映画『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』(三幕構成分析)

サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~

メタルドラマーのルーベンは、聴力を失い始める。医師に今後も悪化すると言われ、ミュージシャンとしての自分も人生も終わりだと考える。恋人のルーは元ドラッグ依存症のルーベンをろう者のコミュニティーに参加させ、再びドラッグに走ることを防ぎ、新しい人生に適応できることを願う。ルーベンはろう者のコミュニテーで歓迎され、ありのままの自分を受け入れるが、新しい自分とこれまで歩んできた人生とのどちらかを選ぶのか葛藤する。(Amazon商品解説より)

スリーポインツ

PP1:ろう者コミュニティーでの生活開始(42分35%)
MP:子ども達とドラム(67分55%)
PP2:宿泊を断られる(88分73%)

構成解説

人に紹介されて見てみた映画でしたが、疑いようのない傑作だと思いました。

演出、脚本、演技、編集が、がっちりとスクラムを組んで映画になっている力強さがあります。

監督・脚本のダリウス・マーダーは過去に低予算映画をとっているだけで、ほとんど知られていなかった監督だと思います。

IMDbによると、

The plot and the main characters are based on Derek Cianfrance’s unfinished docufiction film “Metalhead,” in which the drummer of a heavy metal duo blows his eardrums out and must learn to adapt to a world of silence. Cianfrance’s film was in post-production since 2009, and it stars Jucifer’s band members and real life couple Edgar Livengood and Gazelle Amber Valentine playing themselves. Darius Marder was one of the screenwriters of Derek Cianfrance’s Pureisu Biyondo Za Painzu/Shukumei (2012). Marder was personally asked by Cianfrance to re-work “Metalhead” from the beginning as well as giving his blessing.

google翻訳
プロットと主人公は、デレク・シアンフランスの未完成のドキュメンタリー映画「メタルヘッド」に基づいています。この映画では、重金属デュオのドラマーが鼓膜を吹き飛ばし、沈黙の世界に適応することを学ぶ必要があります。 Cianfranceの映画は、2009年からポストプロダクションであり、Juciferのバンドメンバーと実生活のカップルであるEdgarLivengoodとGazelleAmberValentineが出演しています。ダリウス・マーダーは、デレク・シアンフランスのPureisu Biyondo Za Painzu / Shukumai(2012)の脚本家の1人でした。マーダーは、シアンフランスから個人的に「メタルヘッド」を最初から作り直し、祝福を与えるように頼まれました。

だそうです。

この映画を見ているときに思い浮かんだ映画が『ブルーバレンタイン』だったので、デレク・シアンフランスの名前が出てきて納得でした。編集のリズムが絶妙にいいのは彼が監督、脚本、編集をこなす人間だからでしょう。

もう一つ、ストーリータイプとしてですが、似ている作品は『28 Days』です。「主人公が、リハビリをする」という点では同じですが、雰囲気はまったく異なります。脚本の構成は同じだけど、映画としては全く違うというかんじです。

ちなみに『28DAYS』はブレイク・スナイダーの10のストーリータイプの人生の岐路Rites of Passageタイプの一つです。『サウンドオブメタル』も含まれます。

以下、ビートを押さえながら、構成を解説していきます。

※結末までのネタバレ含みます。

●アクト1
「オープニングイメージ」はメタルバンドの演奏。主人公ルーベン(リズ・アーメッド)のビジュアルのイメージだけでなく音自体がイメージアイテムとなっています。これは、作品を通して明確な演出なので、言わずもがなです。ボーカルの女の子=恋人であるルー(オリヴィア・クック)の歌とビジュアルもセットアップされています。

「主人公のセットアップ」はトレーラーでの日常です。ライブシーンとは打ってかわって静かな朝。目覚まし時計なんて余計なものが鳴らないのがいいと思います。鳴らしたら作品が台無しです。スムージーやコーヒーといった生活音から、エアブラシ、レコードでの音楽へとつながります。このあたりのリズムがすごく心地良いです。編集のリズムが良いのです。リズムは個人差もあるし、感覚的なので、説明するのはむずかしいのですが、作品全体を通して「やかましいシーン」と「静かなシーン」「無音のシーン」などが、長すぎず、短すぎない、ちょうどいい塩梅で配置されていて、コントラストな効果を生んでいると感じます。

