『さらざんまい』シリーズ分析(三幕構成分析#9)


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あらすじ:舞台は東京・浅草。中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人はある日、突如現れた謎のカッパ型生命体“ケッピ”に出会うが、カエルと間違えた事で怒りを買い、強引に尻子玉を奪われてカッパに変身させられてしまう。「元の姿に戻りたければ“ある方法”でつながり、ゾンビの尻子玉を持ってこい」と言われ、3人はゾンビの尻子玉を探す。(Wikipediaより)

【シリーズとしての三幕構成について】
前回は一話目のビート分析をしました。各話にビートがあるように、シリーズ11話分通しての三幕構成というのもあります。シリーズを分析するときの注意は、よくプロットポイントの目安と言われる全体の1/3の位置にあるとか、ミッドポイントは1/2にあるといった配分は通用しないことです。

アメリカのドラマシリーズでは三幕構成が当り前なので、12話で1クールであれば、3話目はプロットポイント的なストーリー、6話目でミッドポイント的なストーリーになっていることがほとんどです。またシーズンごとをアクトと捉えて、シーズン1はアクト1、シーズン2ではさらなる変化をつけていくという構成をしているものも見受けられます。

日本では三幕構成を前提にしない作家も多いので、良くも悪くも構成が崩れています。もちろん『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』のような一話完結の作品はシーズンでの三幕はありません。各話ごとにあるだけです。
前回も話したように三幕構成自体が物語の基本構造から作られているので、プロットポイントなどはどんな物語にも見つけられます。解釈もつけられますが、重要なのはその分析を理解や創作に活かすことです。正しいかどうかではなく活用できるかどうかが分析の意味です。

※以下、ネタバレ含みます。

【『さらざんまい』のストーリーライン】
シリーズものでは当然、主人公のストーリーだけではなくサブキャラクターも変化したりします。『さらざんまい』のストーリーラインを拾ってみます。

1:一稀のストーリー:実親でなかったこと、弟の春河とのトラウマを克服して、今の家族を受け入れること。

2:久慈のストーリー:兄と一緒に暮らすという夢。状況が変化して一緒に逃亡すること、友達との関係。

3:燕太のストーリー:一稀への恋、一稀にもう一度サッカーをやらせること。

4:ケッピのストーリー:カワウソ帝国との戦い。黒ケッピ(絶望)を受け入れ、カワウソを倒す。

5:レオ(警官)のストーリー:死んだマブの心を取り戻すこと。

数話にわたって展開されるストーリーは以上の5本。これらはそれぞれのキャラクターアークといえます。

【各ストーリーの全11話での展開】
次に、ストーリーが11話全体で上記のストーリーラインとどう展開されているかを見ていきます(★はその回での中心ストーリー)。
全体の復習みたいなものでもあるので、飛ばして次のビートシートにいっても問題ありません。

第一皿「つながりたいけど、偽りたい」:セットアップの回。キャラクター紹介、カッパとカパゾンビとの戦いなど世界観のルール説明。吾妻サラの自撮り占い≓カパゾンビは「ハコ」。秘密の漏洩→一稀の女装。

第二皿「つながりたいけど、奪いたい」:前回のつづきで「金の皿」の説明。三人はそれぞれの願いを叶えるために戦うことになる。サラの自撮り占いは「ネコ」。
バトル後、でてきたのは「銀の皿1枚目」で5枚集めなくてはいけないことになる(チョコボールか笑)。
★一稀:「春河のために希望の皿を手に入れたい」。秘密の漏洩→弟の春河のためにネコを盗んでいたこと。銀の皿1枚目。
久慈:兄は次のヤマへ行く。「兄ために希望の皿を手に入れたい」
燕太:エピローグにて一稀にキス。
ケッピ:なし
レオ:敵役として展開。カワウソイヤーのダンス。カパゾンビと関係してることがわかる。

第三皿「つながりたいけど、報われない」:サラの自撮り占いは「キス」。銀の皿2枚目。
一稀:なし
久慈:なし
★燕太:一稀が好き。希望の皿で一稀の願いを叶えて、ゴールデンコンビを復活したい。秘密の漏洩→一稀の運動着、縦笛、キス。
ケッピ:なし
レオ:敵役として展開。カワウソ帝国の気配。二人には上役がいるらしい。

