分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。
『フレンチアルプスで起きたこと(字幕版)』
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※リンク先で予告が見れます。
陽光きらめくフレンチアルプスで、家族4人の楽しいバカンス…のはずが、家庭崩壊の危機!?(C)Fredrik Wenzel(Amazon商品解説より)
スリーポインツ
PP1:ドアの前で握手(32分27%)
MP:携帯の動画を見せる(63分54%)
PP2:抱き合う家族(99分85%)
ビートシート
感想・構成解説
この映画は「コメディ映画」に分類されます。U-NEXTの紹介文には「シニカルコメディ」という言葉もありました。
分類は、物語を深く理解するのに邪魔になることもありますが、目安になることもあります。
今回はあえて「コメディとは何か?」ということ少し考えてみます。
日本人の多くは、この映画を見てもゲラゲラと笑わないでしょう。クスっとも笑わないかもしれません。
「外国の笑いはわからない」などと安易に片付けてしまう人も多いことでしょう。
それは、裏を返せば「コメディ」=笑うものという、バイアスで見ていることになります。
この映画はアメリカでリメイクがされています。ショットや演出を見比べてみてください。
予告編や、ウィル・フェレルが主演というだけで、もはや笑いが漂ってきます。
日本人のコメディ観は、アメリカに近いので、こちらのが親しみやすいでしょう。
しかし、わかりやすい演出をしたがために、切り落とされてしまう部分もあるということは忘れてはいけません。
構成を見ながら、その辺りを、きちんと拾っていきましょう。
ちなみに、長くなりそうなので説明しませんが、コメディの幅を考えるとき、以下の映画の演出を比べてみてください。
・ジムキャリー主演のコメディ映画
・ウディ・アレン監督の映画(ただし作品によって、かなり幅がある)
・三谷幸喜監督の映画
・お笑いのコント、あるいは同等の演出をしているコメディ邦画
【ビートシート】
※シーンの雰囲気によって、妻と夫、母親と父親を言い換えてます。
Image1「オープニングイメージ」:「家族の集合写真」:全体を通して、固定カメラの長回しが多用されています。基本的に予算を下げる、役者の演技をじっくり見せるという要素が含まれますが、この演出が観客に何を投げかけているかも重要です。ミニプロットらしく見えるので、雰囲気だけ重視して、無意味に多用している映画もありますが、演出効果を生んでいるかどうかが大切なポイントです。また、こういうショットが多用されているときは観客の側でも、その意図を読み取ろうとするのが自然です。(アメリカ映画ばかり見馴れていると、そのリテラシーが育たず「わからない」「つまらない」となってしまう)。オープニングの記念撮影シーン。表面的なシーンの意義としては「仲睦まじいい家族」ですが、ポイントはカメラマンの指示が多いことです。第三者の要請にしたがって「仲睦まじい家族」が出来上がっているのです。カメラマンに「頭を傾けて」と言われ、はじめ母は子ども達の方へむけます。それから夫婦で傾け合ってヘルメットをぶつけます。暗示的で魅力的なシーンです。これを踏まえると、出来上がった写真を見て悦に入っている母親のシーンの意味合いも変わってきます。
作品を通してくり返される不穏(あるいは不釣り合い)な音楽。ヴィヴァルディの「夏」の一節ですが、これもイメージアイテムの一つととっても良いと思います。家族の関係を変えてしまう「雪崩」。それを予感させる雪山に合わせて、音楽が使われています。
CC「主人公のセットアップ」:「うらやましい」/「仕事中毒。5日間だけ家族サービス」母親は受付で話している女性、サブキャラでもある、子どもを置いてきた奔放な女性に「うらやましい」と呟いています。一方、もう一人の主人公である父親は、息子のトイレを待ってやるところでも見えますが、母が父のことを「5日間だけ家族サービス」と説明して「まあね」と答えています。この作品は二人が主人公といえますが、先に心情が出るのが母親です。母親の「うらやましい」は思わず出てしまった深い心情にみえます(夫も子ども達も側にいるのですから)。一方、父親のwantはまだ表面的ですが「家族サービスをする」目的の人間が「雪崩で家族を置いて逃げる」という「プロットアーク」を引っ張っているのは父親の方です。