編集のリズムというのは「不自然な間」を考えてみると、わかりやすいかと思います。

たとえば、「男が振り返る」ショットがあったとします。一般的なリズムであれば、男の振り返る動作に合わせて「男の視線に映るもの=男の背後にあるもの」のショットに繋がります。ところが「男が振り返る」ショットが長く、なかなか切り替わらないと、観客は「?」となります。男は「何を見ているのだろう?」というサスペンス効果も生まれます。けれど、通常の「男との視線に映るもの」のショットに繋っただけだったりすると、違和感だけが残ります。学生映画などで編集が下手だと、ただ不自然な動きに見えるものもあります。

自分で編集をしてみると、よくわかるのですが、ほんのコンマ何秒かのちがいで、こういった映像効果が変わってしまいます。つなぎが心地よいとか、上手いといったものは、こういうところで感じるものです。

7分あたり、ルーベンが眠っているルーに「踊ろう」と言って「立ち上がるシーン」があります。次のショットは、なぜか「ルーベンが車の外に出てから、おもむろに戻る」シーンに繋がり、次に「音楽とともに踊っているシーン」に繋がります。

ここはストーリー上はやや不自然な動きです。踊ろうと言ったのに、何のために出たんだろう?と思わせます。

おそらく「ルーベンが車の外に出る」シーンは、本来ちがうタイミングで使うはずのショットだったのではないかと思います(起きた直後か、ルーを起こす前に、あったシーンではないか)。

けれど、編集リズムから行くと、邪魔をするのでここに持ってきたのでしょう。

結果的に「ルーが起きないので、外に出たり、手持ち無沙汰に待っている」というシーンになっています。

踊ろうといってから、すぐにダンスのシーンに繋がるのでは、リズムが悪いと思います。

ちなみに外に出るシーンは、場所がどこかを説明するエスタブリッシュメントシーンなので、このショットを使わない訳にはいきません。

何を言いたいかというと、そんな風にシーンが入れかえてあっても(おそらくですが)、違和感がないほどにシーンが流れているということです。編集の心地よさです。

また、カメラワークで人物のアップの多さや、自然に近いライティングなどはミニプロット系の演出です(※ミニプロットはアークが弱く見える映画。単館映画でやるような作品というイメージでも。詳しくは『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』)

これは脚本とも合った演出です。ミニプロットのストーリーでは露骨なwant「プレミス」は説明的で浮いてしまいます。

眠ってるルーの起こし方や、運転中の(ストーリー上は)意味の無い会話などといったシーンで見せればいいのです。ルーの腕にはリストカット痕がありますが、これも余計なセリフは要りません(ただし「掻くな」といって観客の注目がいくようにきちんと演出している)。

以前、解説を記事を書いた『ジョーカー』は、この演出と脚本がマッチしていませんでした。

脚本がアークプロット(ふつうの三幕構成)なのに、演出がミニプロット系なので、ズレてしまっているのです。

ビート説明に戻ります。

耳鳴りが始まり「カタリスト」。時間は10分で、最近の映画としてはやや遅いけど、ミニプロットの映画としては問題を感じません。これ以降、単純なプロットアークを辿っていきます。

「ディベート」は、薬屋に行ったり、医者に診てもらったり。ストーリーとしてはベタな運びです。余談ですが、医者が言っている「人工内耳に保険がきかないというのは、実際はない」らしいです。

ルーベンは、ライブ中に音が聞こえなくなり外に飛び出します。音響の演出については説明はいらないかと思います。上手いです。ルーベンが耳が聞こえないと告白したときに、ルーがスッと抱きしめる演技はとても良いと思います。セリフがないところも効いてます。

その後、「ディベート」のシークエンスが続きます。

レストランで言い争い、車でルーが電話を受けて「支援グループがあった」と答える。

このセリフは、この映画で唯一といっていいぐらいですが、説明に寄せたセリフだと感じました。マイナス1点ぐらいのものですが、観客にストーリーの方向性を説明してしまっているのです。

キャラクターより、わかりやすさを優先してしまった、もったいないセリフだと思いました。「支援グループ」という言葉を出してしまうことで、物語の拡がりを狭めてしまっています。

