「ビートの本質」(中級編5)

三幕構成 中級編(まえおき)

三幕構成の中級編と称して、より深い物語論を解説しています。連載回数は未定です。思いつくことがある限りつづけます。

中級編の記事では、ビートを含む用語の定義や、構成の基本、キャラクターに対する基本を理解していることを前提としています。しかし、応用にいたっては基本の定義とは変わることもあります。基本はあくまで「初心者が基本を掴むための説明」であって、応用では、例外や、より深い概念を扱うので、初級での言葉の意味とは矛盾することもでてきます。

武道などでも「守」「破」「離」という考え方があります。初心者は基本のルールを「守る」こと。基本を体得した中級者はときにルールを「破って」よい。上級者は免許皆伝してルールを「離れて」独自の流派をつくっていく。中級編は三幕構成の「破」にあたります。

以上を、ふまえた上で記事をお読み下さい。

超初心者の方は、初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」から、ある程度の知識がある方は三幕構成の作り方シリーズか、ログラインを考えるシリーズからお読みください。

なお、初級編では主に『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』を中心に、不足部分を補うように進めてきました。中級編で中心になる書籍は『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』です(以降、同書を『ストーリー』と表記します)。なかなか理解しづらい本なので購入のおすすめいたしませんが、記事に引用することは多くなりますので関連する内容を参照したいときにはご利用ください。英語表記は原書からです。

「ビートとは何か?」再定義

以前、プロットを考えるシリーズでビートを説明しました。このときは初級・中級といった意識なく書いていますが、今回はあらためて「ビートとは何か?」を考えてみたいと思います。

まずロバート・マッキーの定義を引用します。

「ビート」とは、「行動(アクション)/反応(リアクション)」の組み合わせを言う。ビートを重ねるごとに、行為の変化がシーンの転換点を作りあげていく。(『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』)

ロバート・マッキーは、キャラクターの動きでビートを定義しています。「アクション」という言葉はキャラクターの行動に限定されるので、僕はこれを「変化」と言い替えたいと思います。

たとえばキャラクターがいなくても、天気が変わるといった「外界の変化」でもビートたり得るからです。

また、ロバート・マッキーは「アクション」と「リアクション」をセットとしてビートとしていますが、それらは、リアクションが遅れることもありますし、シーン上でカットされることもありますので、セットとはせず「リアクション」もビートの一単位とします。

一言でまとめるなら、物語で「何らかの変化が起きている小さな点」といえそうです。

ビート(beat)という言葉自体、「打つ」とか「拍子」という意味ですので、物語にテンポよく変化を起こしていくことでリズムを作ります。イメージとしして楽譜上の音符を想像してください。

ビートが少ないシーンは「タン、、、、タン、、、、タン、、、、」と静かに進んでいく音楽のようなものです。

ビートが多いシーンは「タン、タタ、タン、タタタタ、タン」というようにリズミカルに打たれ、スピーディなアクションシーンのようなものです。

言うまでもありませんが、音楽の構成と三幕構成には通ずるところがあります(参考記事:音楽の形式と映画の構成)。

ビートの実例

ロバート・マッキーの本では『『カサブランカ』のワンシーンを使ってビート分析をしています(ロバート・マッキーのビート定義による)。

ここでは、わかりやすい例で考えてみます。

「むかしむかし、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました」

まだ情報の提示でしかありません。説明でしかなく、物語にはなっていません。

「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯へ行きました」

キャラクターが動きだし、小さな変化が生まれました。読者には物語が始まった感覚があります。これが一つのビートです。

「お婆さんは川で洗濯をしていました」

これをビートとするかは解釈の分かれるところです。民話学のモチーフ素的な解釈であれば、家から川という「場所の変化」があるので一要素として解釈するところかもしれませんが、このサイトの物語論で展開しているのは、面白い物語を書くための物語論なので、面白さとしてのビートとしては機能していないといえます(後述しますが、この違いは重要です)。