これ以降、問題が起こる前の「1日目」の様子が描写されていきます。どれも家族が一緒に映るショットが使われています。
リフト(引っ張られるタイプ)で登っていくシーン。カットの多いアメリカ映画に見馴れていると、長回しが間延びしているように見えますが、やはり家族をワンショットに入れています。母親だけ入りませんが、ここは暗示ととっても、単純に編集上の都合とともっても差し支えない程度です。
注目は6分あたりのリフト(床だけ動くタイプ)のシーン。ストーリー上は息子がややグズっているだけのシーンです。家族4人がワンショットに収まっていますが、向こうから手前に向かってきます。このショットを覚えておいてください。
完成した写真を見る母。息子と娘に関しては感想を述べますが、夫婦のツーショットには微妙なリアクションをしています。
4人でベッドで寝ているシーン。電話を「見ていない」と反射的にウソをついている父親。仕事なのか浮気相手なのかわかりませんが。
10分あたり。鏡の前で4人が電動歯ブラシを使っているシーン。ここで4人が同時に映るのは最初で最後のショットです。妻から夫へキスもしています。
Catalyst「カタリスト」:「雪崩」これが、すべてのきっかけになるのはビートとして簡単です(PP1でないことに注意してください)。ショットとしては、やはり4人が収まるショットで始まり、雪崩とともに父親が出て行き、3人が残ります。あとで戻ってくる。この構図に意味があります。アメリカ版は予告を見ただけで、ウィル・フェレルが慌てた様子で出て行くショットが押さえられていますが、これによってキャラクターが「なさけない父親」に定義づけられます。しかし、元のスウェーデン版では、初見の多くの方が、感じるのではないかと思いますが、父親が出て行くところを含め、何が起きたか見落とす可能性があります。それは、次以降のシーンで、父と母の認識の違いに繋がっていきます。この辺りにも、わかりやすく演出することで、削ぎ落とされてしまっているものがあるということが、おわかりいただけるかと思います。改めて、映画を見直してみると、戻ってきた父の態度は、リアルに情けなくて、見方によっては笑えてきます。このあたりがシニカルコメディの所以でもあります。ウィル・フェレルがやると、大げさに、わかりやすく情けなくなり、「どうぞ、笑ってください」となる。見ている観客(主に男性)は「さすがに俺はこんな逃げ方はしないよ」と作品と距離をとって笑いやすくなるのです。
Debate「ディベート」:「不機嫌な母親」「雪崩」を経た、次のリフト(床だけ動くタイプ)。指摘をすれば説明はいらないと思いますが、前のシーンとはまるで変わっています。子ども達と両親のショットは分かれ、心配げに振り返る。さっきはグズっていた男の子すら、真剣に振り返ります。一番後ろに母親がいるので、3人が母親の機嫌を心配しているのがわかります。会話がないせいだけでなく、ギーというSEは大きめに編集されていて、不和の演出にもなっています。また、前のシーンではこちらに向かってくるショットですが、今回は後ろからの見送るようなショット、カタリストの前後に置くのに相応しい対比にもなっています。
ホテルに戻ってきて先に入ってしまう母親。父親と子ども達、物物しい物音を立てながらスキー板とストックを倒します。
掃除夫が部屋に入ったところに、タイミング悪く帰ってきた家族。子ども達を部屋にいれて、ドアの前で表面上は仲直りをします。まだアクト2に入っていません。
親の態度に、怒りを示す子ども達。受け入れきれていない気持ちの描写がリアルです。こういうところは、下手なライターが書くと、変に言葉で説得してしまったり、子どもがストーリーの都合のいい「いい子ちゃん」になりがちです。
寝室に移動した両親。ほっとしたのか笑っている父親に対して、まだ言いたいことを抱えている様子の母親。わかりづらいですが、いい描写です。
窓からドローンで遊ぶシーン。声から家族4人が楽しんで、仲直りしたようですが、外からのショットで、4人の姿は映りません。また、ドローンを練習したかどうかで、夫のウソなのか、妻の疑いなのか、そんな会話がされていて、ディベート状態が維持されています。