第四皿「つながりたいけど、そばにいない」:サラの自撮り占いは「ソバ」。銀の皿3枚目。
一稀:握手会で、本物のサラと弟の春河と本物に会わせないための作戦準備。エピローグで「春河が嫌いだ」というセリフ。
★久慈:兄との過去。秘密の漏洩→銃で殺したのが久慈だったこと。
燕太:なし
ケッピ:なし
レオ:敵役として展開。次から欲望レベルを引き上げる。

第五皿「つながりたいけど、許されない」:サラの自撮り占いは「サシェ」。カパゾンビを倒せず、人間に戻れなくなる。
★一稀:弟の春河との思い出。「はじめからおわりまで、回るい円で繋がっている」という合言葉。握手会で女装がバレる。秘密の漏洩:実の母と会っていたこと。その後、自らの告白で自分のせいで春河が事故にあって歩けなくなったこと。「春河のためになんてウソだ。僕は僕を守るために春河を騙したんだ」のセリフ。
久慈:なし
燕太:なし
ケッピ:アイドルのサラもカッパであるとわかる。
レオ:レオとマブの間にも何か葛藤があるとわかる。レオのストーリーラインはここから始まる。

第六皿「つながりたいから、諦めない」:サラの自撮り占いは再び「サシェ」。カパゾンビとの再戦は数秒に省略されてややわかりづらい。銀の皿4枚目。
★一稀:「誘拐された春河を救出」。春河の秘密:本当の母に来ないでと言ったことを知る。人間に戻る。
久慈:なし
燕太:「一稀にパスをしたい」という目的→春河を助けるときにケッピをパス。
ケッピ:カワウソ帝国のアジトへ侵入する。希望の皿を生み出せる唯一の存在。「人間は尻子玉で繋がっている」「失うと世界の円の外側へ弾かれる」「初めから存在しなかったことになる」
レオ:春河を誘拐する。「俺達の希望を見つけた」=ケッピを見つけた。回想:マブが命がけでレオを守ったこと。

第七皿「つながりたいけど、裏切りたい」:サラの自撮り占いは「タマ」。銀の皿5枚目。
一稀:なし
久慈:兄が帰ってくる。一緒に逃げるからサッカー部には入れない。
燕太:銀の皿を5枚で久慈の兄を助けようと言う。秘密の漏洩:三人仲良くなるが嫉妬心。銀の皿を盗んでいた。
ケッピ:サラとカップルになっている。
★レオ:マブはカワウソの力で人形化して生きていること。マブを戻すために「希望の皿を狙う」。

第八皿「つながりたいけど、もう会えない」:占いとバトルなし。つなぎの回という印象。
一稀:銀の皿を探す。
★久慈:兄と一緒に行く。
★燕太:久慈の兄との行動。4枚所持。一稀を守って撃たれる。
ケッピ:なし
★レオ:燕太を撃って、銀の皿を4枚手に入れる。

第九皿「つながりたいけど、伝わらない」:占いとバトルなし。つなぎの回という印象。
一稀:なし
★久慈:久慈の兄と逃げる。兄の冷酷さに触れるが弟は大切だった。兄死亡。
燕太:治療中。カッパになって脱け出す。タイムリミット。
ケッピ:氷らされて、車にひかれて、再生される。ストーリー展開上の意味なし。
レオ:マブがカワウソに操られている過去。「希望の皿あと一枚が欲しい」

第十皿「つながりたいけど、つながれない」:カパゾンビはマブ。サラのセリフ「この世界は試されようとしている。つながっているのか、つながっていないのか」
一稀:なし
久慈:「希望の皿をよこせ」兄を生き返らせる。→「疲れた」と絶望に飲まれる。
燕太:なし
★ケッピ:自らの「絶望」が黒ケッピとなって、カワウソに奪われている。「融合してカワウソを倒す」のが目的。
★レオ:カッパになってマブの尻子玉を抜く。秘密の漏洩:レオを愛していたことを知る。

第十一皿「つながりたいから、さらざんまい」
★一稀:「久慈を助ける」
★久慈:「つながりを絶つ」
燕太:「久慈を助ける」
★ケッピ:「融合してカワウソ=概念を壊す」
レオ:なし