例えば、「あなたに必要なところが見つかった」とか「わたしたちが行くべきところが見つかった」といった抽象的な言い方をすれば、観客の想像力を刺激できます。

個人的には、ここは、セリフを言わせないで、複雑な気持ち(ルーベンとルーのそれぞれ気持ち)を、演技や表情で見せるのが正解だったように思います。

次以降のシーンで、目的地が支援グループであることは明白なので、あえて「支援グループ」と言葉で説明する必要は無かったと思います。

ストーリーを説明したせいで、「目的を説明」→「うんざりというかんじのルーベンのリアクション」という、ありがちなシーンになってしまっているのが、すごくもったいないです。ミニプロット系の演出を貫いて欲しかったところです。

28分あたり、ろう者コミュニティの村に着きます。

映像的にも明るくなり、新しいキャラクター・ジョーも登場して演出(編集)上では、ここを「プロットポイント1」としたのだと思います。

しかし、ルーベンは入ることを決めないので、ストーリーとしてはまだまだ「ディベート」が続いてます。

さきほどは説明セリフの細かい揚げ足をとりましたが、ジョーとの会話で「クスリを止めたのは四年前」「ルーと出会ったのも四年前」という情報だけで、ルーベンスにとって彼女がどんな存在かを説明しきっているのは見事なセリフだと思います。この関係性が感じられるので、去ろうとするルーを引き止める必死さにも感情移入ができます。

40分あたり、ルーはタクシーに乗って去ります。これが「デス」となり、勢いをつけてアクト2=非日常の村へと入っていきます。タイミングとしては全体の35%で、かなり遅いです。

要因はミニプロット系の演出で、シーンをていねいに描きすぎていることです。それを「ムダや遅れ」ととるか「丁寧」ととるかが、エンタメ系のアークプロットとミニプロットの違いとも言えます。ここまでにカットできそうなシーンはたくさんありました。脚本も効率よく会話させれば、もっと凝縮して伝えるべき事を伝え、はやくアクト2に入れます。それをやっていないため、ジョーと会ったときになって、ようやくルーとの過去について語ったりする必要が生じているのです。

しかし、ていねいに描いているシーンは、どれも「ルーとの関係」です。

ここまで、ジョーを除けば、ルーとルーベンス以外のキャラはほとんど映像に映りません。電話をして、村を紹介してくれた友人すら映りません。アクト2で、村に入ると、ルーはほとんど登場しなくなってしまうので、PP1を遅くする必要性もあったかもしれません(アークプロットであればサブプロット的に遠くのルーの様子を映像として入れれば済むことですが、ミニプロットには合いません)。

「ていねいに」ではなく、ダラダラと描かれていると、ストーリーの進みの遅さばかりが目立ってしまいますが、「ていねいに」描かれているので、どのシーンも必要に見えるのです。

●アクト2
アクト2に入り、村で受け入れられる「ミッドポイント」へ向かって行く流れはセオリー通りです。

ただ、ミニプロットはwantが見えづらく、どこに向かっているのか?が初見ではわかりづらいです。むしろ、MPから、逆算的に、どこに向かっていたのか?を考える方が掴みやすいでしょう。

MPは、村で溶け込んだ頂点として「子ども達とドラムをするシーン」としました。冒頭のメタルバンド演奏との対比でもあります。新しいバンド仲間という表現は言い過ぎですが、居場所を見つけたかんじがあります。

次のシーンにある、ジョーから「ここで暮らさないか」と誘われるシーンもミッドポイントと呼んでも、解釈としてはほとんど問題ないかと思います。

ミッドポイントからwantを逆算してみると、wantは「村に溶け込むこと」などとなってしまいそうですが、おそらくルーベンは、そんなことは考えていなかったでしょう。

本人が自覚していない領域(潜在意識や無意識)で、求めていたものが、彼を動かしていたのかもしれないと捉えるのがいいと思います。

この場合、より抽象的に「平穏を得たい」とか「安らぎを得たい」といった表現になります。これもミニプロットの特徴です。

アークプロットであれば外的な目的を設定するのですが、そういったものがないために、リテラシーが低い観客には「よくわからない」「何も起きなくてつまらない」と言われてしまうのです。

反面、「ルーベンはここで何を学んだのか?」という問いを、観客が独自に味わえる魅力にもなります。作り手がテーマを限定していない分、観客側が想像力を働かせる余地が残っているのです。個人的にはミニプロットはとても好きです。