Death「デス」:「彼はすぐに逃げた」レストランでサブキャラの女性(+this oneの男性)との食事。会話はもちろん、女性が帰ってくるのを待っているときの気まずそうな男性の表情、ワインを真剣にテイスティングする夫の態度と妻の気まずそうな顔なんかも笑えます。妻は「雪崩」にあって以降、言いたくて言えなかった言葉を口にします。「彼はすぐに逃げた」(妻を主人公と捉えるなら「言った」、夫なら「言われた」とするだけで意義は同じです)。妻は「雪崩」を英語「avalanche」で聞くと面白いと言っていますが、妻の心理的には「押し寄せる」といった意味が重なったのかもしれません。カタリストの「雪崩」以降、押し寄せてきた気持ちに耐えられなくなっている。それは「夫が逃げたこと」だけでなく、「うらやましい」から始まって、ていねいに描写されてきた、夫に対する態度すべてなのでしょう。ここでも、二人が横並びのショットが使われていますが、これも効果的だと思います。夫婦を主人公として、並行に扱っています(アメリカ版では妻が強く責めているショットになっている)。また、別の席の「ハッピーバースデー」は、シーン(会話)をぶつ切りにするのに、見事に作用しています。下手なライターは、こういうところも「とにかく~」などど会話上でのケリをつけたがります。半端にまとめるエンジンが弱まるし、次シーンが運びづらくなり、結果的にライターは自分の首を絞めることにもなります。半端にまとめるぐらいなら、宙ぶらりんにしておけばいいし、そのためのきっかけをうまいこと作ってやればいいだけです。ちなみに宙ぶらりんはサスペンスの語源でもあります。
PP1「プロットポイント1(PP1)」:「夫が逃げたことを認めない」子ども達を寝かせて、夫婦は廊下に出てきます。カタリストのあとに同じようなショットがありました。ここでもリフト(床だけ動くタイプ)の前後同様、カメラの位置が逆になっています。ハグをして仲直りしようとしますが、もう限界がきています。「雪崩」のときに、逃げたかどうかという表面上の食い違いを軸に、擦れ違いが始まります。妻は「認めさせたい」という表面上のwantを持ちます。夫は「(雪崩のことは)忘れたい」「触れられたくない」。認識(関係性)を変えたい妻と、変えたくない夫の戦いが開始と言ってもよいかもしれません。もちろん、より深い心のレベルで、二人の中で何が起きているかは、観客が自由に感じるところであり、映画の面白いところでもあります。キャラクターアークが動かすタイプのストーリーなので、シーンとしてのPP1らしさはありませんが、映像的にとるなら「握手をしたところ」などをPP1として良いと思います。アクト2に入っていきます。
直後の、鏡の前でのショット。夫はトイレ。妻は鏡に向かって、背中合わせです。もちろん、キスはありません。
妻はスキーブーツ(夫のだと思われる)を外へ放り出す。天気予報は降雪。
もう一度、廊下に出て話し合おうとするシーンは、おそらく会話をカットしたので短いのではないかと感じます)
Battle「バトル」、Pinch1「ピンチ1」:この作品ではサブプロットがメイン的なので、「バトル」と「ピンチ」を同時に扱います。シーンを時間順に並べていきます。
「友人カップル登場」:3日目に入り、サブキャラクターのカップルがバスでやってくる描写。これは説明的なフリに過ぎないので、ビートではありません。
「一人で滑る」:母親が一人で滑りたいと言い、その後のシーンも母親中心で展開されます。この点からも「母親」が主人公になっているのがわかります。
「奔放な女性との会話」:ここはサブプロットです。夫婦の義務や貞淑さといった価値観と、自由人の価値観の対比。あくまでこの作品は「夫婦の間の擦れ違い」がメインプロットなので、女性の価値観は「対立するもの」ではありません。「貞淑さ」と「自由さ」がメインであれば、ストーリー自体は不倫などに進みますが、これまでの展開から、そっちに展開していく、テーマがブレる可能性があります。むしろ、この作品では「不倫」などのエピソードを入れてはいけないとも言えます。妻は女性の奔放すぎる価値観には抵抗しています。不倫などの派手な展開の映画と比べて、この映画がつまらないと感じるとしたら、それもやはり「わかりやすい映画」に慣れすぎたバイアスがかかっていると言えるかもしれません。テーマが何かです。
