによくあるのですが、ここでジニーにキスをしていくのは夫のハンプティで皮肉がきいてます。

このシーンでの赤と青の混ぜ方は、露骨すぎて演出を通りこしたものを感じます。ウディ・アレンでなければ、ド素人の演出にすら見えます。色の意味は後述しますので、先に構成をつかみましょう。

息子が放火をした電話が入ったところからフォールが始まり、ジニーは狂気じみていきます。ミッキーに時計をプレゼントして拒まれたところで、二人の関係は終わりPP2です。

アクト3では「キャロライナがミッキーとデートをする」と聞き、さらにマフィアの二人組をみかけます。ここからビッグバトル開始。「ミッキーを取り戻せるか?」が焦点です。

機能するビッグバトルは、アクト2のバトルと関連します。つまりアクト2でジニーがやろうとしていたことは「ミッキーを手に入れること」でした。PP2で高価な時計をおくり、失敗していますが、再度、手に入れるためのバトルなのです。だからマフィアのことを「わざと電話しない」という行動は、ミッキーを手に入れるための行動です。その結果によってミッキーが戻ってくるのか?が焦点なのです。『マッチポイント』を思わせます。

キャロライナは行方不明になり、部屋にやってきたミッキーとの会話がクライマックスです。後述しますが、ここでの衣裳も注目です。

ミッキーは、わざと電話しなかったことを突きとめていて、寄りが戻ることもありません。ネガティブエンド(バッドエンド)です。

ここでもう一度、「デス」を振りかえってみます。ジニーは過去の浮気が原因で愛を失ったと話していました。それを再び取り戻せるかは、ジニーの「旅」といえます。

「ミッドポイント」では、「(息子には)消えてしまった」と言っていたが「死んでいて、自殺だったかもしれない」と告白します。

ジニーは、この「旅」でどんな「リワード」(宝物)を得たのでしょう?

得られなかったがために、ネガティエンド(バッドエンド)に陥ったと言えなくもありません。

現実を受け入れたり、キャロライナや夫に対する態度が変わっていたら、結末は変わっていたかもしれません。

あるいは、ネガティブな「リワード」を手に入れてしまったとも言えます。

ミッキーは『ハムレットとオイディプス』という本を読んでいます(キャロライナに貸す本)。『ハムレット』では父の亡霊から殺されたと聞かされますが、真相はわかりません。ハムレットが妄想に囚われているだけかもしれません。

ジニーの元夫が「自殺したのかもしれない」という罪悪感も妄想の一種です。

ミッドポイントで、ジニーが手に入れたリワードは「亡霊」というの名の妄想だったのかも知れません。ミッドポイント以降のジニーは狂気に取り憑かれたようです。

赤と青のイメージカラーの意味を考えてみます。演出の解釈は、構成とちがって主観的な解釈になりがちなので、あくまで私見です。

赤が「恋愛」や「火遊び」を表してるのはわかりやすいです。

36分の夕日では、早くも恋が傾きかけているようです。

ミッドポイントで赤と青の交差を経てからは露骨の赤はなくなりますが、67分では赤いドレスを着ています。赤を身に纏ってしまったようです。抱き合ったシーンで沈みかけの日射しが(自然光?いわゆるマジックアワー?)があたっていて、綺麗なショットです。

この二つのシーンは構成でいうピンチの位置にあります。

青はどうでしょう?

露骨な青が使われているのは、寝室(13分)、ミッキーとキャロライナの食事シーン(80分)、それからミッドポイントです。

これらが象徴しているのは「死」です。

寝室では、夫との生活で精神的に死んでいるジニー。

ミッキーとキャロライナの食事のシーンのあと、キャロライナは殺されます(彼女の服装も青です)。

フロイト的な言葉を使うなら赤がエロス、青がタナトスと言えます。

「ミッドポイント」はどうでしょう?

赤に青が混じり、真っ青になっていきます。死人の顔にも見えます。

この赤と青を部屋に差しこませているものは観覧車です。

タイトルでもある「Wonder Wheel」で、運命の輪のようです。

アクト3、クライマックスでミッキーと対面するジニーは白い服をきています。

赤になるか、青になるか、どちらにも染まる可能性があります(他のシーンでの白の使い方も面白いですが割愛します。見てみてください)。

オリンポス神殿で神託を待つ巫女のようでもあります。

そして、ミッキーに責められ、雲行きが怪しくなったところで、青い飾りを肩に羽織ります。

赤を象徴してたびたび使われているアイテムは炎です。

青は海です。

ミッキーはビーチの監視員であり、監視海のきれいなボラボラ島への憧れを語ります。

夫は釣りが好きで、最後のシーンで、釣りに誘われますがジニーは断ります。

そして、映画のファイナルイメージでは、人のいなくなったビーチで焚き火をしている少年でおわります。

これが何を意味するか?

受け取り方は自由ですが、テーマを象徴していることだけは確かです。

緋片イルカ 2021/01/24

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