ミッドポイントとした「ドラムのシーン」は67分で、全体の55%です。一般的なMPよりは遅いのですが、PP1が10%遅れていたのですから、5%早めたことになります。つまり、アクト2前半部分(ろう者コミュニティーでの学び時間)は少ないということになります。

時間を遡って「ピンチ1」を確認しておきます。

66分あたり「部屋でタトゥーの絵柄を描いているシーン」がフリとなり、75分あたりで荷物の整理を手伝うシーンではタトゥーが入っていてウケとなっていて「ピンチ2」といえます。テーマを掘り下げるサブプロットにはなっていませんが、フリとウケにはなっています。ストーリー上、このキャラクターは重要ではないのでサブプロットとして深い意味はありません。

外に連れ出した子供と「すべり台を叩き合うシーン」は印象に残るシーンですが、これは「バトル」に勝利したシーンといえます。これ以降、ルーベンは心を開いて、周りとの関係が改善していきます。変化のきっかけになっているシーンなので、印象に残るのです。

「フォール」は、ジョーに村に残るように誘われたあと、ルーの近況を調べ、元の生活に戻ることを考え始めます。ジョーの「また依存症が始まったのか?」というようなセリフがありましたが、ミッドポイントまでの過程は、依存症からの快復という解釈もできます(この点が『28DAYS』との共通点でもありますが、この映画と比べてみると、物語を分類することの弊害も感じると思います)。

とにかく、ルーベンはルーとの生活に戻ろうとして、物語が反対方向へとUターンしています。

「手術を受ける」シーンは「ディフィート」です。これによって、ジョーとの価値観の相違が生まれ、村に居られなくなるのです。

「プロットポイント2」はジョーとの会話。思いやりのある別れ。いいシーンです。ジョーが言う「静寂(moments of stillness)こそが、心の平穏を得られる場所だ(kingdom of God)」というセリフはラストへのフリです。

時間としては88分で全体の73%。PP2の基準75%よりも早くなっています。PP1、MPと遅れていたのに、ここでは基準よりも早くなっています。これはやはり村での生活を短くする構成になっていると言えそうです。アクト2は量として全体の50%分つかっていいところを、38%しか使っていないのです。このバランス感覚は、おそらくテーマやラストシーンに影響します。

もしも、村での生活をたっぷりと描いていたら、ルーベンがルーの元へ帰ろうとすることが、心の動きとして不自然に見えてしまいかねないし、村を出るときも裏切りのように見えてしまいかねません。ほどほどにしか村にいなかったので、出ていく行動も自然に見えます。同時に、物語論としては、アクト2=村で「学ぶべきだったもの」を学びきれなかったかもしれないと思わせます。

学ぶべきものを「リワード」と呼びますが、リワードを得られなかった場合、主人公はバッドエンドに向かいます。

●アクト3
路上に座りこんでいる「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」のショットを挟んでから、髪を剃り、アクト3へ。

「ビッグバトル」は人工内耳の調整を終えて、ルーの元へいくこと。音とルーは、元の世界の象徴です。元の世界を取り戻すこと、元の世界に帰ることがビッグバトルです。

人工内耳で聞こえる音は、想像していたものとは違いました。

ルーの家にいくと、父親が出てくるというツイストがあり、ルーと再会。ルーに新しい恋人がいるといったベタな敗北はありませんが、ルーは印象がずいぶんと変わり、リストカットの痕もなくなっている。ルー自身が拒んでいるわけではないのに、もう元には戻れないということを感じたルーベンは、一人出て行く。構成としてはバッドエンドです。

ベンチに座り、補聴器を外し、音のない世界に入る。これがハッピーなのか、バッドなのかは、観客に委ねられます。その後、村へもどるかもしれないと思う人がいるかもしれないし、哀しい結末を想像する人もいるでしょう。エンディングをオープンにするのもミニプロットの手法です。見事に決まっていると思います。

「オープニングイメージ」のメタルバンドで演奏していたところから、「ファイナルイメージ」の無音への変化は、生命力に溢れていた頃からの老いを思わせますし、死すら思わせます。世の中には変わらないものなどない、永遠なものなどないのだというメッセージにもみえます。