【改めて全体をビート分析】
各話での展開を見て、改めて全体の中でビートとして機能しているところを抜いていきます。仮にこの作品が2時間ぐらいの映画版になったとしたらこうなるだろうというイメージで捉えていただくとよいかと思います。

全体としては「一稀」と「久慈」がメインの主人公と捉えると構成がはっきりつかめます。二人とも兄弟のことを思っていて、それぞれ「兄」と「弟」である対比こと。「一稀」は弟を救えるが、「久慈」は救えないのは陽と陰(キャラクターアークで言えば、ポジティブとネガティブのアークを描いているという対比。プロットタイプではコンフリクト型(対比型)とも言えそうですが6:4ぐらいで一稀の方がメインです。燕太は両者をつなぐサブキャラの位置であるといえます。

【ビートシート】
Image1「オープニングイメージ」:「アと書かれた丸いもの」これは前回の第一話の解釈と同じで、これ自体、作品全体のテーマであり、イメージアイテムでもある。文字の「ア」は浅草、吾妻橋、アイ(愛)などの意味。丸は皿、リング(つながり)などを表すと思われる。また第一話の冒頭で映る一稀の足のミサンガは三人のつながりでもあり、リングでもある。ダブル主人公と捉えるなら「一稀」と「久慈」が「はじめからつながっている」ことを表すアイテムであったとも言える。

CC「主人公のセットアップ」:第一話と第二話で、一稀「春河のためなら何だってする」久慈「兄と一緒に暮らしたい」という目的がセットアップされる。細かい設定部分は後出しもされるが、目的ははっきりしている。それに対して「燕太」の目的・願望は第三話で提示されるのは主人公とは遅く機能していない。サブキャラクターに見える。三人を明確な主人公として立てるのであれば「一稀が好き」や「一稀とサッカーしたい」というサポートキャラ的なものではなく、主人公性を持って兄弟に関連する目的が必要である。ただし映画でも3本の対比をされるアークは見たことない。ブレる可能性もあるので、この状態でバランスがとれていると言える。
また、一稀と久慈の二人の主人公を対比した場合、前半が一稀の視点で描かれている上に久慈が登場するので、やや一稀が主人公各が上になってしまっている。対比させるシーンをセットアップすれば対比型のプロットが明確に出来た。また、例えば我だが「久慈は一稀をミサンガをあげた親友」と思っているとか、「周りに友達がいないので友達が欲しかった」という兄への気持ちとは別に友情を求めていたセットアップをしておけば、後に兄と友達のどちらかを選ぶかの葛藤がもっと活きてきて、キャラの魅力が掘り下げられた。

Catalyst「カタリスト」:「カッパ像を倒す」この行為も二人の主人公によって行われる。そのことがカッパになる原因でもあり、その後の戦いのスタートにもなる最初の事件にあたる。

Debate「ディベート」:「カッパとしての初戦」第一話での戦いはビートとしてはディベートである。ケッピの言われるままに行動し、カッパになることも、戦うことも本人達の意志ではない。

Death・PP1「デス」「プロットポイント1(PP1)」:「秘密の漏洩」精神的な絶望とも言える。カッパになり「さらざんまい」することで知られたくないことを知られてしまう。反面、「希望の皿」によって願いも叶う。自分の目的のために戦うことを決意することで「アクト2:カッパとして戦い、希望の皿を集める」に入っていく。目的は「皿を手に入れること」になる。具体的にどういう願いをするかは不明なため、アクト2の冒険へ入って行く勢いは弱い。

Battle「バトル」:三話目、四話目は「銀の皿」を集めていく過程。同時に後説で、設定の説明しきれてなかった部分が明かされていく。戦うごとに秘密が漏洩していくという設定が、ミステリーの謎が解けていく用な効果を生みながら、三人が秘密を共有していくという行為は友情を育むことにもつながっている。

Pinch1「ピンチ1」:「第五話のレオとマブの間の葛藤」二人の間にも何かあるというフリによって、サブプロットが起動している。全体の比重からすると、この二人のプロットはかなり大きいので、この段階でもう少し明示しておいた方が全体のバランスはとれたはず。