「息子の『別れないで』」:父親のシーンが挟まれます。息子が「ママと別れないで」と叫びます。
「リフトで登る母」:リフトが停止して静かな状態から、加速して、音も大きくなるように演出されています。母親はどこへ向かっているのか。
「トイレ」:母親は林の中でトイレをします。遠くに滑っている父と子ども達。涙を流します。これまで使われていなかったクローズアップが効果的に挟まれて、感情に惹きつけます。母親の感情的にはミッドポイントにも見えそうです。表面的には「父親に逃げたことを認めさせる」や「関係性を変えたい」というwantをもっている母親ですが、いざ、アクト2に入って、一人になってみると、やはり寂しくなったのです。
「友人カップルが来て食事」:サブキャラクターが集まる、食事やパーティーは、ミッドポイントでよく使われる演出ですので、ここもミッドポイント的です。セリフでは、子どもの面倒を見るので、父親に一人で滑るか友人と滑るかなどを勧めていて、反省して態度を改めたように見えます。前のシーンの涙を引き継げばそういう解釈が可能です。子ども達も移り、久しぶりに家族が4人がワンショットに収まっていますが、母親の顔は一切映らない構図で、最後に母親が座って背中が画面を覆います。
何を考えているのかわからない。母親自身もわかっていないのかもしれません。
「片付けているシーン」:母親がキッチンの片付け。ようやく振り返って顔が見えます。包丁を片付けるのは暗示のようにも見えます。スウェーデンという国や、時代の価値観はともかく、夫は会話を楽しんでいるのに、妻だけが片付けをしているという意味も読みとれるかもしれません。
MP「ミッドポイント」:「夫に動画を見せる」妻も加わり、大人4人での会話。友人が連れてきた20歳の女性が、水商売の話などをして、笑っている夫。妻が何か言った(字幕が出ない)のを、夫が無視したあと、改めて「雪崩」の話を始めます。それまで妻と夫しかショットには映りません。1対1の対決という雰囲気があります(下手な演出家は話している人物を写しがちです)。ストーリー上で「雪崩」の話は二度目ですが、前は夫が話し、今回は妻が話します。認識の違いがテーマなので、この点は重要です。怖かったときに「夫の名前を呼んだがいなかった」と語る妻の声に合わせた、52分の夫のショット。露骨なぐらい暗い表情のショットですが効果的です。涙を浮かべながら語る母親。こういうときにこそ、固定カメラ長回しの演出(役者の演技力も)が活きます。観客も自然と母親の心情にフォーカスします。20歳の女性も涙を流して、母親の肩を撫でます。友人の男が、同じようにその女性の肩を撫でますが、女性は手で払います。これは次シーンへのフリです。「何か言ってよ」という妻に対して、夫は無言。代わりに友人が話しはじめますが、カメラは夫を写します。友人の擁護を、夫がどう受け止めているかが演技から伝わってきます。
無言を貫く夫に、唐突にドローンが乱入します。これは演出的には長い会話シーンにリズムをつける意味もありますし、前のレストランでの「ハッピーバースデー」同様、話を中断しようとする効果があります。ですが、ここでは、それをやったのが息子であること。その直後、息子の元に父親が寄り添っているシーンでは、3人の会話が聞こえていますが、つまりは息子は両親の不和の会話を聞いていたということになります。その上でドローンで止めようとした子ども心の描写は見事です。「ママと別れないで」と言っていた息子が、ただふざけてドローンを飛ばした訳ではないのです。
ドローンの邪魔が入り、友人カップルは「帰ろうか」などと話していますが、ミッドポイントでは、もう中断はされません。友人が自説を展開し、妻が否定する。
夫は、息子に「また、あとで」と声をかけ話し合いの場に戻ります。ちなみに、ここで雪景色のショットが挟まれるのはおそらく編集の都合でしょう。「夫が戻ってくるショットがなかった」とか「ドローンのくだりを後撮りした」か「シーンの最後にあって入れ換えた」など、本来は、夫はそのまま答えていたのではないかと推測できます(ワイングラスの位置もズレてます)。脚本から考えると友人のセリフが多すぎるので切りたくなるのもわかります(扱いの大きさを考えるとスウェーデンでは有名な役者なのではないかと思ったりもします)。