ジョーが言っていたセリフは心の平穏「kingdom of God」でした。キリスト教観でいえば、死後、神の国(天国)へ入ることは究極の救いとなるのだと思います。

ここでもハッピーかバッドか、観客に委ねられています。

味わい深い映画だと思います。

緋片イルカ 2021/10/10 追記・修正済

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『映画『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』(三幕構成分析)』へのコメント

  1. アバター 名前:Sachiko 投稿日:2021/10/11(月) 02:15:04 ID:a31c8d33a 返信

    イルカさん、分析拝読しました。
    おかげさまで、どうしてこんなにもカットやシーンの繋がりや展開が心地よいのか、オスカー編集賞の所以が明確に理解できました..!
    アクト2の分量バランスが、ルーベンが村を出ていく行動の自然さや作品テーマに繋がっている、との点にも非常に腹落ちいたしました。
    好きな作品への理解が深まるというのはなんとも、幸せなことですね^^

    イルカさんが減点されていた、ルーの「支援グループがあった」という言葉は、実は日本語字幕の罠なんです。実際には‘He found a place.’と、「支援グループ」とは言っておらず、車がミズーリへ向かった先の道中で「障害者児童エリア」の看板が映った時に初めて観客は「目的地はそういう場所なのかな」と気付くことになっていると思います。
    その前提で観ると、ミズーリまでのルーベンのリアクションは「うんざり」というよりは「葛藤」に見えて、彼の繊細な表情に「一体何を思っているのだろう」と惹きこまれます。

    もうひとつ、日本語字幕に私が怒りを覚えている箇所があります。屋根の修理をしていたルーベンにジョーがかけた言葉が、字幕では「君はしなくていい」ですが、実際は‘You don’t need to fix anything here.’(ここでは、君は何も直す必要はない)と、テーマへの言及となる大切な言葉をしっかり丁寧に伝えています。

    この大事なふたりのやり取りの翌日から、ルーベンは早朝の静寂に身を置く課題を与えられて取り組み始めますが(57分49%)、私は、ルーベンのリワードが「(誰かに依存するでもなく、周りの環境に心を乱されるでもない)自らと向き合うことで得られる真の心の平穏」だと捉えると、ここがPP1のようにも感じられるなとすら思いました。ファイナルイメージがあまりにも美しく印象的だったので、ここがリワードを得たアークのピークのようにも私には思えたもので。悲しいかな、あんなに愛らしく描かれていたルーベン&ルーは、互いへの依存をやめたことでそれぞれ自分らしさを取り戻せた。私のエンディングの解釈はハッピーで、もしかしたらここから、ルーベン&ルーが、依存という形でなく、真に高め合える関係になることだってありえるかもしれない、ふたりのアクト3が始まるかもしれないなと思いました。

    あ、もちろん、この作品の中でのPPはイルカさんの仰るポイントと私も同意見です!

    静寂の世界については、(以前に少しお話しした)「禅」的な考え方だったりするのかなとも思いました。彼らの感覚だと、キリスト教観の、死後、神の国(天国)へ入る、として描いているのだと思いますが、実際にはルーベンは、死後の世界ではなく、むしろここからしっかりと地に足をつけて生きていけるだろうと(という解釈をしてしまうのは、私が日本人だからなのでしょうか)。「徳を詰めば天国に行けるよ」ということでは救われないと気付いたスティーブ・ジョブズが禅に傾倒したように、この作品の根幹にも禅のスピリットを私は深く感じました。「例え自分がいなくなっても誰も気にしない。ただただ時が過ぎていくだけ。それがLifeだ」というルーベンの名台詞にも表れているような。ルーベンの「悟りの境地への旅」だったと考えるとしっくりくる気がしちゃいました。

    とにかく、好きなシーンと台詞ばかりで、大好きな映画です。
    イルカさん、分析してくださりありがとうございました^^


    日本語訳問題には辟易しますね。。私が鑑賞した作品の中で、一番腹を立てているのは「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(https://eiga.com/movie/83954/)です。タイトルにもなっているこの訳が、作品テーマの全てと言ってもいいくらい大事な要素なのですが、完全な翻訳ミスで、ジェイク・ギレンホールの過去最高とも言われている芝居を台無しにしています。今度ぜひこの怒りを共有させてください 笑。