「しばらくすると川上から大きな桃が流れてきました。」

これは大きな変化です。読者も「何か起きた」かんじがすると思います。(ビートシートでいえば「カタリスト」

「お婆さんは、その桃を拾って持ち帰りました」

「流れてきた桃」に対するお婆さんのリアクションです。お婆さんには「持って帰らない」という選択肢もあったことは考えておきましょう。

「桃を切ると中から男の子が産まれました」

もちろん、強いビートです。

まずは、こんな風に「ビート」を物語の最小単位としてみていけば、一行ごとにビートがあるということを理解してください。

その上で考えなくてはいけないのは、全体のバランスと、機能しているかどうかということです。また、音の強弱のようにビートにも強弱があることにも注目しておいてください。

強ビートとアクト

ある物語を一言でまとめようとしたら、多くの人は、その物語の特徴的な部分をとります。

桃太郎でいえば、

「鬼退治の話」「桃から生まれた男の子の話」「動物を家来にする話」……

テーマだけを抽象的に言う人もいます

「男子の出世物語」「成長物語」「勧善懲悪の話」……

(余談ですが桃太郎は武勇譚として戦時中の教科書に採用されていました)

いずれにせよ、これらの一言ではストーリーまでは伝わりませんが、面白味がどこにあるかは想像できます。これは「フック」となります。

物語創作を学んでログラインとか、三行ストーリーといった言葉を知ってる人なら、もう少しストーリーを具体的に言うでしょう。

「桃から生まれた桃太郎が、犬猿雉を家来にして、鬼退治をして、宝物を持ち帰る話」

この一文から「だれが、なにして、どうなる」という三幕構成がみてとれます。

三幕の「幕」という言葉は「アクト」(act)と呼びます。

これは物語の一番大きな単位と言えます。

これは「だれが、なにして、どうなる」に関連する意味上の三幕なので、三つでなければなりません(五幕構成とか三幕八場については後述)。

三つになっていないとすると、次のようなログラインになります。

「桃から生まれた桃太郎が、犬猿雉を家来にして、鬼が島に到着した話」

それで? どうなったの? という感じが残ります。これはアクト3を排除した構成です。

「ある男が、犬猿雉を家来にして、鬼退治をして、宝物を持ち帰る話」

なんか、すごいけど、ある男って誰なの? という疑問が残ります。アクト1を削除した例です。

いずれにせよ、中途半端になります。物語の意味上は三幕でなければいけないというのは、こういう意味です。

各アクトを1:2:1の分量に配分するといったセオリーがありますが、これは演出上の構成で、別の話です。意味上は三幕でなければいけません。

この意味上の三幕の各アクトの切れ目、つまりアクト1とアクト2の切れ目、アクト2とアクト3の切れ目には、物語上、大きな変化があります。

アクト2を非日常としてとらえるなら「始まり」と「終わり」、旅ととらえるなら「出発」と「帰着」のようなビートがあり、これが「プロットポイント」となります。

「プロットポイント」がビートとして機能しているかどうかは、この意味上の三幕を理解しているかどうかにかかっています。

本質を理解していなければ、表面的にプロットポイントを入れたところで、三幕っぽいストーリーが作れるだけです。(参考:Q&A「ビートシート通りなのにつまらない……」

どうぞ、そのレベルの構成で満足したりしないでください。また、そういう例を見て、三幕なんてたいしたことないと割り切らないでください。もったいないですよ。

中ビートとシークエンス

全体のあらすじがあっても、実際の物語はシーンの連続で出来ています。

このシーンをいくつかまとめて「シークエンス」と呼びます。

桃太郎をシークエンスに分けてみると、おおよそ以下のようになります。

■アクト1
○大きな桃から桃太郎が産まれる
○桃太郎が成長する
○鬼退治に出発する

■アクト2
○犬を家来にする
○猿を家来にする
○雉を家来にする
○鬼ヶ島に到着
○鬼と対決

■アクト3
○宝物を持ち帰る

シークエンスやシーンの分け方は、作家次第なので分け方は一つではありません。ここではいくつかの塊があると理解してください。
そして「大きな桃から桃太郎が産まれる」というシークエンスにも、