それはさておき、戻った夫は、それでも認識の違いを主張し、妻はとうとう携帯の動画を見せて、夫も認めます。
妻の勝利に見えますが、妻が心の底で求めてることは「夫に非を認めさせる」ことではないはずです。そういう意味でもMPのfalse victoryと言えそうです。もちろん夫視点でとるなら「認めさせられた」と受動態になります。
Fall start「フォール」:「一人で泣いている」構成ではMP以降、主人公が妻から夫にシフトするというかんじなので、フォールらしさはありません。PP1からくり広げられていた夫婦の葛藤が、妻の勝利となり、初めて涙する夫。そこから夫の旅が始まります。wantは「夫婦関係・家族関係の修復」といったところでしょうか。
Pinch2「ピンチ2」:「友人カップルの対立」前半に出てきていた「奔放な女性」と同様に自由な価値観を持つ友人に対して、20歳の女性が言い返します。ピンチ1では「妻と女性」、ピンチ2では「友人カップルの男女」と、ビートを担っているキャラクターは違いますが、話題が対比になっています。なくても良いと言えば言えそうなシーンですが、テーマを掘り下げるというサブプロットの役割は果たしています。一部のビートは配置が重要なので、ピンチはこういう位置に入れなければ、メインプロットを邪魔してしまうことにも注意しておきましょう。友人カップルは「エレベーター」と「ベッド」で2つもシーンがありますが、その間に「4日目」のテロップを挟んだり、「泣いている夫」のショットを挟んだりして単調にならない編集がされています。
その後、PP2までのシーンを追います。
夫と友人は、スキーをして、山の中で叫び、女性に逆ナンされたのかと思いきや勘違い(ここでも不倫にはいきません)。
部屋に戻るが、カードキーがなくて入れない。ドアのシールを剥がすのは意図不明(誰かが貼るシーンがカットされたか?)。
ロビーも探すも見当たらない。この辺りは、やや「妻と子ども達はどこかへ行ってしまった?」という雰囲気が出ていますが、露骨ではありません。
外で裸で吞み合う人たちに巻き込まれるのも、意図不明。これも編集時での操作があるように感じます。
夫のシーンはどれもストーリー上の意図は弱い展開に見えます。もう少し、ヤケになっていくアークが本来はあったのかもしれません。
「ドアの前で座っている夫」:ドアの前で座っているところで、オールイズロスト感があります。ここのショットはアクト1と同じ方向から廊下を撮っています。戻ってきた感じがあります。ドアから出てきた妻は笑って、少し関係が和らいだようにも見えます。部屋に入り、電話する妻を後ろから抱きしめる。妻は拒みません。PP1から始まった緊張状態の関係が終わったかのように見えます。このショットでの抱き合う二人は、鏡に映った状態であることに演出意図をくみ取れそうです。
しかし、次の鏡の前のシーン。夫が歯磨き、妻がトイレをしています。32分のシーンとは妻と夫の動作が逆になっていますが、鏡の中では同じ方向を向いています。二人が下着しか身につけていないのを見ると、前シーンからの流れでセックスを試みたか、したけれど余計に険悪になったことが推測できます。どちらにせよ、解決にはならなかったことがわかります。
PP2(AisL)「プロットポイント2」:「夫の号泣」廊下に二人が出てきます。またドアの左側からのショットに戻ってしまっています。34分あたりの廊下での会話のないショットは、このシーンの別テイクを切ってもってきたのかもしれないとも思います。息子と娘のショットが挟まれるのも、編集上の都合があるかもしれません。夫はドアの前に座り込み、見下ろす妻。会話ショットで高低差が着くのもここだけです。「フォール」以降、落下してきた夫のアークを考えると落ちきった点、最も低い点、すなわち夫にとっての「ミッドポイント」とも言えます。二人のショットは別々ですが、夫が号泣を初めて近づいたところから、二人が収まります。カギがなくて入れなくて掃除夫にあけてもらうくだりを経て、部屋の中に入ってからも、妻が夫を落ち着かせようとします。ここでも二人一緒のショット。そこへ子ども達が入ってきて、抱き合う。さいごには、妻も母親として重なります。夫との間には二人の子どもが挟まっていることは、もちろん、そのまま「子はかすがい」の意味でしょう。ここでは妻の敗北、夫の勝利という印象を受けます。PP1で、雪崩で逃げた話からうやむやにしようと握手をしたところから始まったアクト2が、夫と子どもの号泣によって、うやむやになって終わってしまった感じがあります。