MP「ミッドポイント」:「第六話のラスト~第七話の前半。三人でサッカーをしよう」プロット全体を「主人公は一稀一人で彼の成長のアークである」と捉えるのであれば、第五話のラストで『春河のためになんてウソだ。僕は僕を守るために春河を騙したんだ』と告白するところがプロットポイント。一稀は自分の本心をさらけ出し変化・成長する。そのアークであれば「春河を助けるアクト3」を経て物語は終わってしまう。実際、第七話以降での一稀は「春河のため」という目的がなくなったため個人の葛藤がなく「昔みたいな明るい頃に戻った」といわれ物語上の主人公としての働きを果たしていない。もし、この辺りでつまらなくなったと感じた観客がいれば、この作品の主人公は一稀であると無意識に感じていたのだろう。そう思われてしまうのは、上にも書いた「主人公のセットアップ」での久慈が弱いこと、久慈の兄とのプロットが情報がでてくるだけで展開していかないことによる。
全体をみれば「一稀と久慈が二人主人公」であるといえるので、ミッドポイントは第七話の「サッカーをしよう」と三人の友情が最高潮に達しているところ。タマ(尻子玉でありサッカーボール)で繋がった瞬間ともいえる。
キャラクターアークとして捉えるか、物語全体としてプロットアークとして捉えるかの違いについてはこちらを参照。

Fall start「フォール」:「第七話の久慈の兄が帰ってくる」ここから久慈のキャラクターアークが具体的に動き出すと同時に、全体として見ると、三人の友情が崩れはじめる点と言える。久慈はやっぱりサッカー部には入れないと言う。これ以降、主人公は一稀から久慈に比重が置かれる。

Pinch2「ディフィート or ピンチ2」:「第七話での秘密の漏洩:燕太の裏切り」サッカー練習の場所を汚してたのが燕太であり、さらに銀の皿4枚を盗んでいたこと。これにより、一稀の信頼を失い、友情が崩れるディフィート。またピンチ2としては「レオとマブの過去が明かされる」。またレオが「銀の皿を求めて動き出す」のは、ブレイク・スナイダーがいうところの「迫り来る悪いヤツら」に見えるかもしれないが、それは「悪いヤツら」の言葉に囚われて、ビートの意義を取り違えている。このプロット全体で「皿を集めること」は、表面的な目的で、全体のテーマはミッドポイントで到達している「つながること=友情を育むこと」である。

PP2とBB(AisL)「オールイズロスト or プロットポイント2」:「第八話のラストで燕太が撃たれる。同時に銀の皿4枚を奪われる」は友情という関係だけでなく命も失うかもしれないという状況でオールイズロストと言える。その後、燕太を心配して過去を思い出したりしているシーンが「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」として機能している。ここでレオ立ちが何故4枚で満足して帰ってしまうのかは不自然。警察が到着して仕方なくのような展開にしなくては、アクト3での状況につながらない。また、観客はあと1枚を誰がもっているのか混乱する。

TP2「ターニングポイント2」:「第九話:燕太がカッパになる」ゴールデンコンビ再結成。流れから「銀の皿を4枚取り戻すこと」は予想できるが、具体的にどうするのかアクト3の方向性が提示しきれていないかんじもする。その後、久慈のサブプロットの処理に追われてしまっているのも、勢いを弱めている。九話の終わりは久慈の兄の死で回の終わりとしてはエモーショナルでいいシーンではあるが、全体の構成としては九話の終わりで、アクト3へのフリぐらいは入れておいた方が勢いが残ったはず。
また燕太をカッパにするためにはケッピが必要だが、悲しむシーンを入れるためにはケッピの到着を遅らせる必要があった。ただその理由が「氷らされて、バラバラになって、元に戻って」は、ストーリーの展開上は無意味でもったいない。氷の兵気も後で効いてくるフリでもない。いっそケッピの目的やサラとの関係を掘り下げることもできたし、そのアークの延長であれば、「今夜決戦の時です」というセリフに意味がでてきたはず。