○大きな桃から桃太郎が産まれる
・お婆さんが川へ洗濯へいく
・桃が流れてくる
・持ち帰る
・桃を切る
・桃から赤ん坊が産まれる

といったシーンに分解できます。

シーンはセリフや地の文(ト書き)といった文章でできていて、それぞれに小さなビートの連続でできているのです。
上の「ビートの実例」で説明したように「洗濯に行く」「持ち帰る」といった弱いビートに比べて、「桃から赤ん坊が生まれる」といった強いビートのあるシーンがあります。ただし「鬼退治へ出発」ほど強いビートではないので中くらいのビートと呼んでおきます。

こういった、中くらいのビートでシークエンスが分かれるといえます。

アクトとシークエンスの混同

三幕構成の理論や解釈は、さまざまな人が、さまざまに語っているので、たくさん読むと混乱してくることがあります。

とくに用語がいろいろありますが、その定義に囚われると、矛盾が生じます。

同じ「ビート」という言葉でも、ある人の定義が、別の人の定義ではちがっていたりするのです。

このサイトでは、なるべく一般的な意味に沿うように使っていますが、わかりづらかったり、意味を限定しすぎるような呼び方は変えたり、そもそも不足している用語は作ったりしています。

けれど、本質は同じです。それは物語の力学のようなものです。

本質を理解しているなら、別に「起承転結」とか「序破急」で呼んだっていいと思ってます(ただ、日本的な構成用語は、ビートのような細かい単位の言葉がないし、あったとしても共通認識としても使いづらいのでハリウッド用語に従っています)。

用語の混乱のひとつに「シークエンス」と「アクト」の混同があります。これによって、一つの物語を「三幕」とするか「四幕」とするか、あるいは「五幕」とするなんて解釈もうまれてきます。

たとえば桃太郎を5幕としてみます。
■アクト1:桃太郎の誕生
■アクト2:桃太郎の成長
■アクト3:家来を仲間にする
■アクト4:鬼との対決
■アクト5:帰還

これはこれで良さそうに見えます。
けれど、この分け方なら、6つや8つになってもあまり変わりません。

シークエンスをアクトと混同する弊害は「変化の意義」が見えなくなることです。変化の意義とはキャラクターアークの変化です。

「だれが、なにして、どうなる」

を内面的な言い方をするとわかりやすくなります。

「どんな人が、どんな経験をして、どう変わったか」

これは作品のテーマにも関わり、とても重要ですが、シークエンスからは見えづらくなります。

一方、シークエンスで構成していくことのメリットもあります。
そのテンプレートの一つが「ビートシート」です。

ブレイク・スナイダーのビートシートは、強ビート(ターニングポイント)と、シークエンスをごちゃまぜにして、一つのテンプレートにしたものです。

定義としては、とても違和感がありますが、初心者が最初に学ぶにはとてもわかりやすいと思います。だから、このサイトでも初級編ではビートシートを中心に解説しました。

「ビートシート」に違和感をもったり、「そもそも、このビートってどんな意味が?」といった疑問をもちはじめたら、初級を脱してきていると言えます。そうなると、ビートの本来の意義に立ち返らないといけなくなります。

三幕八場という構成方法もあるそうです。これは南カリフォルニア大学(USC)の映画芸術学部でだけ教えているやり方だそうです。書籍ではみかけたことはありませんし、僕はくわしくありませんが、八場に分けるというのは、三幕の基本であるプロットポイント1、2、ミッドポイントに加えて、カタリスト、ピンチ1、2、ツイストを中ビートとして据えるだけなのだろうと感じます。たぶん、USCではカタリストといった用語は使わないでしょうが、本質は同じだと思います。

それぞれの構成理論のちがいは、ビートの定義のちがいにすぎないのです。

また、その定義は辞書的な定義ではなく、本質的な意義がとても重要です。言葉の意味にとらわれてはいけないのです。

ビートが機能するとは?