    0
  2. 緋片 イルカ 名前:緋片 イルカ 投稿日:2021/10/11(月) 04:34:41 ID:c6b07cafe 返信

    Sachikoさん、コメントありがとうございます。

    2カ所の英語と字幕の違いについてのご指摘ありがとうございます。気になったセリフなどは英語字幕などでチェックするようにはしているのですが、記事にしたくせに確認していなかったので、とても参考になりました。「He’s found a place.」はベストですね。字幕はせめて「いい場所が見つかった」ぐらいにして欲しかったなと思いました。「障害者児童エリア」の看板でわかるのになというのも思っていたところでした。

    「君はしなくていい」はちょっと不自然だなと思っていながら、これも確認していませんでした。「You don’t need to fix anything here.」もいいセリフですね。しっかりテーマを表しています。

    「プロットポイント」という言葉に関連してですが、Sachikoさんへというより、この記事を読まれた別の方が誤解しないようにというヒントを込めて、すこし書かせていただきます。

    「プロットポイント」はなるべく、外的なエピソードでとるようにすると、分析がしやすいと僕は思います。物語と主人公の関係は、大なり小なり「出来事」が起きて、そのリアクションとして「感情」が動きます。感情が動いたことから、主人公の次の「行動」となり、それがまた、新しい「出来事」につながり……という因果関係の繰り返しだと思います。(※似たようなことをシーンの構成要素2(中級編12)の記事に書いております。ご興味あれば)

    こういった小さい「出来事」で分析していくと、一つのシーンだけでも、たくさんのプロットポイントのような点を見つけられると思います。この記事の本文でも紹介しているロバート・マッキーの『ストーリー』では『カサブランカ』のワンシーンで、セリフやト書きごとにビートがあるということを説明していて、脚本のどこを切りとっても、意味のあるシーンになっているのが理想的な脚本だと言っています。

    ハリウッドのように制作費に何億ドルもかける映画であれば、セリフ一言レベルまで完璧を目指す、労力と予算がかけられると思いますが、個人レベルの分析で、そこまでするのは現実的ではないので、もう少し大きな枠組みからの分析をしていくことになります(一回ぐらい全セリフレベルでの細かい分析してみるのもいいかもしれませんが、一人でやる気にはなれないですね笑)。

    物語の構成単位は以下のように大きくなっていきます。

    「アクション(セリフ・動作)」

    「シーン」

    「シークエンス」

    「アクト」

    この一番大きな「アクト」という単位でとらえたときの、切れ目を「プロットポイント」と呼びます。アクト2という、大きなかたまりの中に、いくつかのシークエンスがあって、シーンがあります。

    ルーベンの「村に溶け込む」や「心の平穏さを学ぶ」といった各シーンは、大きな枠組みである「村に入る」というアクト2の中での体験といえるので「プロットポイント」とは呼びづらいと、僕は思います。

    Sachikoさんが感じられたような「心の平穏を学ぶ」上で、ジョーとのやりとりや「朝の静寂に身を置く課題」はストーリー上もとても重要で、こういうものはサブプロットと呼びます(フリとウケになっていないのでピンチとは呼びづらいのですが)。

    同じ関係を『スターウォーズⅣ』で考えるなら、ルークはアクト2で、オビワンとともに「デススターを目指す」という行動をしながら、同時に「フォースを学ぶ」という訓練をしています。アクト3では、そのフォースの力を使って、任務を達成します。この関係は『サウンドオブメタル』にも似ている感触を受けました。そういえば「フォース」もとても禅的ですよね。

    むかし、映画の分析会に参加されていた方で、毎回のように「この作品のテーマは愛だ」とおっしゃる方がいました。人間が出てくれば、どんな物語でも「愛」といった抽象的なキーワードで解釈はできてしまうと思いますが、それは分析にならないと感じたことがありました。

    分析はあくまで構造的な説明ができて、それゆえ、自分が書くときに応用もできるようなものであるべきだと僕は考えています。「プロットポイント」は客観的・機械的にとって、その上で、自分が惹かれるシーンや要素は何なのだろう? 構成とどう関係しているのだろう? などと考えていくのは、とても分析の意味があると思います。

    くり返しますが、Sachikoさんが誤解されていると思っていませんし、きちんと理解された上で感想を述べられていますが、記事を読まれた別の方が「プロットポイント」の定義を誤解しないよう、一応、補足させていただきました。あしからず、です。

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