翌日。「最終日」のテロップが入り、アクト3に入っていくかんじがあります。
DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「リフトの中の母」リフトの中のショットは妻一人、夫の両サイドに子ども達という構図が使われています。4人のショットではありません。夫に子ども達を奪われたようにすら見えます。妻だけはまだ納得していない表情がみえます。
BBビッグバトル:父:「最終日のスキー」/母:「危険なバス」ビッグバトルは父と母にそれぞれあるような印象です。
「最終日のスキー」
見通しの悪い中、夫を先頭に滑っていく家族。真っ白い中へ入っていく家族4人は、5分あたりで楽しそうに滑っていた様子とは明らかに違います。
そして、妻だけが降りてこない。ビッグバトルっぽい印象を受けます。「雪崩」のときは自分だけ逃げた父親が、今度こそ、父親としての活躍を見せるチャンス。
父親が走って戻る。
待っている息子と娘は、待ちくたびれて座り込みます。飽きているようにも見える。
そして、母親を抱えてもどってくる、かっこいい父親。ここぞとばかりにBGMも流れる。
しかし、母親はあっさりと立ち上がり、スキー道具をとりに戻ります。
茶番だったのです。見通しの悪い中で、わざわざ滑りに行った理由もわかります。
子ども達にとっての「父親の信頼」をとりもどすためでしょうか。提案したのは父親ではないか、母親の演技をみると、そんな印象を受けます。
ホテルを出て、妻にとってのビッグバトルに入ります。
「危険なバス」
これまでのサブキャラクターも全員のっているため、いよいよビッグバトル感があります。「雪崩」と同じような危機的状況です。
妻は、運転手に詰め寄り、ドアを開けさせます。
乗客は全員降ります。1人の女性(奔放な女性)を残して。
バスは方向転換を済ますと去って行く。
本当に、危ない運転だったのか?
無事に着いた描写も、事故にあった描写もないので、それはわかりません。
残された人々は、ちょっと困った様子を見せながら歩いて降りる。
カメラに向かって歩く、家族もサブキャラクター達も含めた、乗客たちのショットで映画は終わります。
ここまでショットに拘っている映画なので、最後のショットが何を意味するかは、各自の解釈にお任せします(※個人的に聞いていただく機会があれば、僕の解釈は話します)。
オープニングシーンの家族の写真撮影と比べてみれば、このショットがimage2「ファイナルイメージ」になっていると言えそうです。
※ビートではないので、触れるタイミングがありませんでしたが「何故、この映画にはトイレのショットが多いのか?」という問いも面白いと思います。
以上、ビートシートを確認しましたが、ショットに隠された意味などを拾った上で、きちんと、この映画を味わったとき、コメディの幅が見えてくるのではないかと思います。
ただ、バカらしいことや、ふざけたことを言うだけの「笑い」は、観客とキャラクターに距離があることで成立します。
しかし、リアルな笑いには、人間の皮肉や愚かさが含まれていて、それを笑える人もいれば、我が身をふり返って笑えない人もいる。
そんなリアルな人間が描かれているコメディの方が、魅力的だと、僕は思います。
この映画でも、妻はことあるごとに笑っていますが、堪えきれない感情を抱えたときには「笑うしかない」ことがあります。
悲劇と喜劇は表裏一体なのです。
この「視点」をもったコメディが、日本やアメリカには少ないように思いますが、そういうジャンルを楽しむ観客が少ないからでもあるのではないでしょうか?
緋片イルカ 2022.5.18
「物語分析会」:課題作品の分析などを行いながら話し合う定期イベント
「同時代作家の会」:真剣な作家活動に興味ある方の集まり