がっつり分析でもつかった楠山正雄の『桃太郎』を引用してみます。(参考:三幕構成がっつり作品分析『桃太郎』楠山正雄

ある日、おばあさんが、川のそばで、せっせと洗濯をしていますと、川上から、大きな桃が一つ、

「ドンブラコッコ、スッコッコ。
ドンブラコッコ、スッコッコ。」

 と流れて来ました。
「おやおや、これはみごとな桃だこと。おじいさんへのおみやげに、どれどれ、うちへ持って帰りましょう。」
 おばあさんは、そう言いながら、腰をかがめて桃を取ろうとしましたが、遠くって手がとどきません。おばあさんはそこで、

「あっちの水は、かあらいぞ。
こっちの水は、ああまいぞ。
かあらい水は、よけて来い。
ああまい水に、よって来い。

 と歌いながら、手をたたきました。すると桃はまた、

「ドンブラコッコ、スッコッコ。
ドンブラコッコ、スッコッコ。」

 といいながら、おばあさんの前へ流れて来ました。おばあさんはにこにこしながら、
「早くおじいさんと二人で分けて食べましょう。」
 と言って、桃をひろい上げて、洗濯物といっしょにたらいの中に入れて、えっちら、おっちら、かかえておうちへ帰りました。

これはシーンでいえば「お婆さんが桃をとる」です。
この中を弱いビートに分けてみると、

・川が流れてくる
・お婆さんが取ろうとする
・届かない
・歌をうたう
・桃が近寄ってきて取る。

という、やりとりがあります。
これは物語論のあちこちでいわれている「葛藤」です。
「主人公の目的」があり「行動」が「失敗」して「別の方法を試す」ことで「成功」となります。

・川が流れてくる(事件発生)
・お婆さんが取ろうとする(主人公の目的と行動)
・届かない(失敗)
・歌をうたう(別の方法)
・桃が近寄ってきて取る(成功)

物語論では「葛藤させなさい」というセオリーもよく言われます。

この「お婆さんが桃をとることに葛藤すること」は物語として意義があるかどうか?

こういう判断でビートの本質を理解しているかどうかが問われます。

ただ、「葛藤させるだけ」なら簡単です。

・川が流れてくる(事件発生)
・お婆さんが取ろうとする(主人公の目的と行動)
・届かない(失敗)
・網をもってくる(別の方法)
・それでも届かない(失敗)
・近くにいた子どもが跳び込んでとってやるという(別の方法)
・桃は逃げてしまう(失敗)
・歌をうたう(別の方法)
・桃が近寄ってきて取る(成功)

こんな葛藤なら無限に作れますし「お婆さんが桃をとる話」で作品が一本作れてしまうかもしれません。

けれど、こんな葛藤はビートとして機能していません。ちょっとした笑いを誘うだけのコントです。映画や小説としてはくだらないでしょう。

では、次のような葛藤はどうでしょう?

・村で鬼が暴れているらしい(事件発生)
・桃太郎は村を守りたいと思う(主人公の目的)
・お爺さんは、危険なので行かせない(失敗)
・夜になって、お爺さんの目を盗んで、こっそり村へ行く(別の方法)
・鬼はもう去った後、荒れ果てた村。娘が誘拐された(失敗)
・桃太郎は、鬼ヶ島へ行きたいと思う(主人公の新しい目的)
・お爺さんは、ぜったいに行かせない。行きたいなら親子の縁を切る(失敗)
・また夜になって、こっそり家を抜け抜け出す(別の方法)
・お婆さんに見つかる(失敗)
・しかし、お婆さんはきびだんごをくれて「気をつけて」と心配する
・お爺さんも出てきて、刀をくれる。「無事に帰ってくるんだぞ」と送り出す(成功)

これは、ブレイク・スナイダーのビートシートでいう「ディベート」を簡単に再現したものです。
「ディベート」は構成上、葛藤させるべきところなので、このビートは機能しているといえます。(※「ディベート」は定義するならビートよりシークエンスといえる)

それぞれのビートにはタイミングや意義があり、それぞれがバランスよく、ドラマチックに機能することで、ひとつの音楽のように物語が構成されるのです。

頭でっかちに用語の定義ばかりにとらわれず、ビートの意義をつかむセンスを養うことが大切です。(ちなみにセンスを養う有効な方法は、三幕構成の書籍を読むことではなく、作品をたくさん見て、なるべく分析することです。本ばかり読んで、理論ばかりで面白い作品を作れない評論家のようになってしまう人も多いので気をつけてください)

緋片イルカ 2020/06/27

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