ビッグバトル:「第10話、第11話の5枚集めて燕太を助ける(+カワウソを倒す)」レオがやってきてカワウソ帝国のアジトへ。ここでもレオが強引に最後の一枚を奪おうとしないのは不自然。マブがカワウソに希望の皿のことを知られた→最深部の黒ケッピの元に皿4枚がある。ここでケッピの目的が初めて説明されるが、これもアクト3に入る前で処理しておいた方がよかった。例えば、氷らされてる間とかターニングポイント2の「決戦の時です」と言う前にフることはできた。その方が、様々なプロットが一本につながっていくビッグバトルの決戦感がでたはず。
「ツイスト」は燕太が最後の一枚を割ってしまうところ。この時点で、希望を叶えることが事実上、失敗となる。マブの尻子玉で最後の一枚入手するが、「久慈が奪おうとする」2つめのツイスト。燕太を助けることで希望は達成。ここでプロット上ではビッグバトル終了になってしまう。久慈が金の皿を奪ったまま絶望に飲まれることでバトルを延長できたが、いったん叶えてしまうのでせっかくのテンションがやや下がる。「久慈が飲み込まれて助ける」=「カワウソを倒す」して物語は終了。「皿を集める」「友情を深める」(=つながる)というアクト2での「バトル」に学んだことの集大成としての「ビッグバトル」で、友達を助けてつながるのである。

image2「ファイナルイメージ」:ケッピが王子として元の姿に復活後、「皿は生命の器」「世界の円は丸く保たれた」というセリフとともに、アの丸が再び提示される。

【ささやかな感想とタイトルの意味について】
設定やキャラの行動にはツッコミ所や矛盾は多々あるものの「つながり」というメッセージ性が強烈でとてもいい作品だと思いました。

さいごに『さらざんまい』というタイトルについて。
イルカは「『さらざんまい』って知ってる?」という質問をされて、アニメとも知らず回転寿司やを浮かべました。
カッパの話だときいて、やはり寿司屋のイメージが離れませんでした。

1つには「皿」=カッパの皿として、「三枚」=三人の友情という意味。
作中にあった「皿をは命の器」というセリフがありましたが、その皿に載っているものは命であり欲望。ちなみに「三昧」という言葉を広辞苑には以下のようにあります。

さんまい【三昧】
①(ザンマイとも)〔仏〕
㋐(梵語 samādhi の音訳。三摩地・三摩提とも。定・正定・等持・寂静などと訳す)心が統一され、安定した状態。一つのことに心が専注された状態。四種三昧・念仏三昧など諸種の行法がある。源氏物語(松風)「念仏の―をばさるものにて」
㋑三昧場(さんまいば)に同じ。
②(他の名詞に付いて、ザンマイと濁音化する)
㋐一心不乱に事をするさま。「読書―」
㋑むやみやたらにするさま。「刃物―」「ぜいたく―」

一心不乱に事をするの意味でとれば、命=欲望に従って一生懸命生きるという意味にもとれます。
作中のバトル後に、欲望を昇華する時にする「さらざんまい」は、秘密が漏洩するがそれに囚われずに心の統一を目指す修行のようにも見えます。
カワウソは嘘であり、概念でありました。そういった囚われを打ち砕いた後には、安定した状態になれるという悟りの一種のようにも捉えられます。

人間関係が希薄で、ネットなど表面的なつきあいやウソの多い社会で、本当のつながりを求めることの大切を強く感じるタイトルです。
つながりから外れてしまった人が、「おわらない」「はじまらない」「つながらない」世界へ行ってしまうのは、とても意味深です。
最後に「疲れた」といった久慈がすべてを消してしまおうとするのは自殺のようです。それを助けるのも、二人の友達のつながり。

「はじめからおわりまで、回るい円で繋がっている」というセリフもありました。人間は生まれただけでも様々なつながりに囲まれています。
回転寿司の皿が繋がって流れていくようなイメージは、人類の命の連鎖のように思えなくもありません。もちろん寿司の皿の上に乗っている魚介も命でした。

設定の曖昧さをあれこれ解釈して頭で考えるよりも、ストレートにメッセージを受け取ってこそ楽しめる作品だと思います。
頭でごちゃごちゃ考えることこそ、カワウソ=概念に囚われているのかもしれません。

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緋片イルカ 2019/06/23

【『さらざんまい』を見たい方は】
Amazon Prime会員(500円)で全話見れます(2019/06/22現在)。

レンタルでは1話目のみ無料、2話目以降は各250円で見れます(2019/06/22現在)。右はDVD。

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構成について初心者の方はこちら→初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」

三幕構成の本についてはこちら→三幕構成の本を紹介(基本編)

キャラクター論についてはこちら→キャラクター分析1「アンパンマン」

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